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1話

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青空の下、荒い息を吐いて、オルタンシアは岩場と砂皪が広がる山の傾斜を進んだ。

外套と旅の杖、腰のバックには少しの食料、剣を下げてはいるが軽装といえる旅装だ。

しかしこの身体は呪いに蝕われている。

内海と山脈を超えてこの山に辿り着けたのが奇跡のようなものだ。だからオルタンシアはこの山が己の旅の終わりなのだと悟っていた。



霊峰ガルフ山峰……その山頂には竜が棲むという。

オルタンシアは竜と対峙し、叶うなら戦って──命を散らすつもりだ。





オルタンシアの家は騎士の家系で、下級貴族の家だ。古くは東の果てからやって来た戦士の一団が、その武勲を認められ王の騎士となった。そして彼らは優れた竜狩りだった。オルタンシアの故国もこの山脈を挟んだ北の国もかつては多くの竜が暮らしていたそうだが祖先をはじめとする竜狩りに屠られ数を減らし、今や人の踏みいらない山や深い森に少数残るのみだ。



先祖は英雄だったが竜達には酷く恨まれたのか、一族には呪いが降りかかった。長子が産まれると、その子は二十五歳まで生きられない。二十歳前後になると幻覚や幻聴、原因不明の疼痛に四肢の麻痺など様々な症状が出る。オルタンシアは一年前から全身の疼痛の症状が現れた。

この呪いをなんとかしようと一族は試みたようだが成果は出ることは無かったようだった。そのため一族は長子を長子として扱い、次子がそのスペアとなるため、念には念を入れて三子も長子と同等の扱いがなされていた。



オルタンシアは騎士ではなかったが幼い頃から父から剣術を教わっていた。そして容貌の良さから宮廷で働き、十五歳で王妃付きの護衛侍女になることが出来た。宮廷で帯剣を許されるのは男性貴族のみ、貴婦人は裾を引き摺るスカートを着用するのが慣わしの宮廷で、護衛侍女のオルタンシアは帯剣し、くるぶしまでのスカートを履く名誉を与えられた。



──今思えば呪いが降りかかる娘への餞別だったのか。それでもオルタンシアには眩しく、華やかな日々だった。王と王妃、寵姫らと上級貴族と貴婦人達の優雅な恋愛ゲームと陰謀は、他人事のようだが物語の中に入り込んでしまったかのようだった。



下級貴族の娘のオルタンシアはそんな世界には入り込むなど出来ず、職務をこなすので精一杯だったが、絹の特注ドレスに身をつつみ、近衛の剣を手に出来た栄誉は呪われた今でもオルタンシアの心の支えになっていた。だから呪いの兆候が出始めた時、オルタンシアは冷静だった。騎士にはなれなかったが、先祖のように、竜を一目見て、叶うなら戦って名誉ある死を迎えたい。そう誓っていたのに、身体は鉛のように重く、全身に痛みが流れてくる。一歩ごとに踏み出す脚の裏に針がびっしりと突き刺さっているのではないかと思うような痛みを感じる。

朦朧としながら歩き続けると突然心臓にナイフでも突き立てられたのではないかと言う痛みが走る。その場に倒れ、痛みが過ぎ去るのを待つ。そうしているうちに、オルタンシアは意識を失った。



次に目覚めたのは──見知らぬ部屋だった。薄暗い。身体は、ベッドの上にあった。周囲を見回す。ベッドの他にはサイドテーブルと書き物机と椅子がある。

ベッドは──おそらく藁の上にシーツを敷いた簡素なものだろうか。白と思われる壁、天井。石畳の床。

軋む身体を起こすとドアが開いた。入ってきたのは小柄な老婆だった。黒い髪と黒い小さい眼は、東方諸国人だろうか。



「ああ、あんた、起きたんだね。旦那様が連れ帰った時は、顔が真っ青で、あたしはもう死んでるのかと思ったよ。あんた名前は?」

「オルタンシア……シャサール家のオルタンシアです」

「あたしはゲルダだよ……おやまだ顔色が悪いようだね、なにか口に入れた方がいいよ、じゃ、ここに置いておくからね」



ゲルダはそう言うと、ベッドの横のサイドテーブルにトレイが置かれていた。パンとチーズにハムとソーセージ、水の入った水差しが置かれ、ワイン瓶が籠に入っている。こわばり痺れる指でパンをつまんで口に入れる。

……おいしい。家族に見捨てられた私を、憐れんで拾う人間もいるのだ。ゆっくり食べ進めるうちに、涙が溢れてきた。さっきの、ゲルダという老婆は旦那様が連れ帰ったと言っていた。

領主か有力者だろうか?しかしオルタンシアが入山したガルフ山峰の麓にはこれといった大きな屋敷はない、小さな村落だ。目についたのは廃墟同然の修道院の跡地だけだった。ならば村の村の有力者だろうか。また山へ向かう前に挨拶と、感謝の印に多目に謝礼を送ろう。路銀はまだ十分にある。時刻は──……麓を出発したのが午前9時頃だったから、この薄暗さだともう夕刻を過ぎた頃だろうか。遅くに人を訪ねるのは失礼だし、明日に備える為、オルタンシアは毛布を被り瞼を閉じた。









──長い苦悶の時間を過ぎると、オルタンシアは毎夜続く悪夢の中に放り出される。深い闇と凍えるような冷たい霧に覆われ、岩と天まで届く大樹の森に、オルタンシアは横たわっている。その周囲を山のような大きさの竜が囲み、見下ろしている。苦痛が見せる幻影だと、わかっている。しかし、彼らの声にならない怨嗟はオルタンシアには耐えがたく、うずくまる。ああ、許してください、わたしは何も知りません、どうか許して……祈るような言葉を紡ぎ続け、終わりを待つ。しかしその日は違った。うずくまるオルタンシアの前にぼんやりと光が見えた。顔を上げるとそれは黄金の──鱗だった。輝く鱗が灯火のようで、オルタンシアはそれにすがった。

それはまた、竜だった。しかしオルタンシアを見下ろす竜達とは違い、馬ほどの大きさだ。子どもなのだろうか。そしてその竜は、翼がなかった。後ろ足もなく、尻尾は三つに別れている。不具の竜、だとオルタンシアは理解した。ごつごつとした鱗に覆われた首に抱きつくと心なしか心が休まる。抱きしめられる。くちびるが重なる。唾液の雫が咽に流れこむ。雫はオルタンシアの身体を作り替え、岩と樹となったオルタンシアを竜は抱いている。



オルタンシアは、ベッドにいる自分に気づく。周囲はやはり暗闇で、口の中に、舌の感触、キスの感触が濃密に残っている。

ふたたび、オルタンシアのベッドに、竜はあらわれる。闇の中に仄白く浮かび上がる。





朝の光の束が窓から射し込み、オルタンシアは目覚めた。いつものように重苦しい身体は、なぜか今日は軽い。ベッドから降りて部屋を出ると、ゲルダに鉢合わせした。



「ああ、あんた。朝食の用意が出来ているからね、食堂はこっちだよ」

ゲルダに伴われてついて行くと食堂は広間のようで、石造りの壁、アーチ状の石造りの天井にオルタンシアはここがどこなのか理解した。



「ここは……修道院でしょうか」

「昔はねぇ。今は本を貸し出して、遠くからくる客相手の宿みたいなものさね」

「宿……修道院の宿坊でしょうか……?」



ゲルダに朝食を給仕してもらい、オルタンシアは修道院だったこの施設の話を聴くことが出来た。



ゲルダがまだ少女の頃、五十年も前の事だが、その頃は修道院は打ち捨てられた廃墟だった。ある日魔術師がふらりと村に立ち寄り、この廃墟を気に入ったから買い取りたいと言い出した。その当時の修道院跡は壁も天井も崩れた廃墟だったのだが、魔術師は巨額を投じ、大改修した。そして自身が収集した大量の書籍を大広間に収め、書庫とした。が、いつのまにやら噂を聞き付けた魔術師が集まるようになった。それから色々あって書庫の書籍を貸し出すようになり、村人が貸出やら宿泊やらの仕事をするようになった。



「あたしは掃除に洗濯、朝食の準備を一人で切り盛りしてんのさ。まあ、なにもない村に金を落としてくれるんだ、旦那様には感謝してるのさ、あたしたちは」

「わあ……産業の創出もしているんですね、その──」

「ガルフ山峰のオーア……って呼ばれてるよ。山の頂上と書庫を行ったり来たりしてる、変人だよ」

「あの、私を助けてくれたのは魔術師のオーアさんなのですよね、お礼をしたいのですが……」

「ああ、今頃なら書庫にいる頃じゃないかねぇ?ああ、書庫の本には触れちゃ駄目だよ、貸し出し本は金かかるからね」

「ありがとうございます。それでは」



食堂から回廊を渡ると、黒や濃紺のローブを纏った人々とすれ違った。彼らが書庫にやって来た魔術師だろうか。

大広間に続く大きな両扉の手前にカウンターがあり、そこには館員がいてオルタンシアはオーアを探している旨を伝えると入る事が出来た。

修道院の大広間は──まるで図書館だった。天井まで壁一面を埋め尽くす本と、整然と並ぶ書棚。これが個人で集められたものとは、到底信じられなかった。圧巻の光景に心を奪われていると、なにか足元に違和感があった。下を向くと、濃紺の物体が机の下で蠢いていた。



「ーーー~~~っっっ!!!」

驚き過ぎて声を出せないオルタンシアに、濃紺のそれが声を掛ける。



「そこの人、私の眼鏡を見ませんでしたか?眼鏡がなくて困っているんです、もうなにも見えなくて……」



濃紺物体はよく見ると外套を頭から被ってしまってそう見えるだけだった。床を見回すと眼鏡が落ちており、探していた主に届けた。



「ああっ……ありがとうございます。いえ、探していた文献の原本が所蔵されているのを知り、興奮のあまり取り乱してしまいました。おや?魔術師には見えませんが、あなたも探し物ですか?」

「あ……いえ、私はガルフ山峰に来て、この場所にはたまたま立ち寄っただけです」

「ガルフ山峰……あそこは竜の縄張りでしょう?なぜそんな危険な事を」

「そっ……それ、は……」



……つい口がすべってしまった。本当の事など言える筈もなし、どうしたものかと眼を泳がしていると、濃紺の外套の、瓶底眼鏡の魔術師は興味をなくしたのか、それでは、と挨拶して書棚に向かった。



胸を撫で下ろしてオルタンシアは書庫を見回した。静謐とした空間にどこか心が落ち着く。ふと壁に掛けられたタペストリーが目に映った。そういえば心なしかこの書庫は竜の装飾が多い気がする。オーアという人物は、竜を好んでいるのをろうか。金の刺繍が美しい紋章を眺め、オルタンシアはそんな事を考えていた。



──結局オルタンシアは魔術師オーアを探し出す事は出来なかった。ゲルダの話からオーアは七十歳は越えていると思われるが、そのような人物は書庫にはいなかった。もう少し特徴が分かればと、ゲルダに聞こうと食堂に向かう途中、ゲルダに遭遇し、オーアについて尋ねた。



「ああ、ごめんねぇ、あの思い出話じゃ分からんもんね、旦那様は長い金髪の、若い男だよ。顔がお人形みたいだから見ればすぐ分かるよ。あと、どうやら旦那様は山にいるみたいだね、待ってれば帰って来たとき知らせるよ」

「あ、それが分かって良かったです。私もガルフ山峰に登る予定だったので直接会いに行きます、ありがとうございました」



オルタンシアは宿坊に戻ると外套を羽織り、羽根飾りのトリコーンを被ると路銀を二つ包んだ。一つは宿坊の代金、もう一つは恩人のオーアへ。ゲルダに包みを渡し、ガルフ山峰を目指し、書庫を後にした。
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