スラッシュ/キーダー(能力者)田母神京子の選択

栗栖蛍

文字の大きさ
上 下
265 / 647
Episode3 龍之介

71 向いてない

しおりを挟む
 目が覚めた部屋には、京子以外誰も居なかった。
 公園から病院経由でアルガスに戻った所までは覚えているが、そこからの記憶は飛んでいる。

 アルガス三階の処置室は、颯太そうたが常駐する医務室の隣にあった。二ヶ月ほど前に配属された彼は、修司の伯父でキーダーだった過去を持つトールだ。
 ねっとりした湿布の匂いに頭が痛んで、京子は横に寝返って患部を押さえた。

 近くに戦闘の気配はない。怖いくらいに静かなその状況に布団を首まで被ると、枕元に置かれたスマホがメールを受信している事に気付いた。

「桃也?」

 彼の声が聞きたかった。文字だけでもいいからと、飛びつくように画面を開く。
 けれど、送り主は朱羽あげはだ。

『大人しくしてるのよ』

 気遣ってくれる彼女の言葉が嬉しくないわけじゃない。ただ、彼だったら良かったのにと思ってしまう。

「電話……してもいいかな」

 この間、別れ際にサードの話をされてから、不安になる事が増えた。彼に聞かれた返事はまだ答えられそうもないけれど。
 普段忙しい彼に、自分から電話をすることはない。監察員は重要任務に就いている事も多く、連絡はいつも桃也に任せていた。

『辛い時に辛いって言えない相手じゃ、もたないんじゃないかしら』

 キーダーになる事を選んだ桃也が北陸へ行った時、セナにそんなことを言われた。
 あの時はそれなりに素直になれた気がしていたのに、それ以上の進展がないまま二年以上が過ぎている。
 けれど、こんな時くらいと期待してしまうのは怪我のせいだろうか。

「向いてないのかな……」

 キーダーになりたての頃は弱音なんて吐かなかったのに、痛みについ弱気になってしまう。

 遠い通話記録から桃也の番号を拾って、発信ボタンを押す。
 五回呼んで出なかったら諦めよう──そう思ったのも束の間、コールさえ鳴らないまま電波が入らないという案内が流れた。

「桃也……」

 急に胸が苦しくなって、スマホを枕元に放した。
 今回はずっと会えていないわけじゃない。修司がキーダーになって、彼がトレーナーとして本部に居たのは、つい三ヵ月前の事だ。

「声だけでいいのに……」

 込み上げる思いに目を閉じると部屋の扉が小さくノックされて、「失礼します」と綾斗がやってきた。

「起きてたんですか。すみません、オジサンたちに呼ばれてて。気分はどうです?」
「…………」

 平気だと言おうとした途端涙が溢れて、京子はぎゅっと唇を閉じる。横向けに寝たまま布団に顔を埋めると、綾斗が転がったスマホを一瞥いちべつして棚にあるタオルをその手に掴ませた。

「怖い夢でも見ました?」
「ううん……痛っ」

 急な痛みが走って、京子はタオルに顔を押し付ける。

「颯太さんから鎮痛剤預かっていますよ。起き上がれますか?」
「うん」

 差し伸べられた手を掴んで、そっと体を起こした。

「検査の結果は問題なかったみたいですけど、一応頭打ってるんで安静にって事です」
「分かった」

 涙をゴシゴシとタオルで拭い、京子は受け取った錠剤を流し込む。多めに飲んだ水のお陰で、気持ちを少し落ち着けることができた。
 再び横になって、心配そうな綾斗を見上げる。

「綾斗はいつも側に居てくれるね」
「嫌なら言って下さい」
「嫌じゃないよ。ただ、申し訳ないなと思って」

 彼を恋愛の対象として見たことはないが、側に居てホッとできるのは嘘じゃない。
 お互いに不満を漏らすことも多いが、突き放した事やされたことはない気がする。
 綾斗の隣は居心地がいい。この気持ちは何と表せばよいのか、京子には言葉にすることができなかった。

「申し訳ないだなんて思わないで。ちゃんと下心ありますから」
「何それ──ごめんね」

 それは色々な意味を含めた言葉だ。

「まずは元気になって下さい」

 綾斗は優しかった。いつも勝手にパーソナルスペースに飛び込んでくるのに、こういう時は空気を読んでくれるのか、距離を置いている。
 そのせいで、ずっと抑えていた気持ちが零れた。

「怪我したくらいで寂しいと思ったり弱音吐くのって、キーダー失格なのかな」
「たまに愚痴ぐらい吐かないと、やってられないですよ」
「そうなの? 綾斗でも?」

 アルガスに入った頃の綾斗は、『国の為に』と血気盛んだった気がする。

「キーダーだからって何でもできるわけじゃない。京子さんだって、キーダーは神様じゃないって言ってたじゃないですか。嫌なことは嫌だって言えばいいんですよ」
「そう……かな」

 五月の戦闘で負傷してから、まだ三ヵ月しか経っていない。今回はこの程度で済んだけれど、少しの怪我でも精神的なダメージは大きかった。

「悩んでました?」
「うん。けど、綾斗もそうなんだって思ったら、ちょっと前向きになれた」
「なら良かった」
「私ね、やっぱりこの仕事が好き。こんなに怪我しても、次こそはって思っちゃう」
「京子さんらしいですね」
「私らしい……かな」

 頭が痛んで目を閉じると、ベッドの上にあった京子の右手を綾斗が握り締めた。

「…………」

 その手を振りほどく事ができなかったのは、手ににじむ感触を懐かしく感じてしまったからだ。
 小さい頃、注射が嫌でいつも看護師さんに手を握ってもらった。あの頃と同じように、痛みも不安も魔法のように落ち着いていく。

「酷いなら颯太さん呼びますか?」
「ううん。そろそろ薬も効くと思うから、このまま……」
「わかりました」

 穏やかに笑い掛ける綾斗にホッと目を閉じるが、突然立ち上った気配に瞼を開く。
 距離はまだ近くはないが、それが戦いの合図だというのは分かった。

「始まった?」
「京子さんはここに居て下さいね」

 繋いだ手にそっと力を込めて、綾斗は「行ってきます」と放す。

「ごめん、今日は頼むよ。無事でいてね」
「心配しなくていいですよ。ちゃんと終わらせてきます」
「お願い」

 部屋を出て行く綾斗を見送って、京子は空になった手をぎゅっと握り締めた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

月の許嫁と太陽〜世子の許嫁になった少女の運命〜

空岡
キャラ文芸
世子の許嫁に指名された平民の子翠月と、世子や世子の兄夏月のもつれあう運命の物語。

おきつねさんとちょっと晩酌

木嶋うめ香
キャラ文芸
私、三浦由衣二十五歳。 付き合っていた筈の会社の先輩が、突然結婚発表をして大ショック。 不本意ながら、そのお祝いの会に出席した帰り、家の近くの神社に立ち寄ったの。 お稲荷様の赤い鳥居を何本も通って、お参りした後に向かった先は小さな狐さんの像。 狛犬さんの様な大きな二体の狐の像の近くに、ひっそりと鎮座している小さな狐の像に愚痴を聞いてもらった私は、うっかりそこで眠ってしまったみたい。 気がついたら知らない場所で二つ折りした座蒲団を枕に眠ってた。 慌てて飛び起きたら、袴姿の男の人がアツアツのうどんの丼を差し出してきた。 え、食べていいの? おいしい、これ、おいしいよ。 泣きながら食べて、熱燗も頂いて。 満足したらまた眠っちゃった。 神社の管理として、夜にだけここに居るという紺さんに、またいらっしゃいと見送られ帰った私は、家の前に立つ人影に首を傾げた。

SHIZUKU

露刃
キャラ文芸
詞術(ことすべ)という異能力を持つ主人公と、主人公を護る忍者の話。 主人公が「叶いますように」と真言を唱えると、その言葉は必ず現実になる。その力を欲して三つ巴が発生。 主人公は、自身の平穏の為に敵を蹴散らしていく。

宝石のような時間をどうぞ

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 明るく元気な女子高生の朝陽(あさひ)は、バイト先を探す途中、不思議な喫茶店に辿り着く。  その店は、美形のマスターが営む幻の喫茶店、「カフェ・ド・ビジュー・セレニテ」。 訪れるのは、あやかしや幽霊、一風変わった存在。  風変わりな客が訪れる少し変わった空間で、朝陽は今日も特別な時間を届けます。

お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜
キャラ文芸
✨ 第6回comicoお題チャレンジ『空』受賞作 阿須加家のお嬢様である結月は、親に虐げられていた。裕福でありながら自由はなく、まるで人形のように生きる日々… だが、そんな結月の元に、新しく執事がやってくる。背が高く整った顔立ちをした彼は、まさに非の打ち所のない完璧な執事。 だが、その執事の正体は、なんと結月の『恋人』だった。レオが執事になって戻ってきたのは、結月を救うため。だけど、そんなレオの記憶を、結月は全て失っていた。 これは、記憶をなくしたお嬢様と、恋人に忘れられてしまった執事が、二度目の恋を始める話。 「お嬢様、私を愛してください」 「……え?」 好きだとバレたら即刻解雇の屋敷の中、レオの愛は、再び、結月に届くのか? 一度結ばれたはずの二人が、今度は立場を変えて恋をする。溺愛執事×箱入りお嬢様の甘く切ない純愛ストーリー。 ✣✣✣ カクヨムにて完結済みです。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※第6回comicoお題チャレンジ『空』の受賞作ですが、著作などの権利は全て戻ってきております。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...