丸いサイコロ

たくひあい

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丸いサイコロ12

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――と、いうところまで考えて、なんだか複雑な気分になってきた。
眠いような、お腹がすいたような、まだ考えるべき問題を完全に放置したような。……どれだ?


 現在、時刻は昼を向かえている。まつりは、なんか食べよー。と、ぼやーっと呟いて、ふらふらと台所に出ていった。包丁が、まな板を叩く音がする。なにかと刃物を手放さなかった時の名残なのか、単に、ひとりで暮らすために成長したのかは、ぼくが知るところではない。食用の肉や魚をさばくときに、どこか嬉しそうなのだけは、気のせいではないだろうが。

(昔は『ほら、水晶体ー!』みたいな感じで、なにかと差し出して見せてくれたものだ。何の、かは知らない)


「すごく器用なんだけど、すごく不器用なんだよな、どうも……」


 うーん、と、考えながら、ぼくはリビングの隅で三角座りをしていた。座りかたに意味はない。リビングの角にいるのは、癖だ。角は、落ち着く。そう、たぶんぼくは落ち着きたいのである。

 兄が偽物ではなかったとなると、わりと、ぼくには衝撃で、明日は熱を出すかもしれない程度には、驚き過ぎて、いまだ、驚くことも出来ていないのだ。


 しかし、ならば、あれは何だったのだろう?
暗い地下に入ったときだけ、ぼくは、彼の顔が、よくわからなくなっていた。

「暗かった、から?」

 あのとき自分の中に感じたのは、確かな拒絶や、真っ黒い感情。だけど、ぼくは、それを認めたくない。
──そういえば、まつりは怪我を《している》のだろうか。怪我を《させられた》のだろうか。持病かなにかを《持っている》のだろうか。あの話の一部分が嘘だとしたら、何が自然なのだろう。


──そもそも、派手に血糊を付けたのは、本当に、まつりがそうさせたからか?
 おいおい、見えているくせに。わからないはずは、ないんだよな。

自分にさえ、そう言って、笑われている気がした。
やめてくれ。ぼくは、なにもわからない。なにも……  

「──はは……」

 『ずっと誤魔化していたが、あそこは既に《現場》だったんじゃないか』

などと、ぼくは今になって、どう聞けば良いのだろうか。そこまでぼくは、ああいうものに慣れてはいない。だから、口に出せなかった。
怖かった。言葉で、表せなかった。嘘なら、イタズラなら、それで、そういうことにしておきたい。

──だけど、やはり、ぼくは聞くべきなのだろう。ぼくが、何かをどうにかしたいのなら。
そう、今は思うのなら。
あの兄のことも。

 後々、ゆっくり考えてみれば、まつりが賢いのは知っている。ヒントがあれだったとしても、わざわざ分かりやすいことをするよりも、本格的にぼくを騙してやる方があいつ的には、『面白いはず』と考えるべきだったんじゃないか。


 だけど。
ぼくは、死体そのものを見ても、余程酷くなければ、赤い場所で寝ている、としか思えない。

『死んだ』と、言葉で聞かされる方が、怖いような、やつである。

 自分の記憶に刻まれやすいものほど、それが、明確に伝わってしまうほど、怖いのだろう。そしてぼくがそういうやつだということを、まつりは知らなかったのかもしれない。


 誰かに言われて、それをしっかりと記憶してしまっては、付きまとう。それから逃げ出せない。見ていなくても、想像出来てしまう。だけど。

「――そろそろ、向き合わないといけないんだって、お前は……ぼくは――そう言いたいのか」


















(回想録)
<font size="5">28.紅い食卓、偽物</font>


 食堂に入って夏々都が部屋を立ったのを見送って、まつりはテーブルの布を、わずかにめくった。盗聴などを一応心配していたので、コンセントなども念入りに眺めてきていたのだ。期待は、予想外な方向で、裏切られる。
布がかかり、足が見えにくいその下、奥の方の床が、赤い液体で、大きいものは横に丸く広がり、小さなものは、ぽつぽつと散り、汚れているのを見つけてしまったからだ。布を目繰り上げ、近くまで行きながら、座る位置が、入り口に近かったのは、まだ幸運だったかもしれないと考えた。もう少し奥の、自分が見る限りでは、明らかに布が若干長いところに座っていたら、事態は大変ややこしかっただろう。これは《あの人》の、仕業なのだろうか。
 布なんて早々外さないし、テーブルがでかくて入り口から、かなり距離があるし、めったにバレるわけがないなんて発想なら、確かに大胆ではあるが。


 いや、それ以前に。自分たちを放っておいてもいいと思っているのは、気付かれないと思っているか、証拠がないからか。
──それとも『彼』が想定外に、ここから、行かれてはまずい場所にでも向かったのか?



 とにかく今のところ、わりと予定からずれていないからいいか、と、まつりは思った。

 まつりは、こう来たらこう、という臨機応変のために、細かい予定自体は立てないので、予定というよりも、かなりざっくりしたものだったが。


「ひっ……」


 いつの間にかのぞきこんできた少女が怯えていた。まつりは気にせずに、考える。(多少気にしてはいたが、ここで下手に刺激する方が大変なことになりそうだったので)


「な、なんで、冷静……」

 震える少女が、こちらを見て複雑な表情をしていた。冷静なものは冷静で、どうしようもないと考えてから、きっと彼女が言いたいのは、自分が恐怖にとらわれていることに対する疑問に過ぎないのだろうと考えを改める。


「……ん、そうだなあ」


 そもそも、本体がない。確証もない。想像力で結び付けるよりも、状況把握が先だ。他に、床に続いて伝っているような跡や、目立つような傷などが今は、他にない。

 手形らしい跡もあるし、彼女の様子も怪しかったように思うし……いや、そもそも、これがただ、赤いインクを溢した際のものとは、あまり思えないのだが。


 これが、どういった意味なのかを考え、ある程度答えの予想が出来たところで、まつりは閉じていた目を開いた。

(まさか、こんな感じだとは、さすがに思わなかったな──)

余裕が出来て、さっそく答えを確かめようと思ったが、少女がまだ怯えていたのに気付く。
まつりは、そこで、どうしろというんだと、一瞬焦りかけた。

「こ、怖い……」


「え、あ……おい、じゃなくて、ええと……」


──だが、焦っても良いことはない。考えた末に、彼女が握りしめている指をそっと掴み、自分に持ってきた。あたたかい。弱い。脆い。小さい。


 彼女はなんとなく、何かにしがみつきたそうに見えた。

 ──特に、不安なときや、怖いとき、どうしてこんな触れ合いみたいなもので安心を求めるのかと、内心では気が知れなかったのだが、彼女にはその方がいいのかと思い、思考を適当に片付ける。気にかけるように言われてもいたのだし。


彼女は恐る恐る、まつりに近づいた。まつりは曖昧に笑いながら、彼女を撫でた。まるで、猫みたいに。

「大丈夫だ」

なにがだ、と自分で思いながらも、優しくなだめる。

「う……うう……」

「落ち着いて」


 わけもわからず、何か呻きながら、自分に強くしがみつく様子を、どことなく、冷めた気持ちになりながらも、なんとなく面白くて、彼女が落ち着くまでそのままにしていた。
 少しすると彼女がある程度落ち着いたので、手を離し、さてと、と行動に移ろうとしていたときだった。気配を感じた。

──瞬間、振り向く間もなく、包丁を持った仮面の人物が、こちらに襲いかかってくるのを見た。なんとなく、滑稽だったからかもしれないが、それはあまりに現実味がなかったので、驚くことが出来ない。廊下のカーテンみたいな黒い布を体に巻いていたが、体格などで、それでも、誰かは、なんとなく、予想出来たのもあるだろう。危機感が、薄かった。

「……あ」

 まつりは、攻撃が咄嗟だったために避けきれずにその場に倒れた。少女はなんとか一人先に、机の下に隠れたので、無事だったのに、少し安心する。

 幸い、少しでも反応は出来たので、かすっただけになったようだった。

 それでも、少し、皮膚を抉ったのだ。気にしないようにしているつもりで、「あー痛いなあ」と他人事のように思わずにはいられない。
 また、床の、未だに乾かないなにかで服が汚れたことを少し、残念に思い、苦笑してしまった。



 仰向けに転んで、咄嗟に手をついたせいで《手のひら》もまた、赤くなってしまったのも、不快だった。それは、ほんのわずかに明るいオレンジが混ざり、分裂してきている。あまり好きな色ではない。


 ……この液体はやはり血液などではないだろう。自分の血があとから少しずつ染みてきた。こうしてみると、やはり乾き具合や、感触が違うなと思いつつ、だが、まつりにとってはそれ自体はどうでも良かったので、茶化す。


「コウカはダメな子だなあ。あはは、痛いよ、もう!」

 仮面の人物は、何も言わなかった。ただ乱暴にまつりに手をかけようとした。どちらかが動いた際、壁にも滴が散った。まつりは逃げない。仮面の人物も逃げない。

少女はまた怯えていたが、すぐに自分だけ隠れたところからも、強かな感じがするので、今度はあまり心配していない。


 まつりは、自分の痛みや不安よりも、安心してさえいた。ぼんやり、なんとなく、この場に『彼』がいなくて良かったなと思ったのだ。絶対にさらに場をややこしくしていただろう。だからこそ、楽しくもあるのだが。

「ねぇ、これはなに?」

 手のひらを見せながら聞いてみたが、相手は聞く気がないらしい。迫ってくる。なんとか凶器を持つ腕を捻れないかと考えたが、手は、あいにく、まだ滑りそうだ。


「……わかったよ」

 そう言って、続けて何か提案しかけたとき、ばたばたと、足音が聞こえるようになってきた。女性らしきものと、男性のもの。


 そう思ったら、体が動いていたらしい。滑りたくないので水溜まりを避けながら、力一杯、相手を蹴っていた。咄嗟の判断だった。仮面の人物を容易く倒して、めくれていた布の影に、乱暴に隠す。一応、方向には配慮したし、少女のさげていた鞄が床に落ちていて、頭を直接打たない程度にはクッションにはなるだろうと勝手に使わせてもらった。
 入り口側からは、見えないようにする。


「──殺す!」


 絶叫。包丁が転がった。少女が、動転していたのか、液体の中から、咄嗟に拾い、そのまま混乱していたので、とりあえず、その場から出させていた。 影に隠れた人物にも、静かにしていろ、と脅すように告げる。武器を無くし、この時点でまともに立ち上がるのが困難な人物は、黙ってしまった。

 後ろに、彼が、夏々都が立っている。目を白黒させている。面白いなあ。と、思って、手を振ってみた。きっと誤解が始まるだろう。
──果たして、彼はどこまでを想像してくれるのだろうか?


「やめて! その人は──」

 もう一人のコウカが、慌てて飛び出してきていた。計ったようなタイミングなので、さっきまで、一体どこで何をしていたのだろうと、少し気になったが、今は置いて置くことにした。  








   □

『その町は、坂が多くて、なにかとよく風が吹いていて、港に近くて、森があって、湖があって。

そして──笑えないくらい、不釣り合いな、立派なお屋敷があって、そのお屋敷には、幼い、寂しそうな子どもが一人いて、その近くには、傷付いた少年が住んでいました』



「どうしたんだよ、そんな顔して」

──そんな顔? 別に、普通だけど。

「明らかにおかしいって、わかるから聞いた」

──……今日、知人が、一人死んだんだ。


「うん」

──自分から、死んだんだって。
家の人に、おまえのせいだって、言われた。『おまえが来てからおかしくなった』ってさ。


「それは、本当に、まつりのせいなの?」


──……わからない。だけど『そばにいるだけで、みんながおかしくなって、死にたくなる』んだってさ。
……なんで──うまく、いかないのかな。生きていて、くれないのかな。

「……どうして、だろうな」

──今も、お葬式、追い出されちゃってさ。


「……そうか」


……まつりは、酷くて──生きていては、いけないものなのかな。


「……ぼくは、違うよ。おまえには壊せないし、死んだりもしない。だから、大丈夫。耐久力あるからな」

──え?


「ぼくは、お前を見て、やっと、生きていられると、思った。生きていてもいいんだなって思えたよ。敵意も、同情も、これといった興味さえ、向けないでもらえたのは、初めてだった」

──?

「ぼくも、ただの、普通の人間だって、実感できて、嬉しかった。一人、救ったんだぜ」


──まつりは、生きていて、いいの、かな。


「許可なんか、いるかよ」

──……うん。

















     □

 過去の話を聞いた。過去に、ここに来たときの話だ。

 彼は、何しに部屋まで行ったのかと、気になったのもあるし(ヘアゴムの片方がここにあったとは思わなかった)、記憶力は、彼ほどでないとしても、悪いわけではない自分の、しかし嘘みたいな欠点を、少し補うためでもあるし、昔のことは、あんまり覚えていない。(それから、無理にでも、聞かせたい人もいた)


 そういえば、彼はなんだか無駄に自分を難しく説明してくれるが、(そのややこしい思考で、まともに生きているんだから、ある意味すごい。 ──忘れがちだが、脳内で高画質の延々と途切れないビデオを回しつつ、音声を拾い、他の情報処理もゆっくりながら一度に行っているような感じの彼の脳内を、その辺の人に移植したら、大容量に数秒で耐久出来ず、潰れるだろう)


──佳ノ宮まつりは単純に、自分の中の情報と、他人に対する情報が、曖昧だ。格好も、見た目も、関係なく。ふいに世界が、自分だけになってしまう気がする。


 その基準となるものを一個一個に付けていて、揺ぐと、わからなくなる。関わっていないと、失われる。
暗記と忘却の繰り返しだ。

 机の下に居続ける人物に、彼は、行七夏々都は全く気付かない。
──まあ、しばらくして思い当たるのかもしれないが。

 それが終わると、一旦片付けてからまた何か食べようということになった。片方のコウカは、何か持ってくると言って、またどこかに行ったが、まつりは食堂にちょっと忘れ物をしたといって、残った。


彼は、一旦、辺りをぐるっと回るらしい。おそらく、夜はこのまま泊まるのだろう。


「……もういいーよ!」


 食堂で倒れっぱなしだったその人物を引っ張り起こす。かくれんぼみたいに相手を見つけて呼びながら。正直、うっかり忘れかけていたなんてことにならないようにと、すごく気にしていたので、今はほっとする。


 手荒なこと自体はしたくなかったが、いきなり襲いかかられたのだし、あれでは話し合えなかっただろうし、と思う。

──とはいえ、力一杯とは思ったものの、実際はそれなりの加減があったことは、本人の甘さだ。

「……う、痛……佳ノ宮まつり……」

 相手がまだ寝ているのかと思ってつついていたら、状況の変化に反応したのか、ゆっくりと目を開いた。良かったと安心しながら、小さくため息をつく。
少し、不愉快な気分だった。

「その名前で呼ばれるの、実は苦手なんだよねぇ……フルネームはさ」

 割れてしまった仮面を拾い上げると、そこから現れたのは、細身の女性。特には何も言わないので、まつりは適当に独り言を続ける。傷も浅いながらに実は痛んだし、疲れていた。ここから動かずに話し合えるなら、そうしたい。

 いや、話し合わなくても良い。少し、時間が欲しかった。


「──その名前で呼ぶ人呼ぶ人に、まるで化け物を飼ってるみたいな扱いを受けてたことがあってさ」

彼女は、何も応えない。
だから、まつりは好きに続けた。

「あら、そう……」


「──まあ、本当はどうだっていいんだよ、そんな話はね」


 どうだって良いというのは、実のところ、強がりではない。ただ、どうだっていい話をわざわざしてしまうのは、自分に、余裕がなかったからだ。不安が、悪夢が、いつまでも消えない。


     □


「──そういえば、コウカ……あの事件に、本当はどうして、居たのかな?」


 ──と、だから、まつりは、当時の、事情に関わっているかもしれない人物に、聞いてみた。彼女は、そういう人物だった。とはいえ、今さらなにかが聞けるとも思わなかったが、ほんの戯れだった。殺されそうになった相手への態度とは思えないほど、好意的に見えるが、実際は、自分との力の差から、ある程度安全だと、まつりが認識してのことだ。


 本人に自覚はなかったが、悲しみに顔を歪めたまつりを、女性は、驚いたように見た。
 彼女は、お屋敷に居たことがある。佳ノ宮まつりはその頃から無感情に見え、だが幼くして知能が飛び抜けて高く、賢く、大人だけでは手が回らなかった雑務を任されていたのを知っている。
あの家系が、一体何を扱っていて、どうして栄えたのかは、彼女にも詳しくわからなかったが、常に、何かの仕事が、あそこで行われていたようだった。



 まつりは、膨大な資料や書類から、不明点や、修正点を的確に伝えていた。いつ、どんなに量が増えても、その表情は機械のように変わらなかったし、かける時間もほとんど差がなかった。


──かと思えば、時間が出来てはふらふらと出かけ、その辺のものを解体していたのだ。(人目につかない場所でやるため、一部の人以外、ほとんど知らない情報だ)

生臭さがまるで無いかのように錯覚させるほど、ひたすら無邪気に。まるで「ああ、生きてるなあ、儚いなあ」と確認するようだった。自分自身を映そうとしているようにすら感じていた。

そしてそれはとても、同じ生き物と、彼女には思えていなかったらしい。だから、この反応に、戸惑う。

「……どうして居たの?」  

 まつりはもう一度聞いた。
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