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2章 後
幕間 花守の足取り
しおりを挟むそれは半年前の記録。
彼女と交わした最後の会話だ。
脳が浮かんだ水槽。
そこにある少女が近づいてくる。
《は、───はな、守。花守優姫か》
水槽に浮かぶ脳、ノアに顔は無い。
口の代わりのスピーカーから発言機能を起動させ、目の代わりとなるこの部屋の監視カメラから前にいる人物を特定する。
自分とは別ベクトルの天才。
ヒトではあるが人ではない────存在不定形、それが生前の私が彼女に下した認識だった。
今日は制服ではなく珍しい私服姿の彼女はどこか思い詰めた様子で水槽に触れる。
なんだ? そう返すように水槽からはごぽりと水泡が登っていく。
「本当に貴方がやるの? こんなの貴方がしなくても科学の進歩を待てば済む話なのに……人間に戻る可能性をこんな簡単に捨てていいの?」
花守優姫とは共同戦線を組んでいる。
聞かされた世界を救う彼女の案が酷く馬鹿らしくて、非現実的で、無茶苦茶で。でも真剣で。
その実現法まで持ってきたのだから、自身がスパコンの代わりになってもいいと賛同したのだ。
まあ花守優姫にとってそれは喜ばしいものでは無いようだが。
「私は貴方に手伝って欲しくなかったな……そんな体になってまで世界のために動くなんて救われない」
花守のその言葉に酷く腹が立った。
指摘すべき間違いが2つもあるからだ。
《今の言葉には2つ訂正がある。まず、体、ではない。今残っている私のカタチは脳だけだ。この場合、体ではなく臓器と言うべきだ》
皮肉な現実を淡々と。
以前の自分なら自虐ネタとして笑っていただろうがそんな個性はとうに失われている。
残っている機能では相手の間違いを指摘するしかなく、そして最大の間違いである2つ目を自身の名誉の為に突きつける。
《そして2つ目。世界のためでは無い。私が世界の謎を解く、そのために必要だからしているのだ》
他の誰でもない、自分自身の願いだから人を辞める。
それは間違いなく、脳だけになった男がまだ人である証。
底なしの知識欲、傲慢を示した結果だった。
「……そうだね。うん、貴方たちはきっとそういう人だった。Sクラスなんて酷い蔑称だよ。誰かからも忘れられ闇に葬られるだけだった未解決事件を、貴方たちだけは忘れまいと必死に追いかけてくれる。本当にびっくりするぐらいのお人好しさん」
その彼女の反応が不快だと電気信号で感じた。理由は分からない。生前の自分を見透かされている気分にでもなったのか、それとも彼女の反応が『彼女らしくない』と感じたのか。
とりあえずその反応を消したくて、すぐに話題を変えた。
《…………なぜそんなに声を震わせているのか尋ねたいが、時間は無いのだろう? 白夜から既にモノは頂いていたはずだ。調整を始めるぞ》
「大丈夫、ちゃんと貰ってるよ。 ……どうかな、使える? そもそも読める?」
液層に繋がっているパソコン群、その1つの本体に白夜にて渡されたUSBメモリを繋げた。
反応は数秒後。
あまりに静かな部屋にて、スピーカーから戸惑いの声が出る。
《……まずいな。これは文化も文明も今の我々からはかけ離れたモノだ》
「つまり?」
《これを使うのなら解読の必要がある》
花守が持ってきた作戦の企画書のようなものは加工され尽くした石碑のようだった。
問題なのは、そこに書かれている何もかもが読めないほどに歪んでいたこと。
まるで文字自体を高圧で潰し、高温で熱し、泥を被せた汚物みたいに。
普通であればデータが壊れていたのでは無いか。
ただの文字化けで、データ修理すれば読み込めるのでは、と考えるだろう。
けれど不思議なことに、このデータは壊れていないとノアには分かるのだ。
文字の並び、改行の空白、何かを伝えようとしている100頁を超える汚物の羅列はあまりに規則が整っていたからだ。
不規則に壊れている希望が潰えた。
ならば不幸にも、これはこのままが正しいのだ。ただそれが今の人類には読めなかっただけの話。
「ふむふむ、アップデートって話なら数時間くらいで終わりそう?」
《なわけあるか》
楽観的な花守の返答を一蹴する。
古いプログラムをアップデートして最適化、なんて話では無い。
文明圏が遠い遺物ならばそれは最適化ではなく適応化させなければならない。
読めない文字を推理し我々の文明に落とし込む、詰まるところ解読だ。
《それも全くの未知なものだ。ロゼッタストーンのような参考資料もなく、文字なのかすら分からない状態から解読ならば早くても半年、長引けば君が事切れても終わるかどうか。君には悪いが無駄になることはしたくはない》
事実上の拒否。
強力な助っ人を失う結果に花守は慌てるでもなく、悲しむでもなく。
ただ思った疑問を口にする。
「でも、ここに謎は残るよ?」
間が空く。
図星を付かれた。
自分のために今まで推理してきた男が誰にとっての無駄を考えているのか。
花守の寿命のうちに終わらないかもしれないから無駄だ、なんて男の口から出るなんて思わなかった。
男は謎が解ければいい、だからこそSクラスに入れられた。
その脳がノア本人だと言うのなら花守を言い訳になんて出来るはずがない。
《君なぁ、やって欲しいのかやって欲しくないのか分からないな》
「それとこれとは話が違うよ。嫌なら私は無理強いしない。ここであなたが拒否して元の人間に戻る方法を探すならそれも手伝う」
こんなの言うまでもない。
決めるのは本人で、その本人こそが謎を解かなかった自身をきっと誰よりも許さない。
「でも、貴方はそうしない。謎を1人になんてさせない。亡骸のノアはそんなお人好しさんだと思うから」
卑怯だな、と結論づける脳みそに。
卑怯だよ。誰よりもね、と花守は笑った。
*
《最後に見てから半年か。未だに宿題は終わらないが、こうも放っておかれると進行スピードだって落ちていく。これはお前たちでいえばあれか。ネグレクトというのか》
水槽の中で脳は怒る。
彼はS001 亡骸のノア。
S003 芥子 風太に会うため日本に渡り、その際日本に潜んでいたロシアスパイに襲撃されこんなナリになってしまった災難な男。
元々あった人格・感情・記憶のほとんどを無くし────代わりに莫大な思考速度と推理力を培った非人間。
彼がいま人らしく怒れたのはこの半年、片手間で開発した感情表出プログラムがあったからこそだ。
そう、機械的な彼は人であろうとする。
それは人に戻りたいからではなく、この『機械に繋がれた脳』でも十分、以前の自分である証明をするためだった。
そんな悲劇な探偵の子供のようなわがままに、
「貴方、生前は30超えてたんでしょ。その歳でネグレクトもなにも無いです」
至極真っ当の意見で突っ込んだのは一人の男。
花守優姫が見つけてきた、身寄りのなくなった研究員だ。
彼の役目はここでノアの状態観察と機器の調整、つまるところお手伝いさんである。
他にも複数人ここには人がいたが以前ロシアの調査員が来た際にほとんどが殺され残っているのはこの男と他数人だけである。
脳はため息をつく。
無駄を思い出したからだ。
ここに私を連れ戻そうとするロシアの回収兵が来ない。
なら以前話したあの調査員の女は本国に報告する前に消されたのだろう。これで本当にあの忠告は無駄話になったわけだ。
《いや、無駄というなら今こうして作業していることも無駄か。これを解読しても花守は戻ってこないし、なにより、》
これを解読しても結末は変えられないんだから。
物語の結末は既に決した。
花守優姫がヴェルディを殺した瞬間、この星の行く末は黒羽1人が選べるようになった。
黒羽かヴェルディ、そのどちらの選択も破滅しか呼ばない。
花守であればもしや、と考え彼女の作戦に乗ったがその彼女もいなくなった。
このまま行けば黒羽の狙い通り事は終えられる。
────そう、これは物語でもなんでもない。
ヴェルディというラスボスが消えた所からこのお話は転換期のないエピローグだ。
あとは黒羽が使命を果たすのを見送るだけの終わった話なのだから。
───だからもしも。
彼に予想できなかった事態が起きるのであれば。
それを起こしたのがただの人間であるのならば。
この方程式は根本から崩れ、まだ未来は確定していない事になる。
《ならば挨拶ぐらいはした方がいいのだろうな。アイツが最後まで守りたがっていた宝物とやらに》
どこかの研究室にて脳は今日も宿題をこなす。謎を解くために、そしてその宝物とやらが花守の代わりに作戦を実行できるように。
まあ、花守の代わりに足ると見極められればの話だが。
***
同日同時刻
『うん……? まひる?』
目を開けるとそこは電気の消えた真昼の部屋。
暖かな日差しがこちらを目覚めさせようと画面に伸びている。
きょろきょろ、部屋に真昼はいない。
辺りを見渡す目は自然と前にある置き手紙へ。
『学校……そっか、もう行っちゃったんだまひる……』
声は暗く沈んでいる。
それはただ寂しいからというわけではない。
もう残り時間が少ない。
理由は分からないがそう感じる。
それがハクという人格の終わりなのか、それともこの幸せな生活の終わりなのかは分からない。
「早く帰ってこないかなぁ」
だから一日でも多く、一言でも多く真昼と交わしたい。
終わりが来る前に最高の思い出を作りたい。
『また選択を間違えるのですか?』
幽霊はその言葉を繰り返している。
何をしても反応のないそれは、まるでぼくの目を覚まそうとしている目覚まし時計のようにも見えた。
─────おそらくは。
それが止まった時、この夢のような時間が終わるとぼくは察しているからだろう。
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