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Episode3 龍之介
63 彼女の横は
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母親が有名なピアニストだったのは、龍之介が生まれるより前の事だ。
結婚と共に引退した彼女がピアノ教室を営む噂を聞きつけて通いに来る生徒は少なくないが、そのことで龍之介が友人や教師などから興味を持たれた記憶はあまりない。
だからこんな状況に慣れることもなく、目の前で興奮する綾斗の勢いに戸惑ってしまった。
「凄いよ、龍之介くん。川嶋紗耶香の息子だなんて!」
いつになくテンションの高い綾斗に、龍之介は逆に質問を返す。
「綾斗さん、ピアノ興味あるんですか?」
「子供の頃、親の趣味で教室に入れられたんだ。最初は全然好きになれなかったけど、地元に来た紗耶香さんのコンサートに連れて行かれて、同じピアノでこんな音が出せるのかって衝撃だった。それからはずっと好きで弾いてたよ」
「へぇ。今も弾いてるんですか?」
そういえば朱羽もキーダーに払われる養育費とやらで、色々と習い事をさせられたと言っていた。
「ううん。色々あって今は弾いてないけど、紗耶香さんのピアノは良く聞いてるよ」
「そうなんですか。あっ、じゃあ今度ウチに来ます? 母親ならいつでも居ますよ」
身近な人がそうやって褒めてくれるのは、素直に嬉しかった。
母親がピアニストを辞めて教室を開くことを母方の実家が良く思っていなかったのは、ストレートに言われなくても会話の端々で子供なりに感じ取ることができた。どれだけ母親に期待していたのかは分からないが、ぎくしゃくした空気に居心地の悪さを感じていた。
「嬉しいけど、仕事中に大した用事もないのに伺うのはちょっと……」
「休憩時間を狙えば問題ないです。何なら今度チケット持って来ますね。毎年春に教室の発表会で講師演奏するんです。是非見に来てください」
「それなら喜んで。心美ちゃんも弾くのかな」
「小さい子も出ますよ。流石に演奏って感じじゃないですけど。綾斗さんが来るって言ったら喜ぶんじゃないですか? 銀環付ける時、綾斗さんも居たんですよね?」
「うん、心美ちゃんが生まれた翌日ね」
「生まれてすぐとは聞いていたけど、そんなに早いんですね」
「残酷だと思う?」
「えっと……俺にはよく分かりません」
龍之介は首を振った。
「能力者の力が覚醒するのは大体十七、八歳くらい。それを見越した十五歳からキーダーはアルガスに入るんだけど、実際はいつ力が覚醒するかなんて誰にも分からないからね。検査で陽性反応が出たって聞いて、京子さんと二人で病院に行ったんだ」
懐かしそうに綾斗は顔をほころばせる。
「綾斗さんは京子さんと仲良いですよね」
「何が言いたいの?」
「い、いえ……」
好きだという気持ちは、本人以外の口から聞いている。
綾斗は「全く」と溜息をついて、声のボリュームを落とした。
「恋人がいるのは初めから分かってたから、俺は最初から失恋してた。後から来た奴だって自覚はあるから彼女が幸せになれればっては思うけど、良い人ぶってばかりはいられないよね」
「綾斗さん……」
「龍之介くんは、朱羽さんのことが好きなんでしょ? 別に構わないと思うよ。朱羽さんの横はまだ埋まってないと思うから」
「俺はそんなこと……。いや、好きですけど!」
ブーメランのように気持ちを言い当てられて龍之介はしどろもどろになりながら、心に秘めた思いを綾斗に尋ねた。
「アルガスの施設員ってどうやったらなれるんですか? みなさんノーマルですよね?」
「まぁ、大体はね。トールの人も居るけど。施設員になりたいの?」
トールは生まれ持った能力を故意に消失させた、元キーダーや元バスクのことだ。
「新卒で来るなら、とりあえず成績が良くて素行に問題のないことが第一条件かな」
「成績と素行……」
素行はともかく、成績は胸を張れる自信がない。アルガスに入ることは龍之介にとって思い付きでしかないけれど、朱羽に会ってそんな将来の選択もあるんだという事を実感した。
「朱羽さんの側に居たいから? だからアルガスに入りたいって思ってる?」
「はい。けどそれだけじゃなくて。この空気の中に全力で巻き込まれたいって言うか」
「まぁ自分の思いをそんな曖昧に話してるうちは無理だと思うけど。龍之介くんは高倉高校だっけ。成績はどのくらい? 順位とか」
「え」
直近の結果が酷すぎて、言うのを躊躇う。もう少し順位が上だった時の記憶を掘り起こして、龍之介は見栄を張った。
「だ、大体五十位くらいの時が多いです」
「そっか」
それでも微妙な空気が流れている。綾斗の求める数字ではなかったようだ。
「もしかして綾斗さんや美弦先輩みたいに、東黄のレベルじゃないとってことですか?」
「そうは言わないけど、ちゃんと大学に行って書類選考まで残れたなら俺が面倒見てあげてもいいよ」
「こ、コネってことですか?」
「まぁね。けど、今のままじゃダメだからね」
「はい」と意気込んでみたものの、大学を卒業なんて五年以上先の事だ。
可能性を潰さないためと言った銀次の言葉が胸に刺さる。けどそれなら銀次もアルガスに入れるという事だ。彼がそれを望むかどうかは分からないけれど、その気があるなら自分より現実的だ。
綾斗はソファを立ち上がると仏頂面で龍之介を見下ろした。
「それより、一つ教えとくよ」
「何を、ですか?」
「君は朱羽さんの仕事に相当首を突っ込みたいみたいだからね。去年の秋、町中での戦闘でウィルを捕まえたのは京子さんってことになってるけど、最初にアイツらを追い詰めたのは朱羽さんなんだ」
「……えっ?」
唐突に放った彼の言葉を、龍之介はすんなりと理解することができなかった。
結婚と共に引退した彼女がピアノ教室を営む噂を聞きつけて通いに来る生徒は少なくないが、そのことで龍之介が友人や教師などから興味を持たれた記憶はあまりない。
だからこんな状況に慣れることもなく、目の前で興奮する綾斗の勢いに戸惑ってしまった。
「凄いよ、龍之介くん。川嶋紗耶香の息子だなんて!」
いつになくテンションの高い綾斗に、龍之介は逆に質問を返す。
「綾斗さん、ピアノ興味あるんですか?」
「子供の頃、親の趣味で教室に入れられたんだ。最初は全然好きになれなかったけど、地元に来た紗耶香さんのコンサートに連れて行かれて、同じピアノでこんな音が出せるのかって衝撃だった。それからはずっと好きで弾いてたよ」
「へぇ。今も弾いてるんですか?」
そういえば朱羽もキーダーに払われる養育費とやらで、色々と習い事をさせられたと言っていた。
「ううん。色々あって今は弾いてないけど、紗耶香さんのピアノは良く聞いてるよ」
「そうなんですか。あっ、じゃあ今度ウチに来ます? 母親ならいつでも居ますよ」
身近な人がそうやって褒めてくれるのは、素直に嬉しかった。
母親がピアニストを辞めて教室を開くことを母方の実家が良く思っていなかったのは、ストレートに言われなくても会話の端々で子供なりに感じ取ることができた。どれだけ母親に期待していたのかは分からないが、ぎくしゃくした空気に居心地の悪さを感じていた。
「嬉しいけど、仕事中に大した用事もないのに伺うのはちょっと……」
「休憩時間を狙えば問題ないです。何なら今度チケット持って来ますね。毎年春に教室の発表会で講師演奏するんです。是非見に来てください」
「それなら喜んで。心美ちゃんも弾くのかな」
「小さい子も出ますよ。流石に演奏って感じじゃないですけど。綾斗さんが来るって言ったら喜ぶんじゃないですか? 銀環付ける時、綾斗さんも居たんですよね?」
「うん、心美ちゃんが生まれた翌日ね」
「生まれてすぐとは聞いていたけど、そんなに早いんですね」
「残酷だと思う?」
「えっと……俺にはよく分かりません」
龍之介は首を振った。
「能力者の力が覚醒するのは大体十七、八歳くらい。それを見越した十五歳からキーダーはアルガスに入るんだけど、実際はいつ力が覚醒するかなんて誰にも分からないからね。検査で陽性反応が出たって聞いて、京子さんと二人で病院に行ったんだ」
懐かしそうに綾斗は顔をほころばせる。
「綾斗さんは京子さんと仲良いですよね」
「何が言いたいの?」
「い、いえ……」
好きだという気持ちは、本人以外の口から聞いている。
綾斗は「全く」と溜息をついて、声のボリュームを落とした。
「恋人がいるのは初めから分かってたから、俺は最初から失恋してた。後から来た奴だって自覚はあるから彼女が幸せになれればっては思うけど、良い人ぶってばかりはいられないよね」
「綾斗さん……」
「龍之介くんは、朱羽さんのことが好きなんでしょ? 別に構わないと思うよ。朱羽さんの横はまだ埋まってないと思うから」
「俺はそんなこと……。いや、好きですけど!」
ブーメランのように気持ちを言い当てられて龍之介はしどろもどろになりながら、心に秘めた思いを綾斗に尋ねた。
「アルガスの施設員ってどうやったらなれるんですか? みなさんノーマルですよね?」
「まぁ、大体はね。トールの人も居るけど。施設員になりたいの?」
トールは生まれ持った能力を故意に消失させた、元キーダーや元バスクのことだ。
「新卒で来るなら、とりあえず成績が良くて素行に問題のないことが第一条件かな」
「成績と素行……」
素行はともかく、成績は胸を張れる自信がない。アルガスに入ることは龍之介にとって思い付きでしかないけれど、朱羽に会ってそんな将来の選択もあるんだという事を実感した。
「朱羽さんの側に居たいから? だからアルガスに入りたいって思ってる?」
「はい。けどそれだけじゃなくて。この空気の中に全力で巻き込まれたいって言うか」
「まぁ自分の思いをそんな曖昧に話してるうちは無理だと思うけど。龍之介くんは高倉高校だっけ。成績はどのくらい? 順位とか」
「え」
直近の結果が酷すぎて、言うのを躊躇う。もう少し順位が上だった時の記憶を掘り起こして、龍之介は見栄を張った。
「だ、大体五十位くらいの時が多いです」
「そっか」
それでも微妙な空気が流れている。綾斗の求める数字ではなかったようだ。
「もしかして綾斗さんや美弦先輩みたいに、東黄のレベルじゃないとってことですか?」
「そうは言わないけど、ちゃんと大学に行って書類選考まで残れたなら俺が面倒見てあげてもいいよ」
「こ、コネってことですか?」
「まぁね。けど、今のままじゃダメだからね」
「はい」と意気込んでみたものの、大学を卒業なんて五年以上先の事だ。
可能性を潰さないためと言った銀次の言葉が胸に刺さる。けどそれなら銀次もアルガスに入れるという事だ。彼がそれを望むかどうかは分からないけれど、その気があるなら自分より現実的だ。
綾斗はソファを立ち上がると仏頂面で龍之介を見下ろした。
「それより、一つ教えとくよ」
「何を、ですか?」
「君は朱羽さんの仕事に相当首を突っ込みたいみたいだからね。去年の秋、町中での戦闘でウィルを捕まえたのは京子さんってことになってるけど、最初にアイツらを追い詰めたのは朱羽さんなんだ」
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