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悲恋

(*)戴冠式前夜  ー「炎に包まれた屋敷の中」「夜空」「復讐」

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お題は「炎に包まれた屋敷の中」「夜空」「復讐」
久しぶりに重いお話です。勢いで書いたので少し読みにくかったら申し訳ないです。

**********


 明日、王女は女王に戴冠する。兄弟姉妹、親の遺体すらも乗り越えて。王女と騎士の幼い恋心を犠牲にして。



 白いカーテンが、夜風にあおられて優雅に揺らめている。騎士は黙って手に持った繊細なワイングラスを掲げると、ぐっとその中身を煽った。男らしいのどぼとけがあらわになり、艶めかしく動く。口に広がる芳醇な香りを楽しんで一つ息をついた騎士は、静かに白いカーテンを一瞥した。いや、正確にはその奥のバルコニーに居る主人を。身じろぎもせず、空に広がる満点の星空を眺めて居るであろう姿を想像し、ゆっくりと立ち上がる。座っていた長椅子に掛けられた毛布を手に取り、バルコニーへと大股で近づく。

 カーテンを避けてするりとバルコニーに出ると、予想通り、そこには華奢な後ろ姿の主人が立っていた。うつくしいドレスをまとった王女は、溢れんばかりの気品に包まれ、優雅にそこに立っていた。騎士が来た事に気付いただろうに全く振り返らない王女に目を細めると、足音も立てずに近寄り、その細い肩に毛布を掛けた。微かに指先を掠めたその白い肩は、むき出しだったせいか、酷く冷たかった。

 いいや、冷たい理由はそれだけではないだろう。寒がる様子のない彼女だが、きっとその心の内は。

 騎士は黙ってその隣に立ち、王女に合わせるように夜空を見上げた。憎たらしいまでに美しい星空だった。何を言うでもなく騎士は王女に寄り添った。毅然とした態度を崩さない主だが、本当は寂しがりやで内気な少女なのだ。なのに。

 「全く。人生って本当に何が起こるか分からないわね」

 音の無い世界で、彼女の囁き声がくっきり聞こえた。横目で伺うと、王女はどこか泣きそうな笑顔で真っすぐ夜空を見上げていた。騎士は、ああ、と呟くと目を伏せた。

 「お母さまがいて、貴方がいて。優しい爺やに厳しい婆や。温かい使用人達に囲まれた離宮。ずっと、あの場所で過ごしていくんだと思っていたわ」
 「近衛団長には勘弁だったがな。どれだけ扱かれたか。二度とごめんだ」
 「ふふふ。貴方が優秀だったからよ。自分の後継者にするって全部叩き込む気満々だったわよ?」
 「……やめてくれ。死ぬ」

 かつての地獄を思い出し、騎士は心底嫌そうな顔をした。王女はそのあまりな顔に吹き出すと、口元に手をあててころころと笑った。どこか緊張した空気が霧散し、息がしやすくなる。ふぅと息を吐いた王女は、一転して昏い瞳をして俯いた。

 「ほんとうに。近衛団長も、爺やも、お母さまも。皆、いなくなってしまったわ」
 「ああ」
 「どうして。こうなったのかしらね」
 「……ああ」
 「そう言えば、あの日もこんなきれいな夜空が見えた気がするわ」

 そういって王女は天を振り仰ぐ。まるで美しい星々が忌々しい運命を引き寄せるのだと言わんばかりに睨み据える姿をみて、騎士はそっとその白い頬に指を伸ばした。星空が好きよと無邪気に笑った幼い少女が泣いているように感じて。





 王女、といっても本来、王位には全く縁がない場所にいた。母は王たる父の側妃であり、正妃もいればもっと身分の高い側妃もいた。それらの妃に子がいる以上、王女に王位が転がり込むことはない。母も王女も、彼女らに仕える者達も、全員がその認識でいたし、王位など望むべくも無かった。だからこそ王都から離れた田舎にある静かな離宮でひっそりと生活していたのだ。

 騎士――当時は騎士見習い――は王女の乳兄弟として共に育ち、王女を守る為に体を鍛える傍ら、いつもじゃれ合って過ごした。なんども一緒に泥だらけになっては、乳母であり母でもある婆やからしこたま怒られ、その様を側妃は笑って眺めていた。

 そんな生活をしていれば、おのずとお互いに目が行くわけで。それぞれの性に合わせた成長をしていく中で、2人はままごとの様に愛し合った。手が触れるだけで挙動不審になる騎士を王女は揶揄い、騎士の大きな手に王女の小さな手が包まれて王女が顔を赤らめる。庭の片隅で、騎士と王女は小指を絡ませた。何時か、面倒な身分なんてなげうって、ずっと一緒にいようと約束を交わして。

 しかし、本人たちがどれほどそのつもりであろうと、それを声高に宣言しようと、よからぬことを企むものが居るのも確かで。母の元に参じては甘い言葉で王位継承争いに導こうとする佞臣を、王女は毎日のように見ていた。聡明な母は、王位継承争いに参戦することのメリットデメリットについて正しく理解していた。故に、それらの誘いを跳ね除け続けた。それでもその動きはなくならず、ついには、王位継承争いによって精神を歪めていた王妃や側妃たちまでもが疑いの目を向けるようになっていたのだ。

 それに気づいた時には、全てが終わっていた。あの夜、王女は炎に包まれた屋敷の一角で、呆然と座り込んでいた。その腕には、熱い炎に囲まれているにも関わらず、徐々に徐々に冷たくなっていくからだが、一つ。血の匂いに屋敷が燃える匂いが混じり、炎に肌をあぶられる。母を殺し、屋敷に火を放った者たちは、屋敷の護衛に捕まる前に自害した。そんな環境で正気を保てるわけがない。彼女は怨嗟の叫び声を上げた。全てを憎んだ。世界を、神を、そして父を。

 ほぼ会う事すらない、顔も朧気な父だったが、それでも血のつながった父であり、母の伴侶でもある。それ故にどこか甘えがあったのだろう。父が助けてくれると。しかし、母が殺されてようやく悟った。父は、母にも自分にも興味はなく、死んだところで振り返るもしないだろうということに。幼馴染の少女の叫び声に誘われて駆け付けた騎士は、いつもはにかんだような優しい笑みを浮かべていた少女の変貌に顔を歪めた。母の遺体に縋り付く少女を無理やりに抱き上げて、どうにか屋敷から脱出した頃には、少女は弱弱しくもがく事しか出来なかった。

 安全な場所で降ろされた少女は、呆然とした顔で涙を流していた。屋敷を駆け抜ける際に見た、王女と側妃を守る為に命を落とした者たち。せめて王女を逃がす為にと尽力して炎に呑まれるものたち。どうにか生き延びたのは、離宮にいたもののごく一部だった。ぎゅっと騎士に抱きしめられた王女は、その体温に、鼓動に、ようやく思考が回り始める。どうしてこうなったのか、だれが、何のために。

 呻き、呪う少女を、騎士は泣きそうな顔で抱きしめた。

 「俺たちはまだ、生きている。今は、それを喜ぼう。死んだものではなく、生きた者を見つめよう」

 くりかえしかけられる言葉に、王女は騎士の肩口に視線を巡らせた。数は大きく減らしたが、それでも王女と側妃を慕うものが、まだいる。泣きそうな顔で気遣わし気に見つめてくる者、必死に周囲を警戒する者、生き延びたものを助け手当をする者。彼らまで、失うことはできない。母の優しい凛とした姿を思い出す。王女は再度考える。どうしてこうなったのか、誰が、何の為に。今度は恨むためではなく、守る為に。

 「まもらなきゃ」

 小さな幼馴染の声に、騎士はそっとその顔を覗き込む。涙でぐしゃぐしゃな小さな顔は、悲しみと悔しさ、そして決意を秘めていた。

 「生きるの、私たちは。お母さまたちの分まで」

 お母さまに顔向けできないもの、と呟いた少女は、少年に囁く。後で、一緒に泣いてねと。頷いた少年に背中を押され、王女はしかと立ち上がる。

 「王になるわ。あんな愚物どもに、これ以上私の聖域を荒らされるなんて、まっぴらごめん。泣くだけで何もできない王女なんて、失う事しか出来ない。そんなの嫌よ。だから、手に入れる。皆を、私自身を守るための力を」

 何事も無ければ開花する事のなかった才覚が、愚かなる者たちの愚考によって花開く。数時間前とは全くの別人の顔をした王女――王の才覚を持ったものが、凛とした表情で家臣たちに向き直る。流れるように膝をついた皆に、クシャっと歪んだ笑顔を向けて、一言命じる。

 「私に、力を貸しなさい。これ以上、一人だって、奪わせはしないわ」





 その後、王女は潜んで力を蓄え、王たちに牙をむく。最初に狙ったのは第三王女だった。関係が希薄で、力の関係から狙いやすく、王にも咎められない可能性が高かったからだ。そしてそれは実現し、そこから徐々に王女は頭角を現す。無我夢中で兄弟と争い、最終的に、すぐ下の弟は協力者となり、兄の一人は闘っている最中に弱みを握って脅して下した。それ以外の兄妹は全て粛清し、その後に復讐として王を裁いた。醜く命乞いをする父に、王女は静かに問う。

 「助けて、と言ってきた者達のなかで、貴方が助けたのは何人?」

 少なくとも、母は助からなかったわ。そもそも、貴方如きに命乞いをするなんて、お母さまはしないと思うけれど。

 そう告げた王女は、王の首に剣を突きつける騎士に視線を投げた。騎士は躊躇う事なく、剣を振るった。そして、鮮血に濡れた王の間で、王女は王となったのだ。

 「後悔している?」

 王女に尋ねられ、騎士は目を開いた。腕の中の恋人は、月明りに照らされながら、小指を掲げていた。その小指をじっと眺めながら、王女は再度尋ねる。

 「あの時。私が王になるって決意して、貴方は私の騎士になってくれた。それを、後悔してる?」

 肯定して欲しそうにも、否定して欲しそうにも聞こえる声に、騎士は喉を鳴らして笑った。不満げな恋人が見上げてくるのにキスを落とし、首を振った。

 「後悔するかもな。いや、後悔しているといってもいい。だが、これ以外の道はなかった。だから、例えなんどやり直したとしても同じ道を選ぶだろう」

 あのままでは、王女も騎士も、遠くない未来に殺されていただろう。それを避けるためには、王女が王となって勝者になるしかなかった。2人が生き延びるためには、それしかなかったのだ。たとえ、この先の未来で2人の道が重ならなかったとしても――彼女が騎士以外の男と結婚することとなったとしても、それでも二人はお互いが生きる未来の為に同じ道を選択する。

 迷いない恋人の断言に、王女は微笑んだ。そうね、と呟いて、その逞しい胸に頬を摺り寄せ目を閉じる。

 今日、この瞬間。これが、最後の瞬間だ。2人が恋人としてお互いのみを考え、ひっそりと寄り添える、最後。夜が明ければ、王女は戴冠し、その時をもって2人の道は平行線となる。2人はそれから何も言わずに、じっと夜空に色が指し、日が昇る様を眺めて居た。




 そして、王女は王冠を得て、王となる。幼い2人の恋心を代償にして。
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