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婚約の申し出

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リシャール侯爵家のニュースは瞬く間に周知の事実となり、学園では以前までの風当たりの強さは無いものの、常に不躾な視線に苛まれることとなった。

中には、

「私はカティア様は決して噂のような方ではないと信じておりましたわ」

「あんな最低な家族がいなくなって良かったですね!」


などと、手のひらを返して擦り寄ってくる人間たちまで出てくる始末だ。



私を信じてくれていた人なんて、ユーリや殿下くらいのものだろう。



(カティ~どうしたの~?)

(ずいぶん元気がなさそうねっ!)

(もう公爵家帰った方がいいの~)


妖精さん達が口々に私を気遣ってくれる。



(少し疲れただけよ。このくらいで帰ってちゃ卒業なんてできないわ)


嫌な噂を流されたり、文句を言われることには慣れていたが、あからさまにゴマをすってくる人達への対処法がいまいちわからない。

上っ面ではあるが、友好的な言葉ばかり吐かれては無下にもできないのが現状だ。



「カティ、最近しんどそうだね?」


人から逃れるように閑散とした裏庭のベンチに座っていると、背後から声がかかった。



「…ユーリ」

「あ、隣座ってもいい~?」


ユーリは返事も待たずにスっと私の隣に腰を下ろす。



「カティが元気無さそうに教室から出ていくからついてきちゃった」

「そうなの。心配かけてしまってごめんなさい」

「僕が勝手に心配しただけだからカティが謝ることじゃないよ~。あれからまだそう時間も経ってないんだからしかたないって。それに、急に周りの人間の態度が変わって疲れちゃったんでしょ?」


気遣わしげにそう言うユーリに私はなんとも言えない表情を浮かべる。



「いい加減慣れないとね」

「別にいいんじゃない?カティはカティのペースで気持ちを整理したらいいよ」


「…ありがとう」


私は私のペースで、か。

ユーリの言葉はいつも私を甘やかしてくれる。

そんな彼の隣はすごく居心地がいい。




「どうなの~?公爵家の暮らしは」


ユーリが私に尋ねる。



「公爵家の暮らしは……正直すごく良くしてもらってる。優しい人ばかりで、私を本当の家族みたいに扱ってくれる」


心の底から今が幸せだと感じる。

侯爵家で過ごしてきた日々が何かの間違いだったのではないかとさえ思う。



侯爵家が断罪され、私はすぐに現公爵であり、母の弟にあたるマルク叔父様とその奥さんであるクリスティーナ様の養子として迎えられた。

六歳の弟マルティンまでできた。



彼らは本当の娘のように優しく接してくれて、マルティンも私を実の姉みたいに慕ってくれている。

…満ち足りている。



心のどこかにぽっかりと空いてしまった穴を埋めるように、公爵家の愛が私を包み込むのだ。



「そっか、カティが幸せそうで僕も嬉しいよ。カティには笑顔の方が似合うんじゃない?」


「私も、笑顔の私の方が魅力的だと思うわ」


胸を張ってそう言った。

今思うと、今までの私はどこか辛気臭かったのではないかと感じる。

苦しめられることが当たり前になっていて、心からの笑顔を忘れかけていた。



「今私が笑えるのは、公爵家のみんなや、私の友人になってくれた殿下とユーリのおかげよ」


(そして妖精さん達のおかげ)


心の中で呟くと、頭上から可愛らしい笑い声が聞こえてきた。



「ありがとう、ユーリ」


「…面と向かってそんなこと言われたら僕だってちょっと照れるよカティ」


ユーリは赤くなった顔を隠すように口元に手をやった。


そんなユーリが可愛くて思わず笑みがもれた。




「カティ」


気を取り直したように、ユーリは居住まいを正して口を開く。



「兄さんが廃嫡され、伯爵家は僕が継ぐことになったんだ」


「そう、ウォルター様が廃嫡…」



きっとそれは、エクルの手を取り、彼女と共に私を非難したことが原因なのだと思う。

彼は最後こそエクルを宥めていたが、それ以前はやはり私を貶める発言を多くの人間に目撃されていたから。



「…それは、悪いことをしたわ」

「あ、兄さんのことは自業自得だから気にしないで~?」


やけにあっさりとしたユーリに少し拍子抜けしてしまう。


正直ウォルター様へ良い感情はないが、それでも彼がそうなってしまったきっかけを作ったのは私だ。

初対面の彼は間違いなく、噂を気にすることなく私と接してくれたのだから。


私に婚約なんて申し込まなければエクルと関わることもなく、廃嫡されることもなかっただろうに。



「ねえ、カティ?公爵家に比べたら伯爵家なんて遠く及ばないけど、それでも僕は少しずつ確実に、カティを守れるほど強くなるよ…」


穏やかな笑みを浮かべて彼は言葉を続ける。



「ずっと歯がゆかった…カティが傷つくのをそばで見ていることしかできない自分が」


「ユーリ…?」



「僕にカティのことを守らせてよ」


私をじっと見つめてそんなことを言うユーリに、自分の顔に熱が集まるのがわかった。


こんなのはまるで…



「僕と婚約してほしい」


「っ、」


焦がれるような瞳に何か言葉を返すこともできず目を見開いていた。

私なんかにユーリが婚約を申し出るなんて、信じられない状況だ。


こんなに綺麗で優しいユーリが、私に?


何かの冗談じゃない?



「え、本気…?」

「うん、本気」


「嘘をついてもいい日はとっくの昔に過ぎたわよ…?」

「嘘なんてついてないから大丈夫だよ」


………絶句。




「最初はさぁ、兄さんが婚約を申し込んだと思えば、突然態度を変えて冷たく接するようになった女の子がどんな子なのか気になって声をかけてみたんだけどね~」


婚約を申し込んだばかりなのに、飄々とした態度のユーリに、やはり冗談じゃないのかと勘ぐってしまう。



「友達として接しているうちに、カティの魅力にどんどんはまっちゃって…王宮の舞踏会で僕のためにグレン様に怒ってくれた時かな~、この気持ちを自覚したのは」

「私のこと、好きなの?」


こんなに恥ずかしいことを真顔で聞けるレベルには動揺していたのだと思う。



「…好きだよ。僕はカティと家族になりたい。もう絶対にカティにつらい思いはさせないから、僕のお嫁さんになって?」



「…ユーリ」


こんなに素直な愛をぶつけられたことが今までにあっただろうか。

誠実で優しいユーリらしい告白だった。


心が温かくなる。



「ユーリ、私…」


こんなに思ってくれて嬉しい気持ちとは裏腹に、どう答えていいかわからなくて戸惑ってしまう。

私はユーリを異性として考えたことがなかったのだ。


初めてできた友達だったから。



「カティ、答えは急がなくても大丈夫だよ。学園を卒業するまで一年以上もあるんだ。これからカティにはいろんな男が近寄ってくるだろうから、僕のこと意識して欲しくて少し焦っちゃった」

そう言って彼は照れくさそうに笑みをこぼす。


「…ユーリは優しすぎるわ」

「カティ限定だからね~」



ユーリのことは決して嫌いじゃない。

むしろ本当に大切な存在だ。


しかし、これが恋愛感情を伴うのかと言えばそうではない。

それでも彼を失いたくない気持ちは確かで…



自分がどうしたらいいのかわからない。



「カティ、眉間にしわが寄ってる。困らせたかったわけじゃないんだからそんなに思いつめないでよ?」

「…うん」


「ゆっくりでいいから…僕のこと、グレン様のこと、これから出会う人達、カティ自身でしっかり考えて答えを見つけてよ」


ユーリの言葉が不思議で首を傾げる。

どうしてわざわざグレン兄様を引き合いに出したのか。


…グレン兄様の気持ちなんて、妖精さん達や私くらいしか知らないはずなのに。


「グレン兄様とは、もう会うこともないのに、考える必要なんてないわ」

それに最後の別れ方も最悪だった。



「グレン様は強敵だったからね、つい」


「ユーリはグレン兄様の気持ち…」


もしかして、知ってたの?



「カティこそ、もしかして別れ際に気持ちを告げられたり…しなくもなかったり…?」

少し焦ったようにユーリがそんなことを尋ねる。



「…グレン兄様が私に愛を告げることなんかないわ」



「そっか」


そう、グレン兄様は最後まで私と本音で向き合ってはくれなかった。




「…まあ、カティを幸せにするのは僕だから、グレン様なんてどうでもいいけどね~」

「ふふっ、確かにユーリとだったら誰よりも幸せになれそう」


「カティ、それはずるい…」


両手で顔を覆った彼の耳がほんのり赤く染っているのが見えた。

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