その悪役令嬢はなぜ死んだのか

キシバマユ

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二章 獣人の国

56 日記を書いて

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 ジルタニア北西部で起きた列車正面衝突事故から1年。
 アーサーは豪奢な自室で朝の日課である各所から届く手紙を確認していた。
 全てに目を通し、やはり期待した情報はなく内心で気落ちした。それをそばにいた従者は鋭く見抜いた。

 「アーサー様。もうお諦めになられてはいかがでしょう?」
 「私は顔に出していたかな?」
 「いえ、ただ肩が数ミリ下がりましたので」
 「……さすがだね。国内は調べ尽くした。あの列車は西のウィルド・ダム王国と北のアシリア共和国へ行くのにも使われるから、2国の国境の街へも人を遣わせた。でも見つからなかった。なぁジョシュ。あの女性は一体何者だろう?」

 アーサーは手紙を片付け、次の公務のスケジュールが書かれた書類を手にしながらジョシュと呼んだ従者に、この件では初めて疑問を問いかけた。

 「わたくしは現場にいなかったのでその女性を拝見してはおりませんが、表に出てこられぬ事情があるのではないですか?」
 「君もそう思うかい」
 「はい。大勢の命を助けた功績を広められて困るのは後ろ暗い過去があるか、逃亡犯か」
 「指名手配犯の中に彼女と合致するものはなかったよ」
 「お調べになったのですね」

 あまり表情筋を動かさない従者が少しだけ驚いた表情をした。

 「まあね。……事情は知る由もないが彼女のために、もうそっとしておいたほうがいいのかもしれないね」

 アーサーが短く嘆息した。
 諦めると言いつつも、従者の目にはまだアーサーは諦めきれていないように見えた。事故現場で協力しあっただけとも言える関係なのに。
 従者は僭越と思いながら尋ねずにはいられなかった。

 「殿下、一目惚れですか?」
 「まさか! ただもう一度会うことが出来たらゆっくり話をしたいとは思うよ」

 それはやっぱり惹かれているのでは。
 そう言いかけて従者は口を噤んだ。
 彼は王族。市井の女を好きになっても結婚することなどできない。そんなこと前例がない。
 ならばその淡い恋心は気づかぬほうがいいだろう。
 できる従者は瞬時に先々まで見通して判断し、アーサーの気が引ける話題を振った。

 「次のご公務では演劇をご鑑賞なさるのでしたよね」
 「そうだよ。公務とはいえ楽しみだ。この国の伝統的な舞踏を取り入れた新しいスタイルの劇らしい」
 「それは楽しみでございますね」
 「あぁ」

 アーサーは手元の書類に視線を落とし、仕事モードに入った。



 1日中ベッドにいては体力がなくなってしまう。なので私はナラタさんと毎日1時間は一緒に療養所の広い庭を散歩することにしていた。

 「今日もいい天気だね」
 「はい。ウィルド・ダムは雨が少ないですか?」
 「そんなことはないよ。ただ今年は雨の日が少ないね」

 ここに来たときはまだ早春だったのに、今ではもう初夏も過ぎて夏らしい陽気になっている。

 「作物の育ちが心配ですね」
 「そうだねぇ。……ちょいと休憩しようか」

 今日は30分ほど歩いてベンチに腰掛けた。
 病状の悪化のせいで食事量も少しずつ減っている。だからとても疲れやすくなっていた。
 村にいた時は森の中を何時間も歩いていられたのに。

 「アンタ、痩せたね。それに顔が青白いよ」
 「それを言うならナラタさんのほうが……」
 「アタシのことはいいんだよ。ナオ、ちゃんと食べてるのかい? アンタ、アタシとは一緒に食堂に行かないから」

 ナラタさんとは療養所内では一緒に歩かないようにしていた。私が医師や看護師から投げつけられる暴言を聞かせたくない。

 「食べてますよ」

 5割くらいは。食欲もないし、食堂に行けば方々から向けられる敵意のこもった視線がつらくて長くいられないのだ。

 「何を言われても、何をされても、自分がやると決めて進んだ道なら後悔すんじゃないよ。それが誰かのための行動ならなおさら堂々としてな!」

 ナラタさんは私のことをよく見ていた。

 (本当にお母さんね)

 「ありがとうございます。ちょっと元気出ました」
 「ちょっとかい」

 2人して笑っていると、視界の端に歩いている人が映った。
 特に気に留めていなかったが、その人が急に視界から消えた。不審に思いそちらを見ると女性が具合が悪くなったのか蹲っていた。

 「大丈夫ですか!?」

 私はすぐに駆け寄った。

 「近づかないでっ! っけほっ! ゴホッ!」

 あと数歩のところで静止され思わず止まってしまった。
 しかし再び近づいて女性を助け起こそうと体に触れた。

 「ダメっ! 離れてっ! 感染るわ!」

 頑なに遠ざけられるので、私はポケットからハンカチを出して鼻と口を覆った。

 「これで大丈夫です」

 女性はそれで納得してくれたようで、私の手を取って立ち上がった。彼女の手は種族の特徴を持っていた。

 「ありがとう」
 「いいえ。ちょっとベンチに座りますか」
 「そうね……」

 私達がゆっくりベンチへ向かうと気を利かせてナラタさんは席を譲ってくれた。

 「じゃあ先に帰るからね」
 「はい」

 彼女の病気が感染するものなら体力の下がったナラタさんは同席しないほうがいい。
 彼女をゆっくりと座らせて、それじゃあさようならは気がかりで出来ず、私も隣に座った。

 「座るならもっと離れて」

 ぴったり隣に座ったわけではないのだがそう言われてしまい、私はベンチの端に座り直した。

 「別にもう帰ってもいいわよ?」

 座り直した後でそれを言うか。

 「もうちょっとここにいます」
 「そう。……あらあなた、耳がないわ」

 前を向いているのかと思ったら私の方を見ていた彼女が驚き目を丸くしていた。

 「耳ならありますよ」

 私は簡易マスクを外し、髪を耳にかけて見えるようにした。

 「人間っ!?」
 「そうです」
 「初めて見た!」

 彼女の青白かった頬に少し赤みがさした。

 「あなたは何の病気なの?」
 「えっと、私はここの入所者ではなく……」
 「そうなの? 顔色が悪い痩せてるからてっきりそうだと」

 今のは私は病気の人から見ても病人に見えるらしい。

 「私はここでがんを治すために研究してるんです」
 「すごい! がんが治る病気になったらすごいことよ! もしかしてさっきの人のため?」
 「そうです」
 「お母さん?」
 「血は繋がってないですが」
 「素敵ね。きっとあなたはお母さんを助けるために生まれたのね。……私は何のために生まれたのかしら」

 彼女は正面を見据えてポツポツと話した。

 「結婚することもなく、子供を産むこともなくこのまま死んでいくの。何も残すことなく、何もやり遂げることなく……。病気が悪化せずこのまま生きられてもここの外には出られない。……私の人生って何なのかしら」

 あぁ、この人も過去の私と同じだ。
 あの時感じていた胸の痛みが彼女の言葉でまたジクジクと痛みだす。

 「……そう感じるのはあなただけではないと思います」

 言いながらふと思いついたことが口について出てしまった。

 「日記かエッセイかなにか、書いてみたらどうでしょうか。それを読んで一人じゃないと励まされる人は多いと思います」
 「日記を書いて見せる……。考えたこともなかったわ」

 彼女はしばらく考え込んでいた。それから、

 「それを読んだ人が私のことを覚えてくれていたら、それは嬉しいことね」

 とふわりと笑んだ。

 (あぁ、がんもこの人の病気も治せたらいいのに……)

 違う世界に来ようとも私はちっぽけな人間で、ままならないことばかりだ。

 「日記のこと、考えてみるわ」

 彼女はベンチから立ち療養所の方へ歩き出した。

 「あっ、名前教えてください!」
 「アンナよ。いつか私の日記を読むことがあったら思い出して」

 去っていく背中を見つめながら、アンナさんの人生にどうか幸多かれと祈った。

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