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鳳凰  ――「朝日の注ぐ窓辺」「鳥」「レモン」

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お題は「朝日の注ぐ窓辺」「鳥」「レモン」

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 とある爽やかな朝。降り注ぐ朝日はとても穏やかで、優しい風がすぐ傍の窓から入って来て頬を撫でる。小鳥たちが囀り、雲一つない青天が美しい。木にとまっている2羽の鳥は番であろうか。仲睦まじく小さな嘴で身づくろいをしあっている。そんなほのぼのとした光景を眺めながら、男はゆったりと窓辺の椅子に掛けていた。背にしているクッションは程よい弾力で、ともすれば心地よい眠りに誘われそうな程の居心地が良い。

 男はすぅと息を吐いて、その大きな体を椅子に沈み込ませる。男は高ランクの冒険者であり、常に命のやりとりをしていたため、こうして家でゆっくりと過ごす事は何よりも休息になるのだ。ゆったりと目を閉じたその顔は精悍で、こざっぱりと整えられた髪は美しい金色で、今は瞼に隠された空色の瞳と合わせて世の女性たちを虜にしている。そして、どんな絶望的な闘いからも平然と生きて帰ってくる彼は、他の冒険者達の憧れであり、羨望の眼差しが向けられることなど日常茶飯事だ。頭も性格も良い彼は、完璧な存在として弱点など無いのではと言われていた。

 にもかかわらず、静かに瞑想する男の額には冷や汗が大量に流れていた。ふんふん、と機嫌良さそうな鼻歌が背後から聞こえてきて、男はそのがっしりとした肩を震わせた。それでも視線を向ける事がまるで恐ろしいと言わんばかりに硬直して動かない。

 「はい、お待たせ!」

 明るい声に導かれ、恐る恐る目を開けた男は青ざめた顔で黙り込んだ。

 そんな彼の様子に気付いているのかいないのか。テーブルをはさんだ所に立っている少女は、その整った美貌に満面の笑みをうかべて、可愛らしいエプロンを絞めた細い腰の前でお盆を抱えている。テーブルに並ぶ食事達は、非常に豪勢な朝食。

 「あの……」
 「なぁに?」
 「その、豪勢な朝食をありがとう……。けど、えっと、ちょっと多くない?」
 「ええそうなのよ!ちょっと作りすぎちゃって。だから沢山食べてね?」

 残ったら、お昼にすればいいし!とほほに指を当ててあざとく微笑む顔は実に可愛らしいのに、男は益々顔色を悪くした。そして、その豊満な胸を張った少女は、男を真っすぐに見据えると楽しそうにメニューの説明をし始めたのだ。

 パンにたっぷり塗られたレモンカード。レモンの果肉で和えられたサラダに、鮭のホイル焼きにはたっぷりとレモン果汁が掛けられたうえで、彩り美しく輪切りレモン。色とりどりの野菜たちはこんがりとローストされ、塩レモンのタレが絡まっている。肉はといえば、柔らかくなるようにたれに付け込まれて焼かれているが、勿論レモンの爽やかな風味が付けられている。〆にと出されているのは大量のレモンの輪切りが涼し気な冷麺。冷えが気になるのであれば、レモンの聞いたにゅう麵をどうぞ。そんな料理に添えられるのは、爽やかなグラスに注がれたレモネード。デキャンタの中にはたっぷりのレモンが入ったレモン水。アルコールと言われたグラスにはレモンサワー。食後のデザート?レモンピールたっぷりのシフォンケーキに、爽やかなレモンケーキ。完璧である。

 「力作のレモンフルコースよ!さぁ!たぁくさん、食べて頂戴!」

 そう言った恋人の笑顔の前に、男は冷や汗をかいて項垂れた。

 男は、大のレモン嫌いであった。





 差し出されたレモンカードたっぷりのパンを恐る恐る齧った男は、見事に撃沈した。丁度良い酸味が砂糖の甘さを支え、爽やかなレモンの風味を引き立てている。普通に食べれば美味しいそれは、レモン嫌いな男にとってはレモンの直撃を受けて撃沈するに値する威力出会った。それを見て、恋人の少女はむぅと唇を尖らせた。

 「ごめんなさい……。もうしません」
 「べーだ」

 のそのそと涙目で起き上った男が肩を落として誤り、少女は舌を出してそっぽを向いた。泣きそうな顔で男が悄然とする。少女は勿論恋人が大のレモン嫌いである事を知っている。にもかかわらずこの暴挙に出たのには勿論理由があって。

 「記念日忘れるような薄情な男に出すにはこれでじゅーぶん」
 「うぅぅ」

 とても彼に憧れる者達には見せられない情けない表情の男に、そろそろ溜飲が下がったのか少女がため息をついてミント水を何処からともなく取り出すと、恋人の差し出す。そそくさと受けとった男は、一気に煽ってレモンの残りがを一層する。漸く一息ついて顔色も戻ってきた男に、少女は頬杖をついた。

 「まったくもう。私が楽しみにしてたの知ってたでしょ?」
 「ごもっとも。本当に申し訳ない」

 大きな体を縮める男は、恋人に責められている通り、記念日をすっぽかしてしまったのだ。正確には、男は仕事がてら少し遠出をしていて、本来は間に合う想定で予定を組んでいたのだが、うっかり時間の感覚がくるってしまった結果、意図せず記念日の翌日に帰宅することとなってしまったのだ。帰って来て恋人の笑顔にほっと息をついた束の間、ふとリビングにあるカレンダーを見て首を傾げ、今日が何日かを恋人に聞いて青ざめた男は、「大丈夫よ。仕事だったのだもの、仕切り直しましょう」と天使の笑みを向けた恋人の慈悲に感謝し、涙を流したのだが。

 笑顔の裏でしっかり恋人は激怒していたようだ。男はしょんぼりと項垂れた。

 「……まぁいいわよ。仕事じゃ仕方ないし、それ分かったうえであなたと付き合っているのだもの。ちょっとくらい嫌がらせさせてもらったしこれで手打ちよ」
 「そうしてもらえるとありがたい」

 きちんと筋を通せば、そこからはサッパリ流してくれる賢い人である。それを理解していたから、男は詫びの印として恋人の嫌がらせに付き合ったのだ。そもそも別れるって言われないだけいいさ、と天を仰ぐ男に、少女は呆れたような顔をする。

 「あのねぇ。別に貴方の事は愛しているけど、だからこそ、仕事と私どっちが大切なの?!なんて言わないわよ。そんなの性に合わないもの」
 「うん。知ってる。俺の恋人はいい女だからな」

 肩を竦めて見せると、少女はほんのり頬を染めて、ばかと小さく呟いた。自立心が高く、凛とした雰囲気を持つ恋人がふいに見せる可愛らしい表情に、男の目尻がだらしなく下がる。照れ隠しの様にそそくさとキッチンへ引っ込んだ彼女は、今度こそ仕切り直しのご馳走をこれでもかと並べた。そこには男の好物ばかりが並んでいて。きっと記念日当日もこの様に準備して待っていてくれたのだろう。男は困ったように苦笑すると、小さく呟く。

 「ほんと、ごめんて」
 「もう、別にいいわよ」

 そういって微笑んだ少女は、優しい朝日に照らされて美しく輝いていた。





 ゆっくりとご馳走を楽しんでいた男は、ふと視線を泳がせた。楽しそうに会話をしていた少女が訝し気に首を傾げると、ややあって意を決したように席を立った。ちょっと待っててと言って何処かへ行った男は、帰ってきたときにはその手に綺麗にラッピングされた箱を持っていた。目を見開く恋人に、照れたような困ったような、なんとも言い難い顔をして頬を掻いた。

 「いや、何て言うか、すっぽかしたのを正当化するようであれなんだけど」

 そういってそっと差し出してきた箱を受け取り、少女は目を瞬かせた。じっと箱を見つめている少女に、男の方がしびれを切らせて「開けてみて」と促す。そっと、丁寧に、ラッピング自体が宝物のように開けていく少女を、男は優しい瞳で見つめていた。そうして出てきたのは。

 「……魔道具?」
 「そう。映像と音声のね」

 手のひらサイズの録画録音の出来る魔道具で、小さいが高性能の魔道具だった。これのダウングレード版ならば誰もが持っているが、これはかなり高価なハイスペックなもののようだ。これがプレゼントかと一瞬思ったが、観察してみると何かの記録がされている。首を傾げた少女の手のひらからひょいと魔道具を取り上げた男は、手順を追って魔道具を起動する。そこには。

 「……鳳凰?!」
 「正解」

 鳥類、あるいは魔獣の中でも、とくに幻獣種として有名であり、生息地も定かになっていない鳳凰の姿があった。息をのんで立ち上がった少女は、高画質で目の前に展開された鳳凰の姿に釘付けになっている。記録されているのは、とおくから観察したものが大半で、最後には鳳凰との戦闘記録もあった。圧倒的な回復能力と絶大な魔力、協力な炎魔法によってあたり一帯を焼き尽くす鳳凰は一頭で国をも滅ぼすと言われており、それにふさわしい強さを見せつけていた。そのあいてをするのは、よく見知った男で。身の丈程ある剣を振り回し、右に左に翻弄しながら鳳凰を追い詰めていく。最終的には引き分けの形で終わったようで、鳳凰は男を見定めるようにじっと見つめたのち、一声鳴いて飛び去っていった。男はそれを見送って剣をおさめ、それで映像は終わった。ばっと少女が振り返ると、男は片目をつぶって笑いかけた。

 「怪我は?!」
 「あの程度でするかよ。一応俺も冒険者だぜ?」

 チートじみた強さを持っているのは知っていたし、あの程度と飄々と言える時点で意味不明なのだが、ペタペタと男の体を触って検める少女の心配に、男は嬉しそうに脂下がっている。実際、かすり傷程度しかおっていないことを確認して、少女はため息をつくと呆れたように男を見上げた。

 「一体何でまたこんな無茶を……。何かあったらどうするつもりだったのよ」
 「いやぁ。せっかくの記念日だし、何かプレゼントしたいなーって思って。鳳凰の研究に役立てばいいなって」

 本当は直接見せてやりたかったんだけど、流石に危険だから。ごめんな。そう言って頭の後ろに手をやる恋人を、少女は言葉も忘れて凝視した。少女は鳥類の優秀な研究科であり、とくに鳥型の魔獣を専門としている。鳳凰は彼女の憧れであり、その研究をしたいと夢を語る恋人を、男はずっと見てきたのだ。そしてプレゼントを考えた時に、自分一人であればなんとかなるかもと思い立ち、鳳凰との接触を試みたのだという。その結果として、思いのほか手間取った結果帰ってくるのが遅れたのだと。すまん、とまるで世界の終わりのように落ち込む男を見つめていた少女は、ぷはっと吹き出した。そのまま声を上げて笑う恋人を、男はまるで捨て犬のように幻想の耳と尻尾を垂らして上目遣いで様子を伺っている。

 目尻に浮かんだ涙を拭った少女は、男の胸に飛び込んだ。

 「普通、そこまでしないわよ。全くどんな愛し方なんだか。ホント、私の恋人は良い男よね」
 ありがとう、と胸の中ではにかんだようにお礼を言われて、男はくしゃっと顔を歪めてその細い体を抱きしめた。





 なお、心遣いと貴重な資料については何より嬉しいが、危険な事をしたのは別問題だと眦を吊り上げた恋人に、笑顔で差し出されたレモンフルコース(再び)に男が涙したのはまた別のお話。
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