上 下
226 / 618
Episode3 龍之介

33 最悪の可能性

しおりを挟む
 龍之介が朱羽あげはの元でバイトを始めてから、一週間が過ぎようとしていた。
 仕事の始まる十五分前に事務所へ着く。今日は雲もまばらの良い天気だった。

 明日、いよいよアルガスに『マサさん』が戻って来るらしい。
 昨日の帰り際、いつになくソワソワする朱羽に龍之介は彼への嫉妬心を募らせたが、そんなことを考えたところでどうにもならないことは重々承知だ。バイトという確立した至福の時間をこじらせるわけにはいかない。

 気を取り直して事務所のチャイムを鳴らすと、いつもと様子が違う事に気付いた。
 扉は人の有無に限らず、普段から鍵が掛かっている。いつもならすぐに朱羽がインターフォン越しに返事をくれるのだが、今日は何も反応がなかった。

 「あれ」と耳を澄ますが、そのまま沈黙が通り過ぎる。
 トイレか電話か、何か出れない事情を考慮して、少しだけ置いてから再びチャイムを鳴らす。けれど一向に返事はない。

「……居ない?」

 昨日の帰り際に何かを言われた記憶もなく、アドレス交換をした彼女専用のメールフォルダも空のままだ。
 一瞬頭を過ったのはまだ見ぬマサの姿だったが、彼が来るのは今日じゃない。それがもし一日早まったとしても、連絡なしで彼の元へ行ってしまうような事はないだろう。

「疑ってるのかよ」

 きっと急ぎの用か何かがあって自分への連絡が後回しになっているだけだろうが、優先順位の低さを実感して、妙に虚しくなってしまう。

 どうせ鍵が掛かっている――無駄なことだと分かっているのに、龍之介はダメ元で少し古いタイプのドアノブに手を掛けた。すると不安を受け入れるように、ドアノブは何につかえることもなく回ってしまう。

「えっ……開いてる?」

 途端に胸騒ぎを感じて、龍之介は「朱羽さん!」と事務所の中へ飛び込んだ。
 彼女が倒れているかもしれない。もしくは、誰かが忍び込んだかの二択が頭に過る。後者であれば龍之介自身の命も危ういが、冷静でなどいられなかった。

 幸い中には誰の姿もない。
 けれど、シンとした事務所に煌々と光る蛍光灯と付きっぱなしのエアコンは違和感しか与えてこない。

「朱羽さん……?」

 声が小さくなってしまうのは、恐怖を感じているからだ。
 机の向こう、トイレに、寝室――狭い事務所に死角は幾らでもある。

 龍之介は靴を脱いで「失礼します」と囁いた。スリッパを横目に靴下のまま中へ上がり込む。
 足音を忍ばせて、警戒しながら本棚の前へ向かった。
 立てかけられたさすまたを手に取って、大きく息を吐き出す。武器を得た戦士のようだと自分を鼓舞し、次にトイレへ向かうが中は空だった。

 ――『そこは私の部屋だから、入っちゃ駄目よ』

 一番奥の部屋は朱羽からそう言いつけられているが、あとはそこしか思い当たる場所がない。テーブルの上に放置された頭痛薬の瓶も気になった。

「朱羽さん!」

 躊躇ためらいを振り払って、龍之介は彼女の部屋の扉を勢い良く引いた。
 さすまたを突き出して初めて踏み込む秘密の部屋は、木目調の家具で統一された彼女にしてはシンプルな部屋だった。

 荒らされている様子もなければ誰も居なかったことにホッとしたのも束の間、一枚のメッセージを見つけて「あっ」と息を詰まらせる。
 黒字で殴り書きされた紙が、千切られたガムテープでベッド横の壁に留められていたのだ。

田母神たもがみ京子を連れてこい G』

 最近見慣れた朱羽の字ではない。
 足元に転がるサインペンを見つけて、龍之介はすくんでしまいそうな足に必死にあらがう。

「何だよこれ。朱羽さん……」

 ありきたりな脅迫状は京子を呼び出すためのメッセージに見えるが、場所も何も書かれていない。最後にしたためられたアルファベットが人の名前を指すのなら、思い当たる相手は一人しかいなかった。

「ガイア!」

 龍之介は怒りのままに叫んで部屋を飛び出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

デリバリー・デイジー

SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。 これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。 ※もちろん、内容は百%フィクションですよ!

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

処理中です...