かいせん(line)

たくひあい

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抱き合っている間は幸せだ。温かくて、眠たくて、優しくて。

 いつのまにか横たわって、かいせの腕の中でうとうとしながら、ぼんやりと、いろんなことを考えてしまう。

まぁ、考えると、だめなのだ。
脳裏にばぁっと広がる、フラッシュバック。恋絡みで妬まれた話。
クラス中にからかわれた話。家族が、家族なのかわからなくなる話。
自分が自分なのか、わからなくなる話。果たして恋だったのか利用されていたのか居場所だったのか依存だったのか――めちゃくちゃに、いろんな人や物によって、既に、正しいかどうかさえ、価値観が蹂躙され粉砕されつくされた回路たち。信じていたものが何一つとして、正しくなかった。

そんなことばかりで。
その頃は何一つとして、俺を守ってくれたものが無くて。
だから。

『お前がやったのか』

ちが、う……



とん、とん、という優しいリズムが、背中を叩いている。うとうとしたまま、それを感じていた。
人を、想ってはならない。優しさには、見返りを求めてはならない。

「かいせ」

「んー?」

「好き」

「ああ。うん」

少しかすれた、優しい声。俺たちはたぶん最初からなにか欠けていて、与えるものが愛であっているのかさえ判断出来ないまま、大人になってしまった。
それでも、形だけでも。
「ねぇ」

床に横たわったまま、俺は言う。かいせは黙って俺を見ていた。「俺が、かいせを、どれだけ好きなのか、知らないでしょ」
「あはは。どうしたんだ急に?」
かいせは、一人大笑いする。まぁ、そのくらいの距離で、ちょうどいいか。

ぐっ、と無理矢理顎を上向かせる。
それから、唇すれすれで囁いた。

「茶化さなくても、ちゃんと受けとれ。ガキか」
「はい……」

別な感情まで読んだのか、かいせが真っ赤になる。俺はあまり赤くならないから、なんだか珍しいものを見ている気持ちになってしまう。
ダイレクトに伝わるそれは、自分の言葉がちゃんと届いていることを、信じさせてくれるようでもあった。

ぐっと腰を引かれて、彼の上に被さる。

「お……っと?」

「色ちゃんは、ほんと、可愛いな」

「可愛いは、あまり嬉しくはない」

「そうか? 嬉しい、が伝わってくるけど」

「それは、かいせがっ――」
「あ、俺が言うから?」

「もう、寝る」

彼を枕にして目を閉じる。どく、どく、と早い心臓の音が聞こえていた。
「寝るなよ、まだ一日始まったとこだぞ」

あの流れで定食屋の写真なわけないだろ……
口には出さずに、バカとかアホとか貶してみる。そのまま寝たふりをしていた。

「ごめん。最初に茶化されたくなかったから、不機嫌になってたんだよな。大丈夫、ちゃんとわかってたってば」
そういうとこ、ほんと嫌い。

「うん……」

でも好き。

「うん」

かいせは、そんなに寂しい? まともに受けとるのさえ、辛いくらいに、信じられていないのか。
「わからない、どうだろうな」

おれは、寂しく思わないで欲しい、のに。
だから、ここに居るのに。
「……ああ」

最初から、何も、役にたててないような気がしてさ。
「それは、違う! ただ、少し、その。プライドとか矜持とか、なんかもろもろが」
もろもろが。
「あぁー、とにかく! えっと……だから。わりかし、重みというか、その、好きって言葉は」
相手を、自分を、拘束するから。一歩間違えばすぐに戒めで、呪いになるから。
なるべくなら、言いたくもない。
「そのくらいお前のなかでは」
汚れきった、恐怖で支配される感情――――
「言うのも、嫌な、言葉だけど」
それでも絞り出すように。
「恐怖を背負ってでも、伝えてるっていう、大事な言葉で。 えっと、だから、だから」
もう、いい。
黙れ、という意味でぺろりと唇を舐めてやった。かいせが一度ぎょっとしたから、満足して眠りについた。














/////////////
――何もしてないのに。何も、言わなきゃいいのに。
何も知らないのに。
何も知らなくていいのに。

「んん……」

ぎゅ、と抱きつかれて、自分が寝ていたことに気がつく。色は俺に必死にしがみついていた。
こいつは、よく、苦しそうに眠っている。
「よしよし」
手触りのいい黒髪を撫で回す。よく寝てるからか、反応はない。

 こいつは、俺と少し似ていた。
普通とは少し違う知覚を持つ人間というのは、よく無実の罪を背負うのに適役として選ばれるのだ。そして、色は、その特異性からそうとう疑われやすいらしい。
すべて冤罪。なのに、誰も助けてくれなくて、自分の頭で沢山考え、どうにか身を守ってきた。

 普段そこまで気が強くないのもあって、意外な一面として、やたらと広まるだけ広まってから解放される。その無力感、あまりの虚しさ。
世界のあらゆる他人を信じていない彼は、
「もう少し周りが頭が良かったら、俺みたいに困るやつが居なくて済むのに」
といつか言っていた。

なんだか、急にそういう気分になってきたので、寝ているそいつの衣服をひとつずつはだけさせていくことにした。
おれの読みでは、まだ起きない。

「無防備に寝てるから悪いんだぜ」

甲斐性無しだからじゃなくて。いろんなアレが、安定しないから。
今日はいつもよりかは、安定してる。
俺の『回線』は、人より多くて頻繁に疲れてしまうから。
 以前、誰かから、そんなに感受性フル稼働で、よくまぁ他人といちゃつこうという発想ができるなと言われたことがあったが、だからこそだ。
合わせられるチャンネルの主導権くらいはせめて握っておかねば、いつ、気持ちが暴走してしまうかわからない。
知っている大好きな誰かにだけ、使えたらいい。好きなものの情報だけでおれ自身を満たしたいのだ。どうせこんなものがあるなら。

そう、願うからこそ。







しばらく夢中になって、肌白いなーとか、見ていたせいなのか。

「なにを、している?」

気づいたときには藍鶴色が、ぐいーっと俺の頭を掴んで睨み付けていた。やや涙目である。やば。忘れてた。

「えっ。あの」

固まる俺を見て、やがて状況を理解したらしい。少し照れながらはだけていた服を着直す。

「起きてるときにしてくれ」
「ごめん」
「今起きた」
「ありがとう」
「礼」

ぐい、と引き寄せて、抱きつく。そいつはきょとんとしていた。

「俺が好きだね」

「すき」

「ちなみにこれ、R18シーン全カットだから」

「えっ嘘」

そいつは、クスクス笑う。
「ごめんね。でも、かいせが一番好きだよ」

「なんだよ、それ……」

「ん? なんだろうね」

「なあ」

そういえば、と思い出す。

「ストーカーとかって、いつから……」

「学生だったときは、わりとあった。何がいいのかねぇ、俺の」

――頼るだけ、利用されるだけじゃないのかっていう疑心暗鬼がいつもあって。それが、輪をかけて、感情の邪魔をする。
それなのに、下手に媚びたり笑ったりしないそいつになぜか人がやってくる。
そして、そのたびに、利用され続けた。
好意と、利用。


 そんなそいつの感情を読みながら、ぼんやりと俺は考えていた。
こいつは、自らを守るために、自分の時間をすべて止めてしまった。
らしい。

「好きだと思うほど、利用されたくない気持ちが強くなる。どちらも強くなると、どちらも怖い。だから。ごめんね」

「何に、謝るんだよ」

「……ふふふ」

「何に笑うんだよ」

「あーあ。大学、ちゃんと出ておけばよかったなぁ。そしたら今頃すごい会社にいたかも。なんて!あっははは!
いやーどうにか途中まで居られたんだけどさ。
あれも本当、耐えれば良かった」

「今後悔しても、無駄だろ」

「うん……」

好きだよ、とそいつは笑った。悲しそうに。

「ちゃんと、背負わなくちゃならないよね。わかっているんだ」

 かいせは、自分の話はあまりしないね、と。
心の声が聞こえた。
まあ別に、いいんだけどね、と。また、聞こえた。

「どうにか借りた奨学金の返済と、他人にやたらと執着される恐怖。どっちも、おれが自分自身で稼いで自分自身で、他人をはね除けられていたら、良かった」

 こいつに引き寄せられる人は、時折、あまりに異様なのだと俺は知っている。まるで、何かに憑かれたかのようになるのだ。
あれは。なんなのだろう。

「ろくにお金無いのに、無理をしたし、俺の態度が漬け込まれやすかったから、バチが当たったんだろうね」


兄が、唯一、名前と同じでお前は色の感性が良いって褒めてくれたんだと、そいつは言う。
得意気に。

「でもやっぱ、どのみちお金かかるしさ、返済できなきゃ無意味だし、仕方なかった」

バイトとか働こうとしたけど、前にも怖い目にあってて、とか細々した言葉が沢山流れて漂っていたが、圧し殺していた。
「なぜか俺はやたらと、汚い人間を引き寄せる才能があるようで」
ネタみたいだろ?

『口に』はしなかったそれが聞こえてしまうなど。なんて罪深いのだろう。
「ま。細かいことはあまり言いたくないけどさ。世の中お金なのかね。ふふっ」

まるで後半は、言い訳のようだった。好意に怯え、執着に怯えて過ごしてきたことへの罪悪感のようだ。


思わず抱き締める手に力がこもる。
痛い、と言われた。
痛い、という感情も雪崩れ込んできた。

『二人は仲がいいね』『二人きりにしてあげる』まって『好意は断るなよ』逃げたい『失礼だ』いかないで『お高くまとまって』逃げたいんだよ『応援してるからね』やだ『いつも一緒にいるじゃない』いたくない『また今日も』ついてくるんだ『付き合ってるの?』話、きいて『ほらほら、来たよあのひと』話……

そこからの記憶を読むのは、ぽんぽん、と背中をさすられたことで阻止された。

そいつはなぜだか俺を慰めているらしい。
「俺は平気だよ」

「っ……」

痛い。痛い。痛い。
いたくない、いたくない、いたくない。

「こんなもの、見せて、楽しくないだろ。ごめん」

「お前、は」

「聞きたくないものを聞かせて、辛い思いをさせる。どうも、俺の存在自体が苦しめてしまうみたい」
「つらく、」

「辛くないよ。平気だよ。俺が悪かったんだ、だから、大丈夫だ」

そいつ本人の手に、触れられることで、俺の記憶干渉のダメージが和らいでいく。こんなの、初めて知った。

「俺は大丈夫だ。辛くなんか無かった。ちょっと後悔はあるけど、今更なんだ。カイセが慰めてくれて、本当に良かった。あのとき、生きていて、よかった」

 ああ。そうか。

無理をするのでも、強がるのでもない。
こいつが、それでも、平気そうにするのは、俺を信頼していないからじゃない。ただその痛みが、こちらに流れ込まないようにしているから。
























「だから、背負わないで。俺のぶんまで、背負わないでいいんだ。誰かの感情は誰かのものだ」

藍鶴色は俺を撫でながらゆっくりと言い聞かせる。

「背負う必要はない。終わったことだ。俺は俺がどうにかする、から。だから」

背負わせたくないのは、きっと、遠ざけている家族に対してもなのだろうという気がした。
学費などの関係では、どうしても身内の承認が居る。
自己管理の甘さだと責められる可能性さえある。
相手が、悪意があるとは限らない。それに、色の思い込みだとも限らないし、言われればそうなってしまうわけで。
実害が出ない限りは、誰にも対処出来ない。

だから、どこにも吐きだそうと思えなかったのだろう。そして、はっきりと突き放すことが、どうしても出来なかった。


『母、さん――!』

俺は、ぼんやりとなにかの記憶を思い出しそうになった。必死にかき消す。それは、優しさじゃない。

いつか誰かにも言われたっけ。そんなことを、相変わらずくりかえしている。

「だから、泣くな」

わかんないよ、そんなの。誰にだって事情がある。誰だって、理由がある。
どこにも居られなかった俺は、同じような寂しい人を見つけるのが得意で、いろんな心を読んで、それに合わせてきた。
会話をするのもどうにか得意になった。
癖になった。
楽しいことも沢山あるし、楽しい間はすごく楽しいから、多少のマイナスは気にしていない。
だってまた楽しいことをすればいいんだ。
だから、だけど溜め込んでしまう。自分では消化したつもりでも、どこかに小さな残骸が溜まっていたりするもの。

ぽろ、っと雫が溢れた。苦しい。
ああ、苦しいってこんな気持ちだったっけ。
俺、苦しい、よ。ずっと、悲しかったんだ。

自分のために、本当は、溜め込んでしまったんだ。だって。

「あはは。俺は、そういうとこが嫌いだよ」

額に何度も口づけて、そいつは笑った。

「他は好きだけど」

俺がぼんやりしていると、いや、違うな……と聞こえる。

「そこが、いいところなのかな。でも、自分のことは、あまり人のせいにしない方がいいし、他人のことは他人のせいだ、そうだろう?」

「そ、う、だけど」

もごもごと、口をどう動かしたものか考えていると、色は言った。

「わかんないなら、
俺、こういう人間だからその気持ちがよくわかんないんですけどって、そのまま言えばいい。
あまり耳を塞ぐと、逆に心に残るじゃないか。

対立したら、自分の主張にうまく持っていけばいいし、わかりあえないなら、そういう考えもあるねとまとめればいい」

「それさえ、だめなら……」

「ん?」

ぐりぐり、と胸板に頭を押し付けてきて、そいつは微笑んだ。

「甘えろ」
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