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4.吸血鬼事件
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時の流れは早いもので、私が冬臣さんに嫁いでから数週間が経ちました。
近所の奥様たちや子どもたちとも仲良くできているし、八百屋さんや魚屋さんなどの情報もたくさん教えていただきました。
今日は天気も良いことですし、少し散歩にでも出かけようとした頃でした。冬臣さんは昼近くまで眠っていることが多いので、昼食を用意して置手紙を食卓に置いて、洗濯物を干した後に小さな声で「いってきます」と呟いて外に出ました。
「あらチヨさんじゃない」
「小松さん。こんにちは。先日はお野菜、たくさんもらってしまって。どうもありがとうございました」
「いいのよ、貰い物だからね。それより今からお出かけかい?」
「ええ、そうですが」
「それなら暗くなる前に帰らないとだよ。最近物騒だからね」
家から少し歩いたところ、ちょうど角を曲がったあたりで小松さんと会いました。
小松さんは私よりも一回りほど年上の女性で、旦那さんは海軍の艦船に乗員とのことで、基本的には小松さんおひとりで5人の子どもの面倒をみていらっしゃるすごい方です。
小松さんは耳打ちするように私の傍に寄ってそう伝えてきました。
「物騒? なぜです」
「噂によれば『吸血鬼』が出るとか。」
「吸血鬼……ですか」
気さくで冗談も時々言う明るい小松さんが、今だけは冗談を言っているようには見えませんでした。
吸血鬼、という言葉を聞いてもいまいち想像ができませんでしたが、書いた字のごとく、人の血を吸って仲間にしたり、殺してしまったりする恐ろしい存在なのだとか。そして彼らは太陽の光を浴びてしまうと灰となって死んでしまうため、活動は夜が主になるとのこと。
もとは西洋の方にいたらしいのですが、開国した頃からだんだんと日本にも勢力を拡大していったという情報もありました。
「とりあえず、大湊でも出没したとか噂あるからね。夜になる前に家に帰っておくに越したことはないよ」
「そうですよね。ああ、ありがとうございました!」
そんな会話をした後に、私が少し歩いていくと近所の子どもたちが元気に走り回っていました。鬼ごっこでしょうか。子どもの笑い声を見ると、なんだか私までも元気になってくるような気がしてきました。
しばらく歩いていると近くの露店で本が並んでいるのがちらりと見えたので、そちらに寄ると、女の子もまた私と同じものを見ているようでした。
「お嬢さん」
「ああ、ええっと……」
「あなたもこの本を見ていたのですか」
「ええ、はい……でも、あの」
小さく震えた声、目線を合わせてくれないその子は、きっと内気なのでしょう。こういう子に無理に話しかけてしまったのは申し訳ない気持ちもありますが、許してほしいものです。
「私も欲しいと思って見ていましたから。すみません、この本ってもう1冊ないですかね」
店主のおじさんにだめもとで聞いてみると、「すまんがこれしかないね」とだけ返事が来ました。
「あの、お姉さん、どうぞ……私、お金足りないし」
「あら、そうでしたか……うーん──あ、そうだ! 私のおうちにいらっしゃい。この近くに住んでいるのでしょう? でしたら、読みたい時に来てください」
「え、いいんですか!?」
女の子は目を輝かせながら私の方を見ました。
「もちろん」と答えて代金を支払ってから、雑談をしながら彼女の家まで送るために一緒に帰ることになりました。
「そうなのですね。本を読むのも書くのも好きだと」
「はい。ですが、女がそんなことをしても何にもならないと母に言われてしまいまして。それと、内容も自分が楽しむためのものばかりで趣味ですから。そのうちやめてしまうかもしれません」
「そんな! もったいないです。実は私も書くことが好きなんですよ。読むのも。ただ、これは旦那さんにも育ててくれた家族たちも知らないことなんです。つらい現実から少し目を逸らしたい時、想像の世界で楽しみたかったから。」
「そう、そうなんです!」
私は母が他界し、学校に通うようになってから文章を書くようになってきて、それがどんどん楽しくってのめり込むようになっていたのですが、なかなか同じような趣味の友人にはめぐり逢えず独りで創作活動をしていました。
まさか、このような出逢いをするとは思ってもいなくて、本当に、心の底から『嬉しい』と感じたのでした。
彼女は10歳でハナちゃんというそうです。ハナちゃんには年の離れた兄と姉、下には弟と妹が2人いて、兄と姉2人は実家を出ているので実質長女のような存在だと言っていました。
そのせいか、常に我慢することがくせになってしまっているようで、また母親もそれを求めているようだと話していました。
「下の子の面倒をみるだけじゃなくてお姉さんとして我慢できるなんて偉いですよ」
「いえ……チヨさんだって、私と5歳くらいしか変わらないのに大人っぽくてすごいなって……」
「なんだか恥ずかしいなぁ」
ハナちゃんの家に着いて、別れ、それからはふらっと大湊のことを知るために寄り道をしながら帰宅しているとあっという間に時間が過ぎていて、だいぶ昼も過ぎて、夕方に近づいていました。
「あ、もうこんな時間」
私は急いで帰っていました。
朝に小松さんから聞いたあの話が今になって過ぎってきて、急に不安になってきたのです。噂でしかないはずの吸血鬼。幽霊と同じような存在だろう。そう言い聞かせながら小走りで坂を急いでいた。
「はぁ、ぁ、はッ、つらい」
額に滲む汗が頬を伝う。
久しぶりにここまで汗をかいた気がします。
あと少しで家に着く!
そう思って気を抜いた瞬間──
ポン、と私の肩を掴む大きな手がありました。
「ひゃ、え」
怖くて振り返ることができない。
首が固まって、動かないだけだろうか。
はやく、はやく逃げなくてはいけないのに。
「ど、どうか、おたすけくだひゃっ……」
「どうした」
「え」
その声は、冬臣さんでした。
「吸血鬼かと思ってこわかったんです」
「その話か。まったく……どこからそういう話が出てくるんだろうか。大丈夫だ、安心しろ。俺がいるから。帰りが遅いから心配したんだ。俺はそろそろ仕事へ行くから」
「そうだったのですね……はい、お気を付けて」
「ああ」
私は汗をぬぐいながら、冬臣さんを見送ろうとしました。
すると、急に肩をぐいっと引き寄せられて、気づけば冬臣さんの胸の中に埋まっていました。
「冬臣、さん……?」
「吸血鬼というのは、こうした隙を狙うものだ」
「は、っえ」
冬臣さんの低音が耳奥から脳まで貫くように甘く響く。
思わず私は耳を塞いでカッと体温の上がった頬と、早まる鼓動を落ち着かせようとしました。
あわあわとしている私を見て、冬臣さんはくすりと笑っているのがさらに私を恥ずかしめました。
「ふふ、かわいいな」
「やめ、やめてくださいよぉ! こういうの、慣れていないんですから……」
「すまない。つい。じゃあ、行ってくる」
恋愛もろくにしたことのない私。
周りよりも随分早く嫁入りをしてしまった私。
それでも良かったのかもしれないと思えた出来事でした。
近所の奥様たちや子どもたちとも仲良くできているし、八百屋さんや魚屋さんなどの情報もたくさん教えていただきました。
今日は天気も良いことですし、少し散歩にでも出かけようとした頃でした。冬臣さんは昼近くまで眠っていることが多いので、昼食を用意して置手紙を食卓に置いて、洗濯物を干した後に小さな声で「いってきます」と呟いて外に出ました。
「あらチヨさんじゃない」
「小松さん。こんにちは。先日はお野菜、たくさんもらってしまって。どうもありがとうございました」
「いいのよ、貰い物だからね。それより今からお出かけかい?」
「ええ、そうですが」
「それなら暗くなる前に帰らないとだよ。最近物騒だからね」
家から少し歩いたところ、ちょうど角を曲がったあたりで小松さんと会いました。
小松さんは私よりも一回りほど年上の女性で、旦那さんは海軍の艦船に乗員とのことで、基本的には小松さんおひとりで5人の子どもの面倒をみていらっしゃるすごい方です。
小松さんは耳打ちするように私の傍に寄ってそう伝えてきました。
「物騒? なぜです」
「噂によれば『吸血鬼』が出るとか。」
「吸血鬼……ですか」
気さくで冗談も時々言う明るい小松さんが、今だけは冗談を言っているようには見えませんでした。
吸血鬼、という言葉を聞いてもいまいち想像ができませんでしたが、書いた字のごとく、人の血を吸って仲間にしたり、殺してしまったりする恐ろしい存在なのだとか。そして彼らは太陽の光を浴びてしまうと灰となって死んでしまうため、活動は夜が主になるとのこと。
もとは西洋の方にいたらしいのですが、開国した頃からだんだんと日本にも勢力を拡大していったという情報もありました。
「とりあえず、大湊でも出没したとか噂あるからね。夜になる前に家に帰っておくに越したことはないよ」
「そうですよね。ああ、ありがとうございました!」
そんな会話をした後に、私が少し歩いていくと近所の子どもたちが元気に走り回っていました。鬼ごっこでしょうか。子どもの笑い声を見ると、なんだか私までも元気になってくるような気がしてきました。
しばらく歩いていると近くの露店で本が並んでいるのがちらりと見えたので、そちらに寄ると、女の子もまた私と同じものを見ているようでした。
「お嬢さん」
「ああ、ええっと……」
「あなたもこの本を見ていたのですか」
「ええ、はい……でも、あの」
小さく震えた声、目線を合わせてくれないその子は、きっと内気なのでしょう。こういう子に無理に話しかけてしまったのは申し訳ない気持ちもありますが、許してほしいものです。
「私も欲しいと思って見ていましたから。すみません、この本ってもう1冊ないですかね」
店主のおじさんにだめもとで聞いてみると、「すまんがこれしかないね」とだけ返事が来ました。
「あの、お姉さん、どうぞ……私、お金足りないし」
「あら、そうでしたか……うーん──あ、そうだ! 私のおうちにいらっしゃい。この近くに住んでいるのでしょう? でしたら、読みたい時に来てください」
「え、いいんですか!?」
女の子は目を輝かせながら私の方を見ました。
「もちろん」と答えて代金を支払ってから、雑談をしながら彼女の家まで送るために一緒に帰ることになりました。
「そうなのですね。本を読むのも書くのも好きだと」
「はい。ですが、女がそんなことをしても何にもならないと母に言われてしまいまして。それと、内容も自分が楽しむためのものばかりで趣味ですから。そのうちやめてしまうかもしれません」
「そんな! もったいないです。実は私も書くことが好きなんですよ。読むのも。ただ、これは旦那さんにも育ててくれた家族たちも知らないことなんです。つらい現実から少し目を逸らしたい時、想像の世界で楽しみたかったから。」
「そう、そうなんです!」
私は母が他界し、学校に通うようになってから文章を書くようになってきて、それがどんどん楽しくってのめり込むようになっていたのですが、なかなか同じような趣味の友人にはめぐり逢えず独りで創作活動をしていました。
まさか、このような出逢いをするとは思ってもいなくて、本当に、心の底から『嬉しい』と感じたのでした。
彼女は10歳でハナちゃんというそうです。ハナちゃんには年の離れた兄と姉、下には弟と妹が2人いて、兄と姉2人は実家を出ているので実質長女のような存在だと言っていました。
そのせいか、常に我慢することがくせになってしまっているようで、また母親もそれを求めているようだと話していました。
「下の子の面倒をみるだけじゃなくてお姉さんとして我慢できるなんて偉いですよ」
「いえ……チヨさんだって、私と5歳くらいしか変わらないのに大人っぽくてすごいなって……」
「なんだか恥ずかしいなぁ」
ハナちゃんの家に着いて、別れ、それからはふらっと大湊のことを知るために寄り道をしながら帰宅しているとあっという間に時間が過ぎていて、だいぶ昼も過ぎて、夕方に近づいていました。
「あ、もうこんな時間」
私は急いで帰っていました。
朝に小松さんから聞いたあの話が今になって過ぎってきて、急に不安になってきたのです。噂でしかないはずの吸血鬼。幽霊と同じような存在だろう。そう言い聞かせながら小走りで坂を急いでいた。
「はぁ、ぁ、はッ、つらい」
額に滲む汗が頬を伝う。
久しぶりにここまで汗をかいた気がします。
あと少しで家に着く!
そう思って気を抜いた瞬間──
ポン、と私の肩を掴む大きな手がありました。
「ひゃ、え」
怖くて振り返ることができない。
首が固まって、動かないだけだろうか。
はやく、はやく逃げなくてはいけないのに。
「ど、どうか、おたすけくだひゃっ……」
「どうした」
「え」
その声は、冬臣さんでした。
「吸血鬼かと思ってこわかったんです」
「その話か。まったく……どこからそういう話が出てくるんだろうか。大丈夫だ、安心しろ。俺がいるから。帰りが遅いから心配したんだ。俺はそろそろ仕事へ行くから」
「そうだったのですね……はい、お気を付けて」
「ああ」
私は汗をぬぐいながら、冬臣さんを見送ろうとしました。
すると、急に肩をぐいっと引き寄せられて、気づけば冬臣さんの胸の中に埋まっていました。
「冬臣、さん……?」
「吸血鬼というのは、こうした隙を狙うものだ」
「は、っえ」
冬臣さんの低音が耳奥から脳まで貫くように甘く響く。
思わず私は耳を塞いでカッと体温の上がった頬と、早まる鼓動を落ち着かせようとしました。
あわあわとしている私を見て、冬臣さんはくすりと笑っているのがさらに私を恥ずかしめました。
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