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1章
封印解放 壱
しおりを挟む熱く、熱く。
体は燃える車輪のように動きを止めない。
空元気はとうに尽きた。
今俺が動けているのは根性ではなく、燃料として今ある全てを燃やしているからだ。
生命を、魂を、魔力を、信念を。
燃やし、注いで、己自身を焚き付ける。
文字通り、寿命を縮めて生に縋っているのだ。
「どうして、そこまでっ……!」
口からは疑問の声。
自分でも理解不能な行動原理。
さっきまで限界だったくせに、どうしてそんな事が出来るのか。どうしてそこまでして生き残ろうとするのか。
それは、そいつが原因だ。
『───────────』
目前に少女。
指は左へ。
そいつが現れてから別人にでもなったかのように体が動く。
それが己の全てかと言うかのように。
死んでもいいから達成させよと体が十字路を左へ曲がる。
「ギャウッ!!」
途端、背後で悲鳴。
背筋に振り下ろされた爪は空を切り、その獣は飛びかかった勢いのまま地面を滑っていった。
つまり、
「しめた。奴ら、まだ酔ってやがる!」
奴らは走ることは出来ても止まることは出来ず。
獲物に追いつけても定めることは出来ず。
本来の性能を発揮できない不良品に成り下がっている証拠であった。
初めに使った最終奥義の成果だろう。
俺が放った高振動魔力波に殺傷能力はない。
あれは魔力の波で脳を揺らし中枢神経を混乱させることに特化している。
重度の二日酔いを三重にかけているようなもの。
身体能力の差で追いつかれはするが、そんな相手に捕まるわけが無い。
さあ、次だと前を見る。
少女の指は─────指、は─────
「な、」
その少女の指はこちらをさしていた。
一瞬、理解が追いつかない。
それは来た道を戻れという指示なのか、それとも──────お前の背後に死神が立っているぞという警告なのか。
「がっ……!くっっそ、痛ッてぇ!」
瞬時に背中を逸らすが避けきれない。
野球バットで殴られたような衝撃と服を引き裂く鈍い音。
転ばないように足を早め、続く背中の熱い痛みに安堵する。
痛みがあるならそれほどの深手ではないということ。
避けきれなかったが背中を逸らした意味はあったようだ。
「つぎは、背中かよ……!」
背後から燃やされているようだ。
熱く、うねるような痛みが全身にまとわりつく。
おかげで失いそうな意識をひっぱたいてくれた。
あの獣に感謝しなくては。
正直言うと右腕の痛みには慣れてきた、というか麻痺してきて痛みを感じなくなってきた。
背中に新たな痛みを作ってくれたおかげで俺はこの痛みに縋れる。
痛みがするならまだマシだと、この地獄を前にして正気を保っていられる。
体が悲鳴をあげているなら、俺がちゃんと生きていられている証なのだから。
「は、はぁ、ははは……」
極度の緊張は倫理観を逆転させる。
痛みに縋っている自分はまだ正気なのか。生きてるのがこんな地獄なら死んだ方がましではないか。
そんなマトモな疑問に蓋をして、俺は見慣れた家屋を右折。
2度目となる神社の境内に入って、痛みを噛み締めながら奉納石柱の上に立つ。
「頼むから同じことになってくれよ」
背後からは金属の足音。
カツンカツンカツンカツン!と迫る死神。
もしもこれが思い違いなら、次の瞬間俺は八つ裂きになるのだろう。
あの獣の爪は刃だ。比喩ではなく本当に。
だから1度考える。この賭けに命をのせていいのかどうか。
「無理だな。どうせ他に方法は無い」
前を見ると獣が2匹こちらに来ている。
神社の入口から1匹、外には2匹。
取り囲まれたこの状況で考えることこそが無駄。だって道は1つしかない。
怯えの息を吸って、足を前に。
再び俺は、転移点となる結界の限界枠を突破した。
**
「は、はぁはぁ……やっぱり、そうなるのか」
ひとまず賭けには勝てた。
俺はどこかの路地裏へと飛ばされていた。
暗くジメッとした闇は人一人分の大きさで、ここで獣に出くわしちゃ気づけないと足を進める。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
一旦とはいえ獣から逃れられたからか、一気に疲労が肩に乗る。
体が重い。息が上手く吸えない。
背中の痛みは……まずい、そっちも麻痺してきた。命の保証が消えてしまう。
「くそ、が……」
役に立たない己に文句を言いながら住宅街の壁に背中をつける。
T字路の交差点、ここなら近くに来た足音も聞こえやすいし姿もすぐに捉えられる。
逆も然りだが敵は血の匂いでも追ってくるのだし俺がどこにいたって不利なことに変わりない。
不利を少しでも埋めるならここがベストポジションなのだ。
「もう、無理だろこれは……」
小さくぼやく。
もう無理だ。俺の力ではここが限界。
白道 透という存在をどれだけ使おうともここから先は生きてる自信が湧かない。
─────だから。
ここから先は俺以外の力が必要になる。
震える左手で左目に触れる。
これは一般人の推察だ。
道を示してきたあの少女が俺の幻覚じゃないのなら。
あの少女が映る度に奔る左目の熱が幻痛じゃないのなら。
もう懸けられる望みはそこしかない。
意識を回路へ落とす。
いつも通り、詰まった排水溝のように淀む回路。
もう廻ることの無い俺の回路はある一定のラインから先に魔力が流れていない。
─────いや、流れていないが漏れ出ている。
気付かぬうちに回路が破裂していた。生じた亀裂から魔力が外へと滲み出ている。
しかもそれらは決まってある方向、頭部へと登っていた。
「ふ、ふぅ、ふぅ─────っ」
回路の痛みを無理やりねじ伏せて、魔力をどんどんと流し込む。
本来の回路は既に破裂し、出来た亀裂は徐々に大きくなっていく。
漏れ出ていた魔力の水滴は、亀裂が大きくなるほどに水滴から水流、そして河川のように多く太く伸びていく。
それはまるで新たなポンプに流れていくイメージだ。
無くした何かを取り戻す奇蹟の葦。
新たな生誕を祝うように、根を張る複数の管は頭部へと伸びていく──────
─────────が、再び首元に来たところでせき止められてしまった。
流れない。何かが邪魔をしているのか、首から上に一滴も注げない。
行き着いた魔力の奔流は行き場をなくし、新たにできたポンプを内側から破裂させようとしている。
「ぐ、っっ、がぁっ………」
あまりの痛みに悲鳴が出そうになるのを必死に抑え込む。
次ヤツらと対峙する時はこの力を扱えるときだ。
ここで悲鳴をあげて追いつかれてはたまらない。
けれど体は限界へとたどり着く。
早まる鼓動。
痛みと病から身体は衰弱して。
ドクドク、ドクドクと。
心臓の音がどんどんと大きくなる。
合わせて視界が白く─────薄く──────
『──────────────』
目の前に少女が現れた。
ようやく話し合いに応じてくれた。
簡単に言うと、ただのお節介なのだ。
その能力は少年を殺してしまう。だから力そのものは自分が使いその結果を少年に示す事を少女は選んだ。
でも、そんなのあんまりだ。
これは契約だ。
俺が能力を引き継ぐことで少女が成仏出来るというもの。
なのに今も少女が能力を制御している。それはつまり、彼女は俺を殺さないために安らかな死よりも発狂する闇を選んだということ。
男としても不甲斐ないし、なにより悲しい。
俺は受け継ぐ事を選び彼女と約束までしたのだから、ここで能力を渡さないのは俺を信用していない事になる。
それに、と彼女へ笑いかける。
ここで渡してくれなきゃ、それこそ俺は死ぬじゃねえか。
──────暫く、意識を無くしていた。
目を覚ませば、俺は住宅地のT字路に背中を預けて座っている。
そして目の前には少女の幻覚。
さっきまで何を見ていたのか記憶にはない。
ただ、
「じゃま、だっ」
目の前に立たれては来る獣に気づけない。
獣への警戒から放ったその言葉は、偶然だが鎖としての彼女の存在を否定する言葉でもあった。
『───────────』
顔は見えないのに、不思議と悲しそうな雰囲気を感じさせる女。
彼女は霞むように薄れ消えていく。
それと同時に首元に溜まった魔力が氾濫する川のように左目へ流れ込んだ。
────────なんて熱い。
それこそが少女が生きてきた情熱。
親も妹も友達もみんな殺された少女が、自分と同じ目に遭う誰かを救えるならと勇者になった物語。
人生に刻まれた因子が少しずつ自身へと移されていた。
情報を得る視覚を、さらに研ぎ澄ませろ。
─────曰く。
未熟な少女は何も成せぬままこの世を去ったという。
与えられた能力も課せられた責務も何一つ知らぬまま死に、それでもこの未来を変えたいと願い続けた愚か者。
だからこそ彼女を讃えなければならない。
ただ無為に死んだとしても。
何も成し得なかったとしても。
彼女は確かに、次へ託したんだと。
**
─────調整は済んだ。
ユラり、と幽鬼の如く立ち上がる。
熱く唸る左目に手を添え、指の隙間から先を覗く。
見るのではなく、視る。
この目は光を取り入れる液晶ではなく、因果を手繰る神の意思に他ならない。
喝采せよ。
運命を殺し、世界を騙し、この世を転変させる悲哀の業。
未来の冠を授けられし勇者は、今確かに再誕した。
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