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11.侵
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本格的に冬に近づいてきた、秋の終わり頃。今思うとあの咳や寒さは季節のせいではなかったのだと思いました。
私は倦怠感と発熱が酷くて寝込んでいました。それからしばらくして、血の混じった痰が出たり鼻から血が出たりと、とにかく苦しかったのです。
この息苦しさというのは、非常に恐ろしいもので、死を連想させるのです。
大湊でもマスクではないけれど、暮らしの工夫として布で鼻から下を覆って外を出歩く人が多かったですし私もそれに従って生活していました。
しばらくはそうして生活していて、でも近くの人や知り合いの方がちらほらと流行り病にかかってしまったことを噂で聞いていると怖くなってきて、引きこもるようになりました。必要最低限の買い出しにしか出なくなって、大変つらかったのですがそれでも病にかかるよりはマシであろうと自分に言い聞かせて我慢をしていました。
けれども、こうして病に伏せてしまったのです。食欲不振や体力が低下していたのもきっとその影響だったのでしょう。あまり活動していないからだとばかり思っていましたがきっと症状なのだろうと考えて覚悟しました。
それはそれとして、まだご主人様と奥様宛てへの手紙を書いていないというのに。
「かはっ、はっ、はーっ」
血の味が混じる口内。うがいをしようにも立ち上がることができないのです。ぐったりと寝込む日々。冬臣さんは私の看病をしてくれていますが、どうしても夜になると仕事に行かなくてはならず私は独りになってしまいます。
その時間がとても不安で不安でたまらないのです。この家には私しかいない。つまり何かあっても誰も助けてくれない。このまま呼吸が止まってしまったらどうしよう。下がることの無い熱で精神も、脳も次第にやられている気がします。
鼻水のせいか耳も遠くなって、視界も歪んで見えます。手に力も入らなくて自分の身体が自分のものでないみたい。だから、手紙を書く気力や座っていられたとしても、そもそもしっかり文字を書くことができるのか怪しいのです。
「冬臣さん……」
早く帰ってきてほしい。そう願いながら目を閉じて眠ろうとすると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきました。
「チヨ」
「冬臣さん……?」
仕事に行ったのでは? そう思いながらも、チヨ、と私のことを呼ぶ声がするのです。だる重い身体を起こして声のする方へ赤子のように床這いになって向かうと、庭側、つまり縁側の方へ辿り着きました。
この季節のこの時間の、暖房のついていない縁側は足底が冷たくて痛くなってしまいそうなほど冷え込んでいましたが、常時高熱の私にはちょうど良いひんやりとした天然氷にも思えました。
「誰もいない」
やっとのことで縁側まで来たというのに、誰もいないのです。ついに幻聴まで聞こえてしまったのかと思うと辛くなってきました。もう戻る力はないのにどうしろと。
私は諦めてぐったりと床に倒れていると、大きな影が庭に映った気がしました。しかし私はそんなことを気にする余裕はなくて、というよりも、今宵は大きな月が綺麗に雲にもかからず見えていて星空が広がっていることに気を取られていたのです。
冷たい床に心地好さを感じながらぼおっと空を眺めていると、桜の木に寄りかかっている男の人がそこに見えました。
月光に照らされたその男は、黒い長い外套を纏った長身に軍帽を深く被っていました。すらりとした長い脚。そして、その脚は傷だらけのように見えました。
「すごい傷」
「……!」
その男の人は私がいることに驚いたせいか後ずさりした。そして、その軍帽の下の顔が光に照らされてよく見えたのです。
「冬臣さん!?」
「チヨ──」
傷だらけの男の人はなんと冬臣さんだったのです。私はなんとか近寄ろうと身体を起こして立ち上がろうとします。すると冬臣さんは慌てたように口をはくはくとさせていたように見えました。
青白い月光に照らされた肌は陶器のように滑らかで、その柔らかさとは対照的に眼光鋭いその眼差しはまるで人でも殺したか、それか人を躊躇いなく殺せるような殺意に似た恐怖を与えるものでした。
「あっ」
それのせいで見えてしまったのです。前に噂話で聞いたような、あの小説で知ったような、吸血鬼を思わせる尖った歯が。どうして冬臣さんにこんな牙が? もしかしたら、冬臣さんは吸血鬼で……何を考えているの私は。以前騒がれた吸血鬼事件のことがまだ記憶に残っているのかしら。きっとそうに違いありません。
これは幻。そういう幻影を見てしまっているのです。もう一度この目で確かめたいと揺れる視界を綺麗にくっきりさせるために目を擦ると、そこにいたはずの冬臣さんはいなくなっていた。
「ああ、やっぱり」
幻覚だったのだろうか。もし本当に冬臣さんが吸血鬼だったとしたら……ああもう意識が遠のいてきた……がんばって布団まで戻ろう。
「はぁ、うーっ……」
なんとか戻ってきた布団に潜ってそのまま目を閉じると苦しさが軽減してすんなりと眠りに就くことができました。
悪い夢でも見たのだわ。
私は倦怠感と発熱が酷くて寝込んでいました。それからしばらくして、血の混じった痰が出たり鼻から血が出たりと、とにかく苦しかったのです。
この息苦しさというのは、非常に恐ろしいもので、死を連想させるのです。
大湊でもマスクではないけれど、暮らしの工夫として布で鼻から下を覆って外を出歩く人が多かったですし私もそれに従って生活していました。
しばらくはそうして生活していて、でも近くの人や知り合いの方がちらほらと流行り病にかかってしまったことを噂で聞いていると怖くなってきて、引きこもるようになりました。必要最低限の買い出しにしか出なくなって、大変つらかったのですがそれでも病にかかるよりはマシであろうと自分に言い聞かせて我慢をしていました。
けれども、こうして病に伏せてしまったのです。食欲不振や体力が低下していたのもきっとその影響だったのでしょう。あまり活動していないからだとばかり思っていましたがきっと症状なのだろうと考えて覚悟しました。
それはそれとして、まだご主人様と奥様宛てへの手紙を書いていないというのに。
「かはっ、はっ、はーっ」
血の味が混じる口内。うがいをしようにも立ち上がることができないのです。ぐったりと寝込む日々。冬臣さんは私の看病をしてくれていますが、どうしても夜になると仕事に行かなくてはならず私は独りになってしまいます。
その時間がとても不安で不安でたまらないのです。この家には私しかいない。つまり何かあっても誰も助けてくれない。このまま呼吸が止まってしまったらどうしよう。下がることの無い熱で精神も、脳も次第にやられている気がします。
鼻水のせいか耳も遠くなって、視界も歪んで見えます。手に力も入らなくて自分の身体が自分のものでないみたい。だから、手紙を書く気力や座っていられたとしても、そもそもしっかり文字を書くことができるのか怪しいのです。
「冬臣さん……」
早く帰ってきてほしい。そう願いながら目を閉じて眠ろうとすると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきました。
「チヨ」
「冬臣さん……?」
仕事に行ったのでは? そう思いながらも、チヨ、と私のことを呼ぶ声がするのです。だる重い身体を起こして声のする方へ赤子のように床這いになって向かうと、庭側、つまり縁側の方へ辿り着きました。
この季節のこの時間の、暖房のついていない縁側は足底が冷たくて痛くなってしまいそうなほど冷え込んでいましたが、常時高熱の私にはちょうど良いひんやりとした天然氷にも思えました。
「誰もいない」
やっとのことで縁側まで来たというのに、誰もいないのです。ついに幻聴まで聞こえてしまったのかと思うと辛くなってきました。もう戻る力はないのにどうしろと。
私は諦めてぐったりと床に倒れていると、大きな影が庭に映った気がしました。しかし私はそんなことを気にする余裕はなくて、というよりも、今宵は大きな月が綺麗に雲にもかからず見えていて星空が広がっていることに気を取られていたのです。
冷たい床に心地好さを感じながらぼおっと空を眺めていると、桜の木に寄りかかっている男の人がそこに見えました。
月光に照らされたその男は、黒い長い外套を纏った長身に軍帽を深く被っていました。すらりとした長い脚。そして、その脚は傷だらけのように見えました。
「すごい傷」
「……!」
その男の人は私がいることに驚いたせいか後ずさりした。そして、その軍帽の下の顔が光に照らされてよく見えたのです。
「冬臣さん!?」
「チヨ──」
傷だらけの男の人はなんと冬臣さんだったのです。私はなんとか近寄ろうと身体を起こして立ち上がろうとします。すると冬臣さんは慌てたように口をはくはくとさせていたように見えました。
青白い月光に照らされた肌は陶器のように滑らかで、その柔らかさとは対照的に眼光鋭いその眼差しはまるで人でも殺したか、それか人を躊躇いなく殺せるような殺意に似た恐怖を与えるものでした。
「あっ」
それのせいで見えてしまったのです。前に噂話で聞いたような、あの小説で知ったような、吸血鬼を思わせる尖った歯が。どうして冬臣さんにこんな牙が? もしかしたら、冬臣さんは吸血鬼で……何を考えているの私は。以前騒がれた吸血鬼事件のことがまだ記憶に残っているのかしら。きっとそうに違いありません。
これは幻。そういう幻影を見てしまっているのです。もう一度この目で確かめたいと揺れる視界を綺麗にくっきりさせるために目を擦ると、そこにいたはずの冬臣さんはいなくなっていた。
「ああ、やっぱり」
幻覚だったのだろうか。もし本当に冬臣さんが吸血鬼だったとしたら……ああもう意識が遠のいてきた……がんばって布団まで戻ろう。
「はぁ、うーっ……」
なんとか戻ってきた布団に潜ってそのまま目を閉じると苦しさが軽減してすんなりと眠りに就くことができました。
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