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第一章:剣姫の婿取り
決闘に向けて、イリスの決意
しおりを挟む「向こうの様子はどう?」
決闘まであと数日と迫った頃、イリスは専属の侍女であるリーリアに尋ねた。
当然、向こう、とはレオナール達の事である。
「本日も走って試し場へ向かわれました。変わらず穴を掘って埋めているそうです」
「…………どういうつもりなのかしらね」
決闘を受けた時は頭に血が上っていて冷静な判断ができなかったが、今のイリスは違う。
常識的に考えれば、イリスの評判を知っていれば、わざわざあのような決闘方法を提案したりはしないだろう。
様々な書物に精通し、知識を蓄えているという評判だったので、個人的な武勇はともかく、部隊を指揮する自信はあるかと思っていた。
しかし、レオナールはこの二十日ほど、兵を走らせ、穴を掘らせているだけだ。
「確かに、血反吐吐くまで走らせるというのは、命令に忠実でない兵士を矯正するうえでは有効な手段だわ」
「レオナール様は体力だけなら兵達より上だそうですので、より効果的でしょう」
「けれど、そればかりというのはいくらなんでもおかしいわ。何か策があるのだとしても、そのための訓練を施すべきでしょうに」
策と言っても、演習場は見渡しの良い平野であるので、陣形と動きくらいでしか差はつけられない。
だからこそ、そのための反復練習をするべきだった。
「走らせるにしても、鎧も装備させず、速度もそれほどではなく、ただ試し場へ向かうだけでは、そもそもの効果が得られないでしょうに」
妙な歌を歌っているとは聞くが、軍隊が更新時に歌を歌うのはこの国では割とある事だ。
それで何が鍛えられるとも思えない。
「個人の技量が走ったり穴掘りだけで上がれば苦労はしないわ。あっちが勝つなら、策でこちらを上回り、連携を高めるしかないと思うのだけど……」
通常の戦であったなら、そうとは限らないが、何せこれはルールが決まっている試し戦なのだ。
取れる戦術は限定されてしまう。
「……勝つつもりが無いのでは?」
「どういう事?」
「ですから、お嬢様との結婚が向こうも乗り気でないとしたら、辻褄は合うのではないですか?」
「いや、それなら私が反対した時にそれに乗れば良かっただけでしょ?」
「それではお父上が納得なさらないでしょう」
「む……」
「お嬢様を説得する、という名目で決闘を提案すれば、お父上も受け入れざるを得ない。そして、負けても決闘の結果ですので、お父上も反故にできません」
「それならどうして試し戦なの? 一対一の戦いにすればいいし、一ヶ月の期間を設ける事も謎だわ」
「それはお嬢様に配慮なされた結果かと」
「……続けて」
「お嬢様というかソルディーク家に対してですね。『剣姫』と称されるお嬢様が一対一の剣技でレオナール様を負かしてしまえば、真偽がどうあれお嬢様への非難は免れません。それこそ、武力にものを言わせて我を通すと思われてしまいます」
「…………」
「当然、決闘も行わずにお嬢様に断られたから、とレオナール様が領地に帰ってしまっても同じ事。貴族の理を知らぬ者、という誹りは避けられないでしょう。その点、試し戦ならば、外から見れば同じソルディーク家なのですから兵の質に差は無いと思うでしょう。では負けた理由は、それは間違いなく指揮官の差となります。王国最強たるソルディーク家の名は守られますし、知識を蓄えただけの頭でっかちがその鼻をへし折られたという事で、決闘の結果や内容に文句をつける者は出ないでしょう」
「婚姻を断るために負けるのが前提。しかしそれによって私やソルディークの名に傷がつかないようにするためにこの決闘を決めた理由はわかったわ。まともな訓練をしていないのは何故?」
「それこそ決闘にきちんと負けるためでしょう。お嬢様も仰っておられたように、走ったり穴を掘ったりするだけでは軍は強くなりません。しかし、とりあえず訓練しているようには見えますよね?」
勝つ気が無いならそもそも訓練をしなければいい。
けれど、わざと負けた事を悟らせないためには、それなりに準備をする必要がある。
「意味の無い事をやらされれば、兵士達は指揮官を信用しなくなります。そのような部隊の士気は上がりません。そして――」
「士気を高く保つのも、指揮官として重要な仕事、という事ね」
リーリアの言葉を継いだイリスに、リーリアは無言で頷いた。
「……確かにそれなら全ての辻褄が合うわ。けれどリーリア、それなら何故彼は私に何も言ってこないのかしら? わざと負けるつもりなら私にそれを伝えればいいんじゃないの?」
「それをすると誰に伝わるかわかりませんからね。伯爵家内の多くが今回の婚姻に賛成だという事をお忘れなく」
「……そうだったわね。リーリア、貴女はどうなの?」
「私の望みは、お嬢様の望みです」
追従でもおべっかでもない。
本心からの言葉だと、イリスは知っている。
「いいわ。負ける事が相手の望みだと言うなら、全力で負かしてあげましょう」
そう言って笑うイリスの目の前では、彼女の愛すべき精鋭達が訓練を続けている。
陣形の変更、行軍の練習。一糸乱れぬその動きには、何の不安も感じられなかった。
「舐められるのも気に入らないけど、気を使われるのも好みじゃないのよね」
婚姻の破談のために決闘を申し込むのは良い。
ソルディーク家のために決闘内容を決めていたのも良い。
わざと負けるつもりならそれでも良い。
だが、わざと負けた時にそう見られないようにするために、何の意味も無い訓練を行う事はイリスにとって気分が悪い行為だった。
「まるで全力で訓練をしたら、私に勝ってしまうかもしれないみたいじゃない」
それが双方望まぬ結果だとしても、全力を尽くさないのは、イリスに対しては勿論、決闘そのものに対する侮辱だ。
わざと負けるつもりなら優しく負かしてあげよう、などという思いは、イリスの中には欠片も存在していなかった。
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