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CAF invoice
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わからない。
「死ねばいい」
声。
「許せないんだよ、お前みたいなやつ」
声。
「クズが嫌いか、面白いか? バカにしてんだろ、優等生さんは」
うん、面白いよ。だって。
俺がバカにしたくらいでなにも出来ないなんて、ほーんと、中身が無い。意思も無い。
他人の目ばっかり気にして気持ち悪。
だから他人のせい。
毎日毎日、理由は他人のせい。
食い潰した時間も、お金も。親か? それとも、先生?
アハハハハハ!
その上、まだ、無いものを探してさぁ。
どうなるんだよ。
それさえ、無い誰かは。我慢出来ないのはこっちだ。
頑張ったり、挫けたり、それでも一応折り合いを付けてる人だっているじゃないか。
出来ないのは、出来ないせいだろ?
「なんで、死ななきゃいけないの」
出来ないことを、周りの力でやるだけやって。
その上『俺には合わない』って言って放棄。
さらに、俺のせいなのか。
わからない。
こんなのが、正しいって?
これを、納得してろって?
――我慢出来ない。
「出来ないやつもいるんだよ! 苦労しないんだよ、出来るなら!」
声が。
する。
苦労しない人生なんかどこにもないのに。そんな夢みたいなこと言ってさ。でも。
「それ、俺を痛め付ける理由? ねぇ……」
痛め付けたやつも同じ理由なんじゃない。
苦労から逃げて、
ずるい。ずーっとそう。出来なきゃ暴れればいいんだもんね。
納得出来ないなぁ。
出来たら暴れなくていいのに。
苦労もしないのなら、
俺に当たるよりも、真っ当に、すべきことがあるのに。
犯罪者になったら、余計苦労するよ?
人が死ぬ理由って、
なに?
□
「寝込みを襲ったりしないでしょうね?」
声。
振り向くと橋引が居た。ソファーに運んだら、
クッションを握りしめてくたっとしている、色を眺めてただけなのに。
人聞き悪いことを言う。
「お前まだ居たの」
「悪い?」
「悪かないが、一旦着替えとかに戻ったりしないのかな」
「ここで着替えて欲しい?」
「お願いします」
「するか阿呆」
腰に手を当てて、ツンツンしている彼女。
なかなか美人だが、ツインテールはあまり似合ってない。おろせばいいのにと思うが、まあ彼女の好みだから俺が口を出すことではないか。
「私、色ちゃんとお話したいことがあるわけ」
「えっ、なんだ、それは」
驚いた動作で、自然に腕を伸ばしたつもりだが、彼女は、それを器用にはね除ける。
「やめてよ、あんた触れたものからの感情、筒抜けなんだから!」
知ってる。
だからやってんだ。
「私と色ちゃん、組もうかと思ってるの」
「え……あいつ、子どもみたいな顔して、あれはあれで、なかなか、アレだぞ?」
「アレばかりでわからないですが」
「あんまりなめてかかると逆に足元をすくわれるぜ。あいつの過去見たことあるけど、弱そう、優しそう、言うことを聞きそうに見えるとかの理由からよく、変なのに絡まれたりするんだと」
「あー、あるある」
そして、そういう空気を敏感に感じとるらしい。
「んー」
そのとき、ソファーで寝ぼけていた色が、ばたばたと腕を伸ばして何か掴もうとする。
「どうした」
近くに行くと、ぎゅ、と抱きついて離してもらえなくなった。
「……あのー」
すやすや、寝息をたてているから、寝ては、いるようだが。
「う、ぅ」
「んー? 起こしたか?」
彼は昔、悲惨なストーカーにあったらしい。愛想よくしなくなったのも、そこからだろうと、柳時さんは言っていた。それを思い出していたのだろうか。
ぼーっと手を伸ばすと、何かを掴んだ。温かいからそのまま布団に引き込む。
温かい。眠たい。
抱き締めながら、ぼんやり思うのは、小さな頃、しがみついていた自分より小さな手。
――壊さなくても。
どこにもいかないよ。
だから、さ。
悲しそうな目。
悲しそうな手。
悲しそうな、声。
力。
叫び。
どうしてみんな、俺を信じないのだろう。
殴ったり、叩いたって、好きになるわけでも嫌いになるわけでもないというのに。
ただ単に痛い、って感覚がある、それだけなのに。
暗闇のなかに誰かの声が聞こえる。
「好きなの、わかって!」
「そうなんだ。わかった」
淡々と返す。
「そういうことじゃない、あなたわかってないわ」
よくわからなくて黙っていたらまた、殴られる。理解するだけじゃ、だめなのか。
「あなたは、私を」
「俺は。好き、が、よくわからない」
そういうと、少女が、最低だと騒ぎ始めた。何がだろうか。わからないことがか。
世界は、ぐにゃりと歪んでいく。俺はただ怯えている。嫌いだと言われた方がまだマシだ。
あんな、あんなの――――
走り出した俺に、誰かが囁く。
「逃げ場なんてないわよ?」
―――――――――――――っ!
声にもならない叫びをあげそうになって、目を覚ますと、かいせが、そばで携帯電話を構っていた。なにか連絡があったらしい。
「柳時さんとこ行ってくる」
「俺も行く」
残されたくなくて思わず服の裾を掴むと、目元に口付けされた。
「……?」
「泣いてたな」
「そうかもしれない」
「心配事?」
縛られるのは、嫌だ。相手は、もう俺の目を見ていなくて、あれが怖い。
かいせも、そうなるのだろうか。
「いや、昔から変質者に好かれるなぁって」
「おちょくってる?」
「もっと」
優しく触れられながら、ぼんやりと考える。もしかしたら、彼も今。
「寂、しい?」
答えは無い。いつもより過激に求めてくるだけだ。よしよしと撫でてみる。寝癖があまりないのに腹が立ち、ぐしゃぐしゃと掻き回す。
「こら。やめてください」
さすがに止められる。結構楽しかったので、拗ねてしまう。ふいっと無視して出掛ける支度を始めた。
□
その日は、曇っていたり、晴れたりと、安定しない天気だった。
しばらく新幹線や飛行機に乗って、目的地に向かった。
今は、レンタルした車の中。
「俺。寂しい」
がたがたする座席を気にしないようにしながら、言うと、かいせは、そうなの? と笑った。
しばらく続いているこの状態の中、任務が始まるわけで。
車のなかでひっつきまくっていると、橋引が、呆れた顔でちらりとこちらをみた。うん。覚えてるよ。
「色ちゃん、あんたさー」
「うん」
かいせのさらに奥に居る彼女は、やけに気だるげ。ピンクの携帯を操作したり、リップのつき具合を確認したり。
「そういう、キスとかはするのよね」
「かいせは、俺みたいなものだから」
「なにその理論」
「あぁ、俺は、こいつみたいなものだしな」
「だからなにその理論」
うまく言えない。ただの友達にもしない。 恋人なのかはわからない。そういう感じ。
落ち着く。好き、と恋は、違う気がする。なにが違うかわからないけど。
窓の外は、うんざりするような快晴だ。
「ねぇ」
三人並んで、後部座席。一番左側にいる俺が、ぐいっとシャツを掴むと、彼は少したじろぐ。
かみかみと、首筋をかじっていると「ちょ、痛いからやめよ?」と声がかかる。
「……」
くーん、と甘えた子犬のようにしょんぼりしてみるが、効果はない。
「急にどうしちゃったの、色ちゃん」
「調子が悪いとき、まれに起きる、記憶退行らしいよ」
「なにそれ」
「昔の自分の夢に、引きずられてるあいだ、記憶が錯乱してるんだとさ」
「他人事ね、あんたは」
「……前もあった」
「前って」
「昔、桜の木の葉に埋もれた死亡者の調査をした。ある人が亡くなった場所に植えられているものらしく、すこし曰く付きだ。その下見に行ったあとのあいつ、少ししてからこうなった」
二人はなにか難しい話をしているが、俺はよくわからない。
かいせは、優しい。
ぴとっとくっついていると、眠くなってくる。
「頭や力を使うと、反動でなにかが不足するのかもしれない。そして、一気に負荷がかかったあいつはしばらく、誰からも距離をおき、寄り付かなかったんだ」
「それで」
「帰ったら、吐いてるか、ずっと泣いていた。落ち込んでいるとかじゃない、そんなものではない。
世界そのもの、人そのものに、酷く恐怖を感じていたみたいに。あいつ、わけがわからなくなって、何もわからなくなってたんだ。仕事を受けるのをいやがるのだって負荷がかかりすぎると、不安定になりすぎて、自我をまともに保てなくなるからなんだろう」
「そう……」
「事件のあとは同僚が何人もお見舞いに来たよ。けどさ、そのときのあいつの状態、実はすでに元気になるとかならないの次元じゃなかったんだ。人間そのものを怖がっていたみたいに。好奇心も好意も、なにもかもが、もはや怯る対象でしかないといった感じで、テレビも音楽も全部耳塞いで、部屋のすみっこで震えていた」
「あんたは、なにもしなかったわけ」
「俺に出来たのは、怯えるあいつに、無理にでも食べさせて、いやがっても眠らせることだけ」
「どうして、そこまで、不安定になるのかしら」
「あいつは、愛情も、嫌悪も、正確に区別出来ない。いや、傷付けばいいのか、喜んでいいのか、判断することさえすでに放棄しているのかな」
「何を受け取っても、不安にしかならなかったのね、でもそれって――」
「悪い、アレだけは、お前にも言えない。俺も気分がよくない。昔かなりひどく、人間不信に陥ったことは確かだ。世界も他人も、なにもかもが、異質にしか見えない、そんな恐怖のなかに居た」
「かいせ」
くい、とシャツを引っ張る。
じーっと見つめていると、なんでもないよと言われた。
まあ、なんでもないならいいか。つまらないから、家から持ってきた知恵の輪を取り出して、かちゃかちゃとやる。
数秒で終わって、つまらなくてまた組み立てる。
「お、楽しい、それ?」
無視。
楽しいとか楽しくないとかじゃない。ただ暇だから。
俺は、機嫌が悪いときと、答える言葉が見つからないと黙るらしい。
今回は後者だ。
楽しいかと聞かれても、楽しいかどうかさえ考えてなかった。
「あら、無視ですか」
不満そうに言われる。
でも、なんて言えばいいのかがわからないので、首を傾げる。
「ちぇー」
とかいってすねだしたので、黙って知恵の輪を差し出した。楽しいかどうかくらいやればわかるだろ。
「俺にやれと。できっかな?」
ぼんやり、窓を見る。
青い。
空は、いつも、なにか懐かしくさせる。
懐かしい。
『お前、居場所が無いのか』
彼はあの日言った。
俺は何て答えただろう。いや、たぶんなにも言わなかった。
あるのが当たり前だともないのが当たり前だとも思っていない。
そんなのさ、
誰も知らないなら、
「俺――」
「死ねばいい」
声。
「許せないんだよ、お前みたいなやつ」
声。
「クズが嫌いか、面白いか? バカにしてんだろ、優等生さんは」
うん、面白いよ。だって。
俺がバカにしたくらいでなにも出来ないなんて、ほーんと、中身が無い。意思も無い。
他人の目ばっかり気にして気持ち悪。
だから他人のせい。
毎日毎日、理由は他人のせい。
食い潰した時間も、お金も。親か? それとも、先生?
アハハハハハ!
その上、まだ、無いものを探してさぁ。
どうなるんだよ。
それさえ、無い誰かは。我慢出来ないのはこっちだ。
頑張ったり、挫けたり、それでも一応折り合いを付けてる人だっているじゃないか。
出来ないのは、出来ないせいだろ?
「なんで、死ななきゃいけないの」
出来ないことを、周りの力でやるだけやって。
その上『俺には合わない』って言って放棄。
さらに、俺のせいなのか。
わからない。
こんなのが、正しいって?
これを、納得してろって?
――我慢出来ない。
「出来ないやつもいるんだよ! 苦労しないんだよ、出来るなら!」
声が。
する。
苦労しない人生なんかどこにもないのに。そんな夢みたいなこと言ってさ。でも。
「それ、俺を痛め付ける理由? ねぇ……」
痛め付けたやつも同じ理由なんじゃない。
苦労から逃げて、
ずるい。ずーっとそう。出来なきゃ暴れればいいんだもんね。
納得出来ないなぁ。
出来たら暴れなくていいのに。
苦労もしないのなら、
俺に当たるよりも、真っ当に、すべきことがあるのに。
犯罪者になったら、余計苦労するよ?
人が死ぬ理由って、
なに?
□
「寝込みを襲ったりしないでしょうね?」
声。
振り向くと橋引が居た。ソファーに運んだら、
クッションを握りしめてくたっとしている、色を眺めてただけなのに。
人聞き悪いことを言う。
「お前まだ居たの」
「悪い?」
「悪かないが、一旦着替えとかに戻ったりしないのかな」
「ここで着替えて欲しい?」
「お願いします」
「するか阿呆」
腰に手を当てて、ツンツンしている彼女。
なかなか美人だが、ツインテールはあまり似合ってない。おろせばいいのにと思うが、まあ彼女の好みだから俺が口を出すことではないか。
「私、色ちゃんとお話したいことがあるわけ」
「えっ、なんだ、それは」
驚いた動作で、自然に腕を伸ばしたつもりだが、彼女は、それを器用にはね除ける。
「やめてよ、あんた触れたものからの感情、筒抜けなんだから!」
知ってる。
だからやってんだ。
「私と色ちゃん、組もうかと思ってるの」
「え……あいつ、子どもみたいな顔して、あれはあれで、なかなか、アレだぞ?」
「アレばかりでわからないですが」
「あんまりなめてかかると逆に足元をすくわれるぜ。あいつの過去見たことあるけど、弱そう、優しそう、言うことを聞きそうに見えるとかの理由からよく、変なのに絡まれたりするんだと」
「あー、あるある」
そして、そういう空気を敏感に感じとるらしい。
「んー」
そのとき、ソファーで寝ぼけていた色が、ばたばたと腕を伸ばして何か掴もうとする。
「どうした」
近くに行くと、ぎゅ、と抱きついて離してもらえなくなった。
「……あのー」
すやすや、寝息をたてているから、寝ては、いるようだが。
「う、ぅ」
「んー? 起こしたか?」
彼は昔、悲惨なストーカーにあったらしい。愛想よくしなくなったのも、そこからだろうと、柳時さんは言っていた。それを思い出していたのだろうか。
ぼーっと手を伸ばすと、何かを掴んだ。温かいからそのまま布団に引き込む。
温かい。眠たい。
抱き締めながら、ぼんやり思うのは、小さな頃、しがみついていた自分より小さな手。
――壊さなくても。
どこにもいかないよ。
だから、さ。
悲しそうな目。
悲しそうな手。
悲しそうな、声。
力。
叫び。
どうしてみんな、俺を信じないのだろう。
殴ったり、叩いたって、好きになるわけでも嫌いになるわけでもないというのに。
ただ単に痛い、って感覚がある、それだけなのに。
暗闇のなかに誰かの声が聞こえる。
「好きなの、わかって!」
「そうなんだ。わかった」
淡々と返す。
「そういうことじゃない、あなたわかってないわ」
よくわからなくて黙っていたらまた、殴られる。理解するだけじゃ、だめなのか。
「あなたは、私を」
「俺は。好き、が、よくわからない」
そういうと、少女が、最低だと騒ぎ始めた。何がだろうか。わからないことがか。
世界は、ぐにゃりと歪んでいく。俺はただ怯えている。嫌いだと言われた方がまだマシだ。
あんな、あんなの――――
走り出した俺に、誰かが囁く。
「逃げ場なんてないわよ?」
―――――――――――――っ!
声にもならない叫びをあげそうになって、目を覚ますと、かいせが、そばで携帯電話を構っていた。なにか連絡があったらしい。
「柳時さんとこ行ってくる」
「俺も行く」
残されたくなくて思わず服の裾を掴むと、目元に口付けされた。
「……?」
「泣いてたな」
「そうかもしれない」
「心配事?」
縛られるのは、嫌だ。相手は、もう俺の目を見ていなくて、あれが怖い。
かいせも、そうなるのだろうか。
「いや、昔から変質者に好かれるなぁって」
「おちょくってる?」
「もっと」
優しく触れられながら、ぼんやりと考える。もしかしたら、彼も今。
「寂、しい?」
答えは無い。いつもより過激に求めてくるだけだ。よしよしと撫でてみる。寝癖があまりないのに腹が立ち、ぐしゃぐしゃと掻き回す。
「こら。やめてください」
さすがに止められる。結構楽しかったので、拗ねてしまう。ふいっと無視して出掛ける支度を始めた。
□
その日は、曇っていたり、晴れたりと、安定しない天気だった。
しばらく新幹線や飛行機に乗って、目的地に向かった。
今は、レンタルした車の中。
「俺。寂しい」
がたがたする座席を気にしないようにしながら、言うと、かいせは、そうなの? と笑った。
しばらく続いているこの状態の中、任務が始まるわけで。
車のなかでひっつきまくっていると、橋引が、呆れた顔でちらりとこちらをみた。うん。覚えてるよ。
「色ちゃん、あんたさー」
「うん」
かいせのさらに奥に居る彼女は、やけに気だるげ。ピンクの携帯を操作したり、リップのつき具合を確認したり。
「そういう、キスとかはするのよね」
「かいせは、俺みたいなものだから」
「なにその理論」
「あぁ、俺は、こいつみたいなものだしな」
「だからなにその理論」
うまく言えない。ただの友達にもしない。 恋人なのかはわからない。そういう感じ。
落ち着く。好き、と恋は、違う気がする。なにが違うかわからないけど。
窓の外は、うんざりするような快晴だ。
「ねぇ」
三人並んで、後部座席。一番左側にいる俺が、ぐいっとシャツを掴むと、彼は少したじろぐ。
かみかみと、首筋をかじっていると「ちょ、痛いからやめよ?」と声がかかる。
「……」
くーん、と甘えた子犬のようにしょんぼりしてみるが、効果はない。
「急にどうしちゃったの、色ちゃん」
「調子が悪いとき、まれに起きる、記憶退行らしいよ」
「なにそれ」
「昔の自分の夢に、引きずられてるあいだ、記憶が錯乱してるんだとさ」
「他人事ね、あんたは」
「……前もあった」
「前って」
「昔、桜の木の葉に埋もれた死亡者の調査をした。ある人が亡くなった場所に植えられているものらしく、すこし曰く付きだ。その下見に行ったあとのあいつ、少ししてからこうなった」
二人はなにか難しい話をしているが、俺はよくわからない。
かいせは、優しい。
ぴとっとくっついていると、眠くなってくる。
「頭や力を使うと、反動でなにかが不足するのかもしれない。そして、一気に負荷がかかったあいつはしばらく、誰からも距離をおき、寄り付かなかったんだ」
「それで」
「帰ったら、吐いてるか、ずっと泣いていた。落ち込んでいるとかじゃない、そんなものではない。
世界そのもの、人そのものに、酷く恐怖を感じていたみたいに。あいつ、わけがわからなくなって、何もわからなくなってたんだ。仕事を受けるのをいやがるのだって負荷がかかりすぎると、不安定になりすぎて、自我をまともに保てなくなるからなんだろう」
「そう……」
「事件のあとは同僚が何人もお見舞いに来たよ。けどさ、そのときのあいつの状態、実はすでに元気になるとかならないの次元じゃなかったんだ。人間そのものを怖がっていたみたいに。好奇心も好意も、なにもかもが、もはや怯る対象でしかないといった感じで、テレビも音楽も全部耳塞いで、部屋のすみっこで震えていた」
「あんたは、なにもしなかったわけ」
「俺に出来たのは、怯えるあいつに、無理にでも食べさせて、いやがっても眠らせることだけ」
「どうして、そこまで、不安定になるのかしら」
「あいつは、愛情も、嫌悪も、正確に区別出来ない。いや、傷付けばいいのか、喜んでいいのか、判断することさえすでに放棄しているのかな」
「何を受け取っても、不安にしかならなかったのね、でもそれって――」
「悪い、アレだけは、お前にも言えない。俺も気分がよくない。昔かなりひどく、人間不信に陥ったことは確かだ。世界も他人も、なにもかもが、異質にしか見えない、そんな恐怖のなかに居た」
「かいせ」
くい、とシャツを引っ張る。
じーっと見つめていると、なんでもないよと言われた。
まあ、なんでもないならいいか。つまらないから、家から持ってきた知恵の輪を取り出して、かちゃかちゃとやる。
数秒で終わって、つまらなくてまた組み立てる。
「お、楽しい、それ?」
無視。
楽しいとか楽しくないとかじゃない。ただ暇だから。
俺は、機嫌が悪いときと、答える言葉が見つからないと黙るらしい。
今回は後者だ。
楽しいかと聞かれても、楽しいかどうかさえ考えてなかった。
「あら、無視ですか」
不満そうに言われる。
でも、なんて言えばいいのかがわからないので、首を傾げる。
「ちぇー」
とかいってすねだしたので、黙って知恵の輪を差し出した。楽しいかどうかくらいやればわかるだろ。
「俺にやれと。できっかな?」
ぼんやり、窓を見る。
青い。
空は、いつも、なにか懐かしくさせる。
懐かしい。
『お前、居場所が無いのか』
彼はあの日言った。
俺は何て答えただろう。いや、たぶんなにも言わなかった。
あるのが当たり前だともないのが当たり前だとも思っていない。
そんなのさ、
誰も知らないなら、
「俺――」
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