おまえがいた

S野

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ヒサシ 4

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 小学二年生になって、夏休みが終わり、最初の登校日だったと思う。放課後、俺はうっかり階段で転んで左の膝に怪我をした。保健室へ向かっている途中、おまえと出会った。膝の傷を見たおまえは言った。

「どうやってけがしたの」

 いつも遠くから見ているだけのおまえが、初めて話しかけてきた。関わる気はなかったけれど無視できなかった。あのときのおまえの目はよくなかった。とにかく悪い意味で、正常ではなかった。俺は事情を説明して保健室へ向かった。治療を受けていると扉が開いた。おまえがいた。先生がどうしたのと訊ねると、おまえは階段で転んだと言った。左の膝から血が流れていた。

 翌年、俺の祖母が死んだときもおまえは奇妙だった。六月末のことで、学校ではすでに七夕モードが広がっていた。校庭には笹竹が用意されて、七夕当日には生徒たちの願いを書いた短冊を吊るすことになっていた。
 七月七日、クラスごとに短冊を結んだ。すでに吊るされた短冊をなんとなく読んでいくと、おまえが書いたものを発見した。

『ヒサシ君がしあわせになりますように』

 おい、何がそんなに嬉しいのですか。そのとき俺が驚いたことを想像している? ああ、確かに驚きました。どうしておまえが俺の幸せを願うのか、意味がわからなかった。
 違う? その直後? ああ、まあそうですね。
 鉛筆で書かれたおまえの文字は右側に寄り過ぎていた。何も気づかなければ、ただバランスが悪いと思うだけで済んだ。けれど俺は、短冊の真ん中に消しゴムで文字を消した痕跡があることに気づいた。形はくっきりと残っていた。

『おばあちゃんが死にますように』

「ノブ君はヒサシのことが好きなのよ」と母親はよく言った。
「憧れていると言ってもいいかもしれないな」と父親はよく言った。

 果たしてそうだろうか。俺が膝を怪我した直後、おまえは同じ箇所に怪我をした。祖母が死んだ直後、おまえは自分の祖母の死を願った。俺は、両親の考えだけでは説明がつかない気がしていた。
 
 ようやく理解したのが十四歳の春だった。何でもない日だった。授業中、俺は尿意を催して席を立った。トイレに入り、便器の前に立つと、出入り口の扉が開いた。

 おまえがいた。おまえは俺に気づくとぶるぶると震えながら瞳を宝石のように輝かせた。偶然尿意を催したタイミングが同じだっただけなのに、おまえにとってそれは、おそらくいろんなものを超越した出来事だった。我慢を忘れて漏らしてしまった小便もおかまいなしにおまえは瞳を輝かせ続けた。人間の表情があんなにも幸福な気持ちを表現できることを、俺はそのとき初めて知った。
 恥ずかしい? 俺には喜んでいるように見えますが。まあいい、続けます。

 おまえはずっと俺になりたがっていた。俺とまったく同じ人間として生きることを望んでいた。だから俺を見ていたんだ。俺が体験したことを自分も体験するために。俺が何を考えて動き、発言するのか、その仕組みを知るために。

 ねえ、どうして俺だったんですか。周囲に避けられ、気持ち悪がられるためだけに存在していたあのときの俺に、いったいどれほどの価値があったんですか。
 でも阻止しようとはしなかった? まあ、トイレでの出来事があったから。でも今は後悔しています。あのとき止めてあげられなくて、本当にごめんね。
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