椅子こん! 

たくひあい

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椅子こん!7「カグヤの家」

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「会長────」

 会長室がノックされたとき、会長はお茶を飲んでいた。仕事の合間を縫った束の間のひとときだ。まだまだヒューマン以外の種族や、異常性癖の持ち主の洗い出しは終わっていない。
「入りなさい」
会長は目の前のドアを見ながら淡々と呟く。
「戸籍などを調べに資料室に行っていたのですが、こんなものが────」

 目の前に居る男の表情は眼鏡によりよく見えない。彼は分厚い一冊の本を会長に向けた。












 むかしむかし、あるところにキシモサマがおりました。

 もとをただせば志半ばで不幸な死を遂げた女でした。
女はあらゆるものを壊されあらゆるものから否定されたので、
■■■■■■■■■■■■■
■■■■■って、■■■■■■■■■■■しまいました。
しかしながら■■■■■■■■■■■■■■■■■■ったため、■■■■■■■■■■が、■■■■■■■■■ったのです。

 それをキシモサマに魅入られ、
あらゆるところで他人の子を食らったので、呼称としてキシモサマと呼ば
れておりました。
村人に怒りを鎮めることは出来ず、
何をしたところですべて■■■■■■■■■■■■■■■■■■しました。
なぜなら彼女は■■■■■■■■■■■■■■■■■であり、それこそ、村人が元気に幸せそうに結託していたためです。


 誰にも彼女を救うことが出来ませんでした。
彼女が他人の子を食らうことを止められませんでした。それはそれは長い年月。
彼女は泣き続けました。ずっと嘆いていました。彼女は悲しい声で泣いていました。
彼女の泣き声は子どもにはよく響き、
聞いた子どもたちは浚われてしまいます。
 村人は子どもが欲しいのだと考えて、毎年、子どもを山に捧げました。

しかし、彼女は■■■■■■■■■■■だったため、■■■■■■■■■■■なのですから。■■■■■■■■■■を、■■■■し、数年だけ怒りを鎮めること
にして、殺しました。



むかしむかし、
誰からも愛されず、誰からも認められない少女がおりました。

「泣いてるの? 何が、悲しいの?」

山に捨てられた彼女は、キシモサマに会いました。
キシモサマは泣くだけでしたが、すぐには彼女を食らいませんでした。
なぜなら、怒りを鎮めることに躍起になる村人と彼女は違い、なぜ悲しいのかを聞かれたのは何千年振りだったためです。

──そう。なんだ。私もね、誰もいないの。周りに、誰もいないのよ。

 彼女はあまりに淡々と自分のことを話しました。
怖がることもなく、臆することもなく。
彼女にはわかりました。
痛みが、苦しみが。自分のことのように。
キシモサマはずっと存在するだけでとても苦しんでいる。


──私にも、好きなものも、好かれることも、
なにも無いのよ。

 少女には好きなものも、好かれることも、幸せそうにすることもなにもありません。
村の貴重な男手として長男が優遇されるので彼女には期待されることもないので、
生れた意味がありません。
かといってこれからやりたいこともなく、
家は貧しく、ただ孤りで消えていくのみでした。


──なにかを好きな人が、妬ましいね。
なにかを期待し続けられる人は、憎いね。
生きてても、出来ないなら、どうして
私もあなたも、生れたのかな。
とても不公平だわ。
キシモサマは、ずっと頑張ってて、すごいね。


キシモサマは彼女に聞きました。

お前も捨てられた。
自分とは違うのだ。
お前にはまだ未来があり、幸せがあるかもしれない。かもしれない考えることが出来るだけで自分とは違う。妬ましい。

──うちで、期待されるのは長男だけよ。
長男以外は力を持つだけでも許されない。
私は山に来るまでに勉強をとっても頑張ったのよ。 
 けれど、父様が女が字を学ぶな、家事や裁縫をしろって言ってこうやって死ぬの。
やっぱり私はそれ以外に価値がなかった。
だけど、やっと良いことがあった。

 キシモサマは少女の話を珍しく、じっと聞きました。彼女がまだ村の女だった頃
もまた、彼女に価値はなかったのです。


──他人の子を食べても、
ずっと、また、なにかを好きな人が、結託してあなたを責める。
そのたびにあなたは苦しむわ。

 少女はキシモサマだけが、味方であると理解しました。
なにかを好きな人は、なにかを好きにすらなれなかった人をまるで人ですらないような目で見てしまう。

──私も、長男になれず、勉強も許されない、好きなものも、好きなこともなにもかも奪われた。きっと更に頑張っても痛い思いをするかもしれない。
私の持ち物も全部長男に渡るのでしょうね。



「あなたは、私を必要としてくれた」
少女は幸せそうに、そしてその幸せがキシモサマの為であると言いました。

──あなたは他人を幸せに出来る人。



キシモサマは、彼女の好きなものと引き換えに、彼女を食べずにずっと山で暮らしま
す。


 やがてキシモサマは愛情深い優しい神様として、村人たちに崇められました。

「まぁあ……44街にまだこんな古い本があったなんてね」

「昔話です。フェミニストの肩を持つわけではありませんが、この時代、女は価値が低く、長男は働き手として優遇されるも、
女は家事だけをさせ、恋愛というのも家庭の繁栄の道具でしかなく子どもが生まれても売りに出されて居ました。
──好きなものと引き換えに……つまり、キシモサマに与えられる幸せ以外と引き換えに。どのみち誰からも認められない、価値がない為に苦ではなかったのでしょう。幸せになって居ますし彼女は幸せになったとも言えますね」

「……スキダの、怪物化」

好きなものも、幸せになることもなにもかもが蹂躙されつくしているとしたら──

「──総合化学会には、
人間の幸福から人間を幸福にする、魔のものは恋愛による幸せで遠ざけられるとしか伝えられていません。
これも二人が出会ったことによる幸福を書いていたともとれます」

「そうとも、解釈出来ますが……」

眼鏡が苦々しい顔をする。
会長はあわてて笑顔に戻ると釘をさした。

「とにかく、このことはまだ外部には内密に!」














「いけないな。こんなにばらまいているのを誰かに撮られれば、迫害が事実でないと判断される可能性の方が低い。バレてしまうじゃないか」

 男? は抑揚のない声で呆れながら、部屋をぐるぐると一周する。部屋の中はあちこちが荒れており、足の踏み場がかろうじてあるような状態だった。
 コリゴリと椅子を大事そうに抱えて眠る彼女 を交互に見て、まずは彼女に声をかける。

「こっちはまだ元気そうだな。ハハッ、コリゴリがこんなんなってるのは、やっぱり、『奴』が現れたか……? 
って、聞いても寝てるか……ったく、相変わらず気味の悪い部屋だ」

 とにかく、と彼は改めてコリゴリを見る。それから懐に忍ばせた拳銃を取り出す。恐る恐る、さっき後を追って部屋に入り壁際に隠れているアサヒたちは、動くことも出来ないままそれを見守っていた。

「コリゴリが何を見たかは知らないが、此処でスキダを発動してもお前程度の器じゃ、このザマだ……ハッ、情けない」

 アサヒは、彼の声を体温が急に下がるかのような、生きた心地のしない気持ちで聞いていた。気付かれない内に退散した方が良いのかもしれない。

(お前程度の器? 何の話をしているんだ──?)

 そっと壁際から身を乗り出す。
コリゴリが倒れている。
ほとんど生気を感じない。腕や体のところどころが中途半端にねじまがり、人間と怪物が混ざるかのように奇妙に変形していた。スキダを発動して怪物になってしまった、ということを指すのだろうか。

「紙と、何か目覚めさせる対象、を見付けてしまったかな? コリゴリがお嬢ちゃんの趣味には、見えないが────いや、どうかな、案外……
『あいつら』が妬ましく思う程度の、仲睦まじさがあったのかもしれんな?」

 アサヒは何故だか、ビクッと肩を震わせた。

「となると、いやはやこの地域に『脳筋』を配置したのは失策だったか……
やつには孤独というものがまるでわかってないのに」

 ぶつぶつと呟きながら彼は提げている袋から更に何かを取り出す。油では無さそうだった。それをポケットにおさめてから、躊躇いなく拳銃をコリゴリだったものに向ける。

「証拠隠滅の手間を取らせやがって……ほうら、お前ら、『残念なエリート』だ!」

 額に穴が開いているので、多分一度撃たれている気がするが、彼は胸に銃弾を放った。振動、音。
ぱしゃ、と水溜まりのように血が跳ねる。

───にしても、お前ら?
 そういえばとアサヒたちが足もとの紙の周りをよく見ると、得たいのしれない人型の小さな何かがあちこち蠢いている。
それらの多くが残念なエリート、に向かって集まっていく。

「せっかくエリートになっても、好きなヤツからは愛されない。その上此処で怪物になったから余計に嫌われただろうコリゴリにお疲れ様でしたを送ろう!」

 男は急に、歌でも送りそうな朗らかさで言い、手についた血で近くにあるわずかな紙全体を使い何か図形を書き込む。
鳥居か家の屋根?  独特な何か建物のようなそれだった。

「『そいつ』を食ったら、『そこ』から家に帰るんだな! そうすれば今は見逃す」

 小さな何らか、は集まって来るがその男を攻撃することは何故か無かった。
コリゴリに向かっていくと、嬉しそうにむしゃむしゃと実に良く食い付き始め、そして少しずつ消えていく。
『そこ』に帰っているのかはわからないが……
 紙に書かれた大きな家が、少しだけ光っていたような気がした。



 アサヒと女の子は混乱していた。
こいつは誰で、なんなのだろう。

「椅子なんて大事そうに抱えちゃって……まぁまぁ……誰のことを想っている? 俺ではないのか?」

男はニヤニヤと彼女を観察する。

「気に入らないんだよなぁ」

椅子を彼女の手から引っ張ろうとするが、彼女も大事そうに抱えるだけあって、なかなか引き剥がせない。
しばらく揺さぶる後、椅子を引っこ抜いた彼はその場に椅子をたたきつけた。

「人間を愛せよ? 椅子は人間の代わりにはならんぞ」

 椅子が気に入らないのか、強めにけりを入れ、ゴミ箱に投げつける。椅子はゴミ箱には入りきらない為、跳ねて床に戻った。
「汚い椅子だな。血まみれじゃないか」


 隠れて見ていた女の子は小さく許せない、と呟く。アサヒも唖然としといた。
けれど物は物であり、人は人であるというのはときにこういった現実を突きつけてくる。

 椅子が無いまま倒れている少女は本当に疲れきっている様子でピクリとも動かない。
「あー、ムカつく。家族揃ってムカつくやつらだ」

 そのまま、彼女のいる場所を通りすぎてやや焦げ付いた部屋の方に歩いていく。そして机の引き出し、棚、クローゼットなどを次々開けて中を確認した。

「あやしいものは…………まあ、ないかっと」

 彼は安心したように窓際に向かう。そこには先ほどから待機するヘリが居た。

「よーく撮影しておいてくれ。これが彼女の部屋だ。残念だがどんなに燃え、荒れようと、撮影はやめないぞ? ふふふふ……
むしろ炎の中のお前にはとてもそそられたし、意欲がわいたんだよな、火事と少女──是非次に作る映画のネタにさせてもらう」 

 ヘリに言い聞かせると、それに強引に飛び乗ろうとして、何かにつまづく。
足元には神棚のような物が転がったままになっていた。

「痛い……こんなもの、片付けて置けよ!!」

彼は短気らしい。
その場ですぐに叫び散らした。

「──チッ、そんなに良いのか、孤独が!! 
そんなに俺はその器じゃないのか!? 神様なんて居ないんだよ!!
居るなら何故俺には救いをもたらさない!? 
 
その器じゃないから愛せないって!!こんなに俺も孤独を理解しているのに!!現に、お前らが恐れているスキダに成り変わることもないだろうが!!!

恋をして他人が怪物に乗っ取られる!? そんな馬鹿げた話があるか!?
お前の家族だって皆単に気が触れただけだろう! そうなんだよ!!」



 肩で息をしながら、彼はやっと落ち着くとヘリコプターを出来る限り窓際に近付けて飛び乗った。















「ちょっと、言い過ぎじゃ無いですか?」

 男、が『部屋に』 戻ったタイミングでちょうど恋愛大好き会長、と彼が呼んでいる学会長が部屋を訪ねて来た。
火事だろうが中で誰か暴れようが、大事な書き物をしていようが、常に本部の観察は怠っていない。

「これから恋愛をする人たちが、あなたの言葉で傷付きます」

「だからどうした!」

男の決意は揺らぐことがなかった。

「ちょっと泣くだけで済むやつと、
これから先未来の無いやつの痛みが同じだとでも言うのか?」

会長には彼のことがわからない。
悪魔の家に入り浸り、悪態を吐き、油を撒いて帰る、頑固な鬼のようだった。

「ずっと──あの家の者が納めるまで、長い間多くの土地が食われた。孤独を馬鹿にし、孤独を否定し、多くの者が他者と生きる為に戦ってきた。
俺だって他者と生きる為に戦った!

だが『それとこれ』とは、話が違う。
優しい言葉なら傷付かないのか?
今お前の優しい言葉に、俺が否定されたと感じたが」

会長には、彼のことがわからない。
だから気分が悪くなってしまった。

「あなたって最低のドクズですよね」

男はしばらく反論を考えてみたが、やめた。

「コリゴリがアサヒを取り逃がした。
夜になるから引き上げたが……アサヒが『コクる』までにはどうにか捕らえねば! コクってからでは取り返しがつかない」

「単に、貴方は、他人が怖いのよ」

 会長は彼の考えを見下していた。
恋愛は何があっても絶対に否定してはならない神にも等しい、全能感に溢れ、祝福されるべきものだからだ。

「俺は優秀だ。他者など怖くはない。
だから寂しさもない。
だが、奴はそのような器ではなかったのだよ。だから、コリゴリはコクった、コクって頭が馬鹿になったんだ」

会長は頭を抱えていた。
ちょっと始末してきただけでまるで大事のようにいばる。他人を恐れて妄言を吐くだけの情けない人物。
学会員ではあるものの、恋愛大好き会長と彼の意見は、平行線のまま対立を続けているのだった。

「コクるだの、憑かれるだの、本当にそのようなことがあるわけがないでしょう?」

会長は資料室で見た昔話を思い出す。
44街に古くから伝承されたものらしいが、やはり恋愛の素晴らしさを語っているようにしか思えないのだ。

「二人が出会い、恋愛をして世界に平和が訪れた、それが昔からある話では?」

「ああ、資料室の本を読んだのか……」

彼はちょっとだけ落ち着きながら言う。

「最後だけ読むとそうともとれるな。
だが、どうしてあの家が、家族やきょうだいすら『中に入れない』と思う? 

スキダに妬まれコクられて死んでしまうからだ」

「そういえば貴方、あの家の母親をご存知なんですよね? 我々が観察している──」

 彼女は思い出す。
確かに、10年ほど前、悪魔と言い触らして、44街が直々に「悪魔の住む家に他者が近付かないように」とお触れを出した

そして今もなお、観察屋やハクナが徹底的に監視している状態だ。


「ああ──マドンナだよ。美人だったなぁ……今は各地を点々と飛び回りながら忙しくしているらしいが……元気かなぁ……イケメンを否定するのが楽しいのかと聞かれ『私も美少女って言われたことくらいありますから!』はなかなか痺れたよ……」


「はぁ……」

あきれた目をする会長。
こほん、と咳をして彼は仕切り直す。

「あの家の者がコクられずに済むのは、自己を否定し孤独を愛するから。ある種の悟りだよ」

「自己否定……」

 スキダが妬む、などという話は初めて聞いたことだった。
彼女悪魔が、物心ついたときには独りで暮らす理由。それがまさか、あのスキダに関わっているとは。


「ただの雑魚スライムですら、
彼女を愛そうと狂暴になってしまう。
または──スキダの『生きたかった』執念、呪いをそのままかぶり皮肉な道化を演じ、コクって、狂ってしまうんだ」

「はぁ、仮に、そうだとするなら、一体なぜ──孤独を愛するスキダが……」


「『お前が幸せになるくらいなら』自分が彼女を愛する方がまだ孤独がわかる、ということかもしれん。
奴は多分、幸せなまま、幸せになるやつが許せないんだ……」

「だから……コクって、身体を奪う……」

「その点俺は違う。家族は死んだし、常に独り身だ。生活はこの泥商売で安定している。愛されるより嫌われる方が多い」

「でも、本命に好かれないんですね」

会長が吹き出す。
「やかましい!」と男は怒鳴った。

「例え彼女や、お嬢さんに嫌われようと今後もハクナの指揮は続けていく」













 誰かに呼ばれたような気がして、ぼーっとしたまま目を覚ます。視界いっぱいに、アサヒとあの子が映った。
身体中が痛くて動かせない。

「痛い……」

椅子さんが見当たらない。
椅子さん……あの男が投げ飛ばした。
はやく、無事を確かめなくちゃ。
はやく、会いたいな。
頬に雫が伝う。

「大丈夫か!?」
アサヒが慌てたように私を覗き込んだ。
「痛い……痛い」
痛い。
口にして、やっぱり痛いと思った。
「待ってろ、病院に……」
アサヒが何か言うが、よく聞こえない。苦痛で苦笑いのような半泣きのような顔しか出来ない。
「痛いよ……痛い……他人が、他人を想う気持ちが、痛い……痛いよ……」
 女の子がしゃがんでじっとこちらを見ていた。無事で良かった。
「病院にいく?」
近くで聞き取りやすく言われて首を横にふる。
「そんなに深くないから……大丈夫。私、傷なおるの早いんだよ」

 身体を起こそうとして、全身に激痛が走った。二人の優しい顔を見ていたと同時に、スッと何かが入り込むような、何かが目覚めるような、不思議な感覚で、発狂した。

「私、悪魔なんだよ!! 悪魔に優しくしないで! 私に近付くな!! 許さない、許さない、許さない、許さない、お願い……私、」

 私が何を言っているのかはわからないけど、だけど私はさっきまでの痛みが嘘みたいに強引に身体を起こしていた。

「ああああああああ────
ああああああああああ───────


独りにして、独りにして独りにして独りに……

「どうしたんだ?」

アサヒが驚いている。女の子はじっとこちらを見ている。
私にも、わからない。
だけど、わかる気がする。

「お……お願い……私……私」

私の目の前に、女の子が立っている。あの瓦礫の下に居た子ではなくて、もう少し、中学生くらいの子だ。顔だけが、ぼやけたままわからない。
背中に羽が生えている。

「ああぁああぁああぁああぁああぁああぁ……」

私がうめくと同時に、女の子は胸を抑えて泣き出した。
透けた体は、私と重なっているかのように見える。

「────ああぁああぁ」


 出来るだけ意識を保とうと思いながら、一歩前に踏み出す。
その子に触れたら何か変わるのだろうか?
知らない子だという気がしない。
でも、わからない。

「お願い……独りに……独りに」

 その子が私の手を引いて走り出す。
私はいつの間にか近くに転がった皿を手にしていた。

「アハハハハハ!!!」

アサヒたちはびっくりしている。私は繰り返した。

「お願い、よくわからないけど、独りになりたいみたいなの」

私が言うが、アサヒたちは「何を言っているのかわからない」という顔をしている。

「ほら、そこに居るじゃない、女の子が……驚いている……こっちに来ないでって、怖がってる」

「え?」

 もう一人の女の子がきょとんとこちらを見た。もしかしたらアサヒたちにはわからないのだろうか?

皿が放られる。

「アッハハハハハ!!!! みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね!!!」

「他人を想う気持ちが痛い。痛い! 痛い……! あれに触れると」
「「殺したくなる」」


自分が喋っているのか、あのこが喋っているのかどちらだろう。私はニタリと笑って、再び皿を持ち上げ、床に叩きつける。

「出ていけ!!!」

女の子が叫ぶ。

「出ていけ!!!」

なんて悲しい声をしているのだろう。私は、彼女を憎むことが出来なかった。
部屋のガラスが割れ、飛び散る。

アサヒの顔に、破片が跳ねる。

それを労りもせず、「私」は叫ぶ。

憎しみを込めて。


「出ていけー!!!!」



 アサヒたちが慌てたように部屋から出ていくと、私の身体は再び床に崩れ落ちた。安心したように、安らいだ気持ちになる。羽根の生えた女の子が泣き叫ぶ。
「もう、行ったみたいだよ」

割れた破片を広い集めながら、私は微笑んだ。

「────?」

不思議そうに彼女は私を見る。

「ぁ……ew、ぉ、をえ、ぁqあ?」
何かぼそぼそと喋って、彼女は部屋の隅、やや焦げ付き荒れたままになっている部屋に向かっていく。

「……あなたは、だあれ?」

「う……q3ぇ、らに、っ」

「怖かったんだね、なんかごめんなさい」

「て、t……、と、e…a…awみら、」

言語はよくわからないながら、なんとなく、嫌いにはなれないと思った。

「……えっと……部屋の、お片付けしなきゃならないからちょっとうるさくするよ?」

「うあうあう……」

「ん?」

「…x…eawにぬ」
 
とりあえず、キムでは無さそうだけど……なんだろう。うーん。
 そういえばアサヒたちを追い出してしまったが、まあ仕方がないか。
その子が歩いて行った先には、昔親が付けていった祭壇……倒れているそれがあった。
それを悲しそうに、ぼんやりと見ている。

「あー……倒れてる……あのときに誰かが倒したんだな、まったく」

 手で起こす。
腕がちょっと痛む。

「ものは大事にしないとね」

部屋は荒れちゃったけど、椅子さんも、探さなきゃ。

「私、昔から理屈じゃなく、他人から好かれてもうまくいかないんだよね……あなたもそうなの?」

「ありがとう」

「いいよぉ、別に……」

え? と目の前の彼女を見ると、再びありがとうを繰り返した。言葉が、通じてる!

「あなたのこと、知らないけど、私も誰かが誰かに優しくしてるのを見ると、なんだか苦しくなるから、アサヒたちは気の毒だけどちょっとスッとした……変なの」

「私、嫌い?」

「ううん」

「……」

 他人の心が、自分に入って来るみたいで目を合わせるのも会話するのも全部が嫌になることがあるけれど、それは恋と同じで、理屈ではないのだ。

「誰にだって、怖いものはあるよ。理屈じゃない」

「……」

「人が人と居るの、嫌な気持ち恋人たちは死ねばいい」

淡々と話すその子にそっと近付く。何だか元気がわいてくる気がする。出来ることがあれば良いのになと思った。

「でも私、あなたと話すの、なんだか楽しいよ」

「…………」


「あれ?」

気付くとその子の姿はなく、何処かに消えていた。
ピンポン、と呼び鈴が鳴る。

「あの、入ってよろしいでしょうか?」

またアサヒだった。

「何か?」

「入るぞ」

 有無を言わせない態度でドアを開けられる。鍵はさっきあの男が開けたままだった。

「──良かった、これ、あったな」
テーブルまで歩き、薬のケースを手にしたアサヒが言うと同時にまたドアが開く。
「失礼します」
女の子がぺこっと頭を下げて入ってきた。

「と、いうのは半分本気で半分きっかけだ」

すまなかった、と頭を下げられる。
「アサヒ?」

「俺のせいだ……さっき何があったかは知らないが、こんな戦いになったのは俺の居場所を察知してやつが来たからだ! こんなことになってしまって」

「私が……さっき言ったことを覚えてる?」

「女の子がどうとか……」

「さっき居たんだよ。本当に居たんだよ」

「そうか、今日は疲れてるだろうからもう休んで──」

「あの子もきっと、好かれて怖かったから、殺さなきゃって、思ったんだよ。殺さなきゃ、殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃって」

「……」

「誰かに好かれるたびに
『殺さなきゃいけない』と思わなきゃいけない人が居る。

 殺さなきゃいけないと思わなくて良い友達に──なれるかな、私がなれたらいいのに
好かれなくても、友達は友達で、ずっと、重くならなければいいのに」



















「どうやって可愛がってあげましょう?」
 あぁ……可愛い私の柴犬ちゃん。
彼女はひきつったように笑い、私を見下ろす。




 他人を好きになる才能に恵まれなかった。
他人を好きになる才能は努力や理屈じゃ身に付かない特別な能力だ。他人を好きになる才能に恵まれない子どもたちには、当然現実に居場所などなく──
生まれたときから敗北が決まって居た。
生まれたときから愛想笑いをし、適当に空気に馴染むふりをしてこそこそと生きねばならないことが決まって居た。

他人を好きになる才能がある、特別な人間になれない。


 そんな私に声をかけてきたのが、同じクラスの教室で後ろの席の彼女だ。

「ねぇ、面白いもの見つけたんだけど、あなたもやらない?」
 彼女はいわゆるサイコパスで良心など感じない。
趣味は生き物の虐待。
前は猫、今度は犬を縛り上げて、小屋に監禁したらしい。

「服新品だし、血で汚れるからいいや」

私は笑った。
 彼女の良心など全く無い、というところが私のお気に入りだった。恋とかそういうのではなくて優しさなどまるで期待出来ないところが、優しくされる屈辱、他人と仲良くしてへらへらすることを義務づけられる痛みから切り離してくれる。

「じゃあ、見ていく?」

 彼女は、今可愛がっている柴犬を、領地の倉庫にいるそれを見ていくか聞く。
その、微塵もない良心からの、薄っぺらいノリの優しさは、周りの仲良しこよしな空気で荒んだ心の慰めだった。

「うーん……ちょっとだけ」

 他人を好きになれないなら、他人を痛め付けても良いわけじゃないことくらいは私にもわかっている。
 けれど私には人間を好きになるのは才能だが、柴犬を可愛がりましょうは才能ではなくて──もっと、常識、愛護法、そういう、自分のなかからは切り離された決まりごとでしかない。

 決まりごとという、セーフティを持った、好きになるごっこ。
これならば、私たちにも、抵抗なくわかる。人間どうしのコミュニケーション、で常識を問いただされ、才能を見下されて
「あなたは良心などない、あなたは他人を好きになる才能が人間のくせに欠如している」なんて聞かされて心がズタズタになることもない。

 学校では性教育しか行われないけど、恋愛という電気信号の誕生を、間近で擬似的に体感出来るのだ。
これは強制的な恋愛に賛成する空気が年々増している中で、救いのような画期的な実験、革命的な遊び。
私たちだって人間だ。
私たちに他人を好きになる能力がなくたって私たちは人間だ。

他人を好きになれないくらいで、なぜ見下されなくちゃならないんだ。
 理不尽だった。


才能がある人が世界を牛耳るなら、私たちの居場所は何処にある?

そんなに偉いか?
他人を好きになれれば、そんなに偉いのか?


 『好きになるごっこ』の延長が犬を虐待することなら、それも恋なのかもしれない。
──いわば、恋を、してみたのだ。

人間に、なってみたのだ。


倉庫の犬を縛り上げ、恋をしてみる。
友達がする恋を、私はわかってあげる。
なんて、普通の青春みたいなんだろう。
 寂しいが、埋まっていく。

どこにもない居場所。強制される感情。誰にも向かない感情。
全部のやり場が、そこにある。
見つけられたらきっと私も彼女も、輪の一員になれる日が来るかもしれない。
だからこそ、彼女を止められない。
私も、止められない。

だって、恋愛は特別な才能なんだ。
見下したような恋愛漫画とか、自尊心を問われるだとか、誰かが付き合うかを聞かされ続けるとか、性格が悪いのではと否定や心配されるだとか。
 そんななかで特別な才能の無いものが何を出来るだろう?

冷たい、ひどい、それしか言わないんだ。
優しい、暖かい、そんなもの、どこにも無い幻想なのに。


「でもあまりひどくしたら、柴犬が死んじゃうんじゃないの?」

 ゴミ箱に投げ捨てられた靴を拾い、教室で体操服に着替えながら私は聞いた。
彼女は背中まである金髪の髪をぐしぐしとかきみだし、そしてひとつに結びながら、平気だよと、冷たい声で言う。

「意外とあいつら、頑丈なのよね、叩いてるのに、どこか愛情を待ってるような顔するの、ウケるのよ」

 彼女は本当に満足そうに笑う。
切れ長の目が細められ、宝石みたいに鋭く輝いた。

「愛情ってなんなのかね? そんなに電気信号が欲しいなら、向精神薬でも餌に混ぜてあげようかしら? きっと笑顔になる……」
彼女はしあわせそうに言う。嘘や冗談には見えない。なのにちょっと寂しそうな声。
はぁ、と彼女がため息をつく。
「恋って切ないのね」

 なんて言うけど、きっと本気で思って居ることを、冷たい、と頭ごなしに否定されたことがあるのだろう。

愛情や恋が信号から結び付く刺激を体に統合したシステムならば、別に彼女の言葉が冷たい、ということもないけれど、世間一般的に見ると「見えもしない感覚」だとか「熱に浮かされた曖昧ではっきりしない高揚感」だとかを、ことさら特別なもののように語り、暖かい、しあわせだと言って集団で持ち上げる姿勢が根強くある。

「混ぜてみたら? でも、人間用のって、犬には合うのかわからないよ」

「そうよねぇ……お医者さんに聞いてみた方が良いのかしら、犬用のがあるかもしれないし」

 みんなが更衣室で着替える中、本当はいけない、教室で体操服を着てるのは私たちだけ。普段みんながいる教室。
二人しかいない教室。

 私たちに『先生』はおらず、私たちはちょっとだけグレたふりをしながら、自主性を育む。ゴミ箱に投げ捨てられたジャージのほこりを払い、着ながら「完了だよ」と私は言う。
先に着替えていた彼女は嬉しそうに首肯く。

「まさか、ラストが体育なんてね」

「ねぇー、体育、運動部しか得しない」

・・・・・・・・・・・・・・・



 はっと目を覚ましたとき、私は会長室
の扉の前に居た。
「失礼しまーす……万本屋マモトヤ・北香キタカです」
 ちょっと前にばっさりショートカットにした髪がまだ体に馴染まずちょっと寒い。手でさりげなく撫で付けながら、ドアの向こうの応答を待つ。
 早朝だ。まだ部屋で寝ているかもしれないし、此処に来ているかはわからないけれど────

「まぁあ、ハクナの……」

入りなさい、と中から会長の声がして、私は中に向かった。




「それで?」

「雑魚スキダを粉にした薬物を新たに学生から押収しました。
我々の、人類恋愛拡大のため、あちこちにある観察屋のヘリがまいているものと、成分が一致しています。
 しかしなぜこんな濃いものが学生個人から……」

 スキダを粉にするものを吸うと快楽が得られる。何処かから漏れたその情報は、今ひっそりと44街の若者の間で流行っていた。他人を好きになれない劣等感から吸うものもいれば、他人を好きになり過ぎるために神経が過敏になりすぎ、それを落ち着かせる為に吸うものも居る。
会長はふふふと低く唸るように笑う。

「学生時代の恋愛は、買ってでもしたいという人が居るものよ」

「会長──」

会長が苦手だ。この優しい目。
何を考えているかわからない、ねばねばした、ねちっこい目。
ピアスを開けた耳が意味もなくむずむずした。


──スキダを安く手にいれる為の国の暗部。
44街の風俗営業。普段の私はそこでイケナイコトをして、スキダを稼いでいる。

 風俗営業でおじさんたちから手にはいるスキダは普通のスキダとはちがい、中身の無い、外側だけのようなクリスタル。
 だけど、快楽成分が含まれている。誰がつけたのか、普通のスキダが宝石で、こっちはガラスと呼ばれていた。
このスキダは中身がスカスカだから普通に所持するぶんには怪物になりもしない。

「やめろー! 離せーっ!!!」
私が紐をつけて連れてきた女子高生が、後ろでじたばた暴れた。忘れてた。
 つけまがバサバサで、ウエーブのかかったツインテールが小顔を強調し、制服の胸ポケットにやたらとお洒落な形のコンコルドが刺さって重そうになっている。なんだか懐かしいスタイルだ。

「このっ変態男! オカマ!! 女装!!」

「……この犬、どうします」

「おい」

会長はドスのきいた声を出して彼女を睨む。

「粉を何処で手に入れた? 顧客に観察屋が居たの?」

「大変です!」

会長室に、いきなり男性が割り込んできた。普段はハクナの雑用なんかをしている一般寄りのおじいさんだ。
会長が不思議そうにそちらを見やる。

「まあぁ! なんです、騒々しい」

「異常性癖の持ち主を調べていた会員から報告、44街付近で恋愛潰しが出たとのことで!」

「恋愛潰し?」

「観察屋が用いている薬の強いものを撒き一気に雑魚スキダを回収し、それを一気に潰して回っていると」

そちらにみんなが気を取られるうちに、女子高生はポケットから出した丈夫そうなナイフで紐を叩き切る。

「やっばもう来たんだ!」

 あっと気が付いたときには、会長室のガラスが割られていた。
ベランダに飛びうつる女子高生。


「じゃあね! これからも他人に粘着して楽しく生きな!」



2020.12/14PM1:38













椅子さんは、近くにあるごみ箱から発見された。
血塗れで、足をもがれた状態で。


 ショックでその場に座り込みたくなる。まるで、取り残されたような絶望が私に襲い掛かった。
「……ぁ───」
叫びたいのに、うまく声が出てこない。
飛び付くように駆け寄って、一心不乱に足を探す。アサヒや女の子も一緒になって探してくれた。

「……これじゃないか?」

アサヒがやがて、倒れた棚の後ろから足を一本。
「見付けたよ」
女の子がテーブルの下から足を二本。
「あ、これだ……」
私がごみ箱の中から一本見つけた。
椅子さんは固定するためのネジ式ではないので、組み直せば完成のはずだ。
なのだけど────
どれも確かに同じ材質の同じ長さのはずなのにどうやってもいい具合にはくっつかない。

「あ……あれ? あれ?」
なんなの、この椅子。いやそもそもが謎だったんだ。椅子さんはいきなり空から降って来るし、喋るし────戦うし、羽が生えるしさ。
 考えていると、短い時間にも沢山の思い出があって、涙がこぼれてくる。
椅子さんは目を閉じたままだ。

「──椅子さん……椅子さあぁん!」

 せっかく椅子さんと知り合えたのに。
せっかく、さっきまで、一緒に居たのに。
「椅子さん、起きてよ! うわああん!」

 泣き崩れる私の側で椅子さんは冷たくなっている。なんでこうなっちゃうんだろう。確かに椅子さんは、椅子だけど、それでも──それでも生きている。

《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください》

「え……」

思わず涙が引っ込む。アサヒはなんだなんだと驚き、端末で検索する。
女の子も目を丸くした。

「『恋愛潰しだ』! 近くまで来てる」
アサヒが突然よくわからない単語を叫んだ。

「な、何それ……」

「要はスキダ狩りだよ。恋愛至上主義団体が目の敵にしている」

「そうなんだ」

《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください──》

「やっぱり好きな対象者から離れていたら、狙われやすいのかな」

「かもな」

「でも、スキダを狩ってどうするの?」

「さぁ?」 

《───皆の者! よく聞け! 我等は他者を好きになる感覚がわからない! 
これまでの頭領たちは皆
人類に等しくそれがあるという幻想を広めた!! 》

「ジャックされたね」

女の子が言う。

「あーあ」
私は呆然とする。それになにより椅子さんを思うとまた胸が痛んだ。
(うん。私、椅子さんから、離れないよ)例え足がなくなっても例え会話がなくなっても。同じ時間を生きた仲じゃない。

《他者を好きになるために、いったいどれだけの才能が必要なのか! どれだけ、それが無いものたちを邪険に扱って来たのか!》

 キーンと高いハウリングのあと、別の人物の声が響いた。

 《ぐだぐだうるせえな! こんなまだるっこしい街宣はそこそこに、さっさとやりましょう!》

ついには44街中に、ズンズンドコドコと楽しげなダンスナンバーがかかりはじめる。
続く阿鼻叫喚。
外で何が起きているんだ……

「っていうか本当に近くない!?」

これは驚いた。何故なら私の家は、孤立するようにぽつんと坂に立っている。
ビルに遮られ影にすらなってしまう目立たなさなのに、声がやたらと近くに聞こえるだなんて。

「ちわーっす!」

がらがらー、と窓が開く。
ベランダから二つ結びの少女が部屋に降り立った。
「まだ此処、回ってなかったなーってんで!」

「……!?」

えっ。誰?

「リア充撲滅☆」

どこかから取り出した平たい形のサングラスを目につけると彼女は私、とアサヒをじろじろ見比べた。

「あれ? おっかーしーなー リア充の気配に近いんだけど……リア充表示出ないし」

私がぽかんとしていると、彼女と目が合う。やがて彼女の目は私の膝の上にあるぼろぼろになった椅子さんに向いた。

「うわちゃー……なにそれ、うわうわうわ……うわー、椅子マジでぼろぼろじゃん、可哀想……ちょっとこの椅子メンテしないと」

「な、なんなのよぉ……貴方」

 椅子さんの側まで来ると、じろじろとパーツを眺め始めた。

「わー、この椅子面白いナリしてるね。初めて見た」

「私、椅子さんと付き合うの! 人間のリア充なんて知らない! 帰って!」

椅子さんにベタベタ触れているのがなんだか悲しくてむきになる。彼女は後頭部に手を当てながらちょっと待ちなってと言う。
「私、カグヤ。家が家具屋だったんだ」








 真っ暗な道を、椅子さんを抱えて外を歩く。女の子とアサヒ、そして私の先頭にカグヤが居る。
こんなに他人に囲まれたのは、いつ以来だろう?
胸が痛んだけれど、今更な気もする。
悪魔が、こんなことで良いのだろうか。

「へぇー、大変だね。それで戦うことになったんだ」

「そう。せっかく、代々人を遠ざけていたのに……あのとき、生まれて初めて沢山の人を見たの。避けていたくせに、感情を向けないようにしてきたくせに、都合よく感情を向けてきた。
初めて、向けてきた。
 私『この役目の』為にずっと、家を一人で守るって、覚悟して、ちゃんとやっていたのに、役目も私も無視されてた。
役目が守られているなら私に話しかけたりしないはずだったのに」

「そっか。その役目が、何よりも大事なんだ」

「うん、嫌われるよりもずっとずっと尊い」
それが守れるなら私が嫌われたって叩かれたって痛くない。
痛くても、全然痛くない、ずっとずっと、役目があれば幸せだった。
自己評価が低いとかいう話ではない。
嫌われることを選ぶ代わりに、孤独を勝ち取って居たのに、それすら侵害されたことがひたすらに悲しい。
 孤独の中で安心することを許さず、輪に入ることも許さない、これでは、役目を果たせば済む話ではない。
話が全然違うじゃないか。

 役目を無視したことは、私を嫌うよりも私には重罪なのだ。遠ざけさえすれば済むものを、それらを同時に行った。


「ずっと、誰にも触れさせないで、守り通すんだって──うちは、そうやって続いて来た家なんだ。

悪魔だから、周りから遠ざかって
。44街からお触れだって出てたくらいに、厳重に私に、誰も触れさせないようにしてきた。家族だって追い払うくらいに慎重になってきた」


 さすがにデモが収まっている深夜。
カグヤにこれまでのことを話しながら、私たちは外に向かっている。
カグヤの家には、椅子さんの病院があるらしい。
 家に、キムが集まってきたのは、観察屋が直接私に触れたのと同じくらいの時期。家が、まさか、あんなに荒れるなんて思ってもみなかったけど……
観察され続けているくらいだ。
いつかは起きたことかもしれない。

 こうなったら私以外を家に入れておいていいかわからない。とにかくみんな出てほしいというと、カグヤが寄って行かないかと声をかけてきた。そのまま道中で椅子さんを何に使ったか聞かれて、敵を倒していたという話になった。


「子どもを入れた呪具は母親を求める。
大人を入れた呪具は、子どもを求める。
不幸を入れた呪具は、幸福を求める。
好きを奪われた呪具は、好きを求める。避けるものが、決まっている。
 強く、強く、呪うために、恨むものは、指定されてる」

 だから私はただ、真っ直ぐ、誰からも好かれず、誰から嫌われたって、嫌われる役を全うすれば良かったし、それで済む話だった。私は悪魔で居れば良かった。ずっと町ぐるみで他人を避けてきているのに、いきなり歓迎するという陽キャな考えは通用しない。

「だからね、私も、他人を好きになる人を恨んでいる。
私をそこに、あなたの感情に巻き込まないでって、私、は痛みや寂しさよりも守りたいものがあったから。
なのにその、捨ててきた感情で、もっと大事なもっと守りたかったものを、壊そうとした」

失くしたけれど、確かにあったものだ。
キムがまた起きてしまったけれど── 

「変な話だな」

口を挟んだのはアサヒだった。

「ずっと裏でこそこそ観察しておいて、孤独かどうかなんて前提」

「ううん、たぶん、私がキムを眠らせていられるための暗示だから関係ないの。
 此処に人間の家族を入れない、人間の恋人も入れない、私との繋がりを作らない、入れないことで私しか認識しない、私しか認識しなければ、キムは起きて来なかったのに」

アサヒたちは、うっすらと戦いのことは把握していたようだが私から改めて話を聞くのはまた違う新鮮さがあるようで、 さっきから、ほとんど静かに聞き入っていたがカグヤに話終えたあたりで緊張がとけてきたように会話に加わった。
「観察屋がそこまで理解しているとは思えないな。ハクナだってそうだ」

 アサヒの意見では、役目も私も無視して観察しているくらいだから、何か別の私的な理由があるのではないかという。

「攻撃だって、独断的過ぎる──強制恋愛条例に観察義務はないはずだが。
それに誰も近寄らないようにしてる家ってなら、さっき居たコリゴリとは別の、あの男は、なんなんだ?」

「え?」

「がたいのいいおっさんだったが……何か、家に居た小さい怪物みたいなのをまとめて消してから帰って行った」

「あぁ────来ていたんだ」

 椅子さんを胸に引き寄せながら、ごちゃごちゃしている感情を隠すように笑う。

「たぶんあの人だろうけど、わからない。私には、何にもわからない。
親が本当に親なのかも知らないからな」

 生れたばかりの小さい頃だけは、うっすらと家族が居たような記憶がある。
知らない人が常に家を出入りして、私以外が知らない人の話をして盛り上がる。
私は周りが知らない人の話をして盛り上がる中で初めての孤独を経験する。
彼らと私との別れが、その時点で既にわかっていたからかもしれない。
独り暮らしを始めても、全く寂しくなかった。




「全然会話に入れなくって」

「あれでしょ、屋号とかお客さんとか、
昔の知り合い何でも話題にするから、子どもは入れないやつじゃん」

「そうそう」

「うちも、活動家の話や、政治家の話をするから、ママが何を言ってるか全然わかんないままだった」

女の子が頷いて会話に加わった。

「家具屋さん家、昔からの家具屋さんだから、うちきょーだいいっぱい居るくせに、末には何の話もしてなくってさ、
宇宙人と同居状態。もう家とか全然わかんない。完全アウェイだわー、家庭内孤立。食事する場所、みたいな? もうコミュニケーションは諦めました」

「どこも、そんなもんなんだ……」

 少し視野が開けたような気がした。
屋号とか、昔からの付き合い、親同士の家の話、何を言っているかは全く伝わらないそれらをBGMに、ただ養育の感覚がそこにある、不思議な空間。

「長男長女と親は連帯感あるけど、
その他はこいつら何言ってんだ?
状態で育つから、どっか違う~ってことで、うちも、あまりアットホームでは無いわけだけどまあ気にすんな!」



 しばらく坂を上り、言われた道を曲がり、奥へ奥へ歩いていくと、大きな一軒家に到着した。すぐ裏側に店が隣接しているらしい。
 ガラガラ、と引き戸を開けて「ただいまー」とカグヤが叫ぶが、中からは反応がない。
あちこちから木のにおいがする。電気をつけながら、カグヤはあがってあがってとこちらをせかした。
「たーだーいーまー!」
のっそりと、小さな目を瞬かせる白髪のお爺さんが出てきて、彼女に話しかける。
「あら、お客さん、あのヤスダンとこはこの前うちと騒ぎになったから、」

「おじーちゃん、何いってるかわかんないよっ! 友達友達! ごめんねぇ!」

カグヤは明るく謝りながら、さ、靴をぬいでと気にかける。

「おい、あのときは自転車がなぁ本当に大変だったんだぞ。またカワノたちと来てるかもしれん、ちゃんと身元は」

「おじーちゃん……!」

お邪魔して良いのだろうかと焦りながら一応中に上がる。横ではカグヤがおじーちゃん、さんに必死に何か説得していた。
「誰彼構わずそういうのやめてよー」
「ミチ、忘れたのか? エダマメの逆襲を、ナカハラの途中にあるあの坂の」
「私、カグヤだよ! ミチとなんの話してんの? それ何語? 大丈夫?」
「敵を見たら打つんだ、ミチ!」
「おじーちゃあん!」




 案内された通りに玄関から角を曲がると、台所になっていた。組み木の床がお洒落なダイニングだ。

「帰ってきたか」

 部屋から油が跳ねる音とこんがりと何かが揚がる音がする。
 菜箸を手にした白髪のおばあさんが糸のような目を細めてカグヤに声をかける。

「おや、お客様まで。よく来たね」

「ただいまおばあちゃん」

「みゃん……今コロッケを作ってるんだ、もうすぐ終わるから」

みゃんというのは方言のようなもので、地域のお年寄りがよく発することがあった。深い意味はないが、相づちのようなものらしい。

「はーい、手を洗ってくるね!」


 テーブルにはクッキングシートを敷かれた大皿に、エビフライ、唐揚げ、ポテト、そしてコロッケが沢山並んでいる。美味しそうだ。そう言えば夕飯はまだだった。アサヒたちも感じていたらしく、
並んでいる料理に目を輝かせた。

「食べてくでしょ?」
 カグヤがドヤ顔で三人に聞いてくるので私たち三人はあわてて頷く。
 そして夕飯完成までまだ早いので、一旦二階に行きカグヤの部屋で待機することとなった。
 カグヤがドアを開けた先の部屋は、ベッドとクローゼットと机のあるシンプルな個室だ。
「入ってー」
と中に通され、壁際に立て掛けてある折り畳み式のテーブルを部屋の真ん中に置き──それをみんなが囲むと改めての本題だった。

「みゃん、改めて紹介する。私はカグヤ。恋愛至上主義に反対してるんだ」

「理由、聞いていい?」
私が言うと、もちろん、とカグヤは笑った。
「うちの父、すごいチャラ男でさ、
スキダを乱発する機械みたいになってて治らない。それが原因で、何回か家庭崩壊しかけてる。
浮気のたびに母が取り乱すのが怖くて、父に張り付くように観察するうちに、いつしかスキダが生まれる瞬間がわかるようになっていた。家庭を破壊する「病気」が許せなかった。私の平和を脅かす
病気。
学校に行ってもみんな好きな人の話をする。仲の良い両親だとか、浮気がない家庭とか、そんな話をする。
恋愛のせいでクラスに馴染めない。
恋愛のせいで、私は孤立した。
恋愛のせいで、嫌なことが沢山あった。


 何回か44街では恋愛に反対した近所の家の焼き討ちがあった。
私と唯一気が合ったクラスメートの家が、父の浮気に絡まれたこともある。
許せなかった。
全部、許せなかった」

 恋愛がいけないんだ、誰かに執着してしまうこの病気がいけないんだって気付いた。
純粋にぬくぬくと一途な恋愛をする他人からの好意も壊して恋愛至上主義が作るこの戦争も、爆撃も全部を壊してやりたい、
台無しにしてやりたい。



「恋愛を破壊して、私は今度こそ平穏を手にいれる。そう思うようになった。
 スキダが生まれる瞬間に、まだ雑魚なうちに破壊しちゃえば良い。他人のも全部、全部、私たちが撲滅して、早いうちに処分しちゃえばいい。私はもう、恋愛による犠牲者を出したくない」

「カグヤ……」

カグヤは優しく、そして強い志を持って恋愛に反対している。

「なんか、感動しちゃった」

私はつられて涙ぐんだ。
理由は違えど、彼女もまた、恋愛という病気の制御できない狂気に脅かされ、生活を壊され、毎日のように他人のスキダに怯えてきたんだ。
 あれを、市が推奨していること、恋愛の強制反対が表に出ないようになっていることは異常事態だ。
恋は病気。病気を広めて利益が出る存在があるわけだ。
女の子も目を潤ませ、小さく拍手していた。彼女も恋愛の犠牲者だ。

 「あなたたちなら大丈夫そうだし、今度また、友だちも紹介するね☆」

アサヒは、一人、なんだか渋い顔をしている。
「どうかした?」

私が聞くと、アサヒは辺りを見渡しながら聞いた。

「……この家、なぜ、その……」

アサヒは、ちらりと女の子の方を見る。
それから私を見た。

「恋愛に反対してて、焼き討ちに合わないか?」

カグヤが聞き返す。
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