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序章

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――クローゼットを開けたら見慣れない漫画雑誌が無造作に置かれていた。男子小学生向けの分厚い本。自分は少女漫画しか読まないし、対象年齢的に小学生の末妹の婚約者であるコン太くんの物かな?しかしどうしてこんな場所に?と疑問に思いつつページをめくると『はじける美味さ!ポンポンポップコーン!』という題名と共に末妹とコン太くんが漫画表紙に映っていた。少年誌特有のデフォルメされた絵柄で。困惑すると同時に唐突に頭に流れ込んできたのが冒頭の『あらすじ』。そして自分が『漫画の登場人物の一人』だと理解させられた。
 
 私の名前は『美味良地味』(ウマイ チミ)世界でも有名な食一族の次女。一九歳。今はメチャウマ大学に通って一族の名に恥じないよう食を極める勉強をしている。卒業したら婚約者である『映得バエル』(ハエ バエル)と結婚し飲食店を開く予定。
 ……というのが【私の設定】らしい。信じられないことだけれども、私の暮らす世界は漫画であり私を構成するものは全て漫画作者によって作られたものだった。他の人に話したら頭がおかしくなったのでは?とか寝ぼけているのでは?とか言われてもおかしくはない。けど、目の前に現れた少年漫画雑誌がその事実を『強制的に分からせてくる』のだ。
 確かに、前々からおかしいとは思っていた。料理対決で普通ならありえない、有体に言ってしまえば都合の良すぎる展開になり世界トップの料理人たちがコン太くんに負けてしまっていた事。周りに比べて姉妹たちとその婚約者たちの容姿が妙に際立って目立っていた事。そして――鏡に自分の目が映らない事。

 少年漫画雑誌をめくると不思議と自分が見たいと思ったページが現れてくれる。そこにはキャラ紹介が載っていた。この世界の――漫画の主人公である唐黍コン太(トウキビ コンタ)くん。ヒロインであり末妹の美味良真心(ウマイ ココロ)。他の姉妹たちとその婚約者やバエル君。そして私。私の『絵』には目がない。いわゆるモブキャラの描かれ方をしている。他の『登場人物』はしっかりとした顔や姿が描かれているのに。どうやらこれも『私のキャラ設定』の一つらしい。

「地味?どした?」
 名前を呼ばれつつ部屋のドアをノックされた。声の主はバエルくん。自分の婚約者だ。目の前の雑誌に気を取られていたが彼と今話題のカフェに行く事になっていたのだ。慌ててクローゼットから上着を取り、雑誌を大きな鞄に押し込み部屋を出た。
「いつもより時間かかってるからどうしたのかと思ったぜ~……って鞄デカいな?」
 私は曖昧に謝りつつ、カフェメニューの研究用にノートや筆記用具を云々……と鞄の大きさをごまかした。
「なーるほどね。流石経営マーケティング学専攻。じゃあ沢山メモして新たなバズ飯作りの参考にしないとな」
 屈託なく笑うバエルくん。彼が細かい事を気にしない人で良かった……と安堵してカフェへと向かった。
 
 ……?私の声、『音』になっていない気がする……? 

 
 
 そのカフェは賑やかな表通りから少し外れた裏通りに面した小さな店だった。個人経営らしくオーナーの趣味趣向とこだわりを感じるナチュラルテイストの家具や小物類が店内のいたる場所に飾られている。デッドスペースに置かれた観葉植物は恐らくフェイクグリーン。消臭や殺菌の効果を見込んで取り入れているカフェも増えてきている。店内BGMはどうやら本物のレコードから流しているようだ。音量の不安定さがレトロさを感じさせる。最近若者の間でレコードが最ブームになっているのでそれに乗ったのかもしれない。昼間の外光も窓際の席ならば申し分ない。程よい日当たりだ。しかし写真を撮るには逆光になるので、店の奥側はわざと昼間でも差し込む光を抑えめにした内装をしている。その場所を照らす照明はオレンジ色の暖色で、料理の色を引き立てると同時に写真を撮るにも適している。メニューは珈琲と紅茶、ソフトドリンク。サンド系の軽食一種。そして数種の手作りケーキとSNSで話題になっているパンケーキ。品数を絞って店の独自性を持たせると同時に材料費を抑えているのであろう。良い経営コンサルタントがいるか、オーナーがよほど熱心に勉強したことが店を見回しただけでよく分かった。
「お待たせしました。当店名物山盛りパンケーキです」
 ――と、私がいつもの癖で店の評価を付けていると注文した品が運ばれてきた。見た目からもふわふわであろう分厚いパンケーキ三枚の上に山のような生クリームとアクセントのフルーツが乗せられている。SNSでは『オーナーの乱心パンケーキ』と呼ばれてバズっていた。
「おぉ!SNSの評判通りのバカ盛り具合!これはバズるのも当然だなぁ~っと、太陽光と内装も映したいし、この角度で……」
 バエルくんは山盛りパンケーキをスマホで何枚も撮り、ついでに自撮りもしてSNSにアップしている。これもいつもの事だ。彼はネット上でも多くのフォロワーを抱えたインフルエンサー。顔の良い彼は常に『映え』を求めて色々な飲食店へ行ったり、自分自身の料理や調理中の様子を投稿している。彼が専門としているスイーツはSNS映えする華やかさと流行の最先端な事も人気に拍車をかけている。
「お、早速いいねとコメントが――いっつも俺の顔が良いって言ってるなぁ、この『クインB』ってフォロワー。いやぁ、俺がイケメン過ぎてメインの料理が霞むのが困るなぁ」
 ……今日も複数SNSに投稿完了には少し時間がかかるだろう。私はそれが終わるのを待ちながらぼんやりと彼を眺めた。
 金の髪は太陽光に反射してキラキラと輝いて彼自身が光っているようである。日本人離れした派手で整った顔立ちは外国の血が入っているらしい事が伺え、相応に背も高く、自分の頭1つ上だし足も長い。モデルやアイドルでも十分食べていけそうな外見をしている。その見た目に反さず性格もとことん明るく、いわゆる陽キャ。他からはチャラ男とかパリピと呼ばれている。……漫画雑誌にもそう書いてあった。けれども決して軽薄ではなく、特に料理に対しては真剣で真面目な人だ。今日だってSNSで話題になっているパンケーキを食べて、その人気の理由を調査し自分自身の料理に生かし取り込もうとやってきた。傍から見ればただのミーハーな映え重視の料理を作る派手男だけれど、水面下では地道に努力し続けている『料理ばか』なのだ。
 ――だから、私は
「っし、上げ終わった。ささっ食べようぜ。これ食べ終わったら次は……ん?俺の顔に何かついてる?」
 彼を見つめていた私は慌てて顔をそらし、首を振る。見惚れていたとは流石に言えない。パンケーキに取り分け用のナイフを入れつつ、少しメニューについて思案していたと誤魔化して、次は宇宙の星屑レモンティーを注文しようと話題を変えた。――が、バエルくんはニヨニヨと笑って小首を傾げた。
「ハハハッ俺の顔に見惚れてたって正直に言えばいいのに」
 むぐっと一瞬むせかけた。いつもは誤魔化しが効くのだが……
「地味は俺の事大好きだもんなぁ~愛されてるぜ」
 顔が熱くなる。多分見えていないだろうけど目も泳いでいる。のに、バエルくんの綺麗な碧色の瞳と目が合ってしまう。澄んだ碧、太陽光に反射して輝く金の髪、整った顔、男性らしくもよく手入れされた手、優しく微笑む表情――嗚呼、駄目だ、癖で細部まで見てしまう。そして分析して理解してしまう。彼の好意が自分に向けられている事を。彼も私と同じ気持ちだという事を。――それが恥ずかしくて思わず俯いてしまった。
「……ほんと、可愛いなぁ地味は。世界一可愛い」
 そう言って笑い、私のぼんやりした輪郭を撫でるバエルくんの手はとても温かかった。
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