割り切れない世界にいる僕ら

浅香ショウ

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心臓の音「1」つ

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「じゃあ、私は担任の先生と話してくるから。
すぐに戻るわね。」
保健室のベッドに仰向けで寝ているシンジの耳に先生の声が聞こえてくる。
ぼーっとした頭でそれを聞きながら、天井の規則性のない模様を眺める。

確か、昼休みに食事を取っていて、急に意識が遠のいたんだっけ。
最後に見たのは、振り返るケイタの姿。

ベッドサイドのパーテーションがさっと開き、ケイタが姿を見せた。
ケイタの顔がぼやけて見えたことで、シンジは自分がメガネを掛けていないことに気づく。
保健室の先生が外してくれたらしい。

いつになく真面目な顔つきのケイタがベッド脇の丸椅子に腰掛ける。
膝の上で両手をぎゅっと握りしめている。

「もう大丈夫か?」
ケイタに聞かれ、やはり自分は気を失ったのだとシンジは確信した。

「気分悪いのか?」
ケイタがじっと自分を見つめているのがわかる。

シンジはゆっくりと首を振り、身体を横に向け、ケイタと向き合う。
外から部活動生の掛け声が聞こえてくる。

「もう放課後?」
シンジがそう聞くと、ケイタはゆっくりと頷いた。

「お前、ずっと寝てたんだ。」
ケイタは相変わらず神妙な面持ちだ。

「勉強は?今日はどの教科だっけ?」
シンジがそう言って、上体を起こそうとすると、ケイタが腕を伸ばしてそれを制した。

「もういいよ。勉強は。」
シンジは訳が分からず、ただケイタの方を見つめる。

「お前さ、俺に勉強教えてるせいで、宿題する時間無くしてたんだろ?」
シンジはまだ黙っている。

「先生に聞いた。俺、バカだよな。
ちょっと考えたら分かることだよな。」
ケイタがずっと暗い理由が分かってきて、シンジは余計に言葉が出なくなる。

「お前が放課後、いつも勉強してる時間に俺が勉強教わるってことは、
その分、お前が勉強できなくなるってことだよな。
そのあとバイトがあって、宿題するなら、それから。」
ケイタの声を聞きながら、シンジはこの3週間弱のことを思い返す。

確かに身体的には辛いと思うこともあったけど、それを嫌に思ったことはなかった。
これまで、誰にも頼られたことがなかった。
誰にも顧みられることなく生きてきた。
そんな自分が初めて人の役に立てるチャンスがきた。
その相手がケイタだった。それが何より嬉しかった。

「俺のせいだな。ごめんな。」
そう言って、ケイタはその坊主頭を膝につきそうなほど下げて、謝った。

「や、やめてよ!」
自分でも驚くほど大きな声が出たが、シンジは言葉を止められなかった。

「あ、謝らないでよ。僕、楽しかったから。
全然、無理矢理とか、嫌々とか、そんなんで教えてた訳じゃない。」
ケイタは顔を上げたが、何も言わない。

「だ、だから、き、君が申し訳なく思う必要ない。
僕が好きで教えてたんだから。」
自分の口から「好き」という単語が出てきたことにシンジは内心驚いた。
最後に「好き」と言ったのは何年前だろうか。
人にも物にもそんな感情をずっと抱かずに過ごしてきた。
そのことに今気づいた。

「だから、早く教科書出してよ。」
そう言って起き上がろうとしたが、
もう一度ケイタの大きな手に肩を押さえつけられた。
中腰になったケイタの顔がすぐ目の前にある。
シンジは言葉を無くしてしまう。

「わかったから。起き上がるなって。」
不思議と身体中の力が抜けるのをシンジは感じて枕に頭をつけた。

「今日はもういいから。明日、最後の仕上げで勉強教えてよ。」
その言葉を聞いて、シンジは約束の3週間が終わってしまうことを実感する。
心を親指と人差し指でつねられたような、微かだけど、鋭利な痛みに襲われる。

「それと、もう一つ頼んでもいいか。」
ケイタにそう言われ、シンジはぼやけた目でケイタの方を見つめる。

「自分のこと、もっと俺に話してくれよ。
二人でいても、いっつも俺が自分のこと話してばっかだろ。
今回の倒れちゃったこともそうだけどさ、
俺、言われないとわかんねーんだよ。
お前みたいに頭良くないんだよ。」

そう言った後、ケイタがすっと腕を伸ばしてきた。
シンジの目にかかった前髪をかき分け、おでこに大きな手のひらを乗せる。
シンジは大きく目を見開き、口を真横に結んでケイタを見つめる。

心臓が一つ、とくん、と音を立てた。
それでもシンジはケイタから目が離せない。

「それに、俺、もっとシンジのこと、知りたい。」

あだ名の「セブン」ではなく、「シンジ」と呼ばれ、
心臓がもう一度、今度はさっきより少し大きな音を立てた。

「話したくないことは無理に話す必要ないけどな!」
ケイタはそう言うと、シンジのおでこから手を離し、
今度はシンジの頭を強く撫でた。
髪の毛がくしゃくしゃになっていく。
この時にはケイタの声はいつもの明るい調子に戻っていた。

ケイタの手が頭から離れた瞬間、保健室の扉が開く音がした。
パーテーションの隙間から、保健室の先生が顔を覗かせる。

「あら。気づいたのね。
なんだか、顔が赤いけど、大丈夫?」
そう尋ねられ、シンジは小さく頷きながら、布団に顔を埋めた。

心臓はずっと激しく動き続けていた。
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