椅子こん! 

たくひあい

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椅子こん!3

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なぜ北国かというと、恋愛至上主義者の根城がそう言われているからだ。

ウドドーン!!

外で巨大な花火、のような雷鳴が鳴り響いた。一瞬部屋が暗くなり雷が辺りを照らしたが、女の子も、彼女も平然としている。
……キャッ! 
とか言わないのだなと少し驚く。『あの場所』のやつらは皆かなり悲鳴をあげ雷怖いと主張していたから。
すぐに灯りが再びつく。

「よーし、天気が良くなったら恋人届けを出すぞ!」

彼女はむしろ元気そうだった。
女の子はちょこんと近くに佇んでいる。

「言っておくが……結ばれたとしても役場では、対物性愛を恋人として処理してくれないぞ」

「ええええっ!!!」

「ええええっ!!!」

彼女は頭を抱えて叫んだ。
隣の女の子も涙目になる。

「せっかく恋人が出来るかもしれないのに!」

彼女のショックを表すかのようにまた外で雷鳴がとどろいた。
なんだか本当に、悲しそう。

 
( 物、か……)















ヘリコプターに乗った何者かが、地上を見下ろしていた。


「興味深いな。スキダはただのクリスタルだが……ときどき、不思議な現象を引き起こすらしい」

「どうしますか?」

無線相手が訪ねてくる。

「さあて…………どうだろう。強制恋愛はうちのマニフェストだからね」

その者はサングラス越しに、にやりと笑った。

「楽しくなってきたな」
家に溢れた雑貨類は少し古い時代の物がいくつかあった。
アンティークな趣味でないのならこれは、親か誰かの時代のままなのだろう。

「どうしてもってなら、名義的に俺と付き合うか? そのあとで、対物性愛なりなんなりすればいい」 

「人間と付き合うなんて習ってない! 
親だって私に話しかけなかったの! 話しかけたってすぐに止めに入られるだけよ」

「止めに入られる?」


彼女はハッと口を襲った。

「何でもない、です」

「はあ……」

「とにかく、あの、ありがとう……あの、どうして、そこまで考えてくれるの?」

どうして、だろう。
聞かれて、考えてみた。
どうしてだろう。
けれどあんなに嬉しそうにする
子を俺はこれまででも見たことがなかった。

「いや……」

放置して強くなる、そうやって育てられた子ども。

まっすぐな目をしている。
雷を怖がらない。
強くなる、の結果なんだろう。
付き合うことを、何かの壁で遮断されている。
けれどコミュニケーションが物や人外とならとれるのなら、それもひとつの生き方。

「……はぁ、と言っても、椅子との交際を認めて貰うのを待っていたら、何年も経ってしまうぞ」

なんで、俺はこんなに、気にかけているんだろうかと思いながらもそう口にする。
罪滅ぼしに近いのかもしれない。よくわからないが、観察さんが家の真上を飛び回るようになってから彼女のプライバシーは、あって無いようなものなんだろう。それに、誰からも避けられている。とても、これが苛めで済む話には見えなかった。
それに多少なり荷担していることは、やはり実感は無いがそれでも、とんでもないことなのだろう。
戦争から抜け出した国に、爆弾が落ちてしまえば良いと言う政治家のような。軽い気持ち以上の意味がそこにはあった。

「わかって、る……わかってるけど……ちょっと、その、人間同士しか、認めて貰えないのが、思ってたより、キツくて…………ほら、放置されてたのに、放置してる側だけが、認知されるみたいで」

今にも泣き出しそうな彼女。
強く逞しく、なったというにはあまりに小さな肩。
頼りなく震えている。

放置して強くなった結果。

「なあ、もしかしてサ──」

サイコに狙われてるんじゃないか?
そう聞いてしまいそうだった。
サイコは盗賊団体の頭で、自らをガラスと名乗る。
 その活動は、「ティラル」とか「飲み会」「ゴロゴロ」などと呼ばれていた。

「え?」

「いや……知らないなら、いいんだ」








告白。
それは誰もが一度は受けたことのある虐めのことでもあった。

「告ー白!」

「告ー白!」

 男女を二人きりにさせて、周りからクスクス笑うのが流行っていた。
私もそれを受けたことがある。
全然、何も思っていない子だった。相手もそうだったと思う。

 正確には最初に彼、が虐めの対象だったのだが、空き教室に呼び出されて、二人鉢合わせするように仕組まれていた。
 そして何も聞いていないまま二人にさせられると、まわりが一斉に鍵をかけた。
クラスは話題に飢えていて、そんな青春を彩るにふさわしいのがこの恋愛ごっこだった。彼らは、虐めではなくて、善意と呼んでいた。

「ちょっと、出しなさいよ!」

私はドアを叩いた。
彼も、反対側のドアを叩いた。
この虐めの陰湿なところというのは、相手が自分をどう感じているかも同時に悟るところだ。
相手もまた「ふざけんな!なんでこんなやつと閉じ込められるんだ!」と苛立っていた。
胸がじわりと痛む感覚と、同時にそれは自分のことでもあって、他人という距離が、他人によって強引に破壊されることの圧倒的さは半端ではなかった。


しばらく、ガンガンとドアを叩いていたが、ギャラリーの告白コールが誰も居なくなると窓からベランダを伝ってそとに出た。
学校はずっと戦場だ。
恋愛という価値観すら現代には既に戦いの道具以外の役割はないし、甘美な響きなどおはなしのなかに過ぎないのである。


何日も、何日も、何日も。
冗談で作られたラブレターによる戦争、別の子と閉じ込められる戦争。誰かしらを二人きりにしては、周りの生徒が手を叩き、嬉しそうにニヤニヤ笑っている。
一番驚いたのは、先生だ。



「青春、だねぇ~」


と嬉しそうに、窓の外から、こちらを眺めていた。

 そんななかに、いつの間にかうまれたのが『スキダ』を受け取ったら決闘していいという物だった。
スキダは、思春期の結晶とも言われていて特定の相手に対して生まれる魚型のクリスタル。
そして成長すると対象を常に追尾するようになる。
追尾がときどき攻撃に変わり、相手を殺すことも珍しくはない。
真正面から叩ききれる唯一の方法はスキダを送りつけた相手と向かい合って命懸けで戦い、突き合うことだった。

 そのときはまだ小学生で、生まれるのを見る機会はなかったスキダは、やがて進学につれて大戦争の定番へと変わっていく…………










「許してください! ごめんなさい!
あああああああああああああーー!あああああああああああああー!許して!ください! スキダは要らない!飲み込まれる! 飲み込まれる! わああああああああああああああああああああああああああああああああああああ閉まってる、ドア閉まってる! ドア閉まってる! スキダが来る! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ───────────────────────────────────────────────────────────────」


「お姉ちゃん?」

そっと腕を掴まれ、意識を取り戻す。
私はまだスキダが発動したことがない。
「ごめん……なんでもないの」

彼女の水色の髪を撫でる。ふわふわしていた。
開かないドア。
笑い声。
大口を開けてくらいにきた魚。
迫る恐怖。
逃げ場はなくて、「青春だなぁ~」と先生は笑う。

「……うん、恋人、とどけ……私、頑張る!」

女の子も、私も、まだ処刑されるわけにはいかない。











『44街は、スーパーシティ条令に基づき、全員恋愛を目指します!』

 私の住む44街の朝が歪み始めたのは、ちょっとまえ。
あちこちで過疎化が進み労働力の確保が難しくなり始めていたことを受けて、超恋愛世代の生き残り…………私より、前の前の前の前の前の前の……とにかくちょっと昔の世代の大人が決めてしまったのが『市民は全員恋愛をしなくてはならない』というおぞましいものだった。

────けれど、恋愛は個性、恋愛は誰もが一度は経験する夢であると決め付けているから可決されたんだと思う。
少数派からの気持ちが悪いという考えは否定され、異端扱いを受けてしまうことが長年続いてきた。
 恋愛が苦手な人のためのネットワークもあるのだが、この国ではそれも規制されていた。
実際に探してみると、大衆が使うメジャーなSNSでは検索してもほとんど恋愛を叩く人、否定する人が存在しない。
それどころか、恋愛好きの減少を懸念して同性愛などを受け入れる方向に走るのみだった。恋愛、恋愛、恋愛は素晴らしい、恋愛をしましょう、そうやって、客を引き込む。これで尚更、恋愛を叩きにくくなり、
恋愛に抵抗がある者や、人以外が好きな者の意見は埋れてしまう。
これが街の現実。もはや、恋愛嫌いはこんなところで探したって見つかりやしない。居ても片手で数えられる程度。

まぁ、実は恋愛嫌いを、こっそり処刑していたとなれば、確かに嘘でも好きな人などとでっち上げたくもなるよね!


 嘘をつくことすら不器用な私はあまりメジャーなものに関わらなくなって久しい。

何処に居ても、恋愛は個性だった。
何処に居ても、恋愛は無くてはあり得ない、コミュニケーション能力の欠如でしかなかった。
こんな馬鹿げたことがあるか。
人を好きになれなければ人権は保証されず誰からも叩かれる。

 コミュニケーション能力を駆使したら、恋愛問題に少なからず発展する機会が増えてしまうという思考が彼らにはないのだ。
彼らは既に、恋愛が戦争の道具でしかないのだから。
それに満たなければ殺せばいいだけ。





 台所に置いた、椅子に会いに行くと、椅子は変わらぬ様子でそこに居た。
緊張する…………椅子にだけは目を合わせられないような気がしてしまいそうだ。
家具だとしても、胸が高鳴り苦しい。
 そっと土を落とし、綺麗な布で身体を拭く。
さっきも乾かしていたけれど、足にまだ土が残っていたので、改めて綺麗にしていた。
「……木のにおいがする……」

ちょっと幸せな時間。
椅子はガタッと返事をしてくれた。

「は、初めまして! あ、ああああの……! 倒れてらしたので、その、心配で……勝手ながら看病させていただいてるんですけど」

椅子はにっこり笑ったように見える。
ちょっとだけ艶が出て、私をその目で見つめていた。

「うー…………緊張する」

椅子の前に座り込む。
観察さんが、早く書類の写真を撮れと急かすが、私はそれどころじゃなかった。

「相手の気持ちもあるでしょう!」


思わず言ったときだった。

「椅子に、気持ちなんか、あるか?」

体温が奪われていくような衝撃。
続いて、頭に血が上る感覚。
考えるまもなく、私の手は彼を叩いていた。
「最っ低!」

観察さんは何を言われているかわからないらしくぽかんとしている。

「どうしてそんなことが、言えるの? あるよ、椅子にだって、気持ちくらいあるよっ!!」

「……悪かった、物に心はなく、ただの、性慾を処理することを恋愛と呼んでいると思っていた」

「そんなの、恋じゃないよっ!

悲しい。同時に悔しい。
けれど彼の言い分もわかる。
テレビや新聞、漫画や小説に、恋愛が無いものは出てこないように決められている。スライムが言うには描写に恋愛を入れなくてはならないというガイドラインが作られている噂もあった。そんなものを見て育てば、当然だ。彼には、椅子はただの道具なんだ。

「大丈夫?」

部屋で寝ていた女の子が、起きたらしい。
こちらにやってきてちょっと不安そうに見つめた。
「うん……大丈夫だよ」

端末を手にして、カメラを起動する。

「確か写真を撮って、役場宛に送るんだよね」

すー、はー、と呼吸を繰り返す。

「ぶしつけなお願いではあるんですが、写真、撮影してもいいでしょうか」

椅子に聞いてみる。椅子はじっ、とこちらを見ているだけだった。

「……………………」

「あの、あの、」


────────いいよ

「え?」


声が、聞こえた。
辺りを見渡すが、二人は何もしゃべって無さそう。

────────だから、いいよ。


椅子さんだ!!!!!

「ありがとうございます!」

 撮影した後そのまま会話を始めてしまった彼女を見て、「観察さん」は考えていた。
(あいつ、まさか本当に──話してるのか?)

突然降ってきた謎の椅子。
どこから来た椅子かわからないが……
彼女には何が見えるんだろう。
聞いたことは無いが、無意識に何らかの対話能力を────────いや。
ただの変人かもしれないし。
叩かれた頬と、心がずきっと痛んだ。
こんな風に怒られたのはいつ以来だろう。

 考え込んでいるとふと女の子が、歩いてきて、自分の腕を引いた。

「観察さんは、ママのことも、ずっと、観察してたの?」

「え…………」


「恋愛きせい、ってので、恋愛以外の情報は外に出ない。どうして、ママのこと、撃ったの?」


椅子と話している彼女は椅子に夢中でこちらに気付いていない。
女の子はこのときを待っていて、聞いてきたらしい。

「ママのこと、密告したの?」


まっすぐな目をしている。

けれどなんだか、どこか、吸い込まれそうなよどんだ目だった。












 幸せそうな二人の横で、女の子は俺を睨んでいた。
一瞬、言っていることがわからなかった。けれどふと、爆破された家のことを思い出す。あのとき俺は近くを飛んでいたんだ。

「指定された場所をとんだだけだ。
だが、中の様子や家の持ち主の情報は全て調べた。
密告、という形には、なったかもしれない」

女の子は、黙りこんだ。
どうしようか考えているのだろうか。
椅子と戯れている彼女をちらりとみる。
理解できない光景だった。

「愛に餓えているなら溺愛してやるのに」

「ちょっと」

女の子は、ぐっと腕を掴んだ。
どこに握力があったんだがギリギリと
締め上げてくる!!!

「今の言い方、お姉ちゃんの前で、しないで」

「はあ?」

「愛って、そんなに偉いの?

恋って、そんなに凄いの?

溺愛──? バカにしないで!!!」


なんてヒステリーな女たちだろう。さすがに恋愛条例を拒むだけある。常識が備わっているなんて考える方が間違いなのかもしれない。

「溺愛の何がいけないんだ?」



 女の子は俺をまた睨み、それから背を向けて椅子と彼女の方に向かっていく。
彼女も彼女で、椅子とある程度仲良くなることが出来たらしい。嬉しそうにしていた。女の子も嬉しそうだ。




────ふと、彼女の椅子に対する真摯な気持ちに、性欲をぶつけるだけだと思って発言したのを思い出して、思わず目をそらす。椅子の気持ちを考えては居なかった。

(まっ、書類を出すのを見届けたら、帰るか…………)





 しかし。

書類を出しに向かった役場で、彼女はやはり門前払いをくらった。

「いけません! あたまがどうかしてるんですか? あなた愛されたことが無いんでしょ」

他人から改めて聞くと、結構差別的な発言だ。

「もっとねぇ、冷静に考えて?あなたきっと本当の恋を知らないから」

「何が本当の恋だ!!恋愛アドバイザーかあんたはぁ!!」

机の前でじたばたする彼女を周りはクスクス笑って完全にバカにしている。
恋愛条例で強制した癖に、やっと出来た好きな相手をバカにしている。
あの笑顔は、確かに本物だったのに。

「あなたこそ、なにかを愛したことが無いんでしょ! 椅子さんの許可ももらった、ちゃんと二人話し合って決めたのよ!」

受付は耳を塞いでいる。


結局、悔しそうに地面を睨みながら、彼女は早足で役場を飛び出した。

「なんでっ!!」


スタスタ、スタスタ、歩きながら、涙をぬぐう。

「なんで!!! 私っ、悪いことした? 私…………私せっかくっ、好きな相手が出来たのに」


 だから言ったのに、そう言おうとしてやめた。失言ばかりではいけない。
受付が椅子とかかれた部分や写真を見て、あからさまにバカにしている態度だったの
は俺にもわかった。

「人間なんて、会話させてももらえなかった! 好きなだけ無視して、都合が良いときにスキダを投げつけて! 

初めてスキダを見たときは、
恐ろしくて、殺されるとこだった!


あんなの自己満足じゃない!

あんなの、人のなかで生きるのが許された人間同士でやればいいんだ」

ふと、いたっ、と彼女が植え込みのそばに座り込む。頭を押さえている。
石が、降ってきて投げつけられる。

「椅子となんだってー?」

おばさん。

「椅子と付き合うとか言ったやつこいつだよ!」

小学生くらいの男の子。

「ふん、ろくな生まれかたしてないわね」

またおばさん。
人がどんどん集まり、雪崩のように辺りを埋め尽くす。
「おい! 大丈夫、かっ」
いつのまにか人混みに流されて俺も彼女を見失っていた。
そのとき、隣に、すっ、と何かが現れたかと思うと、一番固そうな石を、彼女の頭をめがけて投げた。慌てて取り押さえる。
そいつは、スライムだった。
「あいつが悪いんだああああ! あいつが!あいつが悪いんだ、あいつが悪いんだ! 共感されなくてもいい、あいつが悪いんだ! あいつが、あいつが、スライムのこと、好きだって、言わなかった!」

まずい────
雪崩をかき分け、彼女の行方を探そうとした俺はスライムの体が輝いたのを見た。


スキダ、が現れて、どんどん巨大化していく。


「俺だけをみろー! 椅子に心などない! 俺には心が、あるんだー!」




スライムのスキダが飛んでいく。巨大化しているので、すぐに彼女に辿り着いた。
更に民衆? は更に取り囲むために結束した。
「正しい恋愛が出来ないやつはね、死刑なんだ」

 役場が突っぱねたことからも、椅子に心などないという言葉からもわかるように、彼女は正しくない。
「あんたくらいなら、きっといい貰い先くらい──」
先頭にいるおばさんが話し掛けている。
スライムがまた叫んだ。
「俺から逃げるな、俺から逃げるな、俺から逃げるな、俺から逃げるなああああーっ!」
 どうにか少しずつ人混みを掻き分けて行くと頭から血を流しながらもぼんやり立ち尽くす彼女の姿が確認できた。奇声のような、喋っているような、何かを話していた。
「あ、ああー、ああああー、ああああ? わわわわ、わわー、わわわ? あああー、ああああああああ。ああああああああ」

「言語が……」

 感情は言語と深い繋がりがある。
彼女は、恋愛や、他人を見たことがほとんどないのだろうから、これも恐らくそのためなのだろう。
 生まれたときから彼女の近辺には誰も近づけないように細工をされているらしいし。だからこそ、誰とも付き合わないように生まれたときから自分の内部の情報まで制限してあるのだ。

「わわわわ、わわわわー、わわわわわー」

スキダが触手を伸ばし、スキダ、スキダと鳴き始める。彼女はどうにか避けたらしいが、右腕が捕まってしまった。護身用らしい小さなナイフで、がっ、がっ、と突いているものの、スキダは外れない。
見下ろすように浮いているその魚は、スライムの気持ちの大きさだった。

「息子と付き合わないかい?」
おばさんが嬉々として訪ねる。

「息子とわわわわわわわわわわわわわわ?、あー、あああー、わわわわわわ、あー、ああああ、ああああ?」

理解が追い付かないのか、頭を抱えたまま涙目になっている。

「ねっ、椅子なんてやめてくれよ」

「椅子…………」

「そうだそうしよう椅子との恋愛は認めません!」
おばさんが言うと、まわりがわぁっと沸き立った。あの嬉しそうな顔を、思い出す。
スライムも後ろからこちらへ掻き分けてやってきた。

「スライム、ずっとお前が好きだったよ」

「好き、わわわわ、ああああああー、うわわわわわわ、ああああー、ああああああああああああ、ああああ、あ?ああああああああー好き、だ、っああああああああああああああああああああ?」

疑問符でいっぱいになり、彼女はとうとう泣き出した。俺がみていたときの、快活な様子は見えない。信じられないくらいに弱っている。

「わわ、わわわわわわ……」

「だって好きなんだもん!」

スライムはぴょいんと跳びはねてアピールした。

「あああー、ああああうあああああああああああああうわああうああうああうあうああああああああああああー、ああああああああああああ?ああああああー」

「なーに、ふざけてるんだよっ」

スライムは楽しそうに彼女を小突く。

「す、き? 、あ、ああああああー、ああああー、わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ」

完全にパニックだった。彼女の腕が変色していく。ナイフは刺さらない。
投げられた石を拾い、スキダに擦り付ける。
スキダは抵抗をやめず、急に全身にトゲを生やしたので、彼女の腕からは更に血が流れた。

おばさんたちからは、笑い声が漏れる。

「ちょっとー、言葉、話しておくれよ!」

彼女は目を回していた。
生まれたときから、誰も近づけないようにされてきた子にこんな風に付き合うだなんだと取り囲むなんてキツすぎる。
さすがに俺にもその異常さがわかった。
スキダはトゲを指して得た血を飲み込むと更に大きさを増した。首の方に這おうとしている。
魚の形から触手が生えて伸ばされている様はグロテスクだった。
潰すには人が多すぎるのだろう。


そもそも誰なんだろう。生まれたときから、誰も近づけないようにしたやつは。

今になって、なにも知らせずに、恋愛条例の渦中に置いたやつは。


人並みに交流が許されていれば、こんなことにもならなかったかもしれない。

 彼女は最終的に叫びだした。
スキダが離れないし、役場は認めなかったし、民衆は自分勝手に恋愛を押し付ける。
スライムが近付いて行く。


「ああああああああー! ああああああああああああああああああああああああああああー!!」

周りからは告白コールが沸き上がった。



「告ー白!」
「告ー白!」
「告ー白!」
「告ー白!」

「告ー白!」


固定された方の腕を自らの方にぐい、と引っ張ると服の肩口が大きく破れた。露出するのみになった衣服には目もくれず、彼女は頭上を見上げる。

頭上。
ヘリコプターの羽の音がする。
パタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ…………


「観察さん、だ!!!!

恋愛を正しくできないから殺しに来たんだ!!」






威嚇のためだろう。
 観察さん、のヘリコプターは真っ先にこちらを攻撃はせずに近くのスーパーの駐車場に二、三、発の何かが打ち落とされた。轟音。
一瞬何が起きたか誰にもわからなかった。
伏せていた体を起こすと、目の前では煙が上がり、激しく燃え盛る。
ぱちぱちと火の粉が跳ねて躍りながら屋根やアスファルトにそれが舞っている辺りの様はどこか危なげながらも儚い危険な美しさを供えていた。火だ。火が、燃えている。目の前で、火事だ……
あとで観察屋の本部に連絡を取らなくては。


  あ、そうだ!そうだ!
大丈夫か?
慌ててスキダに捕まる少女のもとに駆け寄ると少女は目を回していたが、一応生きているようだった。スキダは少し負傷しているらしい触手はわずかに破片が刺さっていた。

 そういえばやけに静かだと気付き、振りかえると、ギャラリーはほとんど居なくなっている。さわぎで逃げたのだろう。
 少女に腕を伸ばし、スキダの触手にさわる。ビイイインと鋭い音がした気がしたときには腕は痺れながら弾かれていた。
「いってぇ!」

「さき、にげて…………」

 背中越しに、未だに燃える駐車場が見える。
ヘリコプターは旋回しながらこちらへと戻ってきた。
彼女はもう一度、にげてと言った。俺だって腕に蚯蚓脹れが出来て痛いがそれどころではない。

──まったく。椅子と付き合うためだけで、どうしてこんな目にあっているのだろう。

スライムがぽよんぽよん跳ねながら、慌てた。
「だって、でも、諦めたくない!」
触手は、意思に反応してさらに強く彼女を締め付ける。

「嫌だ、だって、スライムが先に好きになったんだよ。そんなのって、ないよ……どうして椅子なのだったらスライムでもいいはず!諦められない、嫌なら決闘して、スキダのなかのひとと戦えば、スキダは無くなる。なかのひと同士が決闘に突き合えば、恋愛はしなくていい!」

彼女は悩ましげだった。
「スキダを出せたことも、告白も無い。それにスキダはただのクリスタルだと聞いていた。それなのに……これが、スライムの力なの」

彼女が腕が動かせない中、後ろでは消火活動が始まった。
少女の目に涙が伝う。

「私、スライムのこと、そんなふうには見られない……ごめん
なさい」

スライムは発狂した。


「カエシテエエエエエ!カエシテエエエエエン!カエシテエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエン!カエシテエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエン!」

けど、戦うって、いったって……スライムの力を得たスキダとどうやって。

ザシュッ!!

頬に風を感じた。なにかが風を切る音がした。
一瞬、肝が冷えた。
「……な、なん……」

いま、何か。まさか
────内心冷や汗をかきながら目の前をもう一度確認。
椅子が地面に着地し、牽制するようにスライムと少女の間に佇んでいた。


「椅子さん!!!」

椅子は、目がどこかわからないがスライムをじっと見据えている気がする。

「椅子さん、来てくれたんだ…… 」

スライムは叫んだ。
スキダが彼女のもう片方の腕に向かう。

「え? 椅子さん、いいの?」

椅子が彼女に何か話したらしい。彼女は黙って恋人を抱えあげた。
スキダの触手が椅子に絡むと同時に、彼女の身体も光った。

「私、椅子と付き合うんだからっ!!!」

椅子が金色に輝いて硬くなる。
彼女は腕を振り下ろした。
ザシュッ!!
彼女の片方の腕にしがみついているスキダは、破片が刺さっているのもあり、より痛みを感じたらしい。グアアア、と魚の口から低く唸ると少し触手を緩める。そこに腰を捻ってもう一度椅子を振り下ろした。

「いや!いや! 人間や周りと付き合うなんて、習わなかった! 習わなかったの!! 自分で好きになったのはこの椅子だけなんだから……!!」

顎から汗が伝う。スライムは、諦める気はないらしい。
俺は上を見張っていた。まだ観察屋は観察している様子だ。

「離して、嫌あ! 私っ、やっと椅子さんと知り合えたんだから!」

「対物性愛は認められない!!!!皆を見ただろう? 話したが最後、引いて、人間をすすめてくるか、叩いて嘲笑うしかないんだ!!! あれが、皆の、この町の総意なのさ!!賭けてもいい!!

ネットワーク上で、物と恋愛や結婚した人は実質皆から、笑われているんだよ。見ものとして、ギャグとして消費される話題でしかない。ほとんどがにわか。ほとんどが本気じゃなく、単なる目立ちたがりしか居ないのさ!みんな普通のやつらだ。みんな、君みたいなのはもう何処にもいない!試してみるといいよ、例えば対物性愛の本を書いてネットにアップしてみればいい、きっと顰蹙を買うはずさ」


「周りなんて、関係ない!」

 彼女は強く言い放った。
さっきまで、不安そうにぐるぐる回っていた瞳は、いつの間にかキラキラと輝いている。

「私は、どんなに笑われても、どんなにバカにされても、椅子のこと嫌いにならない」


 放置されて強くなると放置されてきた彼女が唯一、遠ざけれずに関われたのが物や人外だった。悔しいが思い入れは、どんな人間より彼らの方が上だ。
ずっと会話をし、ずっと関係を築いてきたところに割って入ることはきっと出来ない。

(ん? いま、悔しいって……)


 彼女の身体はそのまま浮き上がった。そして椅子を構えると、魚の頭に振り下ろす。魚はギャアアアアと大きな声を上げて彼女を睨んだ。頭にわずかに亀裂が入る。

(スキダが、椅子と融合しているのか……)

一旦着地した彼女を目掛けて、今度は魚の図体が降りかかる。恋愛至上主義が産み出した化け物……

「スキダ! スキダッ! スキダッ!」 

間一髪でかわすと、椅子をもう一度振り下ろす。
スキダは勢いよく尻尾を叩きつけた。

「きゃっ!」

彼女のからだがゴロゴロ転がり、椅子が放り出される。
片腕は変色していて、多少ましになったが触手が切れないでいるぶん、扱いにくそうだった。彼女は唸りながら、椅子に手を伸ばす。

肘から血が流れる。

「血が、どきどきしてる……くるしい……」





















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヘリコプターに乗った何者かが、地上を見下ろしていた。


「興味深いな。スキダはただのクリスタルだが……ときどき、不思議な現象を引き起こすらしい」

「どうしますか?」

無線相手が訪ねてくる。

「さあて…………どうだろう。強制恋愛はうちのマニフェストだからね」

その者はサングラス越しに、にやりと笑った。

「楽しくなってきたな」
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