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Episode4 京子
98 それどころじゃない
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綾斗の後ろに真っ黒なグランドピアノを見つけて、京子は「すごぉい」と歓声を上げた。
個人宅にあるピアノといえば、壁際に張り付いたコンパクトなタイプしか想像していなかった。がらんどうとした部屋の中央に置かれたそれは、ずっと主を待っていたとは思えぬ程に艶やかな光を放っている。
「さっき下で渚央さんに、弾いてるのは綾斗だって聞いて驚いたんだから」
「久しぶりで、なかなか思い通りに指が動いてくれないんですけどね」
何でもそつなくこなしてしまう綾斗が、照れ顔を見せるのは新鮮だった。
京子は着替えを包んだバスタオルを胸の前に抱きしめて、重なったままの視線から目を逸らす。昼間からどうしても彼を意識してしまう。
「ううん、とっても素敵な曲だったよ。この所ずっと綾斗と一緒だったでしょ? お風呂場静かだったから、一人になってちょっと怖かったんだ」
「だいぶ怯えたような気配放ってましたからね。流石にあそこへ突撃するのはと思って、それで」
能力者の気配は個人を特定できるものではないが、強弱や揺れで相手を予測することは可能だ。意図的に撒き散らした覚えはないが、金沢を離れてから少々気が緩んでいる自覚はある。
「もしかして、弾いてくれた?」
自惚れかとも思ったけれど、聞かずにはいられなかった。
綾斗も「練習がてらに」と否定はしない。
京子は耳が熱を帯びるのを感じつつ、「ありがと」と笑んだ。
「因みに、何て言う曲だったの?」
「月の光ですよ、ドビュッシーの。昔コンサートで聞いて、感動した曲なんです。もう引退してるんですけど、憧れのピアニストで。だからこれだけは弾きたいって頑張ったんですよ」
譜面台に乗った楽譜は、タイトルのないページで広げられている。
「ピアノの事、さっきちょっとだけ渚央さんに教えて貰ったの。ずっと弾いてなかったって。けど、私は今日聞けて嬉しかったよ」
「なら良かった。俺が弾かないってみんな分かってるのに、ちゃんと調律されてる。頭が上がりませんよ」
「みんな、綾斗が弾くのを待ってたのかもね。今日は月出てるかな?」
曲のタイトルに因んで京子が部屋の奥にある窓を覗き込むと、細い月が雲間から覗いていた。
「あ、見えたよ。ちょっと曇ってるけど綺麗」
隣に立った綾斗が「ホントだ」と京子の指す指先を追った。
都会とは違い、空がどこまでも広がっている。
横に彼が居る事なんて、空気のように当たり前だと思っていた。今まで何とも思わなかった。
なのに自分の気持ちを認めてしまった途端、それまでのようにはいかない。
「ねぇ、さっきの曲もう一回聞かせて貰っても良い?」
「間違っても笑わないで下さいね」
いつも通りを装ってアンコールを頼むと、綾斗は「そこどうぞ」と側にある小さな椅子を促した。
「じゃあ終わったら俺風呂入るんで、そしたら飲みなおしますか」
「うん。夕飯の時あんまり飲めなかったしね」
彼の家族に醜態を晒さない為『飲めない』と嘘をついた京子に付き合って、綾斗もグラス一杯のビールを飲んだだけだ。
日本人形を理由に寝る前のお酒を約束をしていたが、京子の頭の中は今それどころじゃない。
折角弾いてくれる綾斗には申し訳ないが、ゆったりと流れるピアノの音は耳を右から左へと素通りしていく。
京子は悩んでいた。
好きだと思うこの気持ちを、彼に伝えるかどうかを──
個人宅にあるピアノといえば、壁際に張り付いたコンパクトなタイプしか想像していなかった。がらんどうとした部屋の中央に置かれたそれは、ずっと主を待っていたとは思えぬ程に艶やかな光を放っている。
「さっき下で渚央さんに、弾いてるのは綾斗だって聞いて驚いたんだから」
「久しぶりで、なかなか思い通りに指が動いてくれないんですけどね」
何でもそつなくこなしてしまう綾斗が、照れ顔を見せるのは新鮮だった。
京子は着替えを包んだバスタオルを胸の前に抱きしめて、重なったままの視線から目を逸らす。昼間からどうしても彼を意識してしまう。
「ううん、とっても素敵な曲だったよ。この所ずっと綾斗と一緒だったでしょ? お風呂場静かだったから、一人になってちょっと怖かったんだ」
「だいぶ怯えたような気配放ってましたからね。流石にあそこへ突撃するのはと思って、それで」
能力者の気配は個人を特定できるものではないが、強弱や揺れで相手を予測することは可能だ。意図的に撒き散らした覚えはないが、金沢を離れてから少々気が緩んでいる自覚はある。
「もしかして、弾いてくれた?」
自惚れかとも思ったけれど、聞かずにはいられなかった。
綾斗も「練習がてらに」と否定はしない。
京子は耳が熱を帯びるのを感じつつ、「ありがと」と笑んだ。
「因みに、何て言う曲だったの?」
「月の光ですよ、ドビュッシーの。昔コンサートで聞いて、感動した曲なんです。もう引退してるんですけど、憧れのピアニストで。だからこれだけは弾きたいって頑張ったんですよ」
譜面台に乗った楽譜は、タイトルのないページで広げられている。
「ピアノの事、さっきちょっとだけ渚央さんに教えて貰ったの。ずっと弾いてなかったって。けど、私は今日聞けて嬉しかったよ」
「なら良かった。俺が弾かないってみんな分かってるのに、ちゃんと調律されてる。頭が上がりませんよ」
「みんな、綾斗が弾くのを待ってたのかもね。今日は月出てるかな?」
曲のタイトルに因んで京子が部屋の奥にある窓を覗き込むと、細い月が雲間から覗いていた。
「あ、見えたよ。ちょっと曇ってるけど綺麗」
隣に立った綾斗が「ホントだ」と京子の指す指先を追った。
都会とは違い、空がどこまでも広がっている。
横に彼が居る事なんて、空気のように当たり前だと思っていた。今まで何とも思わなかった。
なのに自分の気持ちを認めてしまった途端、それまでのようにはいかない。
「ねぇ、さっきの曲もう一回聞かせて貰っても良い?」
「間違っても笑わないで下さいね」
いつも通りを装ってアンコールを頼むと、綾斗は「そこどうぞ」と側にある小さな椅子を促した。
「じゃあ終わったら俺風呂入るんで、そしたら飲みなおしますか」
「うん。夕飯の時あんまり飲めなかったしね」
彼の家族に醜態を晒さない為『飲めない』と嘘をついた京子に付き合って、綾斗もグラス一杯のビールを飲んだだけだ。
日本人形を理由に寝る前のお酒を約束をしていたが、京子の頭の中は今それどころじゃない。
折角弾いてくれる綾斗には申し訳ないが、ゆったりと流れるピアノの音は耳を右から左へと素通りしていく。
京子は悩んでいた。
好きだと思うこの気持ちを、彼に伝えるかどうかを──
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