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奇跡の少女

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 十数年前、僕らの住むこの平凡な住宅街を、ショッキングな事件が賑わした。落雷の直撃で、道を歩いていた夫婦が死んだのだ。それがどれだけの確率なのか、テレビのワイドショーで専門家達が連日解説した。そして、さらに注目を集めたのが、夫婦の真ん中で、二人と手をつないで歩いていた長女が、まったくの無傷だったことだ。ただ、少女の腕には十字型の傷がうっすらと浮かび、それは時間が経っても消えることはなかった。
 『奇跡の少女』。マスコミは彼女をそう持ち上げ、両親をなくしたばかりの彼女は、周囲の興味本位の目線はもとより、怪しげな宗教団体からの勧誘まで受けた。
 それが美鳥ちゃんだ。
 小学校にも行けなくなった彼女は、マスコミから逃れ、僕の家に隠れて住んでいた。
 ある日、僕が小学校から帰ると、美鳥ちゃんは涙ぐんで、膝を抱えて座っていた。僕を振り返ると、震える声で行った。
「幸ちゃん。私、悪魔の子なのかな」
 居間のテレビに映るワイドショーでは、美鳥ちゃんのクラスメートや近所の人が、面白おかしく、美鳥ちゃんのエピソードを話していた。
 曰く、校庭から飛んできたボールで教室の窓が割れた時、他の子は怪我をしたのに、美鳥ちゃんだけが無事だった。
 曰く、暴走バイクが美鳥ちゃんを跳ねそうになった時、寸前で転倒し、運転手は怪我をしたが、美鳥ちゃんは無事だった。
 曰く、家で空き巣と鉢合わせた時、突然落ちてきた蛍光灯に頭を割られて空き巣は重症、美鳥ちゃんは無事だった──。
「私が呪われているから、パパとママは死んじゃったのかな。この傷は、その呪いのしるしなのかな」
「そんなわけ、ないよ!」
 僕は必死に言い募った。
「僕は、妖怪とか、人には見えない変なものが見えるんだ。でも、美鳥ちゃんは変じゃない。普通の女の子だよ。──そんな傷」
 僕はランドセルから筆箱を取り出すと、ジジジ、とカッターナイフの刃を伸ばした。
「幸ちゃん? 何するの?」
 膝をかかえたまま、心配そうに見守る美鳥ちゃんの前で、僕は腕の裾をまくり、自分の腕に、十字の傷をつけた。赤い筋から、ぷくりと血の珠が浮き出た。
「幸ちゃん!?」
「ほら、これで、美鳥ちゃんと一緒だよ。美鳥ちゃんが呪われてるなら、僕も呪われてる」
 美鳥ちゃんが、ぽろりと涙を零しながら首を横に振った。
「幸ちゃんは、呪われてないよ」
「じゃあ、美鳥ちゃんも呪われてない。僕たちは一緒だ」
 とうとう、美鳥ちゃんはボロボロと泣き出した。うわあああん、と大泣きする彼女を、僕はどうしていいか分からず、ただ手をつないでそばにいた。その手が温かかったことと、傷をつけたばかりの腕がジクジクと傷んだことを、覚えている。
 僕の腕には今も、その時の十字傷が残っている。美鳥ちゃんとおそろいの、その傷が。

 鬼森三兄妹の住むアパートから家に帰ってすぐ、美鳥ちゃんは源三郎じいちゃんの病院に見舞いに行った。
 僕は正太郎じいちゃんと二人で居間に残り、ぼんやりとテレビを見ていた。スマホには、光香ちゃんからの不在着信やLINEの着信がたくさん入っているけれど、それらを全部無視して、僕はじいちゃんに話しかけた。
「ねぇ、じいちゃん。生きた人間を、術の人形にする方法って、知ってる?」
 じいちゃんは、まるで、その質問をされるのを知っていたかのように、簡単に答えた。
「まず、術者のと人形の同じ場所に、同じ形のしるしをつける。後はいろいろだな」
「その、後はいろいろっていうのが、僕と美鳥ちゃんが、小さい頃からこの家で受けてきた儀式ってわけなのかな」
 幼い頃から僕は一人前の妖怪退治人となるための様々な儀式を受けてきて、時に美鳥ちゃんも、その儀式につきあわされた。互いに盃を交わしたり、教えられた通りの呪言を一緒に唱えたり、揃いの舞を舞ったり。きっとあれが、僕たち二人を、『術士』と『人形』として結びつける儀式だったのだ。
 たかだか、霊感がある程度の子どもが、カッターナイフで腕に傷をつけたくらいで、そうそう簡単に人間を人形にできるはずはないと思った。ならば、この祖父が噛んでいるとしか思えないと、そう判断したのは、正しかったようだ。
「──その術は、正太郎じいちゃんを殺せば、解除できる?」
 僕の声は、我ながら、氷のように冷ややかだった。
「いや、無理だな」
「そっか」
 嘘ではないと判断する。じいちゃんは、無駄な嘘はつかない。僕は肩の力を抜いて、背に隠し持っていたナイフをちゃぶ台の上に置いた。無駄なことはしない主義だ。だが、もう一つ、どうしても聞かなければならないことがある。
「美鳥ちゃんのご両親の事故は、本当に事故だったの?」
 プツン、と音を立てて、正太郎じいちゃんがテレビを消した。そして、僕に向き直る。真剣な眼差しをしていた。まるで、鬼森龍彦を殺したあの雨の日のように。
「話は長くなるぞ。聞くか?」
 僕は頷いた。

「儂が羽島源三郎に出会ったのは、大学生の時だった。偶然、同じ大学の、同じ学生寮に入った──ということになっているが、実際は、『協会』に引き合わされたのよ。羽島の家系には時折、非常に幸運に恵まれた者が産まれる。そのものは、呪術による穢れを一切受け付けぬ体質を持っている。まさに、壊れることのない人形として、うってつけというわけじゃ。羽島源三郎にその資質があるかを見極め、資質あるようであれば、人形とするのが、儂の任務じゃった。──『土門』が任務を遂行するには、強力な術が必要な時も多いからの。協会も、優先して回してくれた、というわけじゃ」
 正太郎じいちゃんは自嘲するように笑った。
「果たして、源三郎にはその資質があった。儂がこっそり、いかな呪術をかけようとも、あやつには効かなんだわ。それで、儂の人形とした。その頃には、だいぶ友誼を深めておったからの。『我が家に伝わる、義兄弟となるための誓いの儀式』と言うたら、源三郎のやつ疑いもせず、喜んで儀式に付きおうてくれたわ。以降、儂は壊れぬ人形を手に入れ、思う存分、『土門』の本分に尽くせたというわけよ」
「──それで、美鳥ちゃんは?」
 僕が聞くと、正太郎じいちゃんは湯呑から茶を一口飲んで、急くな、と言った。
「源三郎の息子には、資質は受け継がれなんだ。あれは──とても優しいところだけが源三郎によく似た、ごく普通の子じゃった。だが、やがて、幸運の兆しを持つ子が生まれた」
「それが──美鳥ちゃん」
 正太郎じいちゃんは頷いた。
「儂は『協会』に報告した。羽島美鳥に資質あり、だが、幼きゆえ、成長するのを待つべし、と。ほどなく、あの『事故』が起きた。偶然ではありえない」
「……」
「雷の術は、鬼森龍彦の得意とするところじゃった。奴は両親を失い、まだ若い身で『鬼森』を継いだばかり。正業もうまくいかず、弟妹らを養うために呪殺に手を出そうとしていた。当然、強力な人形を必要としていたろうよ。」
「鬼森龍彦は、どうやってその情報を知ったの?」
 壊れない人形の資質。この世界の人間なら、誰もが欲しがるであろうそれは、『協会』でも機密だったはずだ。
「『協会』自身の指示じゃったのだろう。『協会』には、呪殺を司る部門もあるでの」
「……」
 急に、自分の属する世界のすべてが汚く、醜いものに思えてきて、僕はゾッとした。
「マスコミを煽り立て、美鳥を源三郎のもとにもいられないようにして、『協会』で保護する、そういう筋書きだったのじゃろうが──お主が、それを邪魔した。不完全ながら、美鳥と契約を結んだ。同じ場所にしるしをつけ、『呪われる時は一緒』と約束した。それで、儂は主張したのだ。羽島美鳥の所有権、『土門』一族にあり、と」
「所有権……」
 その単語に、嫌悪感がこみ上げる。
「本当に……本当に、『人形』にされた影響は出ていないと言えるの?」
 源三郎じいちゃんは愛する息子夫婦を失った。彼自身が無事であろうと、それは彼にとって何よりの不幸だ。もしかしたら今回の病気だって。
「わからん」
 正太郎じいちゃんのその答えに、僕はカッとなった。
「今すぐ、契約を解除して、美鳥ちゃんを僕ら一族から解放すべきだ!」
「さすれば、『協会』の命で、他の一族があの子を利用すべく動くだけよ。その時、どうやってあの子を守る? 『協会』を敵に回すかね?」
 僕はグッと言葉に詰まる。そのとおりだった。
 契約は解除できない。決して。ならば、どうする。どうすれば、あの子を自由にできる──。
 ぐるぐる回る思考を、スマートフォンの着信音が止めた。
 また光香ちゃんか、とちょっとうんざりしながらスマートフォンを確認し、僕は目を見開いた。それは、美鳥ちゃんからの着信だった。
 急いで通話ボタンをタップする。
「美鳥ちゃん!? どうしたの!?」
 美鳥ちゃんの泣きそうな声が返ってきた。
「こ、幸ちゃん。正太郎じいちゃんを連れて、すぐに来て。おじいちゃんが──!」
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