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初めての反抗
しおりを挟む嵐が去ったような静けさが流れる。
私はどこか他人事のように、ぼうっとしてエクルが去った扉を見つめていた。
「妹が、殿下やお集まりの皆様にご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません」
感情のない、そんな声が聞こえた。
グレン兄様…
「今更出てきたか。私が特段迷惑をかけられたわけではないが、貴族社会での振る舞い方を教育することを怠ったのは侯爵家の責任に間違いない。グレン、お前の父の侯爵にはしっかり責を問うことにする」
「承知しております」
グレン兄様は殿下に深々と礼をした後、同じようにホール全体を見ながら頭を下げた。
「楽しい舞踏会を台無しにしてしまったこと、もう一度深くお詫び申し上げます。妹ことを父にも知らせねばなりませんので、私達はもうお暇させて頂きます」
ちらりと目配せをされ、兄に促される。
当然だろう。
当事者がいては舞踏会の雰囲気も悪いままだろうし、何より私も周りの視線にいたたまれない気になってきたところだった。
「ユーリ、せっくエスコートしてくれたのにごめんなさい」
「カティは悪くないのに謝る必要ないよ?」
「…ありがとう」
今日は少しだけどユーリと舞踏会にこれて、ダンスまで踊ることができてすごく楽しかった。
そういう気持ちをこめて微笑むと、ユーリも微笑み返してくれた。
「グレン」
フィリップ殿下が兄を呼び止める。
「妹は断罪されたな」
試すようにそう言う殿下。
怪しく笑う瞳には、兄のこれまでの行動を知っているかのように、少しだけ責めるような色が混じっていた気がした。
「…失礼します」
兄は殿下を睨むように一度視線をやると、私の腕をひいてホールを後にした。
王宮は広いく、馬車までは多少歩かなければならない。
「グレン兄様…」
掴まれた腕が少し痛くてお兄様の名前を呼ぶと、彼はゆっくりと立ち止まって私を振り返った。
「いろんな男に守ってもらえて良かったな」
いつもの無表情が消え、グレン兄様の表情はひどく歪んでいた。
口角は上がっているのに、瞳は信じられないくらい冷たい。
「どういう意味ですか…」
「お前にかかっていた呪いは解けてしまった」
呪い…?
揶揄うようにそう言ったグレン兄様。
もしも、呪いというものが、今まで私に向けられていた侮蔑や嫌悪だと言うのならばそれは…
「呪いなんかじゃありません」
それだけははっきりと言える。
「あれは、呪いなんてうやむやな物なんかじゃなく、エクルとグレン兄様の悪意です」
「…悪意、か。そうだな」
肯定するグレン兄様にはさすがに腹が立った。
「満足か?」
兄はしっかりとこちらを見つめながら言葉を続ける。
「お前の悪評はなくなり、これからは人に避けられることも、嫌われることもなくなる。たくさんの人間が手のひらを返したように寄ってくるかもな」
兄はわざと嫌味ったらしい言い回しをしている気がする。
わからない。
兄の考えていることはいつだってわからなかった。
頭上に飛んでいる妖精さん達をみると、目を合わせてニコニコと微笑んでくれた。
……余計わからない。
「勘違いするな」
「何をですか」
「これから近寄ってくる人間など、お前のことを心から思ってくれているわけではない」
兄の言葉に自分の口角が上がるのを感じた。
「そんなこと、私が一番理解してますわ」
今まで私を嫌っていた人間が、誤解が解けたくらいで擦り寄ってくるのなら、それは好意ではなく罪悪感だ。
無実の人間を故意に傷つけていたとしたら、普通の人間ならばそれなりに良心が傷つくはずだ。
自分の苦しみを取り除きたいだけ。
そんなこと、私でもわかる。
「ならば、ユーリだけが特別というわけか?」
ユーリが、特別…
確かにユーリは私の悪評を気にせずに接してくれて、私が誰かに悪意を振りかざされている場面を見つけると必ず助けてくれた。
それは殿下も同じだが、兄はまだ私と殿下の繋がりを知らない。
「そうですね、ユーリは特別です」
ユーリも殿下も、初めて妖精さん以外で私と友達になってくれた人達だ。
すごく感謝している。
「だが、あいつにとってはお前なんて特別じゃないかもしれないぞ」
「別にかまいませんわ。特別でなくとも、私はユーリのことを信じています」
ユーリが私に向けた優しさが本物だと、もう私は胸を張っていうことができる。
私はユーリを信頼している。
「あの男は伯爵家を継ぎたかっただけではないのか?ウォルターがいては自分は一生表舞台には立てないからな」
グレン兄様の言葉に、頭にカッと血が昇るのがわかった。
この人はどこまで…
どこまで私の大切な人を侮辱したら気が済むのか。
「エクルが罪に問われた今、それを選んだウォルターだって今後胸を張って伯爵を名乗ることなどできないだろう。そんな状況でずっと虐げられてきたお前を救った英雄…ああ、救ったのは殿下だったか?まあ、どちらでも良い。そんな男が弟にいれば、当然爵位を受け継ぐのは弟になるのではないか?」
「だからユーリは、私の味方をしたと…あなたはそういいたいのですか?」
顔を歪めてそう聞く私に、彼はゆっくり口を開いた。
「それ以外に、お前の味方をする理由があるか?」
「っ…」
この人は、本当に私の兄なのか。
もちろん血の繋がりはないが、それでもずっと一緒に暮らしてきたし、私は兄にだって兄妹の情くらいは感じていた。
ああ、エクルも私の妹だったか。
しかも彼女とは片方血が繋がっていたのに、エクルは心底私を憎んでいたっけ?
なんだか、馬鹿馬鹿しくなってしまうわね。
「打算的でずる賢いやつだ。そういう面では長男よりも伯爵家を継ぐ素質はあるのかもな」
パンッ
そんな乾いた音が響く。
ひりひりとした痛みが手のひらに広がった。
人を叩くと自分も痛いって本当ね。
「ユーリはそんなことしませんわ。何も知らないくせに、適当なことを言わないでください」
頬を殴られたグレン兄様は呆然として立ち尽くしていた。
思えば、グレン兄様に真正面から反抗することなんてこれが初めてだった。
もっとずっと前から自分の意思を口にしていたら、ここまで歪んでしまうことはなかったのだろうか。
そんなことをぼんやりと思った。
「私はグレン兄様の妹であることに初めて嫌悪感を覚えましたわ」
私の言葉に、グレン兄様は
「俺は…ずっと思ってたよ」
そう言って、悲しそうに微笑むだけだった。
「カティア嬢、忘れ物を届けに来たぞ」
ふと後ろから聞こえた声は、先程まで一緒にいたフィリップ殿下の声だった。
「カティ…」
「ユーリ」
何故か隣にはユーリが立っている。
…もしかして、お兄様との話を聞かれていたのかもしれない。
ユーリは感情が読み取れない複雑な表情を浮かべていた。
「警備からこのネックレスを預かったから、追いかけてきたんだ」
そう言って殿下は私にエクルがつけていたネックレスを渡す。
「わざわざありがとうございます」
「僕も殿下とカティを見送りに来たんだけど…ちょっとタイミング悪かったね」
そう言ってユーリは困ったように笑った。
「私の方こそ、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ」
少しだけ気まずくなって視線をそらす。
誰も口を開かない。
沈黙が走る。
____突然、兄を殴った右手がそっとすくい上げられた。
「僕のために怒ってくれたんだよね。カティの手、赤くなってる」
労わるようにユーリは両手で私の手のひらを包み込む。
私の手が赤くなっているということは、グレン兄様の頬もきっとそうなんだろう。
後悔はしていないが顔を見れない。
何より、頬を殴っても心の中に燻る怒りが消えてくれなかった。
「ごめんねカティ、ありがとう」
「ユーリだっていつも私のこと助けてくれる。でも、そうね…どういたしまして」
にっこり微笑んだら、ユーリもやっと普通に笑ってくれた。
「兄妹喧嘩のあとじゃ、カティア嬢もグレンと同じ馬車では気まずいだろう。ユーリ殿、カティア嬢を侯爵家まで送ってやるといい」
殿下がそんな提案を口にする。
「そうですね、そうします」
「…いいの?」
「もちろん」
お言葉に甘えて、私はユーリに送って貰うことにした。
あえて顔を見ない様に気をつけて、グレン兄様の側を通り過ぎる。
今はまだ、心に余裕がない。
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