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彼は、敵か味方かと考えた私は信用しあぐねていたが、ひとまずは考えないことにした。
敵か味方かではなく、私は彼が好きだったので考えず向き合う方にした。家は貧しいし、私は孤独であり、失うものというのも特にないから、裏切られようがどうにか受け入れてみせようと意気込む。はじめの心持ちとはそういう風だった。
本当に正しさなどあるなら正義など語らないし、夢などあるならわざわざ語らない。ということを誰かが言っていたように思うが、私もどちらかというとその類いだ。
叶うかどうかではなく、『語る』というその行為自体に重きを置いていた。
だからなのだろうけれど、内容というのが主人公たちの夢を絡める話だったのもあり、読者からの『夢が叶うかどうか』という予想外の反応に驚いてしまった。
語りたかったのは、人物が夢を叶えるのがどちらかではなかった。
私はただ誰かが胸を張って未来を語ること、それ自体が誰かへ夢を与えるのだと思うのだ。テレビのなかのアイドルのように。
それを伝えることさえできていなかったのだろうかという無力感が罵倒やら何やらよりも、心を締め付けた。
これは事件の後に彼女が語った一部だ。
反響から感想が届くのが増えていたが、伝えたいことが読者にさえも何一つ伝わらなかったのを、知ってしまったのだろうか、それさえ見ぬふりをしていただろうかという自分の実力を悔やむ思いだったという。
自信というものを無くしかけたが、なかにはちゃんと伝わっているような言葉を励ましにくれる人もおり、またそういった内容の作品も存在していたことで、完全にそうではないのだと思ったらしい。
それじゃないが、 正しさなどというものがあるなら僕や彼も必要がないのであるし、だとすればこのような語りさえないことが根本的な証拠だという皮肉を今並べているところなのだった。
マンションの僕の部屋まで訪ねた男性が、突然「きみたちは、こういうものを正しいと思ってやっているのかね」
とのことだったので、僕はまさかと、テーブルにつきながら薄ら笑いしている。
身形は派手ではないがブランドのスーツに靴であり、爪も切り揃えてある。しっかりとした几帳面さのある、顔の細い男だった。
「面白がってやっています」
「ラル」
キリエが睨みつけたので僕はじっと見つめ返す。何か機嫌を損ねただろうか。
「すみません、一体どちら様でどのようなご用件でしょうか」
キリエが言うと、男は嬉々としてきみとは話が通じそうだと笑った。
「この『箱庭の楽譜』の作者を探しているんだが、きみたちはそう言ったことに詳しいらしいな」
「さっきお断りしましたよ」
僕が言うと、キリエが僕と彼の間で視線を彷徨かせた。
「きみ、綺麗な子だね」
彼が頭を撫でられる間に、あなたはと聞く。
「記者のようなことをしているかな」
「へぇ」
ぼんやりと返すキリエを見ながら僕はどうしてか愉快ではなかったので、「部屋の主人は僕だが、僕にも通してくれたら嬉しい。そうで無いなら二人で外で食事でもして来なさい」と言った。
「第一、探してどうするんです」
「彼女の作品は俺も見たことがある! 励まして話を聞く」
アッハッハと僕は笑ってしまった。
「励ますだの。罪を認め武器を捨てて投降する犯人のような扱いですな、まるで」
かちりとつけたテレビでは、二極化するかのように報道がされている。
君は悪いことをしただろうが私は嫌わないというどこに向けてるのか謎の優しさの雰囲気と、あいつは最悪ですよと訴える雰囲気のどちらもが、せめぎあうかのようで、これではつけない方がマシだろう。
「余計な波風はあまりたてないべきでは」
「これほど良いネタがあるかね」
「最悪なネタです。疑ってかかる上に元気付けられても火に油を注ぐだけだよ」
僕は彼女がせめて安静に出来るようにと、まずは好きだったものを集めて、それに囲まれなさいと言っていた。
すべてが刃と言うわけではあるまい。
やれやれと思いながらも、手をつけかけていたマカロン(貰い物だ)の山からひとつ崩して口に放り込む。ちなみに僕は座っていてキリエや彼は立ち上がっているが誰も規律を求めない。
僕も彼らを座らせようとすすめたが断られた。
そのタイミングでメールが来たので僕は自分の携帯を確認する。
『パソコンの中にも、まだ手をつけられていないでブログへとあげた作品があるので、そちらに力を注ぐことにした』
と書かれていた。
ああ、よかった。
彼女はその世界の中で生き延びてくれる。僕は途端に安堵した。救いがまだあってきっといずれは立ち直るに違いなかった。すべて奪われたわけではないのだ。
携帯をぱたりと閉じるとキリエと目が合う
。
彼女はどうやら大丈夫そうだと僕は言った後で、関わる気はない、と男を帰した。
その数日後だった。
件の詐欺の作者が新作を発表するとネットのニュースにあがったとキリエが朝から騒いだ。
「うるさいぞ」
僕は熱がさがらず、布団から出られないままにそう言う。視線や意識は動くから暇で空想の世界……いつか本にでもしようという構想をそこで練っていた。
「大変なんです、これ」
ブログにあがっていた作品を見せられる。
そこに前置きがあり、しばらく非公開にしていたらしいが、公開するときめたらしい。
なんだか嫌な予感がした。
ニュースとやらにある新作とやらのあらすじ。そして、ブログに上がる話のタイトルや雰囲気はすでに似ていて細かく内容を確認するよりも、予感は明らかだった。
「おい……まさかじゃないだろうな」
「まさかです」
それから、と真面目な顔で歩み寄られて一冊渡される。
つい最近発売されたらしい書籍だったが、これは図書館に秘蔵してあったもので、個人的に文芸として友人と作っていたようだった。
なぜ、非公開だったものや、普通なら手にわたらないものが。まるでサイト内などにまで隅々潜り込む何かを知っている。
狙われて監視下にあるのは家だけではない。
「救いが、ほとんど針の穴くらいしか無いな」
僕は呆れた。
異様なこの状態はなんだ?
背後に何があるのだろう。
『手をつけられていないだろうものなど無いのではないか』という予感はそれから続々と当たっていった。
三度目は、僕らのところを彼女が訪ねたことからだった。
一人で居るとテレビやラジオをつけなくても、なんだか不快な気持ちになるから誰かに会いたがったらしい。
なぜか、キリエと会おうとするときだけは、やけに監視される目を感じたということだったので不安もあったようだが、僕に会うならと思った来訪のようだ。
しかしそこには彼も居た。そういえば彼もわけがあるらしいのだと僕もふと思う。
キリエは自分については語らないのでよく知らないのだった。
「どうかしたのか」
「私のせいで、友人まで巻き込まれてしまう」
そう言って彼女は部屋に来るなり俯いた。
「私が、関わるからですか?」
「巻き込まれたのはきみだろう」
「だからです!」
と彼女は言ったので僕はまた目を丸くした。
手に持たれていたのは、彼女ではなく、ある商業作家のことが書かれた記事のコピーだ。
「……ははぁ」
内容をざっと読むと、まるで状態が彼女と似ている。そして盗作とさえ流れていた。
「これが?」
「これも……」
こっちが友人なのだろうか、こっちも友人だろうか。また別の作者のものもある。
「私の騒ぎがあってから、議論されていたのがさらに白熱したみたいで。私の、せい?」
「待て、話が見えない。落ち着いて、噛み砕いて」
「私、だけで済んだ話では、なかったのですか」
「それは」
彼女はひどく疲れてはいたが、いつもはこのときよりかは落ち着いていた。そのくらいには、彼女は驚いていた。
「他にも、こんな目に合った方が居るかもしれないということですよね」
「それは、そうかもしれないが」
「気付かなかっただけであって、他の方は、こんな風に」
「いや……」
僕は言う。
「きみが、抗っているからこそ、圧力をかけているんだと思う。こんな露骨なもの、少なくともこれまで僕は聞いたことがない」
他に居たとしたら。
それは確かに心配になる話だ。事態が大きくなった背景の欠片に僕達はぞっとした。
彼女が争うことから逃れられないのも、恐らくは『そちら側』と考えられているからなのだ。
気丈に振る舞っていた彼女が、とても泣きそうな顔になった。
「なんで、こんなことになっているんですか」
キリエが顔を歪めた。
「ごめん。本当に」
彼女は彼を一度見たが、言葉が見つからないのか薄く微笑んだ。
それから心臓を皮膚の上から押さえ、苦しそうに、呼吸をする。
「やること成す事が、周りに取り上げられてしまって。私もうどうしたら、いいか!」
「何を嘆いている?」
僕は不思議がって聞く。
「だって、もう――」
「お友達なんだろ? きみの作品やらなんやらも把握しているはずだし、ブログだって見ている可能性が高い」
「それは、そう、ですが」
彼女はただ泣きそうにした。
「ちょうどいいじゃないか。背景を知るのに、いい駒が降りてきた。そいつを助けろ」
「それば当たり前です!
が――って、え?」
彼女がきょとんとする。
「取り上げられたものをひとつ、返してもらうに過ぎない」
「待って、そんな、私たちは非力です」
「そうですよ」
「馬鹿だな。それでも考えればどうにかなるさ。少なくとも、味方が増える」
「助けたいのは、本当です、でも」
「きみはここまで巻き込まれたんだ。その分を清算するには、かなりの力が居るし、仲間も居るし、僕らは……非力だ」
「だから、どうやって!」
なんだか面倒になってきたな。いちいち質問ばかりでは、こちらも飽きてしまう。
ベッドに座ってから僕は息を吐いて言う。
何が難しいんだかわからないことで世間はぎゃあぎゃあと、めでたいものだ。
「そんなの
『持ち物にはちゃんと名前を書け』と、言うだけの作業じゃないか?」
それだけ言うと、僕はまた眠くなってきた。
恐れるべくは恐れであるという名言もあるが、どう転ぼうが興味はないから、適当に観劇すればいい。
「手当たり次第に救えば、いつかどうにかなる」
あははは、と笑うと、彼女は目を輝かせた。
「わかりました、『持ち物には名前を書いてください』と呼び掛けておきます」
「……はぁ、疲れた」
彼女が部屋を出て行ってから、僕は怠いままにキリエを見上げた。
「僕は、本当に嫌なやつだろう?」
彼は、真意を探るように少し首をかしげる。
「けれど、仕方ないんだ。力になるにも、これ以外無いのだから」
なんだか感傷的になってしまい、我を忘れそうになる。だから考えごとは好きになれない。
「……い」
「え?」
ベッドに近寄ってきたキリエが、僕を見ている。身体が寒さをまとったように震えた。
「怖い。怖い……」
急に、体温が下がるかのようで毛布を手繰り寄せる。呼吸が苦しくなり、自分が何を言っているかもわからないまま、頭痛を押さえる。
「どうしましたか」
少しして発作が収まった。
「なんでもないよ」
「お茶でも飲みますか?」
「そうする」
彼女の苦痛と言うのは家に居ても外に居ても休まらないだけでは無かったらしい。
携帯の故障、度重なる再起動で連絡も取りづらくなり、パソコンにあるものは常に無くなったので、ブログに書くということにさえ支障が生じていた。
道などで、カメラを持つ人間に付きまとわれることもあったというし、作品内などの日常を風刺するかのような番組が放送されるようにさえなっていたらしい。僕はその辺りはよく知らないけれど、聞いた話によると、
『個人情報を明かさない人間には後ろめたいことがあるのではないか』と言って不安を煽るようなもの、まるで事態を風刺したような動物の風景といった番組が流れていたようだ。本文をなぞらえたかのように『ピアノを弾く猿』のような感じのものだ。
数日後に、想定通り件の人間がいくらかは救われたらしいと連絡が来て、ほっとはしたが、それから彼女からの連絡はしばらく途絶えていた。
再び彼女の部屋を訪ねたとき、声が聞こえてきた。
「遠回しに言えば、ばれないと思っているの?」
そして、部屋を飛び出してきた。
手には10つもの板チョコレートを持っていて、ばしんと地面に打ち投げていた。
「嫌、もう嫌です……!」
ドアを開けて出てきた彼女とぶつかりそうになり、思わず支える。
悲痛な顔をしていた。
「どうした」
「狙われるのが悪い、わかっているのに出歩くなんてアホだなって、わざわざ電話してきて……」
ひどく取り乱していたので、僕は首をかしげた。これまでそのような動揺を見せることは無かったからだ。
具体的で無いギリギリのラインのことを、核心だけを探るかのようなことを誰かが言わせているのだろうか。
それとも本心なのだろうか。
「『その人』がか?」
「わからない。でも、『本人』も楽しんでいるように見える……
指示なんてあったって関係ない。
どうして楽しんでいるの」
確かにそうだ。誰かに頼まれたとか、そうだとしても『それだけ』が傷をつけるわけがない。
「本心が混ざっているんです。誰だって」
「そう、なんというか、落ち着いて、ね?」
顔を覆う彼女は、それでも泣くことはしなかった。
「誰かを理由にしても、それだけなら、いつものその人でない違和感があるはずなんです……私、違和感を、周りの態度から覚えることがなかった」
僕にもあったことだと、懐かしんでしまう。
そして最後は責任をなすりつけ合い、間違いは誰にでもあると言って擦り寄るのだが。
だけど、それを言っていたときは周囲の知人に「違和感」を微塵も覚えなかったものなのだ。
どこかしらに『本心』が滲んでいるから。
そう思ってはいたから。
失望したのはそちらだ。謝れば許されるかどうかではなく、その『本心』に蓋をするからこそ不信感が増してしまう。
「落ち着いて。わかっていたら、そもそも出掛けるわけがないだろう?」
彼女は錯乱しかけていたので、『傷』には触れないように、言葉だけをなぞる。
「相手だって、どこからでも隠れて沸いて来るし、学校やバイト先に来賓や客として来られれば、避けようがない、そうだよな」
彼女は必死に頷いた。
「でも休み続けるわけにも行かない。いっそ見つかって殺された方が楽かもしれないとも思ったんですが」
確かに、あそこまで詰まれたら自棄にもなるだろう。何処に居ても変わりはないのだ。
帰宅すると、キリエがソファの上で寝ていた。小さなノートが手に握られており、そこには『絶対に勝つ』と書いてあった。
「やれやれ……聞いてなかったか? 僕も彼女も、勝ち負けなど無い。
単なる怪盗と、市民だ。盗まれたから取り返すだけだというに」
ベッドから布団を引いてきて、彼にかける。
勝負とは立場が対等だから起こるものであり、礼儀を欠いている時点で反則だ。犯罪勝負などしない。
件についてよほど気にしていたのか、彼はよく寝ているのでなんだかなごんでしまう。
「可愛いな」
ぼんやりとその横顔を見ていたが、空腹になったため棚からカップ麺を出した。なんとなく、早く食事がしたい気分だったのだ。
ふと着信が来たので見ると被害に合っている彼女からだった。
「どうした?」
『いえ……さきほどはご迷惑をおかけして本当に、すみませんでした』
「ああ、そういうことか。だったら気にするな、勝手に訪ねたのは僕だ」
『今は、時間は』
「平気だよ。いつもね。
作業は順調か?」
『はい……最近は、少しブログが重たくなっている程度ですね』
「そうか」
『解析をあまり見てないのですが、閲覧者や利用者が多いからなのかな? 編集ページを開くといつも、何回かに一度は読み込みに失敗しましたと出て。これがアナログには無い点ですよね』
「読み込むのは自分だからな」
彼女の声は落ち着いていて優しく、少し僕も安堵した。
『エラーってあまり、起こらなかったんですが、最近は頻繁。なんでだろう……こんなときまでだとストレスになりそうなので、気をつけなきゃと、下書きを余分にしています』
「どんなエラーだ?」
『修正しちゃいましたが、時折本文の、よくわからない箇所に/とか?とかアルファベットが入ったり……あと、書いたはずなのが消えたり、読み込めていない、くらいのものです』
それと別に、一番厄介なのは機械自体がよくフリーズするようになったという。
「そうか」
『まぁ開いた途端にだから、そうしない間はわりと普通に使えるんですがね』
『なんだか様子がおかしいので、しばらくはブログも休みます』
書いては消え、書いては消えるため嫌になっているらしい。
何をするにも制限がかかる環境なのだ。
「そうか、それもいいかもしれないね」
そう言った後、少し他愛ない会話をして通話を切った。
休むのも必要だ。
あんなのでは何をしたって嫌でも重荷を背負わされる。書くという世界の中にさえ蹂躙されては、ほとんど、何が残るのだろう?
そして日が一番高くなり、僕がシチューを作って味見をしていた頃。
「休んだら、『冷たい』『逃げた』と、友人たちから沢山非難され、やっぱり再開しました……」
携帯にそんなメールが来ていた。
「何をしても逃げられないのだな」
なかなかいい出来だったシチューをすすりながら僕は呟く。キリエは、出掛けているのか今朝から居ない。
それからまた数週間後。
「もうなんでもいいから休みます」
という連絡を受けた。好きにすれば良いと告げた。その日は、朝からロールキャベツを煮込んでいたので、出来上がりをいくらかのせた皿を二つ、テーブルに乗せ、ご飯などを並べてからキリエを呼んだ。
しばらくタブレットに熱中していた彼が顔をあげてやってくる。
「彼女はブログを休むようだよ」
「ああ、そう聞きました。だけどほら、再開してます」
画面を見せられる。確かに、ページは休止では無くなって公開されていた。
確認をとると「公開した覚えはない」とのことだったのだが、なにかあったのだろうか。
しかし、公開されてしまった以上は責任を持とうと考えてのことか、それはまた再開された。
さらにまたしても追い討ちをかけるようなことが起きた。勢力が拡大したのもあってなのだろうか。
下書きされていたはずの他のものまで、勝手に公開され始めたらしい。
休みが無く、続けなければ非難される。
プライバシーは存在せずブラック企業のような扱いだ。
「素晴らしい拷問だな」
ロールキャベツをもぐもぐと食べながら僕はあきれる。
『嫌だけど仕方なくやっている』とでも書いておけ。僕はそう連絡をしておいた。
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