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椅子こん!10「竹野 せつ=/代理の私」
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竹野 せつ=/代理の私
「パパがあの家に来ていたのを私は知ってる。学会が変わったのは、あの呪い──キムのせい……なんだよね……」
恐る恐る、口に出すと彼はなんてこともないように頷いた。
「そうだ。あれは強い、かなり強力なものだからな、国が総係りで留めて来た程だ」
二人きりに、という言葉に引っ掛かり、辺りを見渡す。
お姉ちゃんが居ない。いつの間に……
この男と二人きり、という状況に叫びだしたくなるけれど、どうにか堪えた。
聞き出せることは聞いておきたかった。
それが今なら叶う気がした。
「────キムが、あの呪いがどんなものか、知ってるの?」
窓外の日差しが落ち、店内の淡い橙色のランプがより深みを増す。
空気が少しずつ冷え込んでいく。
「ああ。もちろん。知っている。学会も。
だからこそ、祓うために、恋愛を広めたんだよ。
娘のお前には聞かせてやろう。
あれは生命がある限り一生続く類いのものだってことを」
カグヤには、教えないんだ?
という言葉を飲み込む。しかしお見通しのように彼は笑って答える。
「お前は、あの家を見ただろう?」
「それは……」
「キムを、見ただろう」
「はい……だけど……どうして」
「なに、見てしまったということは、概念を取り込んだということだ。怪談でも神話でも、そう。惹かれやすい者は居る」
それは、わたしのことだろうか。
それとも、アサヒのこと?
「呪いは……ある理由で、再び
強く発動してしまったものでね、だんだんと力を増していた。祓い去るにはあまりにも足りないからと、今の会長も躍起になったんだな、それで、ああやって恋愛を広めて浄化しようとしたんだろう」
「──そう、なんだ」
それで、その呪いから守りたくて、恋愛を否定するもの全てを消そうとしたんだろうか?
だけど──それは本当に愛なの?
それは、本当に、人類の幸せ?
こんな話をしていたらよく聞かれるだろうが、パパはなぜ家に帰らないのかなんて子どもじみた質問は私はしなかった。今更いても、接し方に悩むだけだ。音楽が、オルゴールに変わる。雨が降っているらしい。
テーブル席で、カチャッとフォークが皿に当たる音がする。
席につきなおした男が、ケーキを食べようとしている音だった。
どうやら、食事が終わるまでの話し相手にさせられるらしい。
「……呪いについて簡略化して話そうか。人間があの手の呪いに変わる一番シンプルな方法は、『可愛がってから殺す』だ。愛してから、後悔させながら殺す──まずこの矛盾を成し遂げる」
「 愛して、可愛がってから、酷く裏切る──」
なぜだか、ママの顔がよぎった。
愛して、可愛がってから、酷く裏切る。
パパのことなど知らないけれど、ママ──グラタンが、ときどきコラムを書きながらも、父の愛情に発作を起こして苦しんでいたことを知っている。
本来は幸福なものである恋愛に、発作が、なぜあるのかはわからないけれど……
これだけはわかる。
──好き嫌いは、恐怖だ。
恋は、恐怖だ。
迫り来る恐怖と同じように痛みを感じる。自分で抱えなくてはならない、誰にもすがれない、得体のしれない恐怖だ。
怖くて、どうしようもなくて、幸福なんて言ってられなくて、目眩がしたり、苦しくなったりする。
「幸福な感情が行き場の無い苦しみに変わるとき、憎悪へと転換される」
パパの声。
カチャッ、と音がして、フォークがまたケーキをつつく。
「あの呪いは生まれたばかりの赤ん坊を殺して生命の喜びの否定、それと……いや、食事中にする話ではないな。
──つまりは、生物の持つあらゆる喜びを恨み、否定することのために産み出されたわけだが──
そんなものを、大昔の人たちは戦争の道具に使っていた。昔、隣国などが投げ込んだものが、今でもあちこちに存在するんだよ、そして、強い力でもって今も44街を脅かしている」
「お姉ちゃんの、家に、居るのは──?」
「さあ、なぜ奴が、居るのかそれ自体は知らんが……」
コーヒーをぐいっ、と飲み干すと彼は席を立つ。
帰るらしい。先に会計を済ませてあるのでこれに問題はない、が、私は少し焦った。実はアサヒはまだ眠ったまま、そこに居るのだ。
「うぅ…………お姉ちゃん!」
男はちらりとこちらを見て言う。
「せつ──本当に来ないな、あいつ、彼女の代理係じゃ無かったのか?」
「せつ!? 代理係!? お姉ちゃんの代わりに交流したり、いろいろやってたって人!?」
「どうかな、迫害が露見しないように、作り上げられた幻だ」
「どおして、そんなに冷静でいられるの?──ハクナの指揮なら、ママが、居なくなったのも、知ってるよね?」
冷静で居ても、お姉ちゃんなら、堂々と悪魔だからと言うだろうか?
彼は何も答えない。
背を向けて去っていく。
窓ガラスの向こうに、赤いランプが点滅する。
店内が赤に染まる。
(……救急車!!)
特有のサイレン音が近付いてきて、やがて、すぐに遠ざかる。慌てて外へと飛び出した。
救急車はいない。
彼もいない。
カグヤたちもいない。
どくん、どくん、と心臓が脈打つ。嫌な予感がする。なんだろう、この気分。ゴミ出しに近くを歩いていたパーマのおばさんに駆け寄る。
「さっきの!」
「さっきの──? あぁ、見ていたが、家具屋のとこの婆さんだよ、どっか痛めたんだろ。もう歳だから」
「────っ」
本当に。
家を、なんだと思ってるんだろう。子どもを放り出してまでハマるのが、宗教なのか。
恋を、なんだと思ってるんだろう。身体を放り出して、ハマるのが、恋愛なのか。
「あぁあああぁああ──!! もう!!」
嫌い、を言えない気分のままで、言える言葉もなくて、なんだか、どうしようもなく、なんと表現していいかわからない気分になった。
「ぁああああ───っ!」
頭を抱える。頭がいたい。
「嫌いって言われのが、そんなに嫌? そんなに嫌われたくない? なんて独裁者! こっちにも嫌いになる権利があるんだ!」
目眩が、する。
「お姉ちゃん……」
泣きたい。
「うう……」
私、独りに憧れてるの、
といったから、許してあげた。
付き合わなくても死ぬわけじゃない。
でも、独りでいないと死ぬような子も居る。
わがまま言ってごめん。
好かれたいのは僕だけなんだ。
僕が、好かれたいのは
目立ちたいから。
いいひとに、見えるから。
人を好きになれるだけで
どんな悪人でも、良い人に見えるんだ。
だから、きみを使って
いい人になろうと思った。
あと目立ちたいから。
恋なんて、気持ち悪いのにね。
好かれたくない、好かれたくない、そう言って、きみは
壊れていった。
貰うこと、嫌い。
遊ぶこと、嫌い。
笑うこと、嫌い。
好かれることも、嫌い。
感情処理が出来ないのに、無理して、腕に包丁を突き立てながら笑って、
「私も好き」 って、精一杯言ってたね。
演技が気に入らなくて、好きなのかと問いただしてごめん。
きみが 持ってないもの
持ってるかどうかわざわざ改めて問いただして責め立てた。
好きなのか、
なんて別にどうでも良いことなのに。
無理矢理の笑顔さえ、
本物かどうかばかりこだわって崩して、責めてしまった。
本物かどうかなんて別にどうでも良いことなのに。
きみは包丁で、また指を切った。たくさん血が出ていた。
ごめんね。
愛されたいという気持ちが、
きみを苦しめているのに。
冷たい!
強く言い放った。
きみが変わってくれると思ったんだ。
好きになってくれると。
次の日、
首を括ろうとしていた。
きみにないものを問い詰めて
追い詰めた僕は、
きみにないものをまた問い詰めて、さらに追い込んだ。
そこまでして、好かれて、なんの意味があったんだろう?
きみは、やっぱり笑顔を見せながら「頑張るから」と言った。
恋愛雑誌を差し入れた。
『恋ができないきみへ』
『明日から変われる』
『気持ちから逃げないで』
『誰にでもできるよ、恋』
きみは、叫んでいた。
苦しそうに、もがいていた。
変わるチャンスを、感じてくれたと思った。
今日も叫んでいる。
きみの知り合いと付き合うことにしてみた。
モヤモヤから、恋を気づくのが少女漫画だ。
帰ってくると、きみは沢山の睡眠薬を飲もうとしていた。
ただ無表情だった。
僕は混乱して、君を叩いた。
ただ、それだけだった。
あれから
きみは、動かなくなった。
空を見つめたまま、死んだように固まっている。
否定し、理解出来ないと言ってさんざん貶し、雑誌とかで見下されたと思わせて、最後に、突き放した。これはたったそれだけの『俺』の話。
「一人でいいんだよ」
追い詰めてごめんなさい。
きみが、一番、笑顔になれるのは、独りなんだね。
だから、ドアの向こうから、そう言った。
きみは、ある日ふと目覚めた。
そして、ぼんやりした目をしながら、微笑んだ。
「私――独りに憧れてるの!」
頭のなかに、あの景色が映る。
足元に散らばった「愛してる」が乾いた景色となって、私を見下している。
その最低な存在を否定するような言葉は───時間が止まったような部屋の中に唯一動いている時間を象徴する。
唯一、全てを破壊する言葉だ。
愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる…………
「アサヒが、アサヒまで、居なくなっちゃう!」
思わず、店を飛び出してしまった。私に近付いた途端に、彼の様子がおかしくなってしまった。
コリゴリやスライムのあとで間近で見るとやっぱり辛くて、悲しい。
やっぱり、彼は私に近づいてはいけなかったんだ。
私は、彼に近付き過ぎた。
あの男も、そろそろかもしれないと言っていた。
マカロニさんが居ないと発現しないはず、のスキダだけれど、私だって専門家じゃないし、あのクリスタルに詳しいわけではない。もしかしたら何かの理由で彼にも変異をもたらす場合も考えられた。
アサヒが……
「アサヒが……」
アサヒがもしかしたらあの化け物に変化するかもしれない
。私に襲いかかろうとして知性や理性を失くしてしまうかもしれない。
──私は、そういう者だ。
人の心に干渉し、狂わせ、破壊する。だから、アサヒももしかしたら壊してしまうかもしれない。
ふと脳裏に、あのノートが浮かぶ。こっそりつけていた記録。
『あの人』が密かに、私に近付く人に油を撒いていた──
私に、近付くことを、阻止してくれていた。
「違う……アサヒだけじゃない、みんな、殺されてしまう……?」
いや。
私が殺すのか?
怪物になれば、それはそれで。ううん、まだ、怪物になってるわけではない。
「悪魔の仲間!」
──どうして私は、独りで居ることをやめたんだろう。
ずっと、今までのように、ただ悪魔のように、神様のように、44街を遠くで見守っていれば、それで良かったはずなのに。
あの、女の子も、アサヒも、短い間だとしても──いろんな思い出を私に授けてくれた。
ぽた、と肌に、滴が落ちる。
涙かと思ったがまだ泣いては居なかった。なんとなく辺りを見渡す。
空が曇って来ている。
ツンと冷たい空気が肌を包む。少し寒い。
月 日
また、人が死んだ。
月 日
また、人が、死んだ。
月 日
また、人が、死んだ。
おかしいと思ってあの人の後をつけた。
悪魔の仲間、って、言って油をかけていた。
月 日
吐くな、吐くなよ?
悪魔の仲間
私と話すと悪魔の仲間だと思ってしまう
らしい。
──『あの人』は、いつも密かに、私に近付く人に油を撒いていた──
私に、他者が近付くことを、阻止してくれていた。
だから私は、独りだった。
「……あ」
来た道を戻ろうと振り向いた先に、彼女は居た。
気付けばいつも、背後に立っていた彼女。真っ赤な傘をさし、そこから顔を覗かせる彼女。
振り向いた私と、目が合った「彼女」。
茶色く染めた黒髪。少し疲れたような窪んだ目、丸みを帯びた特徴的な鼻を持ち、 私にはあまり似て居なかった。
ニイイッと笑って、手にした灯油のボトルを見せ付けるでもなく、重そうに担いで、店に向かっていく。
「待っ───!待って!!待ってよ! 代理の私!」
代理の私は、ぴたりと足を止めて、冷ややかに笑った。
「──代理の私? 私の名前は、せつ。竹野せつ」
店に戻ろうと走る間、
せつはその場に立ったままで居た。
「あぁ──! やっと、私に会ってくれた!! ずっと一目見たいと思ってたんだ……! 君に会いに、隣国から遥々来たんだよ」
「──何を、言ってるの、そんなものを持って」
「悪魔の仲間を、殺しに。
君は誰とも会話せず何処にも行かずにずっと私のものでいれば良いのに。
なあ、なぜ私以外と話す?
私は、今更君なしで生きられない」
手から灯油のボトルを奪おうとする。せつは、おっと、とかわした。
「ここで蓋を開けて良いの? 道路には車もある」
「駄目。ねえ、なぜ──私の前にまで姿を現したの? 今まではずっと隠れてた癖に。私が誰かに会ったその日すぐじゃなく、日を置いて消していた癖に」
「なんのことか、わからないので、もう一度言っていただけませんでしょうかー?」
「──どうして、私なの」
どうして、私には代理が居たのだろう。おかしいと、カグヤたちも言っていた。普通はそんなものは居ないと。
「納豆を」
「はい?」
次第に雨足が強くなる。
ザアアアと滝のような音がする。風邪を引きそうだ。
「最初に納豆を食べた人って、すごいよね」
足元の水溜まりが、カラフルに電光掲示板を反射する。
キラキラして、まるで花火だ。お祭りのパレードみたいだ。
「納豆を最初に、よく食べる気になったなって、よくあんな気持ち悪いものを口に出来たよ。すごい。見た目も虫みたいだし、腐って気持ち悪いのに」
──納豆好きに喧嘩を売る気なのか? と思ってしまうが、どうやらせつは、真面目に言っている。
「納豆を最初に食べた人に、ありがとう。そう言いたいよね。まだまだ食べられるのに気付かれないものが眠ってるかもしれない」
「あなたは、何を、言いたいの」
月 日
悪魔の仲間なんて、間違い。
あの人は、聞く耳を持たない。
また、人が死んだ。
月 日
私が死ぬ人に話しかけていると
噂が立っている。
月 日
また、人が死んだ。
月 日
死は見えない。終わりが見える。
あの人が、悪魔の仲間だと思った人が、死んでいく。
「私? ただ私は、あなたという芸術を、自国のものとして飾りたいの。
ほら、私、隣国から来てるし──」
「そこに、私の、代理をする理由はあるの? 私が、なにかするたびに、あなたが話したことにして書き換え続けてきた意味があるの?」
せつは、傘をくるくる回転させて遊びながらしれっと言い放った。
「代理をしていた訳じゃない。私は、あなたになりたかったんだから」
「──意味が、わからない、私は私。あなたが私になることは不可能よ」
「案外簡単。首を切って、死体をリサイクルする。
実際に死んだ人と入れ替わる。
そうやって情報を操作して成り代わればいいの。
44街を乗っ取ることだって出来る。この国も、おかげで随分我々が住みやすくなってきた」
隣国──!
嫁市場に、手を貸した、学会と提携していたっていう隣国! せつは、隣国から来たスパイだったんだ。
「どうしてあなたが、悪魔だなんだ言われても、なかなか身動きを取らないのかって私は不思議だったけれど──」
すたすた、と彼女は足早に店に向かう。
しかしすぐにボトルを抱えて戻ってきた。
車があるということは大抵は持ち主がいる。
つまり、店に近付いていくにつれて、彼女が思っていたよりずっと人目があったのだ。
せつが慌てて走り出す。私も追いかけるが、途中で見失ってしまった。
「はぁ……はぁ……」
──遠くでは、恋愛狩りらしい拡声器からの声が響いている。
『我々は──このような恋愛と44街のあり方に、疑問を持っている!』
遠くから聞こえる拡声器が、他人を好きになることの不自由さを訴える。
他人を好きになることは、まだまだなにもわかっていない未知の分野だ。スキダが生まれる状況、スキダが暴走する状況。
『幸せになることは、必ずしも、恋愛でなくてはならないのか!』
『ではその、幸せとは何だ? あのクリスタルの物質が見せる幻覚のことか?』
『幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない! 恋愛を盲信するやつらにとって、
我々が不穏分子であるように!』
あの声はカグヤたちのもので、またスキダを集めてるんだろう。むしろ私たちが降りたぶん、自由にやりやすくなったかもしれない。
(戦う、しか道は無いのか……)
彼女らは仲間思いだ。恋愛以外の、誰かを想う感覚は持ち合わせている。しかしそれによりスキダが生まれるわけではない。
雨はいつの間にか小降りになっていた。
──走って、走って、店内に飛び込む。
服が濡れて少し寒い。
店内はガラガラで、そろそろ閉店しそうな空気を漂わせる。女の子が泣きそうな目で私を見上げていて、アサヒが床に倒れていた。
「よかった……そろそろ、しめるじかんだからって……」
カウンターの奥で、店員が苦笑いしている。ひいっ!
「ご、ごめんなさい今出ます!」
慌ててアサヒを担いで、女の子とともに店から出た。暮れてきた外。帰宅ラッシュであちこちから車が流れていく。
(私たち、何処へいけば良いんだろう。
家……かな)
急に、現実に引き戻されたような気分だった。
しかし都合が良いことばかりではないくらいわかっている。
もちろんあのままカグヤの家に居るわけにもいかない。恋愛総合化学会員じゃないからってだけではない。観察されにくいとしても、会員の家なんてハクナや、せつと距離が近すぎる。スパイがあの手この手で近付いてきたら何があるかもわからないのだ。
──ただ、なんにしろ椅子さんは迎えにいかないと。
「待たせて、ごめんなさい」
「あのね、お姉ちゃんが、戦っていたときは、アサヒが、わたしを背負ってくれたんだよ」
横から駆け寄ってきた女の子が、しみじみと話す。まるで元気付けてくれているみたいだ。そんなに、悲しい顔をしているだろうか?
彼女は、私が店から出た理由は問わなかった。
「そっか……良かった」
「うん」
「──前から思ってたけど、年頃の女の子なんだから、遠慮せずに悲しいときに悲しんだりしても良いのよ?」
「わからないよ、そんなの」
女の子はどこか達観していた。
遠くを眺めるような、大人びた眼差しを持っている。
「そう。それなら、いいの」
「お姉ちゃん──」
「何?」
「お姉ちゃん、泣かないで」
服が、濡れて、寒い。
日が暮れていく。このまま真っ暗になったら、今度は夜が明けていく。
通行人が、騒ぎながらクリスタルの話をしていた。夜中にこっそりスキダが打ちあがるのを見ただとか、クラスの子のスキダが告白で弾けて消えたとか。
カグヤたちの演説が反芻される。
幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない。恋愛を盲信するやつらにとって、我々が不穏分子であるように。
目元を擦りながら私はゆっくりと話す。
「──代理の私を、見たの」
「代理?」
「いつも、あの人って呼んでいたけど、私の代わりに、歩いて、話して、私になろうとしていた、さっき会った本人から聞いたの」
「それって──せつ?」
「どうして、その名前を」
「パパが、言ってた、迫害がわからないようにみんなに見せている幻が、『せつ』だって」
「うん……その通りだった。せつは、あの宗教がみんなに見せている幻なんだと思う。せつに話し掛けていれば私と話さなくていい制度があるのだとしたら、きっとそれは隣国の企みによるもの」
「企み?」
「悪魔の仲間、を殺していた。うちが悪魔だって広めたのもあの人たちだった」
誰と知り合っても、最後に怪物と戦うことになるのなら──あんな思いをし続けるなら、別に悪魔でもなんでも憎まれても嫌われても良かった。目の前から誰も居なくなれば、私が手をかける必要もない。
「せつたちは最初から、私だけじゃなく国を乗っ取る気でいた」
悪魔と呼ばれるだけでしか無かった私という概念そのものすら、変えてしまう気だということ。それは嫌われても好かれても関係がなく、居ても居なくても関係がないということだ。
「嫌われるのに絶好の環境だって思ってたのに……」
既に、私が嫌われていれば済む話じゃない。
「嫌われる必要があるの?」
担いできたアサヒの重みを感じる。胸が痛い。雨も降っていたし背中が中途半端に温い。
「今は──わからない。44街が、ずっと隠してきた真実が、結局、誰のためのものなのか。学会内でも意見が変わってしまっているみたいだし」
「──ん……」
背中に居たアサヒが、身動ぎした。
「アサヒ? 大丈夫?」
「ほら……今日は……タルタルつき……だぞ……ふふ……」
優しい声、誰かに向けられた声。
マカロニさんだろうか? 夢をみているらしい。
「タルタルが食べたいのかな」
女の子が言う。なんだか、ぞわぞわする。
「どう、なんだろうね」
アサヒは、他人を当たり前に好きになれる人。
私とは違うということを改めてまざまざと思い知る。
──彼と、私の絶対的な違いだ。
「そっか。他人を好きになる才能があるんだった……」
私は、椅子さんのことが好きだ。
人間が好きになれなくても、幸せなのに。
悪魔って呼ばれるなら、悪魔でもいい。
他人を遠ざけていられる理由があるなら。
他人に嫌われてでも、私は幸せなのに。
──他人を好きになれる才能があるのに、当たり前に横に並ぶみたいに話し掛けてくるなんて腹が立つ。
違う、私の幸せを、踏みにじるな。
人間と人間を、見せつけるな。
そう、思った。
そうとしか、思わない。
人生すべてをかけて、私は、孤独を守ってきた。44街を。
それで良かったんだと思う。
──なんだ、だったら、私が迷うなんて、らしくない。
私が、人間みたいに他人のことを考えるなんて私らしくない。
「──私──もし、これからアサヒがどうかなったって殺すよ。知らないから!
悪魔でいいじゃない!
嫌われることのなにが悪いの!
あなたになにがわかる!
私でもないのになんで私が叩かれたくらいで騒ぐの? 私のなんなの!
そのたびに私がたいした痛みを感じないのがバカみたいに!
嫌われて救われる人だっている!
嫌われてうれしい人だっている!みんながみんな、守られたいわけじゃない!
私……っ」
「椅子さんが、好きなんだろ?」
背中の重みが、ふっ軽くなる。
後ろを向くと、アサヒが立っていた。
はれやかな顔をしていた。
「──お前が、物を好きなことは、疑ってないよ」
「……アサヒ、起きたんだ」
「悪かった」
「──もっと、ギスギスさせようよ。
空気を悪くしても構わない、だって、他人を好きになる才能を見せつけられるほうが、辛つらい」
「まぁ、あれだけの力を、一人で纏めてるなら無理もないか……
気を失っていたけど、なんとなくわかったよ。人間に近付かれる度に、ああやって変異速度を速めてしまうんだな」
「──私と話すと、心を侵食される。
私はそっち側なの。私が干渉を受けたスキダが、侵食される。
アサヒは観察屋だし、別にどうでもいいって思ってた」
「そうか……ずっと、孤独だったんだな。怪物に変わるせいで、なにも好きな相手を、作れずに。
それなのに偉そうなことを言っちゃって」
「────」
「俺には確かに、他人を好きになる才能があった──それすら、忘れていた」
何か言おうと、拳を握り締める。
でも、何を言えば良いかよくわからない。孤独は悪いことではないのだから。
「嬉しそうだね」
「……しばらく、夢を見てたから。懐かしい夢だった」
「──マカロニさん?」
「いいや、違う。ただ、昔、学生の頃の同居人……なぁ、これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」
「うん」
「──そうか」
「これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」
「うん」
「──そうか」
「何を、考えてるの?」
アサヒが何かを言いたそうに見えて、私は言う。アサヒは少し気恥ずかしそうに答えた。
「北の国に向かうときに、あいつも連れて行けないかと思って」
「あいつ?」
「あの家に──居るって、言ってただろう」
「……え、あ、うん……どうして」
「なんとなく、なんだが、そうした方が、良いような気がして。
あの場に縛られてるのでなければ──」
あのときはいきなり椅子さんが動かなくなるし、私もいっぱいいっぱいで、あまり深く考える時間がなかったけど、そういえばあの子、いつの間にあそこに居たんだろう?
「そうじゃなくて、どうして、アサヒが、あの子を気にするの? 見えてなさそうだったけれど」
「夢で、同居人に会ったからかもしれない。なんだか、暗示的な感じがした」
「そのときの同居人って、マカロニさんじゃないんだよね?」
女の子が聞くと、アサヒは頷いた。
「元人魚だよ」
しれっと言われて驚く。
人魚!? すごい、今や絶滅危惧でほとんど人里に居ないのに。
「学生んときに、古いアパートで暮らしてて、部屋に入ったら居た」
「へぇ……なんでまた?」
私も見たことがない。
アパートで人魚が暮らせるのか。
「そこが建つ前は、人魚が住む湖だったんだが──人間が勝手に湖を潰してアパートを立てたせいで、そこから出られなくなったんだと」
アサヒが言うには、その人魚はヒレや尻尾があって陸地を動けず、綺麗な湖にしか住まない種類のために住み処もそこにしかない、その為にずっと湖の力が残るアパートの場所に留まったままでいつしか人間の形になって居たらしい。
「あいつら特に害もないし、悪いのは土地を強引に所有した人間なんだ。だから、一緒に暮らすことにした」
「アサヒにも、良いところがあるんだね」
女の子が淡々と言い放つ。
「仕方ないだろう、どうせ、昔も人魚の処遇は良くなかった。通報したところで研究機関で解剖されたかもしれないし…………俺にもいろいろあるんだよ!」
私はふと、夢のことを思い出した。
「その人、タルタルさんっていうの?」
「うわ、寝言いってたか?
いや、そいつはいつもエビフライばっかり食ってる気儘なやつだったんだよ。普段はとんかつソースとかマヨネーズなんだけど、たまにタルタルソースを作って……」
ってなんだよその目っ!
とアサヒがキレ気味に言う。
いつの間にか私も女の子も穏やかな目でアサヒを見ていた。
「いや、だってタルタル付きだぞ♥️って、優しい声だったから」
「タルタル付きだぞ♥️ って、やさしい声だった」
「タルタルソースは旨いんだぞ!」
よくわからないツボに入って三人でしばらく笑って居た。
通勤ラッシュも終わる真夜中。
そろそろベッドに入っても良い時間のはずだった。
立ち並んでいるビルが、あちこちに魚型のクリスタルを煌めかせる。
夜景に反射して、華やかに空をいろどる。
「うわぁ────ビルの向こう側は、こんな風になって居たんだ!」
私がはしゃいで、女の子も、きれいだねぇとはしゃいだ。
街全体が宝石みたいだ。
「これが44街の夜景名所、
『好きの輝き』だ」
「ダサい名前!」
「ダサい名前!」
「俺に言うなよ!」
知らなかった。
自分に向けられる狂気、怪物としか思って来なかったスキダだけれど、遠くから見るとこんなに、輝いて見える。
街全体がキラキラしている。
「そっか──観察屋は、ずっとこのキラキラを見てきたんだ」
「そうだな。俺が空を飛んでいた頃、一番……心を慰めてくれたかもしれない」
「なんかズルい」
私はずっと日陰側の情報しか知らなかった。あっちに近付けば、見えない何かや、怪物の魔の手にからめとられてしまうような気がした。
せつや街自体が許そうとしなかったかもしれないけれど。
それでも今、こうやって遠くから眺める景色は悪いものでもない。
『好きの輝き』は、少し離れて見なければわからない。
そういえば近付いて、近付かれてばかりで居た気がする。
この景色と、同じだ。
私は、ただずっと、こんな風に周りから離れて、景色が見たかったのかもしれない。
「リア充、撲滅☆」
声がかかり、頭上を見上げると、塀の向こう側にカグヤが座っていた。
「カグヤ……」
「何してるの?」
「好きの輝きを見てた」
あんたらも案外ロマンチストなのねとカグヤが笑う。見飽きているとばかりのあしらいだった。
っていうかカグヤったらなぜ塀の上に居るんだろう。
「──カグヤの方は、みんなは?
」
「あー、それが、さぁ」
カグヤが塀に座り、言いにくそうに後頭部に手を回しながら言うのは、ちょっと意外な話だった。
「今、私ら揉めてる」
「え、誰と」
「観察屋」
「観察屋と!?」
アサヒが反応する。カグヤはその勢いに少し驚きながらも答えた。
それもその通り。アサヒは元観察屋だ。秘密を知りコリゴリに消されるところだったように、実は今も追われる身で周りの情報には敏感である。
「どういうこと!? 話して!!」
「いつものようにあのツインテの子……
網端めぐめぐっていうんだけど。
今、塀の向こう側の公民館のとこに、観察屋と市当局が来て取り調べみたいなのしてるの」
「なにか、観察屋を傷付けることをしたの?」
カグヤが首を横に振る。
「──あの子、盗撮した素材から
部屋の中や、生活をアニメにされてるらしくて」
そういえば私も、バラエティーとかの下地になったことがある。
あれはBPO問題になったんだっけ。
「観察屋が撮った写真を、外国に委託してるアニメ会社とかで使ってるのね、それで、そこの愚痴を言ったのよ、それで……作家から会社の名誉毀損だって。その作家が親」
なんじゃそりゃああ!!
「っていうか、親が? 名誉毀損!?」
「そう! 作家の名前に泥を塗ってありもしない噂を立てられたっていって! めぐめぐが素材になることよりも自分の名誉が毀損されることを考える親なの」
うーん……
親ってそんなもんなのかなぁ。
「ちなみに新刊は『今日子の婚姻届』
厄介からの次なる依頼は、恋にまつわる「呪い」の解明? だって……」
「煽りに来てるね」
私は率直な感想を述べた。
「だね……対立を煽りに来てるよね。外面だけがいいから……」
みずちも苦笑いする。
「っていうかむしろそのタイトルって私に喧嘩売ってない!?」
命がけでやっていることを、仕掛けはこんなものと暴くタイプのお話が後味が悪くて嫌いだった。
美女と野獣の野獣が人間になったのがショックだったという子どもみたいに。その人のかけてきた人生を、そんな風に部外者が勝手に決め付けてしまうのが。
なんだか赦せなく感じる。
そうまでして、賢くなりたいのか、と。
女の子が少し悲しそうに質問する。
「カグヤたちは今、その、取り調べを待ってるの?」
「そ、私や、捕まってないみんなは公民館周辺に集まって、めぐめぐが出てきた瞬間に抗議しようか話してるとこ。公民館はよく学会も定例会やるしね」
そうなんだ……
カグヤは肩に網を抱えたままニッと笑った。
「まっ、それまでは、漁だよ☆」
ハニートラップ漁。
みんなになぞのこなを撒いて、寄ってきたスキダの群れを網で囲んで絡めとる。遠くの方から、仲間のものらしい、急かす声がしていた。
スキダは海の魚ではなくまるで空気よりちょっと軽いガスのように勝手に浮いているものなので、囲んで引っ張ればついてくる場合もある。
かといって空高く飛ぶことはなくて、人間のそばに回っていた。
「そっか」
「──あなたたちはこれからどうするの?」
カグヤに聞かれて、私は胸を張って答えた。
「椅子さんを、迎えに行く! それから、私の家に帰るんだ!」
真夜中。
星ひとつない空の下、私たちはまずカグヤの家を目指した。
夜中に訪ねて行くなんてという思いはあったし、カグヤの祖父はわからないが祖母が関わるのを許してくれないかもしれない。
あの柔らかい笑顔が、会員かどうかでコロッと変わってしまうことに、少し寒気を覚えた。カグヤの祖母にじゃない。
心は条件さえあれば、それだけすぐに変えられるものだということに。
でも、とにかく早く、椅子さんを迎えに行きたい!
歩いて、歩いて、歩いて──
「ねぇ、アサヒ」
30分くらい道を歩いて、私はふと思って居ることを言う。
「お?」
「私たち、ここまでさっき、トラックの荷台に乗せてもらってたよね?」
ちょっと疲れてきた。
30分で音をあげたとか言うよりは、そう、歩き始めて思い出したのだ。
「あっ……」
女の子とアサヒが声を揃える。
しかも、追跡を逃れようと、かなりがむしゃらに走り抜けてるトラックに。帰りも歩くとあと一時間か二時間はかかりそうだ。
そしたら、もう完全なる就寝時間である。
「つい、行きの感覚で捉えてたけれど、徒歩じゃん!!」
「うおあ、そうだった!! 俺もいつも上空を飛び回っていたから地上を歩く感覚に鈍くなっていた!」
「私もだよ、いつもあのビルの影になってる坂道の周辺しか出歩かないから、こんな遠くまで来たのが10年ぶりくらいだった!」
「ママと車で来ることが多くて……でも歩くのかな? と思ってた」
女の子がはっとする。
私も笑った。
アサヒも苦笑する。
「──これからは、こうやって、ここまで来ようかな、そしたらきっと歩き慣れてくるよね」
誰にも関われないのなら、外に出ても意味なんてない気がしていた。
『悪魔』には、何をするにも代理が居て──することを横で同じように真似する『代理』が常日頃から貼り付いている。
「そうだね」
女の子が首肯く。
「散歩も悪くないと思う」
アサヒも肯定してくれた。
チョコレートを買えば、すぐそばで代理も買い、手紙を出せば、代理も手紙を出す。誰かに話せば、すぐそばで代理が代弁して市民に伝える。
それが私の、いつもの日常。
例えばこんな私の話を語ると即座に似た内容を語る人が現れる。
私がすること、私が話すことに『代理』が存在している。
私が、街に私の存在の証拠を遺す代わりに代理が存在して、行動している。
あの家の中しか私がいられない。
それが、私の日常だった。
「じゃあ、みんなで行こうか」
──けれど、 本当に自分の為だけにすることは、誰にも止められない。
キムやスライムの気持ちと戦ったときにも、代理は居なかった。
基本的に、何かせつに利益があるときしか代理をつとめないのだろう。
せつがいなくなる時間があるんだって、考えもしていなかった私が変わっていく。
帰ってきたら、自分の為だけに『好きの輝き』を見下ろしに行くんだ。
そろそろ何処かで休みたい、と感じ始めた頃、ようやく見慣れた道が見えてきた。
カグヤの家、といえば、カグヤたちは元気にしているだろうか……?
そろそろ公民館に向かったかもしれない。
カグヤの家の前に立って、私は端末から時間を確認した。
すでに明日が来そうだ。
さすがに訪ねていけないなと思っていると、ふと、何かが聞こえた。
思わずアサヒと女の子に、何か話したかを聞く。
しかし何も言ってないらしい。
──人の子よ。
「……!」
──人の子よ。もうじき、時が来る。そのとき、そこの者は変わる……しかし怯えていては、いけないよ。
「椅子さん?」
椅子さんの声だ。
私はちょっと嬉しくなりながらも
カグヤの家を見つめる。
椅子さん……椅子さん、椅子さん。
だけど、なんて言ったの?
振り向くと、女の子がアサヒを見ていた。
「アサヒ?」
「──っ」
アサヒは頭を抑えながら、何かを耐えているみたいだった。
「アサヒ…………」
少ししてアサヒは無言のまま体勢を戻した。
あれ? なんだろう?
アサヒの目付きが、違う。
何だか──
「えっと、大丈夫?」
女の子が聞くと、アサヒは無言のまま頷いた。いつもなら、何かしら喋りそうなのに。
「アサヒ、だよね?」
なんだか違う人みたいで、ちょっと怖くて、私は思わず確認した。
アサヒは何も言わず、ニッコリと笑う。
「ねぇ──ねぇ、アサヒ!? アサヒ……あなたは、アサヒだよね?」
なんだか不安で、肩を掴んで話しかける。
「──ew.」
「あ……アサヒ……」
「y^estaeweme」
──違う。
アサヒじゃない。
「……ウフフフ。ウフフフフフ」
「────あ……の……っ」
あの子だ。
「──普通に、コクってやるのも良かったのだが。
この者には、なにやら。少し、通ずるものがあってな」
アサヒの姿で、あの子は笑っていた。
「ウフフフ。姫。会いたかったよ、姫」
姫──?
嬉しそうに、アサヒの姿のその子は無邪気に飛びはねて私に抱きつこうとする。
「どうして、この者が、姫と対話することが出来るのか──ウフフフ。
姫、驚いておるな。姫の前に以て、
『孤独』を差し出す者は久しくおらぬから、少し気分が良い」
アサヒはクスクスと笑いながら、身体を確かめるようにさする。
アサヒのことだろうか?
彼の孤独を、私はほとんどは知らない。マカロニさんが誘拐されたことすらほとんど断片を聞いたに過ぎない。
「私はいつでも──孤独を差し出せる者を、見ている……」
孤独を差し出せる者。
44街に伝わるというあの昔話を思い出す。
村人たちから突き放された、孤独な存在。村人たちから同じように突き放された孤独な村人とともに、長い眠りについた、44街を見守る神様。
「ありがとう……」
なんだか言いたくて思わず口から出ていた。
「『私』と話しに来てくれたんだ」
白くてふわふわした髪、優しい声。なぜだかそんな姿が脳裏に浮かんだ。
「──コク?」
けれど、不思議な言葉がひとつ。
普通にコクってやるのも良かったが、って言っていた。
「──パパも、そんなことを言ってた……アサヒがコクってからではおそいとか」
女の子が冷静な口調で呟く。
コクる?
告白する、ではなくてコクる。
「もしかするとあの怪物と、コクる、には関係があるのかも」
(だとすると、何かしらの理由で、
すぐに怪物にしなかった──?)
「怪物になってからではおそい、みたいないみなら通じる気がする」
女の子も頷く。
「うあーっ、なんか、今更緊張してきた!」
叫びだしたい気持ちで、私は顔を両手で覆う。道端。しかしこの辺りは真夜中に、ほとんど人がいないのである意味安心だ。
「姫って──! 姫に会いたかったって……嬉しい」
あの子は不思議。
理屈ではなく、嬉しいと感じてしまうなにかが、私でさえ思わず跪きそうな、圧倒するなにかがある。
あれが、力────
この感覚が好かれる喜びのようなものかは私にはわからないけれど、あの子が居る、あの子が私と対話をして嬉しいのが、すごく尊いもののようで……一度に考えると混乱しそうだ。
──だけど、孤独を愛するのだとしたら、私は、周りのちかしい人間に、このことを何も言わない方が良いだろう。あの家に居た家族にも。
「ん──?」
少しして、アサヒが気が付いた。
「あ、あれ? 寝ちまったのか……」
「おはよう」
私はとりあえずは何も言わず、挨拶をする。女の子もそうした。
「おはようアサヒ」
「俺──いつ寝てたんだろう?」
「この辺りにきたくらいで、いきなり爆睡してた」
私が言い、女の子がそうそう!と首肯く。
カグヤの家の近くでしばらく話して居ると、ちょっと小腹がすいてきた頃に、声がかかる。
「あれー? 三人とも、早起きだね」
帰宅したらしいカグヤだった。
早朝。
カグヤたちを追っている万本屋北香が、
観察屋のエリートの一人……同僚から連絡をもらったとき、彼女はまだマンションの自室で目覚めてパジャマ姿のままだった。
昨晩はいろいろとあったが、無事にあの三人を誘きだすことに成功した。
(ヨウさんの言った通りだ。盗撮をアニメ作品として販売すれば何ら問題にならずに情報を利用出来る! こんな抜け道があったとは)
ハクナの一人、そして作家である『ヨウさん』が、メグメグの抗議やたちの活動を快く思ってないのは知っている。
だからこそ、ヨウさんはこうして公に示したのだ。『止められるものなら止めてみろ、世界は我等の味方だ』と。今もまだ公民館の一室で取り調べが続いているものの、彼女は一度、交替のものとかわり仮眠と着替えをしに帰宅した。
《アサヒの身体が、悪魔と何らかの関わり
を持つ異形に乗っ取られているように見えたんです》
「なんだと……それは本当か」
《ええ、一瞬でしたが。そして悪魔のことを姫、と呼んで居ました》
姫────か。
もしかすると、もしかするかもしれない。
創立当初の資料のことを北香は知って居る。
今や、いかにも怪しい恋愛総合化、を掲げる団体の犬をやってはいるけれど、今の会長のことは少し疑問に思っていて、創立当初の資料を漁ったのだ。
そこには44街の神様信仰の話があった。
姫──もしも、あの神話の続きがあるのなら。彼女たちに、なにか意味があるのなら……
《悪魔が、また犠牲者を生むのでしょうか、監視を強めたほうが?》
「待て。私が会長に聞いてみよう」
あれは、ハクナたちのほとんど、恋愛総合化学会員のほとんどが今や悪魔と思い込まされている存在。
それが、「姫」と呼ばれる。
なにより、なぜあの子を、我々が日頃から見張るのだ?
せつ、など用意して。
面白い。
面白そうな、なにかが間違いなく絡んでいる。
(学会当初と、変わった現在────私は、どちら側に、つくのだろう?)
脳裏に過るのは、幼い頃のクラスメイト。
倉庫のなかで恋を知るために殺した犬。
つがいを信じるものたちが支配する教室。
気持ちが信じられないものたちが、異端視され、排除される空間。
忘れた、わけじゃない。
私にも、他人の気持ちなどわからない。
(会長のいう、運命のつがいが本当にあるのなら──どうして……あの子は犬を殺さなくてはならなかったんだ。恋愛なんて感情が実在する確固たる証拠もないのに)
20212/2316:53
「パパがあの家に来ていたのを私は知ってる。学会が変わったのは、あの呪い──キムのせい……なんだよね……」
恐る恐る、口に出すと彼はなんてこともないように頷いた。
「そうだ。あれは強い、かなり強力なものだからな、国が総係りで留めて来た程だ」
二人きりに、という言葉に引っ掛かり、辺りを見渡す。
お姉ちゃんが居ない。いつの間に……
この男と二人きり、という状況に叫びだしたくなるけれど、どうにか堪えた。
聞き出せることは聞いておきたかった。
それが今なら叶う気がした。
「────キムが、あの呪いがどんなものか、知ってるの?」
窓外の日差しが落ち、店内の淡い橙色のランプがより深みを増す。
空気が少しずつ冷え込んでいく。
「ああ。もちろん。知っている。学会も。
だからこそ、祓うために、恋愛を広めたんだよ。
娘のお前には聞かせてやろう。
あれは生命がある限り一生続く類いのものだってことを」
カグヤには、教えないんだ?
という言葉を飲み込む。しかしお見通しのように彼は笑って答える。
「お前は、あの家を見ただろう?」
「それは……」
「キムを、見ただろう」
「はい……だけど……どうして」
「なに、見てしまったということは、概念を取り込んだということだ。怪談でも神話でも、そう。惹かれやすい者は居る」
それは、わたしのことだろうか。
それとも、アサヒのこと?
「呪いは……ある理由で、再び
強く発動してしまったものでね、だんだんと力を増していた。祓い去るにはあまりにも足りないからと、今の会長も躍起になったんだな、それで、ああやって恋愛を広めて浄化しようとしたんだろう」
「──そう、なんだ」
それで、その呪いから守りたくて、恋愛を否定するもの全てを消そうとしたんだろうか?
だけど──それは本当に愛なの?
それは、本当に、人類の幸せ?
こんな話をしていたらよく聞かれるだろうが、パパはなぜ家に帰らないのかなんて子どもじみた質問は私はしなかった。今更いても、接し方に悩むだけだ。音楽が、オルゴールに変わる。雨が降っているらしい。
テーブル席で、カチャッとフォークが皿に当たる音がする。
席につきなおした男が、ケーキを食べようとしている音だった。
どうやら、食事が終わるまでの話し相手にさせられるらしい。
「……呪いについて簡略化して話そうか。人間があの手の呪いに変わる一番シンプルな方法は、『可愛がってから殺す』だ。愛してから、後悔させながら殺す──まずこの矛盾を成し遂げる」
「 愛して、可愛がってから、酷く裏切る──」
なぜだか、ママの顔がよぎった。
愛して、可愛がってから、酷く裏切る。
パパのことなど知らないけれど、ママ──グラタンが、ときどきコラムを書きながらも、父の愛情に発作を起こして苦しんでいたことを知っている。
本来は幸福なものである恋愛に、発作が、なぜあるのかはわからないけれど……
これだけはわかる。
──好き嫌いは、恐怖だ。
恋は、恐怖だ。
迫り来る恐怖と同じように痛みを感じる。自分で抱えなくてはならない、誰にもすがれない、得体のしれない恐怖だ。
怖くて、どうしようもなくて、幸福なんて言ってられなくて、目眩がしたり、苦しくなったりする。
「幸福な感情が行き場の無い苦しみに変わるとき、憎悪へと転換される」
パパの声。
カチャッ、と音がして、フォークがまたケーキをつつく。
「あの呪いは生まれたばかりの赤ん坊を殺して生命の喜びの否定、それと……いや、食事中にする話ではないな。
──つまりは、生物の持つあらゆる喜びを恨み、否定することのために産み出されたわけだが──
そんなものを、大昔の人たちは戦争の道具に使っていた。昔、隣国などが投げ込んだものが、今でもあちこちに存在するんだよ、そして、強い力でもって今も44街を脅かしている」
「お姉ちゃんの、家に、居るのは──?」
「さあ、なぜ奴が、居るのかそれ自体は知らんが……」
コーヒーをぐいっ、と飲み干すと彼は席を立つ。
帰るらしい。先に会計を済ませてあるのでこれに問題はない、が、私は少し焦った。実はアサヒはまだ眠ったまま、そこに居るのだ。
「うぅ…………お姉ちゃん!」
男はちらりとこちらを見て言う。
「せつ──本当に来ないな、あいつ、彼女の代理係じゃ無かったのか?」
「せつ!? 代理係!? お姉ちゃんの代わりに交流したり、いろいろやってたって人!?」
「どうかな、迫害が露見しないように、作り上げられた幻だ」
「どおして、そんなに冷静でいられるの?──ハクナの指揮なら、ママが、居なくなったのも、知ってるよね?」
冷静で居ても、お姉ちゃんなら、堂々と悪魔だからと言うだろうか?
彼は何も答えない。
背を向けて去っていく。
窓ガラスの向こうに、赤いランプが点滅する。
店内が赤に染まる。
(……救急車!!)
特有のサイレン音が近付いてきて、やがて、すぐに遠ざかる。慌てて外へと飛び出した。
救急車はいない。
彼もいない。
カグヤたちもいない。
どくん、どくん、と心臓が脈打つ。嫌な予感がする。なんだろう、この気分。ゴミ出しに近くを歩いていたパーマのおばさんに駆け寄る。
「さっきの!」
「さっきの──? あぁ、見ていたが、家具屋のとこの婆さんだよ、どっか痛めたんだろ。もう歳だから」
「────っ」
本当に。
家を、なんだと思ってるんだろう。子どもを放り出してまでハマるのが、宗教なのか。
恋を、なんだと思ってるんだろう。身体を放り出して、ハマるのが、恋愛なのか。
「あぁあああぁああ──!! もう!!」
嫌い、を言えない気分のままで、言える言葉もなくて、なんだか、どうしようもなく、なんと表現していいかわからない気分になった。
「ぁああああ───っ!」
頭を抱える。頭がいたい。
「嫌いって言われのが、そんなに嫌? そんなに嫌われたくない? なんて独裁者! こっちにも嫌いになる権利があるんだ!」
目眩が、する。
「お姉ちゃん……」
泣きたい。
「うう……」
私、独りに憧れてるの、
といったから、許してあげた。
付き合わなくても死ぬわけじゃない。
でも、独りでいないと死ぬような子も居る。
わがまま言ってごめん。
好かれたいのは僕だけなんだ。
僕が、好かれたいのは
目立ちたいから。
いいひとに、見えるから。
人を好きになれるだけで
どんな悪人でも、良い人に見えるんだ。
だから、きみを使って
いい人になろうと思った。
あと目立ちたいから。
恋なんて、気持ち悪いのにね。
好かれたくない、好かれたくない、そう言って、きみは
壊れていった。
貰うこと、嫌い。
遊ぶこと、嫌い。
笑うこと、嫌い。
好かれることも、嫌い。
感情処理が出来ないのに、無理して、腕に包丁を突き立てながら笑って、
「私も好き」 って、精一杯言ってたね。
演技が気に入らなくて、好きなのかと問いただしてごめん。
きみが 持ってないもの
持ってるかどうかわざわざ改めて問いただして責め立てた。
好きなのか、
なんて別にどうでも良いことなのに。
無理矢理の笑顔さえ、
本物かどうかばかりこだわって崩して、責めてしまった。
本物かどうかなんて別にどうでも良いことなのに。
きみは包丁で、また指を切った。たくさん血が出ていた。
ごめんね。
愛されたいという気持ちが、
きみを苦しめているのに。
冷たい!
強く言い放った。
きみが変わってくれると思ったんだ。
好きになってくれると。
次の日、
首を括ろうとしていた。
きみにないものを問い詰めて
追い詰めた僕は、
きみにないものをまた問い詰めて、さらに追い込んだ。
そこまでして、好かれて、なんの意味があったんだろう?
きみは、やっぱり笑顔を見せながら「頑張るから」と言った。
恋愛雑誌を差し入れた。
『恋ができないきみへ』
『明日から変われる』
『気持ちから逃げないで』
『誰にでもできるよ、恋』
きみは、叫んでいた。
苦しそうに、もがいていた。
変わるチャンスを、感じてくれたと思った。
今日も叫んでいる。
きみの知り合いと付き合うことにしてみた。
モヤモヤから、恋を気づくのが少女漫画だ。
帰ってくると、きみは沢山の睡眠薬を飲もうとしていた。
ただ無表情だった。
僕は混乱して、君を叩いた。
ただ、それだけだった。
あれから
きみは、動かなくなった。
空を見つめたまま、死んだように固まっている。
否定し、理解出来ないと言ってさんざん貶し、雑誌とかで見下されたと思わせて、最後に、突き放した。これはたったそれだけの『俺』の話。
「一人でいいんだよ」
追い詰めてごめんなさい。
きみが、一番、笑顔になれるのは、独りなんだね。
だから、ドアの向こうから、そう言った。
きみは、ある日ふと目覚めた。
そして、ぼんやりした目をしながら、微笑んだ。
「私――独りに憧れてるの!」
頭のなかに、あの景色が映る。
足元に散らばった「愛してる」が乾いた景色となって、私を見下している。
その最低な存在を否定するような言葉は───時間が止まったような部屋の中に唯一動いている時間を象徴する。
唯一、全てを破壊する言葉だ。
愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる…………
「アサヒが、アサヒまで、居なくなっちゃう!」
思わず、店を飛び出してしまった。私に近付いた途端に、彼の様子がおかしくなってしまった。
コリゴリやスライムのあとで間近で見るとやっぱり辛くて、悲しい。
やっぱり、彼は私に近づいてはいけなかったんだ。
私は、彼に近付き過ぎた。
あの男も、そろそろかもしれないと言っていた。
マカロニさんが居ないと発現しないはず、のスキダだけれど、私だって専門家じゃないし、あのクリスタルに詳しいわけではない。もしかしたら何かの理由で彼にも変異をもたらす場合も考えられた。
アサヒが……
「アサヒが……」
アサヒがもしかしたらあの化け物に変化するかもしれない
。私に襲いかかろうとして知性や理性を失くしてしまうかもしれない。
──私は、そういう者だ。
人の心に干渉し、狂わせ、破壊する。だから、アサヒももしかしたら壊してしまうかもしれない。
ふと脳裏に、あのノートが浮かぶ。こっそりつけていた記録。
『あの人』が密かに、私に近付く人に油を撒いていた──
私に、近付くことを、阻止してくれていた。
「違う……アサヒだけじゃない、みんな、殺されてしまう……?」
いや。
私が殺すのか?
怪物になれば、それはそれで。ううん、まだ、怪物になってるわけではない。
「悪魔の仲間!」
──どうして私は、独りで居ることをやめたんだろう。
ずっと、今までのように、ただ悪魔のように、神様のように、44街を遠くで見守っていれば、それで良かったはずなのに。
あの、女の子も、アサヒも、短い間だとしても──いろんな思い出を私に授けてくれた。
ぽた、と肌に、滴が落ちる。
涙かと思ったがまだ泣いては居なかった。なんとなく辺りを見渡す。
空が曇って来ている。
ツンと冷たい空気が肌を包む。少し寒い。
月 日
また、人が死んだ。
月 日
また、人が、死んだ。
月 日
また、人が、死んだ。
おかしいと思ってあの人の後をつけた。
悪魔の仲間、って、言って油をかけていた。
月 日
吐くな、吐くなよ?
悪魔の仲間
私と話すと悪魔の仲間だと思ってしまう
らしい。
──『あの人』は、いつも密かに、私に近付く人に油を撒いていた──
私に、他者が近付くことを、阻止してくれていた。
だから私は、独りだった。
「……あ」
来た道を戻ろうと振り向いた先に、彼女は居た。
気付けばいつも、背後に立っていた彼女。真っ赤な傘をさし、そこから顔を覗かせる彼女。
振り向いた私と、目が合った「彼女」。
茶色く染めた黒髪。少し疲れたような窪んだ目、丸みを帯びた特徴的な鼻を持ち、 私にはあまり似て居なかった。
ニイイッと笑って、手にした灯油のボトルを見せ付けるでもなく、重そうに担いで、店に向かっていく。
「待っ───!待って!!待ってよ! 代理の私!」
代理の私は、ぴたりと足を止めて、冷ややかに笑った。
「──代理の私? 私の名前は、せつ。竹野せつ」
店に戻ろうと走る間、
せつはその場に立ったままで居た。
「あぁ──! やっと、私に会ってくれた!! ずっと一目見たいと思ってたんだ……! 君に会いに、隣国から遥々来たんだよ」
「──何を、言ってるの、そんなものを持って」
「悪魔の仲間を、殺しに。
君は誰とも会話せず何処にも行かずにずっと私のものでいれば良いのに。
なあ、なぜ私以外と話す?
私は、今更君なしで生きられない」
手から灯油のボトルを奪おうとする。せつは、おっと、とかわした。
「ここで蓋を開けて良いの? 道路には車もある」
「駄目。ねえ、なぜ──私の前にまで姿を現したの? 今まではずっと隠れてた癖に。私が誰かに会ったその日すぐじゃなく、日を置いて消していた癖に」
「なんのことか、わからないので、もう一度言っていただけませんでしょうかー?」
「──どうして、私なの」
どうして、私には代理が居たのだろう。おかしいと、カグヤたちも言っていた。普通はそんなものは居ないと。
「納豆を」
「はい?」
次第に雨足が強くなる。
ザアアアと滝のような音がする。風邪を引きそうだ。
「最初に納豆を食べた人って、すごいよね」
足元の水溜まりが、カラフルに電光掲示板を反射する。
キラキラして、まるで花火だ。お祭りのパレードみたいだ。
「納豆を最初に、よく食べる気になったなって、よくあんな気持ち悪いものを口に出来たよ。すごい。見た目も虫みたいだし、腐って気持ち悪いのに」
──納豆好きに喧嘩を売る気なのか? と思ってしまうが、どうやらせつは、真面目に言っている。
「納豆を最初に食べた人に、ありがとう。そう言いたいよね。まだまだ食べられるのに気付かれないものが眠ってるかもしれない」
「あなたは、何を、言いたいの」
月 日
悪魔の仲間なんて、間違い。
あの人は、聞く耳を持たない。
また、人が死んだ。
月 日
私が死ぬ人に話しかけていると
噂が立っている。
月 日
また、人が死んだ。
月 日
死は見えない。終わりが見える。
あの人が、悪魔の仲間だと思った人が、死んでいく。
「私? ただ私は、あなたという芸術を、自国のものとして飾りたいの。
ほら、私、隣国から来てるし──」
「そこに、私の、代理をする理由はあるの? 私が、なにかするたびに、あなたが話したことにして書き換え続けてきた意味があるの?」
せつは、傘をくるくる回転させて遊びながらしれっと言い放った。
「代理をしていた訳じゃない。私は、あなたになりたかったんだから」
「──意味が、わからない、私は私。あなたが私になることは不可能よ」
「案外簡単。首を切って、死体をリサイクルする。
実際に死んだ人と入れ替わる。
そうやって情報を操作して成り代わればいいの。
44街を乗っ取ることだって出来る。この国も、おかげで随分我々が住みやすくなってきた」
隣国──!
嫁市場に、手を貸した、学会と提携していたっていう隣国! せつは、隣国から来たスパイだったんだ。
「どうしてあなたが、悪魔だなんだ言われても、なかなか身動きを取らないのかって私は不思議だったけれど──」
すたすた、と彼女は足早に店に向かう。
しかしすぐにボトルを抱えて戻ってきた。
車があるということは大抵は持ち主がいる。
つまり、店に近付いていくにつれて、彼女が思っていたよりずっと人目があったのだ。
せつが慌てて走り出す。私も追いかけるが、途中で見失ってしまった。
「はぁ……はぁ……」
──遠くでは、恋愛狩りらしい拡声器からの声が響いている。
『我々は──このような恋愛と44街のあり方に、疑問を持っている!』
遠くから聞こえる拡声器が、他人を好きになることの不自由さを訴える。
他人を好きになることは、まだまだなにもわかっていない未知の分野だ。スキダが生まれる状況、スキダが暴走する状況。
『幸せになることは、必ずしも、恋愛でなくてはならないのか!』
『ではその、幸せとは何だ? あのクリスタルの物質が見せる幻覚のことか?』
『幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない! 恋愛を盲信するやつらにとって、
我々が不穏分子であるように!』
あの声はカグヤたちのもので、またスキダを集めてるんだろう。むしろ私たちが降りたぶん、自由にやりやすくなったかもしれない。
(戦う、しか道は無いのか……)
彼女らは仲間思いだ。恋愛以外の、誰かを想う感覚は持ち合わせている。しかしそれによりスキダが生まれるわけではない。
雨はいつの間にか小降りになっていた。
──走って、走って、店内に飛び込む。
服が濡れて少し寒い。
店内はガラガラで、そろそろ閉店しそうな空気を漂わせる。女の子が泣きそうな目で私を見上げていて、アサヒが床に倒れていた。
「よかった……そろそろ、しめるじかんだからって……」
カウンターの奥で、店員が苦笑いしている。ひいっ!
「ご、ごめんなさい今出ます!」
慌ててアサヒを担いで、女の子とともに店から出た。暮れてきた外。帰宅ラッシュであちこちから車が流れていく。
(私たち、何処へいけば良いんだろう。
家……かな)
急に、現実に引き戻されたような気分だった。
しかし都合が良いことばかりではないくらいわかっている。
もちろんあのままカグヤの家に居るわけにもいかない。恋愛総合化学会員じゃないからってだけではない。観察されにくいとしても、会員の家なんてハクナや、せつと距離が近すぎる。スパイがあの手この手で近付いてきたら何があるかもわからないのだ。
──ただ、なんにしろ椅子さんは迎えにいかないと。
「待たせて、ごめんなさい」
「あのね、お姉ちゃんが、戦っていたときは、アサヒが、わたしを背負ってくれたんだよ」
横から駆け寄ってきた女の子が、しみじみと話す。まるで元気付けてくれているみたいだ。そんなに、悲しい顔をしているだろうか?
彼女は、私が店から出た理由は問わなかった。
「そっか……良かった」
「うん」
「──前から思ってたけど、年頃の女の子なんだから、遠慮せずに悲しいときに悲しんだりしても良いのよ?」
「わからないよ、そんなの」
女の子はどこか達観していた。
遠くを眺めるような、大人びた眼差しを持っている。
「そう。それなら、いいの」
「お姉ちゃん──」
「何?」
「お姉ちゃん、泣かないで」
服が、濡れて、寒い。
日が暮れていく。このまま真っ暗になったら、今度は夜が明けていく。
通行人が、騒ぎながらクリスタルの話をしていた。夜中にこっそりスキダが打ちあがるのを見ただとか、クラスの子のスキダが告白で弾けて消えたとか。
カグヤたちの演説が反芻される。
幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない。恋愛を盲信するやつらにとって、我々が不穏分子であるように。
目元を擦りながら私はゆっくりと話す。
「──代理の私を、見たの」
「代理?」
「いつも、あの人って呼んでいたけど、私の代わりに、歩いて、話して、私になろうとしていた、さっき会った本人から聞いたの」
「それって──せつ?」
「どうして、その名前を」
「パパが、言ってた、迫害がわからないようにみんなに見せている幻が、『せつ』だって」
「うん……その通りだった。せつは、あの宗教がみんなに見せている幻なんだと思う。せつに話し掛けていれば私と話さなくていい制度があるのだとしたら、きっとそれは隣国の企みによるもの」
「企み?」
「悪魔の仲間、を殺していた。うちが悪魔だって広めたのもあの人たちだった」
誰と知り合っても、最後に怪物と戦うことになるのなら──あんな思いをし続けるなら、別に悪魔でもなんでも憎まれても嫌われても良かった。目の前から誰も居なくなれば、私が手をかける必要もない。
「せつたちは最初から、私だけじゃなく国を乗っ取る気でいた」
悪魔と呼ばれるだけでしか無かった私という概念そのものすら、変えてしまう気だということ。それは嫌われても好かれても関係がなく、居ても居なくても関係がないということだ。
「嫌われるのに絶好の環境だって思ってたのに……」
既に、私が嫌われていれば済む話じゃない。
「嫌われる必要があるの?」
担いできたアサヒの重みを感じる。胸が痛い。雨も降っていたし背中が中途半端に温い。
「今は──わからない。44街が、ずっと隠してきた真実が、結局、誰のためのものなのか。学会内でも意見が変わってしまっているみたいだし」
「──ん……」
背中に居たアサヒが、身動ぎした。
「アサヒ? 大丈夫?」
「ほら……今日は……タルタルつき……だぞ……ふふ……」
優しい声、誰かに向けられた声。
マカロニさんだろうか? 夢をみているらしい。
「タルタルが食べたいのかな」
女の子が言う。なんだか、ぞわぞわする。
「どう、なんだろうね」
アサヒは、他人を当たり前に好きになれる人。
私とは違うということを改めてまざまざと思い知る。
──彼と、私の絶対的な違いだ。
「そっか。他人を好きになる才能があるんだった……」
私は、椅子さんのことが好きだ。
人間が好きになれなくても、幸せなのに。
悪魔って呼ばれるなら、悪魔でもいい。
他人を遠ざけていられる理由があるなら。
他人に嫌われてでも、私は幸せなのに。
──他人を好きになれる才能があるのに、当たり前に横に並ぶみたいに話し掛けてくるなんて腹が立つ。
違う、私の幸せを、踏みにじるな。
人間と人間を、見せつけるな。
そう、思った。
そうとしか、思わない。
人生すべてをかけて、私は、孤独を守ってきた。44街を。
それで良かったんだと思う。
──なんだ、だったら、私が迷うなんて、らしくない。
私が、人間みたいに他人のことを考えるなんて私らしくない。
「──私──もし、これからアサヒがどうかなったって殺すよ。知らないから!
悪魔でいいじゃない!
嫌われることのなにが悪いの!
あなたになにがわかる!
私でもないのになんで私が叩かれたくらいで騒ぐの? 私のなんなの!
そのたびに私がたいした痛みを感じないのがバカみたいに!
嫌われて救われる人だっている!
嫌われてうれしい人だっている!みんながみんな、守られたいわけじゃない!
私……っ」
「椅子さんが、好きなんだろ?」
背中の重みが、ふっ軽くなる。
後ろを向くと、アサヒが立っていた。
はれやかな顔をしていた。
「──お前が、物を好きなことは、疑ってないよ」
「……アサヒ、起きたんだ」
「悪かった」
「──もっと、ギスギスさせようよ。
空気を悪くしても構わない、だって、他人を好きになる才能を見せつけられるほうが、辛つらい」
「まぁ、あれだけの力を、一人で纏めてるなら無理もないか……
気を失っていたけど、なんとなくわかったよ。人間に近付かれる度に、ああやって変異速度を速めてしまうんだな」
「──私と話すと、心を侵食される。
私はそっち側なの。私が干渉を受けたスキダが、侵食される。
アサヒは観察屋だし、別にどうでもいいって思ってた」
「そうか……ずっと、孤独だったんだな。怪物に変わるせいで、なにも好きな相手を、作れずに。
それなのに偉そうなことを言っちゃって」
「────」
「俺には確かに、他人を好きになる才能があった──それすら、忘れていた」
何か言おうと、拳を握り締める。
でも、何を言えば良いかよくわからない。孤独は悪いことではないのだから。
「嬉しそうだね」
「……しばらく、夢を見てたから。懐かしい夢だった」
「──マカロニさん?」
「いいや、違う。ただ、昔、学生の頃の同居人……なぁ、これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」
「うん」
「──そうか」
「これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」
「うん」
「──そうか」
「何を、考えてるの?」
アサヒが何かを言いたそうに見えて、私は言う。アサヒは少し気恥ずかしそうに答えた。
「北の国に向かうときに、あいつも連れて行けないかと思って」
「あいつ?」
「あの家に──居るって、言ってただろう」
「……え、あ、うん……どうして」
「なんとなく、なんだが、そうした方が、良いような気がして。
あの場に縛られてるのでなければ──」
あのときはいきなり椅子さんが動かなくなるし、私もいっぱいいっぱいで、あまり深く考える時間がなかったけど、そういえばあの子、いつの間にあそこに居たんだろう?
「そうじゃなくて、どうして、アサヒが、あの子を気にするの? 見えてなさそうだったけれど」
「夢で、同居人に会ったからかもしれない。なんだか、暗示的な感じがした」
「そのときの同居人って、マカロニさんじゃないんだよね?」
女の子が聞くと、アサヒは頷いた。
「元人魚だよ」
しれっと言われて驚く。
人魚!? すごい、今や絶滅危惧でほとんど人里に居ないのに。
「学生んときに、古いアパートで暮らしてて、部屋に入ったら居た」
「へぇ……なんでまた?」
私も見たことがない。
アパートで人魚が暮らせるのか。
「そこが建つ前は、人魚が住む湖だったんだが──人間が勝手に湖を潰してアパートを立てたせいで、そこから出られなくなったんだと」
アサヒが言うには、その人魚はヒレや尻尾があって陸地を動けず、綺麗な湖にしか住まない種類のために住み処もそこにしかない、その為にずっと湖の力が残るアパートの場所に留まったままでいつしか人間の形になって居たらしい。
「あいつら特に害もないし、悪いのは土地を強引に所有した人間なんだ。だから、一緒に暮らすことにした」
「アサヒにも、良いところがあるんだね」
女の子が淡々と言い放つ。
「仕方ないだろう、どうせ、昔も人魚の処遇は良くなかった。通報したところで研究機関で解剖されたかもしれないし…………俺にもいろいろあるんだよ!」
私はふと、夢のことを思い出した。
「その人、タルタルさんっていうの?」
「うわ、寝言いってたか?
いや、そいつはいつもエビフライばっかり食ってる気儘なやつだったんだよ。普段はとんかつソースとかマヨネーズなんだけど、たまにタルタルソースを作って……」
ってなんだよその目っ!
とアサヒがキレ気味に言う。
いつの間にか私も女の子も穏やかな目でアサヒを見ていた。
「いや、だってタルタル付きだぞ♥️って、優しい声だったから」
「タルタル付きだぞ♥️ って、やさしい声だった」
「タルタルソースは旨いんだぞ!」
よくわからないツボに入って三人でしばらく笑って居た。
通勤ラッシュも終わる真夜中。
そろそろベッドに入っても良い時間のはずだった。
立ち並んでいるビルが、あちこちに魚型のクリスタルを煌めかせる。
夜景に反射して、華やかに空をいろどる。
「うわぁ────ビルの向こう側は、こんな風になって居たんだ!」
私がはしゃいで、女の子も、きれいだねぇとはしゃいだ。
街全体が宝石みたいだ。
「これが44街の夜景名所、
『好きの輝き』だ」
「ダサい名前!」
「ダサい名前!」
「俺に言うなよ!」
知らなかった。
自分に向けられる狂気、怪物としか思って来なかったスキダだけれど、遠くから見るとこんなに、輝いて見える。
街全体がキラキラしている。
「そっか──観察屋は、ずっとこのキラキラを見てきたんだ」
「そうだな。俺が空を飛んでいた頃、一番……心を慰めてくれたかもしれない」
「なんかズルい」
私はずっと日陰側の情報しか知らなかった。あっちに近付けば、見えない何かや、怪物の魔の手にからめとられてしまうような気がした。
せつや街自体が許そうとしなかったかもしれないけれど。
それでも今、こうやって遠くから眺める景色は悪いものでもない。
『好きの輝き』は、少し離れて見なければわからない。
そういえば近付いて、近付かれてばかりで居た気がする。
この景色と、同じだ。
私は、ただずっと、こんな風に周りから離れて、景色が見たかったのかもしれない。
「リア充、撲滅☆」
声がかかり、頭上を見上げると、塀の向こう側にカグヤが座っていた。
「カグヤ……」
「何してるの?」
「好きの輝きを見てた」
あんたらも案外ロマンチストなのねとカグヤが笑う。見飽きているとばかりのあしらいだった。
っていうかカグヤったらなぜ塀の上に居るんだろう。
「──カグヤの方は、みんなは?
」
「あー、それが、さぁ」
カグヤが塀に座り、言いにくそうに後頭部に手を回しながら言うのは、ちょっと意外な話だった。
「今、私ら揉めてる」
「え、誰と」
「観察屋」
「観察屋と!?」
アサヒが反応する。カグヤはその勢いに少し驚きながらも答えた。
それもその通り。アサヒは元観察屋だ。秘密を知りコリゴリに消されるところだったように、実は今も追われる身で周りの情報には敏感である。
「どういうこと!? 話して!!」
「いつものようにあのツインテの子……
網端めぐめぐっていうんだけど。
今、塀の向こう側の公民館のとこに、観察屋と市当局が来て取り調べみたいなのしてるの」
「なにか、観察屋を傷付けることをしたの?」
カグヤが首を横に振る。
「──あの子、盗撮した素材から
部屋の中や、生活をアニメにされてるらしくて」
そういえば私も、バラエティーとかの下地になったことがある。
あれはBPO問題になったんだっけ。
「観察屋が撮った写真を、外国に委託してるアニメ会社とかで使ってるのね、それで、そこの愚痴を言ったのよ、それで……作家から会社の名誉毀損だって。その作家が親」
なんじゃそりゃああ!!
「っていうか、親が? 名誉毀損!?」
「そう! 作家の名前に泥を塗ってありもしない噂を立てられたっていって! めぐめぐが素材になることよりも自分の名誉が毀損されることを考える親なの」
うーん……
親ってそんなもんなのかなぁ。
「ちなみに新刊は『今日子の婚姻届』
厄介からの次なる依頼は、恋にまつわる「呪い」の解明? だって……」
「煽りに来てるね」
私は率直な感想を述べた。
「だね……対立を煽りに来てるよね。外面だけがいいから……」
みずちも苦笑いする。
「っていうかむしろそのタイトルって私に喧嘩売ってない!?」
命がけでやっていることを、仕掛けはこんなものと暴くタイプのお話が後味が悪くて嫌いだった。
美女と野獣の野獣が人間になったのがショックだったという子どもみたいに。その人のかけてきた人生を、そんな風に部外者が勝手に決め付けてしまうのが。
なんだか赦せなく感じる。
そうまでして、賢くなりたいのか、と。
女の子が少し悲しそうに質問する。
「カグヤたちは今、その、取り調べを待ってるの?」
「そ、私や、捕まってないみんなは公民館周辺に集まって、めぐめぐが出てきた瞬間に抗議しようか話してるとこ。公民館はよく学会も定例会やるしね」
そうなんだ……
カグヤは肩に網を抱えたままニッと笑った。
「まっ、それまでは、漁だよ☆」
ハニートラップ漁。
みんなになぞのこなを撒いて、寄ってきたスキダの群れを網で囲んで絡めとる。遠くの方から、仲間のものらしい、急かす声がしていた。
スキダは海の魚ではなくまるで空気よりちょっと軽いガスのように勝手に浮いているものなので、囲んで引っ張ればついてくる場合もある。
かといって空高く飛ぶことはなくて、人間のそばに回っていた。
「そっか」
「──あなたたちはこれからどうするの?」
カグヤに聞かれて、私は胸を張って答えた。
「椅子さんを、迎えに行く! それから、私の家に帰るんだ!」
真夜中。
星ひとつない空の下、私たちはまずカグヤの家を目指した。
夜中に訪ねて行くなんてという思いはあったし、カグヤの祖父はわからないが祖母が関わるのを許してくれないかもしれない。
あの柔らかい笑顔が、会員かどうかでコロッと変わってしまうことに、少し寒気を覚えた。カグヤの祖母にじゃない。
心は条件さえあれば、それだけすぐに変えられるものだということに。
でも、とにかく早く、椅子さんを迎えに行きたい!
歩いて、歩いて、歩いて──
「ねぇ、アサヒ」
30分くらい道を歩いて、私はふと思って居ることを言う。
「お?」
「私たち、ここまでさっき、トラックの荷台に乗せてもらってたよね?」
ちょっと疲れてきた。
30分で音をあげたとか言うよりは、そう、歩き始めて思い出したのだ。
「あっ……」
女の子とアサヒが声を揃える。
しかも、追跡を逃れようと、かなりがむしゃらに走り抜けてるトラックに。帰りも歩くとあと一時間か二時間はかかりそうだ。
そしたら、もう完全なる就寝時間である。
「つい、行きの感覚で捉えてたけれど、徒歩じゃん!!」
「うおあ、そうだった!! 俺もいつも上空を飛び回っていたから地上を歩く感覚に鈍くなっていた!」
「私もだよ、いつもあのビルの影になってる坂道の周辺しか出歩かないから、こんな遠くまで来たのが10年ぶりくらいだった!」
「ママと車で来ることが多くて……でも歩くのかな? と思ってた」
女の子がはっとする。
私も笑った。
アサヒも苦笑する。
「──これからは、こうやって、ここまで来ようかな、そしたらきっと歩き慣れてくるよね」
誰にも関われないのなら、外に出ても意味なんてない気がしていた。
『悪魔』には、何をするにも代理が居て──することを横で同じように真似する『代理』が常日頃から貼り付いている。
「そうだね」
女の子が首肯く。
「散歩も悪くないと思う」
アサヒも肯定してくれた。
チョコレートを買えば、すぐそばで代理も買い、手紙を出せば、代理も手紙を出す。誰かに話せば、すぐそばで代理が代弁して市民に伝える。
それが私の、いつもの日常。
例えばこんな私の話を語ると即座に似た内容を語る人が現れる。
私がすること、私が話すことに『代理』が存在している。
私が、街に私の存在の証拠を遺す代わりに代理が存在して、行動している。
あの家の中しか私がいられない。
それが、私の日常だった。
「じゃあ、みんなで行こうか」
──けれど、 本当に自分の為だけにすることは、誰にも止められない。
キムやスライムの気持ちと戦ったときにも、代理は居なかった。
基本的に、何かせつに利益があるときしか代理をつとめないのだろう。
せつがいなくなる時間があるんだって、考えもしていなかった私が変わっていく。
帰ってきたら、自分の為だけに『好きの輝き』を見下ろしに行くんだ。
そろそろ何処かで休みたい、と感じ始めた頃、ようやく見慣れた道が見えてきた。
カグヤの家、といえば、カグヤたちは元気にしているだろうか……?
そろそろ公民館に向かったかもしれない。
カグヤの家の前に立って、私は端末から時間を確認した。
すでに明日が来そうだ。
さすがに訪ねていけないなと思っていると、ふと、何かが聞こえた。
思わずアサヒと女の子に、何か話したかを聞く。
しかし何も言ってないらしい。
──人の子よ。
「……!」
──人の子よ。もうじき、時が来る。そのとき、そこの者は変わる……しかし怯えていては、いけないよ。
「椅子さん?」
椅子さんの声だ。
私はちょっと嬉しくなりながらも
カグヤの家を見つめる。
椅子さん……椅子さん、椅子さん。
だけど、なんて言ったの?
振り向くと、女の子がアサヒを見ていた。
「アサヒ?」
「──っ」
アサヒは頭を抑えながら、何かを耐えているみたいだった。
「アサヒ…………」
少ししてアサヒは無言のまま体勢を戻した。
あれ? なんだろう?
アサヒの目付きが、違う。
何だか──
「えっと、大丈夫?」
女の子が聞くと、アサヒは無言のまま頷いた。いつもなら、何かしら喋りそうなのに。
「アサヒ、だよね?」
なんだか違う人みたいで、ちょっと怖くて、私は思わず確認した。
アサヒは何も言わず、ニッコリと笑う。
「ねぇ──ねぇ、アサヒ!? アサヒ……あなたは、アサヒだよね?」
なんだか不安で、肩を掴んで話しかける。
「──ew.」
「あ……アサヒ……」
「y^estaeweme」
──違う。
アサヒじゃない。
「……ウフフフ。ウフフフフフ」
「────あ……の……っ」
あの子だ。
「──普通に、コクってやるのも良かったのだが。
この者には、なにやら。少し、通ずるものがあってな」
アサヒの姿で、あの子は笑っていた。
「ウフフフ。姫。会いたかったよ、姫」
姫──?
嬉しそうに、アサヒの姿のその子は無邪気に飛びはねて私に抱きつこうとする。
「どうして、この者が、姫と対話することが出来るのか──ウフフフ。
姫、驚いておるな。姫の前に以て、
『孤独』を差し出す者は久しくおらぬから、少し気分が良い」
アサヒはクスクスと笑いながら、身体を確かめるようにさする。
アサヒのことだろうか?
彼の孤独を、私はほとんどは知らない。マカロニさんが誘拐されたことすらほとんど断片を聞いたに過ぎない。
「私はいつでも──孤独を差し出せる者を、見ている……」
孤独を差し出せる者。
44街に伝わるというあの昔話を思い出す。
村人たちから突き放された、孤独な存在。村人たちから同じように突き放された孤独な村人とともに、長い眠りについた、44街を見守る神様。
「ありがとう……」
なんだか言いたくて思わず口から出ていた。
「『私』と話しに来てくれたんだ」
白くてふわふわした髪、優しい声。なぜだかそんな姿が脳裏に浮かんだ。
「──コク?」
けれど、不思議な言葉がひとつ。
普通にコクってやるのも良かったが、って言っていた。
「──パパも、そんなことを言ってた……アサヒがコクってからではおそいとか」
女の子が冷静な口調で呟く。
コクる?
告白する、ではなくてコクる。
「もしかするとあの怪物と、コクる、には関係があるのかも」
(だとすると、何かしらの理由で、
すぐに怪物にしなかった──?)
「怪物になってからではおそい、みたいないみなら通じる気がする」
女の子も頷く。
「うあーっ、なんか、今更緊張してきた!」
叫びだしたい気持ちで、私は顔を両手で覆う。道端。しかしこの辺りは真夜中に、ほとんど人がいないのである意味安心だ。
「姫って──! 姫に会いたかったって……嬉しい」
あの子は不思議。
理屈ではなく、嬉しいと感じてしまうなにかが、私でさえ思わず跪きそうな、圧倒するなにかがある。
あれが、力────
この感覚が好かれる喜びのようなものかは私にはわからないけれど、あの子が居る、あの子が私と対話をして嬉しいのが、すごく尊いもののようで……一度に考えると混乱しそうだ。
──だけど、孤独を愛するのだとしたら、私は、周りのちかしい人間に、このことを何も言わない方が良いだろう。あの家に居た家族にも。
「ん──?」
少しして、アサヒが気が付いた。
「あ、あれ? 寝ちまったのか……」
「おはよう」
私はとりあえずは何も言わず、挨拶をする。女の子もそうした。
「おはようアサヒ」
「俺──いつ寝てたんだろう?」
「この辺りにきたくらいで、いきなり爆睡してた」
私が言い、女の子がそうそう!と首肯く。
カグヤの家の近くでしばらく話して居ると、ちょっと小腹がすいてきた頃に、声がかかる。
「あれー? 三人とも、早起きだね」
帰宅したらしいカグヤだった。
早朝。
カグヤたちを追っている万本屋北香が、
観察屋のエリートの一人……同僚から連絡をもらったとき、彼女はまだマンションの自室で目覚めてパジャマ姿のままだった。
昨晩はいろいろとあったが、無事にあの三人を誘きだすことに成功した。
(ヨウさんの言った通りだ。盗撮をアニメ作品として販売すれば何ら問題にならずに情報を利用出来る! こんな抜け道があったとは)
ハクナの一人、そして作家である『ヨウさん』が、メグメグの抗議やたちの活動を快く思ってないのは知っている。
だからこそ、ヨウさんはこうして公に示したのだ。『止められるものなら止めてみろ、世界は我等の味方だ』と。今もまだ公民館の一室で取り調べが続いているものの、彼女は一度、交替のものとかわり仮眠と着替えをしに帰宅した。
《アサヒの身体が、悪魔と何らかの関わり
を持つ異形に乗っ取られているように見えたんです》
「なんだと……それは本当か」
《ええ、一瞬でしたが。そして悪魔のことを姫、と呼んで居ました》
姫────か。
もしかすると、もしかするかもしれない。
創立当初の資料のことを北香は知って居る。
今や、いかにも怪しい恋愛総合化、を掲げる団体の犬をやってはいるけれど、今の会長のことは少し疑問に思っていて、創立当初の資料を漁ったのだ。
そこには44街の神様信仰の話があった。
姫──もしも、あの神話の続きがあるのなら。彼女たちに、なにか意味があるのなら……
《悪魔が、また犠牲者を生むのでしょうか、監視を強めたほうが?》
「待て。私が会長に聞いてみよう」
あれは、ハクナたちのほとんど、恋愛総合化学会員のほとんどが今や悪魔と思い込まされている存在。
それが、「姫」と呼ばれる。
なにより、なぜあの子を、我々が日頃から見張るのだ?
せつ、など用意して。
面白い。
面白そうな、なにかが間違いなく絡んでいる。
(学会当初と、変わった現在────私は、どちら側に、つくのだろう?)
脳裏に過るのは、幼い頃のクラスメイト。
倉庫のなかで恋を知るために殺した犬。
つがいを信じるものたちが支配する教室。
気持ちが信じられないものたちが、異端視され、排除される空間。
忘れた、わけじゃない。
私にも、他人の気持ちなどわからない。
(会長のいう、運命のつがいが本当にあるのなら──どうして……あの子は犬を殺さなくてはならなかったんだ。恋愛なんて感情が実在する確固たる証拠もないのに)
20212/2316:53
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