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グレンの想い
しおりを挟むSide グレン
■□▪▫■□▫▪■□▪▫
「グレン兄様って、私のこと好きですよね?」
カティにそんなことを言われた時は思わず自分の耳を疑ってしまった。
…どうしてバレてる?
「はっ、病的なまでの勘違いだな」
平静を装って口にした言葉は震えていなかっただろうか。
きっとカティも根拠の無いまま言った戯言だろう。
間違っていないということがつらいが。
そんな俺の考えは甘かった。
あろうことかカティは、夜な夜な行っていた俺の痴態まで全て把握してしまっているという。
写真に愛を囁きキスまで…
そんなことを好きでもない人間にされていたらと思うと俺なら心底ゾッとする。
前に一度暴走してカティに口付けをしてしまった話まで持ち出されてはどうしようもない。
嫌がらせだと咄嗟に誤魔化したがきっと意味は成していないはずだ。
「…最悪なパターンだよ」
口にしたのは自分が思ったよりも覇気のない言葉だった。
気持ち悪い行為がバレていたこよりも、俺のカティへの想いが知られていたことが、この計画の最大の誤算だった。
カティが未だに俺に対する態度に嫌悪の色が滲まないのは、俺の好意を知っていたからなのだろう。
…カティは優しいから。
どんなに冷たいことをしても、気持ち悪い行為に及んでいたとしても…俺の気持ちを知って憎みきれなかったのだ。
「グレン兄様はいったい何がしたかったのですか」
咎めるように言うカティに、観念して口を開いた。
「カティを全ての人間から引き離したかった。それだけだよ」
カティの世界には俺だけでいいと思った。
そう告げるとカティは顔を顰めて、わけがわからないといったように俺を見つめた。
「俺だけに縋って欲しかったんだよ。そうじゃないと、カティは…兄である俺の元なんて簡単に去っていく理由はいくらでもあるから」
貴族の女の幸せは結婚だとされている。
こんな最低な侯爵家の他に彼女を受け入れる場所があるのなら、そちらにいかない手はない。
幸せになって欲しい気持ちと、俺だけを選んで欲しい気持ちがせめぎ合っていた。
俺が選択するのはいつも後者だったが。
本当に歪んでいると思うし、エゴを押し付けられるカティがいつも哀れだった。
そんなこと思う資格がカティを傷つける張本人である俺にあるわけがないのに。
「…グレン兄様のやったことは、最低です」
わかっていたことだが、カティからその言葉を告げられることはやはりきついものがある。
「そうだな。カティがたくさんの人間に忌み嫌われることに俺は確かな喜びを感じていた」
カティが少しずつ俺のものになってくれているような錯覚にすら陥っていた。
そんなものはまやかしに過ぎなかったのに。
「お前が一人になっても、俺は絶対に手放したりしない。誰とも結婚なんてせず、侯爵家でずっと二人でいられたらそれでよかった」
「…エクルや、お父様達は」
「あんな腐ったやつら、いくらでもやりようはある。現にしっかり断罪され舞台から落ちていった人間達だ」
俺が手を回すことも必要ないくらい、初めからカティを傷つけ蔑ろにしてきた奴らだ。
それを良しとしていたのは俺だが。
「カティが望むものは全て与えるつもりだった」
言い訳がましく告げた言葉にカティは眉間に皺を寄せて口を開いた。
「そんなもの、いらなかったわ」
…散々カティを傷つけた俺から施しを受けることは耐えられないのかもしれない。
そんなことを思って表情を歪める。
しかし、カティの次の言葉にそれが間違いであったことを知らされた。
「私が欲しかったのは、家族からの愛情。私に寄り添ってくれる人よ。そんなに私のことが好きならどうして冷たくあたったのですか」
「お前には俺のことも憎んで欲しかった」
そう言うとカティは、はあ?、なんていう令嬢らしからぬ物言いで驚いていた。
普段のカティでは考えられない姿に少しだけ得をした気分になる。
そうやって自由な姿を見せられない世界に生まれてしまったことが惜しまれた。
「確かに俺だけがカティに優しくしたらカティは簡単に俺に依存してくれるだろう。だけどそれは本当のカティじゃない…そんな空虚な想いはいらない」
本心から出た言葉だった。
依存するほど俺を求めて欲しい気持ちも確かにないわけではない。
しかし、カティが俺を求めるのはきっと、カティが完全に心を殺してしまった時だ。
…そんなものは、カティであって、カティではない。
「それに、愛よりも憎しみの方が生きる原動力になる。愛のために人間なんてこの世に腐るほどいるからな」
これは俺の身勝手だが、カティには生きて欲しい。
俺を憎んで、俺への復讐のために…
カティが心を保ってくれるならどうでもよかった。
それに
「俺を憎んで欲しかった。殺してしまいたいくらい、心の底から」
俺はこの歪んだ気持ちを決して手放すことはできないから…
いっそカティの手で殺めて欲しかったのかもしれない。
また俺は、俺のエゴでカティに大きな十字架を背負わせようとしているのだ。
自分を嘲笑うように笑みが漏れた。
「だけど、今までの行為も何もかも無駄だったみたいだ」
「あんなことが最後までうまく行くはずがありませんわ」
「そうか?みんな俺の思い通りにカティのこと嫌ってくれてたじゃないか」
わざとカティの嫌がる言葉を口にした。
辛そうな顔をするカティ。
「だから…ユーリと、フィリップのクソ野郎には驚いたよ」
俺の言葉にカティがさすがに不敬だと苦言を呈する。
ここにはカティと二人っきりなのだから気にする必要もない。
「俺がカティの心を諦めて願ったものをあっさりと崩していくんだからな…あいつらは物事の本質を見抜ける人間だ」
その点では、王として、伯爵家の当主としての将来は安泰だろう。
エクルの件でウォルターが爵位を受け継ぐ権利を失うことはもう確実だろうしな。
「…あいつらのどちらかとお前は結ばれるんだろうな」
その言葉をカティは否定したが、将来のことは誰にもわからない。
これから二人はきっと彼女に寄り添ってそばで支えてくれるのだろうから。
俺を叱責し、気持ちを伝ろと言った殿下。
俺はその言葉には従えない。
カティはもう気づいてしまっているが、自分の口で面と向かって想いをぶつけることなんてできなかった。
離れることが決まっているのに、最後に愛を告げることは、ずるいと思った。
そうしたらきっとまたカティは俺を憎みきれずもやもやとした思いを抱えて生きていくことになるのだ。
俺の思惑がうまくいかなかった今、最後だけでも彼女の幸せを願いたかった。
「辛いなら俺の事なんて切り捨てたら良かったのに。お前は本当に甘い。俺はお前の幸せなんて二の次で、自分の欲を押し通そうとしていただけなのにな。そんな男に振り回されて、本当に哀れなやつだよ」
違う、それさ甘さなんかじゃない。
紛うことないカティの優しさだ。
「俺も詰めが甘かったか。まさかカワイティルなような不作な領地を押し付けられるなんてな…ま、侯爵の地位も手に入れたし、裁きとしては恩赦と言っても過言じゃないか」
「グレン兄様…?」
雰囲気の変わった俺にカティが怪訝そうに名前を呼んだ。
「幸い俺の領地経営の腕は公爵家も買ってくれているほどだ。簡単ではないがカワイティルでもうまくやるだろう」
自信たっぷりに言いのけた言葉。
はっきり言って大嘘だ。
侯爵家のように豊かな土地を経営することと、雨の降らないカワイティルを経営することでは難しさも桁違いだろう。
下手をしたら領民ともども野垂れ死にだ。
だけど、そんなことさえあまり辛いと感じないのはカティのいない世界に執着なんて皆無だからだろう。
「そうですね」
俺の嘘にカティはあっさりと同意を示した。
適当に返した言葉なんだろうが、俺の手腕だけは信頼されているようで嬉しかった。
俺のいない世界で、カティだけはずっと幸せでいてほしい。
意を決して口を開く。
「もうお前に振り回されることもない。これからは忙しくも、心穏やかな日々が送れる」
思ってもない言葉だった。
カティがいない人生、平穏でいられるわけがないのに。
「もう二度と会うことはないだろう。別れを覚悟した時はもう少し悲しかった気がするが、今となってはほっとしたような、清々しいような、そんな気持ちまで湧いてくるから不思議だ」
こんな言葉を平然と言ってのける自分に少し呆れてしまう。
ほっとするわけがない。
清々しいなんて大嘘だ。
あるのは一つ、絶望だけ。
目の前に広がる真っ暗な世界で、カティが幸せになってくれることだけが唯一の光だった。
こんな状況になって初めて、カティの幸せを願うことが出来る自分に安心した。
もう、壊さなくて済むのか。
「っ、謝罪の言葉もないのですか?」
「後悔していないことを謝っても口先だけの言葉になるが、それでも良ければ謝罪しよう」
「もう、結構ですわ」
ごめんな、カティ。
心の中で何度も告げてきた謝罪を今口にするのは自分が楽になるだけだ。
カティはきっと謝罪したら俺を許してしまう気がする。
俺の罪は簡単に許されるような軽いものではない。
そして俺自身、許されたくない。
「お前も俺の事などさっさと忘れてユーリや殿下にでも傷を癒してもらうといい」
わざと嘲笑うようにそう言った。
俺のことは、最低で覚えておく価値もない人間だと早く気づいてカティの人生から切り捨てて欲しい。
お前を縛る人間は、もういないよ。
「俺はこれから新しい領に移る準備で忙しいんだ。お前も早く公爵家へ帰るといい」
お前の本当の居場所に。
「そうですね。さようなら、グレン兄様」
感情のない淡々とした別れの言葉だった。
「さようなら、カティ」
そう口にした俺はうまく笑えていただろうか。
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