丸いサイコロ

たくひあい

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丸いサイコロ5

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「──役? 覚えてるかって、ぼくが何かを思い出すのを期待してたってこと?」

「ううん。今も期待しているんだよ。思い出せるんじゃないかなってね──正直、まつりにももう、結構、あやふやな点が多くなってるから、ナナトが何を知ってるのかさえ、ほぼ予想出来ないくらいだけど……でも今日、この計画を立てたのは、そのため。ひとつの賭けとして」


「えっと……少し考えさせて。覚えてる覚えてない以前に、ぼくは、察しが悪いんだ。引き出すのが、ちょっと下手っていうか」
ただの見苦しい足掻きに思えるが、実際覚えているのに、何を言われているかわからなくて答えられない、ということも結構ある。多くの記憶が、音声や映像として、常にあるけれど、見慣れた風景と似ているのだ。
残念ながら注意力が無いため、何気なく、見過ごしてしまう。
注意深く焦点を絞らないと、何を指されたのか、わからない。
──と、大きく一言で言えば、察しが悪い。
言語化して発音に至るまでが長い。

「うむむ。じゃ、頑張ってみて。ヒントは結構、あったと思うんだな」
「……おう。そして手当てをしててくれ。実は結構、入ってんじゃない?」
「んー。結構、痛くないよ。やわじゃないから」
「そうなんだ、足の裏とか指先はすごい痛がるのにな」
まつりは笑っている。どうしてだか、やっぱり、何か、不自然に。
コウカさんの声がふいに消えたと思いきや、近くのキャビネットから救急箱を取りだしていた。
ケイガちゃんは放心している。しかしぼくが近づくと、噛みつかれそうな威圧感もある。
「……じゃあ、えっと」
 考える。筋道を立てるのは苦手なので、思い付いた部分から。まず、ケイガちゃんはコウカさんではなく、エイカさんを探していた。これは、エイカさんは、ケイガちゃんと知り合いということも意味する。
探しているのはなぜだろう。親しかったから? しかし、ある程度親しかったくらいでは、わざわざ探しはしないのでは。そもそも、なぜ今になって?

何か利害関係にあって、さらにそれに期限的な条件があるとか?
 
 追い詰めた人を殺そうと決めていた?
誰なのかも、わかっていないじゃないか。

 にしてもなんだか雑だな。あいつもよけないし……(というか、どこから包丁を)

……落ち着け。
こんなに、疑問ばかり並べてもだめだ。わかったことから、数えてみよう。
ためしに、視点と前提を変えて。
とりあえず、まつりの求める筋書は何だろうか。
選ぶべき答えはどれなのか。

ある日、まつりのところに《あること》が書かれたメールが来る。このときに、彼女と会う約束をする。


それをぼくが知らず、指定日に気まぐれに外出に誘った。当初、まつりは、彼女の頼みを断ろうとしていたが、外に出てしまって、なんだかそうはいかなくなった。

で、計画変更。
そういえば、食べにいく場所を指定したのもまつりだった。どうせなら昼食を食べた合間に、いっそ合流してしまおう、と考えたのかもしれない。待ち合わせ場所は映画館。


ぼくを巻き込むのは、いつも通りなので、居てもいなくても、あまり関係ないということだろうか。

なぜ断ろうとしたのかは、後回しだ。
気まぐれだし、そんなに律儀でないと思うので、理由になりそうなことが多すぎる。

ケイガちゃんはまつりのことを知っている。まつりは、あまり誰かわかってなさそうだった。
見つけた、というとき、まつりはちょっとだけ震えていた。
そういえばケイガちゃん、コウカさんに、ちょっと雰囲気は似ていた気はする。失礼な気がするし、あんまり顔を注意深くは見なかったけど。

ああ、そうか、そういえばコウカさん、グループの中にいたのか?
どうして友好的な関係が築けたんだろう。今度聞いてみよう。じゃ、なくて。

えーっと。まとまらない。だめだ、考えれば考えるほど、いろんなことが浮かんでくる。しかも、どれもあり得そう。

「──あれ? というか、今考えるのは、事の顛末なんだっけ?」

さっきまで考えておきながら、何を一番に考えるのかわからなくなってきていたようだ。

あー、違う違う。頭がぼんやりしていたみたい。

今はまず、ぼくが《何かを思い出していないから》、与えられたヒントから、それを絞り出す、ということだったはず。
 頭がぐるぐるしてきたぼくは、髪をくしゃりと掴んだ。


そのタイミングで、ついに見かねてしまったのか、上着のカーディガンをマントみたいに巻き付けながら、手当てを受けつつ、こちらに背を向けたまつりが、はあ、とため息をついてから、声をかけてきた。

「なんだ?」

「……んーとね、さっき、どこに行ってた?」

「え?」

「さっき。ご飯を食べるときに、きゅうりだけかじって、抜け出したよね」

「ああ、うん。抜け出したよ。探してたものがあってさ。ちょっと、部屋に」


「それだよ!」


「え? どういうこと」


「だーかーら、それだよ」

「ウサギの、ヘアゴム……覚えてるのか?」

「覚えてない。──だけど、なーんだ、そうかあ。ずっと、知ってる部分と、知らない部分があったんだ。予想通りなら、それでひとつ、繋がったかも」

まつりは、少しだけ、すっきりした顔をした。


「……もしかして、あれって──まつりの物では、なかった、ってこと……?」
「使わないよ。もらったりもしてない。引っ張られる感じが嫌だし……そもそも趣味じゃない」


だとしたら。だとしたら。だとしたら───
──それ以前に《誰か》が?

……そして、それについての、ぼくが知り得た情報を、まつりが欲しがっている?

「この子から、メールが来たんだ。
『直系ではない、と母様が仰有るのを聞いてしまった。それで、わけあって、私はあの双子の姉さんに会いたい。知らないか』って」

まつりは、ケイガちゃんの方を見た。
彼女は、怯えていた。
そういえば刃物を持ったままだった。
まつりに、それ頂戴、と言われて、素直に従っている。

「──それで?」

「昔、地域で言えばこの辺で事件があった。それで居なくなった、って答えた。そしたら、数日後に、またメールが来た。どうやって調べてきたのかねえ。
『調べてみると、事実のようだな。
そしてそのくらいの頃、ちょうどあの館に、貴様がこっそり泊ったりしていたことも、わかった。現場は、その近くだったそうじゃないか。貴様にとっては、あそこは、やや遠出になるだろうに、これは偶然なのか』みたいな」

「でも、泊ったとか、その辺の記憶がないってことか。そして、ぼくには、ある。そうだ、お前と、昔ここに、こっそり入った」

ケイガちゃんが知らない何かを、知っているはずなのに、既に認識出来ないまつりは、返事に困っていたのかもしれない。

「そうか──やっぱり、もともとは、ここにあったんだ。今朝ね、ナナトの部屋の床の隅に、ウサギの、ヘアゴムの片方を、何気なく見つけたんだ。もちろん、自分の趣味ではないし、ナナトは、こんなのを持たない。不思議だなあ、ってくらいだったし、そんなに珍しくもないし、最初は、気にしてなかったんだけどね……ナナトも、目の前で使っても、無反応だったし。でも」

「──でも?」

「ねぇ、話してよ。二人で、泊ったっていう話」

軽い処置を終えたらしいまつりが、こちらを向いた。まっすぐに、ぼくを射抜いていた。




11.今日と未来以外は、すべてぼくの昨日

「わかった、えーっと……」

時間を稼ぎながら、ぼくは、静かに、集中する。

話すための準備をする。ゆっくりと思い返すのだ。見ているビデオの内容を、誰かに実況するみたいに。どんな風に伝えればいいだろう。
まとまらないうちに話すことも出来るが、そうすると
『──あ、今歩いてる、ドアが開いた。芝生が湿ってるから、雨が降ってたんだな。草のにおいだ。鳥がいる。ボールだ。人が来た』という具合になって、全く伝わらないのだ。
小学生の頃は、よくこれで痛い目を見た。クラスからのイメージが変人になる程度に。

あんまり必要ないが、とりあえず、区切りに深呼吸してみた。
……苦しい。吸いすぎた気がする。

「もう、大丈夫?」

まつりが聞いてきた。
ケイガちゃんは、洗面所に向かったらしい。
コウカさんは消毒液を片付けている。

「少し、長くなるけど」

ぼくは前置きをする。
それから、ゆっくりと語る。  


   □

その頃、ぼくは、家がつまらなかった。
家族との関わりかたもよくわからないままだった。《遊んで》もらっても、そんなに楽しいとは思わなかった。どうせ、それは、《しつけ》や《実験》と同じなのだから。

年齢が二桁にも満たない小さな頃から、よく、勝手に外に出るようになった。もちろん、学校の用事以外では、勝手に外に出るなよ、と常に言われていたからだ。
監視をすり抜けて、半袖や、薄いシャツを着て出掛ける。これもその服装で出るなと言われていたから。だけど、本当の、一番の理由は――――誰も、その言い付けのわけを言おうとしなかったから。
……いいや、違う。それ自体ではない。

ぼくが一言で表すならそうしてしまうが、ただ言い付けた、のであって、それには理由があるほど、良いとか悪いとかが、無いように思えたから。

外に出ても、お金もあまり持っていなかったし、何がしたかったのか、わからない。ただ、歩くだけで自由を感じた。幸せだった。


その度に、誘拐されたらどうするの、と帰って来ると母にすごく怒られていたが、それは後々の風評被害が面倒だから、というくらいに聞こえたし、むしろ、ここから出ていきたいな、とぼくは思っていた。



そんな家があるお向かいさんには、お屋敷があって、結構大きくて、家とは仲が悪かった。
『財産がな、あちらの方ばっかりに多く流れたんだよ。本当はこちらの分だったのに』

たまに帰ってくる父は、いつも忌々しげにそう言って、屋敷を睨んでいた。母も、屋敷を嫌っていた。

ぼくは、興味を引かれた。家族が、とてつもなく嫌うほどの何かがあるお屋敷は、ぼくと似ている、と勝手に思ったのだ。

いつの間にか、自然と、足が向いて、お屋敷に出掛けるようになったのは、もちろん、ぼくが《悪い子》だったからだ。
少なくとも、いい人ではない。


そしてぼくは──お屋敷の壁に、ボールを目一杯ぶつけている、そいつに出会う。だが、その辺は省略。

──その日は、そいつは、いつもの壁のそばに、いなかった。



──少しそれるが、ここで、そのときの、普段、のことを。

(注釈だが、ぼくは、建物だけでなく、敷地を含めて、その範囲すべてを、お屋敷、と呼んでいた。そのときのぼくが入ったことがあるのは、庭だけだ)

普段は、庭に入ったらすぐに見える壁のそばに、いつでもそいつがいて、いつもボールを持っていた。子どもの手には大きいが、大人にはやや小さめな、柔らかい物だ。


 ボールが好きなわけではない、らしかったが、出会ってからも、いつも持っていた。ぼくにとっては、凶器の意味合いが強くなってしまって、あまり好きじゃなくて、眉を寄せていたが、まつりは常に手に抱えていた。

気遣いが無いなんて思ったりはしなかったのだが、あまりにいつも持っているので気になって、ある日聞いてみると、これが、そいつなりの考えのひとつだった。

これが転がったとかなんとか言えば、うまい言い訳になるだろう、と。それを聞いて、ぼくは笑った。あんなに愉快なのは、初めてだったと思う。自分の解釈だけで済まさずに、聞いてみる、というのは案外大事なのかもしれないとも思った。



まつりの家も、ぼくの家とは仲が良くない。
と、いうか、聞いたところでは、ちょっと見下している感じのようだった。二つの家に何があったのかは、はっきりとはわからない。

――だが、とにかく、あまり触れると良くないことのようだから、ぼくらも、それなりに、子どもらしさを意識しながら、子どもらしい範囲で、日常では気を使い、知恵を絞っていたのだ。

信じてもらえる、というのは内容の真実性も確かに重要かもしれないが《外から判断できる個人の設定に、見合った範囲内》という方が、それよりも大きい、強い影響力であると、ぼくは考えていた。まつりはどうだったのだろう。《ボール》は、そういう意味では、それらしい理由だったのだと思う。


しかし、それが使えるのは一度切りじゃないか、と思った。まつりと出会ってから、ぼくは、更に、外に出るのが好きになっていたからそれを失うのは、酷く残念なことだった。まつりは言った。


『そのときは、まあ、逃げようか』






――そして、その日。
まつりは、いつもの場所に居なくて、ぼくは、そいつに起きた何かの変化を、理解した。

確か、夕暮れ時だった。
その前日は、まつりの見たがっていた本を貸そうと約束していた。
柱時計によれば16時46分のことだ。火曜日。給食の冷凍みかんをこっそり隣の席の子にあげようとして、怒られた日。夕焼けはちょっと曇っていた。庭の草は刈られたばかり。

学校が終わって、すぐにやってきた。

だけど、いつもの場所にいないので、帰ろうと思った。自分から言い出した約束については、滅多に破らないやつだと思っていたが、気まぐれもあるだろうと。
ちょうどそのときだ。お屋敷、建物内の両開きの窓の向こうから、バタバタと足音がして、まつりの声が聞こえてきた。

「かあさま! かーあーさーま!」

「私、かあさまじゃないわ」
「かあさま、そうやって、冗談を仰有るんですか? 」
「あなた、目は見えてます?」

おそらくは若い女の人と、まつりの声。それからすぐ、大人の女の人と思われる声がした。

「まつりさん。かあさまは、こっちよ。何を言ってるのかしら?」

「……とうさま、笑いを取ろうとお考えなのですか?」

やけに、騒がしい。
眼科がどうのと、大人たちが揉め始める。
まつりの声は、真面目そのものだ、というのが事態の異様性を表している。

「視力はいいですよ、両目とも1・5です」

まつりはそう言うが、誰も取り合わない。どの病院がいいのか、と大人たちが騒ぐ中、庭で遊んでいなさい、と、とうとう追い出された。

こちらに来る、と焦りながらも、今のまつりのことが気になったりもして、そのまま、ぼくは突っ立った。

「あー、なとなとー、元気だったかぁ?」

まつりは、ぼくを見つけて駆け寄ってきた。
それで、そう言って、へらっと笑った。ぼくは、少しびっくりしながらも、頷いた。

「今さー。あのお家、なんか、居心地悪いんだ。みんなが、みんな。違う、違う、違う、って何を言っても、否定されるんだよ。わかんない」

わかんないことがわかんないんだよとか、わかんないのはわかんないからだとか、そんなことを言ったりはしない。ぼくも混乱しそうだった。

「そっか」

短く、そう応えた。
否定も、肯定もしなかった。まつりは、にこにこ笑って、言った。寂しそうに。
「わかるの、なとなとだけだなあ。からかわないの、なとなとだけだなあ」

まさか、本当に、からかわれているのだ、と思っていたわけでは無いのだろう。ただ、怖かったのだと思う。誰が誰かもわからないのに、それぞれのことは覚えているなんて。

そのときのまつりが、家族への認識をごちゃごちゃにしたのは、ぼくのせいでもあった。
そのときに《その人をその人として解釈し、覚える基準になっていた何か》のバランスを、ぼくの情報が入って来たことによって、崩したのだ。
ただ、ぼくには、そのときのまつりに対する理解が、ほとんどなかった。
何が起こったのかもわからなかった。戸惑いも一瞬。重大なこととも、思わなかった。

「ねぇねぇ、どこか、違う場所で、遊ぼうよ!」

「違う場所って……」

「遠くに行きたいんだ。良い場所を知ってるんだよ。そこに、なとなとと、近々行きたいなって思ってたんだけど。今日でもいいや」

そうして、ぼくとまつりは、来賓館に訪れた。
意味もわからず、なんか変わった名前だなあ、とぼくは思っていた。

その建物は、子どもから見ると、更に更に、大きかった。

「ね、すごいでしょ、今日はここであそぼう!」

近くの停留所からバスに乗ってやって来た途端、まつりは、そう言ってはしゃいだ。いろんな住所を、しっかり把握しているらしい。
着いてから、ああ、ここのことか、と思った。存在は、聞いたことがある。
更に数日前、母と父が、話していた場所だった。
『家も金を出したのだから、しっかり使わせて貰わねばならんな』とかなんとか父が言っていた建物。

「えっと、いいのかな? ここ、おじさんたちの家じゃないの?」

「ちーがーう、ここは、とくべつなおきゃくさんのおうちなの、だからなとなとは、いいんだよー」

そうか、そのお客さんのために、こんなところが出来たのか、と納得していたぼくに、まつりが言った。

「ナナトだって、何回も言ってるだろ?」

呼び名にこだわりは無かったが、照れ隠しに、そう言うと、まつりは困ったように首を傾げた。

「な……? と……と。んー、わかんない。それよりさ、入ろう!」

しばらく、口を動かしにくそうに発音を確認していたのに、あっさり諦めて、ぼくに言った。

真っ白な壁。立派な石柱。玄関の階段。植木のある庭の、右側には設立記念碑。誰かの像。視界に順に入るものすべてを、見た瞬間、しっかり刻む為に、ぼくの頭は動き出す。癖というか、止め方がわからない。

夢中になってしまわないように、はっきりと返事をする。

「うん。そうだね」

まつりが、持っていた鍵で、ドアを開けた。四段しかない階段を進み、重たい木のドアの先に、入る、まさにそんなときだった。

「おじさんは?」

「──え?」

「おじさん。おじさんは? とうさまは?」

「どうした?」

「わかんない!」

「なに?」


「あれ。どうして、ここに、連れて来たのかな? どうして? いいや、ナナトくんは、確かに、大切な……でも、でも、どうして?
さっきまで、違うだれかと一緒にいたような」 

「え?」

「ねぇ、聞いていい?」

嫌な予感がした。そして、それはすぐに、当たった。

「まつりとナナトくんは、いつも、こうして一緒に遊んでるのかな?」

前兆に、気が付かないほど、それは突然だった。
ふりだしに、戻った。
まつりの中のぼくの情報は、どこかで、捻れ、止まってしまった。

今思えば、唯一覚えているぼくと遊ぶことで、安心感を求めながらも、家族のことを、思い出そうと焦り、必死に考えていたのかもしれない。

そして、ここに来たことだけがきっかけだったのかは定かではないが……何かの基準を、それ以前に戻してしまった。代償は、ぼくの情報の一部。何か。

一緒にいたから『こういう存在』としては記憶が留まっているみたいだけれど、それに対して、実感、感情的な記憶が繋がらないようだった。

それは、それで、良かったじゃないか、とぼくは思った。少なくとも、おじさんや、とうさまは、今ではちゃんと理解出来るみたいで。解決。めでたし。
ぼくは、別に、何も思わない。もともとは、部外者だから。

それに、ぼくがここで傷付いたりしたら、こいつはどうなる?

きっと、どうしようもないことなのに、なんだかんだで根が優しいせいで、ぼくに対して、どうしようもなく悩まなきゃならなくなる。

ぼくのことなんかに時間を使わなきゃならない。誰もが大切にしないぼくを、いくら大切にしたって、どうしようもないのに。
ぼく自身にだって、自覚出来ないことなのだから。

もともと、おかしかったし、もともと、あってないような関係だった。傷付くことは、何もないのだ。
まつりも、ぼくを、ただ、隣の人、とだけ思っていると知っている。

「今日は、お前がここを案内してくれてたんだ。ありがとな。――でも、もう日が暮れたなあ。うちの親、厳しいし……あー、このまま泊まりたいくらい」

まず、説明を、捏造した。だけど、この説明も、まつりの記憶には残り続けることはない、とぼくは直感的に思っていた。

「……ああ、うちも厳しいんだよ……帰りたくない。たぶん、知り合って日が短いし、ここで、このまま親睦会もいいかもね」

まつりは、平然とふるまい、ぼくが予想していたよりも、二歩踏み込んだような提案をしてきた。

まさか、そのまま親睦を深めるという意味ではないのだろう。
《日が短い、間の記憶しかない》ということをこちらに暗に示し、《これまでの経緯を聞こう》ということなのだと、理解した。

いざとなれば、ぼく自身は気持ちなど簡単に押し潰せたし、まつりが帰りたいと言うなら、帰ろうと思ってもいたけれど。

その対応は、正確には間違っていて、だからこそ、正しかった。

なんとなく、考えた。
きっと、これは、ずいぶん昔にやった、ゲームのバグに似てる。どこまでも奇妙な道が続いて、どこまでも、レベルが上がって……でも、それは、正常ではないから、読み込み直せば、それまでだ。
嘘の世界での嘘は、その中での現実だけど、真実にはならない。


中に入ると、それぞれ部屋を選ぼうという話になった。






小さめなサイズの部屋を見つけた。開けようかと思ったら、まつりが「それは寝室じゃなくて、倉庫だよ」と教えてくれた。

まっすぐまっすぐ行って、ちょっと左に曲がるほど、部屋が大きくなる。だけど、ぼくは小さな部屋がよくて、あまり奥に行きたがらなかった。

倉庫と言われた部屋はふたつ。倉庫の隣の倉庫が、ふと気になった。中からは言葉で表せないような、変なにおいがしていたのだ。
しかし、まつりは、何も感じていなかった。

自分がおかしいと言われることが多いので、ぼくは、自分が信じられない。まつりが何も感じていないなら、それが正しいと理解した。
そして、また変な気を起こそうとしているらしい自分に、嫌気が差した。
昔から何度もこんなことはあった。だけど、いつも、誰もがそれを知らないと言うし、自分だけがおかしい。
そんなものは存在しないのだ、と自分に強く言い聞かせると、においもあまり感じなくなったような気がした。

自己暗示は、得意だった。違和感なんて、覚えなければ、問題がない。

倉庫から離れ、廊下を進む。しかし、その途中で、足を止めた。頭を占める問題が、違和感、なんて次元ではなくなった。

うさぎのヘアゴムがひとつ、落ちていたのだ。何度か結んだらしく、真ん中が捻れ、やや細くなっている。
ぞわ、と全身が冷えた。
いきなり転がって、顔に飛んでくるような気がして、ひどく、怖かった。
足が、固まったみたいに、重くなる。

──助けを求めて、まつりを探すが、近くに居ない。良い部屋を見つけて、寛いでしまっていたのだろうか。

ぼくは、悲鳴を上げなかった。ばくんばくんと激しく動悸がして、苦しかった。唾液を飲み下す。胸が痛い。

震えながらも、ここにいるのば、自分だけなのだから、自分でなんとかしなければいけない、と自分を説得して、何度も言い聞かせた。これは、ぼくを襲わない。大丈夫、ぼくが掴んでしまえば、襲ってこない。

ゆっくりしゃがみ、手を伸ばし、それを掴めば、案外、なんてことはなくて、ぼくは安堵した。

回収に、30分はかかったんだろうか。誰かに言ったらきっと、大袈裟だと笑われてしまうのかもしれないなと思いつつ、冷や汗で手が湿っていた。

そのときになって、ようやく、まつりが廊下の角からこちらにやってきた。

「あ、まだここに居たんだ。決まらないなら、お隣にしようぜー!」

「ああ、うん……」


動揺を悟られないように、上着のポケットに、ヘアゴムをしまった。放置すると、また同じ場所で動けなくなってしまう。もう、見たくなかったのだ。
(泊まってる間は、特には何もなかった)
そこまでの話を、余計な感情を極力省いて語った。
捏造した説明や、ぼくらの状況の細かいことも、ちょっと省いた。
それでも、まつりは、ちょっと複雑な顔をしていた。思うところがあるのだろう。

コウカさんは、まつりに病院への受診をすすめる。
しかし、嫌だ、の一点張りだ。

「でも、大丈夫か、みてもらわなくて」

「そんなに深くはない。ああ、やっと、また少し、繋がったよ」 

「んん?」

「泊った場所も、出来事もだけど、ある人物についてのことも、だった。
……ああ、それが、人物のことであると思い出せたのも、さっきだけど。――ずっと、ある情報のみが、頭の中にあったんだよ。
でも、それが《何》なのかは、ピンと来ないでいた。だけど、繋がった。今、思うに、泊まりに来てたはずなんだ──そこに彼女が。だからこそ、二人で訪ねようと思った、はずだったんだ」

なのに、アレが起きた。
ぼくについてのことが混ざったと同時に、同じく、《そこ》で既に待っていたはずの人物の記憶もどこかにやってしまった。

そして、その後は《ぼくと二人で訪ねて来た》という情報に重きが置かれたことで《中で待っていた彼女》の記憶の居場所を無くしてしまったらしい。


「でも、お前が、鍵を開けてたぞ?」

「あ、聞いてないっけ、玄関は、来た人が自分で開鍵してねーって決まりなんだよ。あそこ、開けっ放しは危ないからさ。でも、部屋の中については、あちこち、鍵かかってなかったでしょ? 話によると、セキュリティ関係のものも、付いてたのに、勝手に、それも二人のこどもが敷地に入っても、警報器さえ作動してなかった。それが、不思議だけどね」
「……そういえば、簡単に、入れるものだったな……でも、待て、どうして、その、彼女と会おうとしてたんだ」
「わからない。ただ……もう、いなかったみたいだね。来たときには」
 それ自体に違和感を感じることが出来なかった。なぜなら、そのときのまつりからは、彼女の存在が欠けていたから。そうしたのは、誰だろう?もし、ぼくが、説明をでっちあげなければ、まつりは何を優先しただろうか。
うつむいてしまいたくなる。まつりは、柔らかな声で、ぼくの気持ちを汲み取るようなことを言った。
「それは、わからないかなー。自分のことさえ、何が悪いのかさえ、ずっとわからないんだ。自分のことさえ……知っているんじゃなく、状況から推理して、穴埋めしているだけだからね。何が間違いかもわからないし、何が正しいかなんて、選んだことはない」
「難しいよ」
よく、わからない。
「つまり、こちらも的確な判断が出来る状態じゃなかったし、勝手に提案したのも、こっちだ。ナナトだけ悪いなんてことはない。強いて言えば、ほとんどが、自分自身の責任だよ」
「……の人は、もしかして、あの人なのか?」
気づけば洗面所から戻っていたらしいケイガちゃんが、横から聞いた。まつりは頷いた。
「まあ、来たときには、もう、連れ去られていたんだよね……メッセージを残して」


 ぼくは、なんとなく気付く。
きっとこれは、ただの嘘やイタズラでも、人探しでも、ないものが、隠された話なのだと。
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