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Episode3 龍之介

8 バイト募集中!

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 彼女のことを見間違えない自信はあった。
 あの夜に刻まれた数分の記憶が、通りすがりの彼女を重ねて「そうだ」と脳に激しくシグナルを送ってくる。

 買い物客でごった返す炎天下の商店街で、龍之介はすれ違いざまに確信して、彼女の背を追い掛けた。
 一瞬見えた表情に間違いはない。半袖の白いブラウスに、ヒラヒラと揺れる浅葱色のスカート。髪型はあの時と同じ少し長めのボブヘアだ。

 距離を繋ぎ止めようと「行かないで」と囁く。
 名前も知らない彼女を止めることはできず、どんどん距離が離れていく。人の波に視線をねじ込んで、消えそうになる彼女との間隔を保った。

「くっそ、何でこんなに人が居るんだよ」

 その答えは明確だ。先週この近くに新しくショッピングセンターがオープンしたのだ。
 龍之介も駐輪場へ自転車を停めて、テナントの本屋へ行く途中だった。駅へ流れる人の手には、同じ青いロゴの入った紙袋が握られている。

 駅に入られると探すのは困難だと思ったが、彼女は人の波を逸れてそこを通り過ぎた。
 龍之介は一気にダッシュを仕掛ける。

「待って!」

 けれどほんの数十メートルの距離で叫んでも、彼女は振り向いてはくれなかった。

 そして、龍之介の一方的な追走劇は終わりを告げる。
 白いブラウスの彼女は通り沿いにある小さなビルの中へと入っていった。

 龍之介は噴き出した額の汗を腕で拭い、年季の入ったコンクリート剝き出しのビルを見上げる。
 通りでは一番高い五階建てで、正面にはガラスの大きな扉があった。
 一階は何かの事務所のようだが、看板らしきものは出ていない。二階から上は同じ窓が並んでいて、四階の窓辺に洗濯物がぶら下がっていた。

「家……なのか? それとも下?」

 龍之介の家から一駅。彼女は思うよりも遥かに近い場所に居た。

 ガラスの扉をそっと押して中へ入る。
 シンと静まり返った狭いホールは、照明がついているのにやたら薄暗く感じた。奥にはぼんやりと消火栓の赤いランプが光り、エレベーターのボタンは三階で止まっている。

 すぐ横にある大きな扉の奥から人の声らしき音がした。確信はないけれど、ここで諦めるつもりはない。
 龍之介は気合を入れるように拳を握り、インターフォンへ人差し指を伸ばした。

「バイト希望で来たの?」

 けれどボタンに触れるよりも先に、突然背後から声を掛けられる。
 龍之介は「うわぁ」と背を震わせて相手を振り向いた。
 人の気配など感じなかったが、壁際で一人の男が両腕を組んで立っている。

「何でそんなに驚くんだよ。最初から居たけど?」

 呆れたように苦笑して、男は壁から背中を起こした。
 龍之介と同じ年頃で、似たような無地のシャツにストレートのパンツという普段着姿だ。ただ左の手首に銀色の環を見つけて、龍之介は「やっぱり」と頷いた。

「やっぱりって、何? バイトじゃないの?」

 興奮気味の龍之介に、男は扉の前へ移動してインターフォンとは逆の壁を指で指し示した。
 そこには白いコピー用紙が花模様のマスキングテープでとめられていて、上に大きく『アルバイト募集』と書かれている。

「アルバイト……募集してるんですか?」
「そうだけど。知らなかったの? 違うなら何しにここに来たんだよ」
「あ、いえ、バイト希望です。俺バイト探してます!」

 龍之介は怪訝な顔をする男に必死に食らいつく。こんな紙全く目に入っていなかった。
 彼がキーダーだとして銀環の彼女がここにいる確証はないが、この扉を潜る理由をそれ以外に見つけることができない。下に細かく書かれた要項など読んでいる暇もなかった。

「だから、ちょっと話を聞きたいと思って」

 八割方嘘だけれど、バイトを探していた事だけは事実だ。
 「へぇ」と男に怪しまれながらも、龍之介は笑顔を繕う。

 「高校生?」と聞かれて、「高二です」と龍之介は答えた。

「そっか。だったらそんなに緊張するなよ」
「はい。あの、貴方はキーダーなんですか?」

 男の言葉に少しだけ冷静になって、龍之介はそれを確認した。
 すると、彼はにんまりと緩んだ口元にそっと左手を添える。

「あぁ、一応な」
「一応?」
「いや、マジで! マジでキーダーだから! 銀環だって付けてるだろ?」

 男は手首の環を龍之介に示してから、部屋の扉をノックした。
 「何?」とすぐに奥から女の声で反応がある。龍之介が緊張を走らせると、ガチャリと音がして扉が開かれた。

 エアコンの涼しい風と共に顔を覗かせたのは、龍之介の予想外の人物だった。

 背の低いツインテールの少女が涼し気なワンピースを揺らしながら、龍之介を見るなり「え?」と眉間に皺を寄せる。

「何で貴方がここに居るのよ」
「貴女は……」

 あまりにも衝撃的で、龍之介は言葉を失ってしまう。
 キーダーに会わせてやると言われて銀次に紹介された、東黄学園三年の楓美弦かえでみつるだ。確かに彼女もキーダーだけれど、こんな場所で再会するとは思ってもいなかった。

「え、お前たち知り合いなの?」

 不思議がる男に龍之介が無言のまま頷くと、奥から別の気配がした。

「美弦ちゃんどうしたの? お客様?」

 その声を聞いて、脳裏に夜桜の風景が流れる。
 美弦との再会を何倍にも上回る興奮に、龍之介は思わず泣きそうになった目をぎゅっと閉じた。

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