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Episode2 修司
70 指輪のこと
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屋上で暴れる力の気配は荒々しく降って来るが、その音は驚く程に小さく、建物の中は静けさに包まれていた。壁越しに響くホールの歓声も、防音設備のお陰か遠くでぼんやりと鳴っているようにしか聞こえない。
警戒しながら三階まで下りて円形のホールに沿った左カーブの通路を進んでいくと、ようやく軽快な音が耳に届いた。
天井近くに設置された大きなモニターに、固定カメラで撮られたホールの様子が映し出されている。
聞き覚えのあるジャスティの曲に合わせた観客の低い合いの手が、会場の一体感を作り出していた。
この危機的状況を、ステージで歌う少女たちは恐らく知っているのだろう。その恐怖を微塵も零すことなく毅然としてファンの前に立つ姿は、自分よりもずっと強いと感じた。
屋上で起きている現実と、今この壁の向こうの現実が頭の中でぶつかり合って、修司は恐怖を逃がすように星印の描かれた趙馬刀を握りしめる。
壁に貼られた見取り図でロビーの位置を確認すると、廊下の奥から声がした。
「修司! 大丈夫?」
足音が大きくなってパッと姿を現した京子に、修司は「良かったぁ!」と安堵する。修司の姿を確認すると、彼女もホッと安堵を滲ませて駆け寄ってきた。
「俺は大丈夫です。でも、桃也さんがまだ上に……」
「この気配だもんね。屋上に何か居るとは思ってたけど、心配しないで。桃也は強いから」
不安気に天井を仰ぎながら、京子は人気のないロビーへ移動する。そこにも同じモニターがあって、中の様子を確認することが出来た。
「アンコール終わるまでここで待機ね。もう少しかかるから、ちょっとだけでも休んでて」
「はい」と頷いてみたものの落ち着いて座っている気にはなれず、修司は趙馬刀を握ったままモニターに目を凝らす。
特に変わった様子もなく、テンポの速い曲に観客の興奮は上がりっぱなしだ。この中のどこに譲は居るのだろうかと、そればかり考えてしまう。
「修司が来るんじゃないかって思ってたよ」
「俺だけ先に来ちゃってすみません」
「ううん。桃也に言われたんでしょ? それでいい」
横のベンチに腰を下ろした京子の手に、小さな石の付いた指輪があった。初めて目にしたそれが左手の薬指な意味を考えて、思わず「あっ」と声が出る。
久しぶりの再会で二人に何か進展があったのかと思ったが、視線に気付いた京子が先に「そういうのじゃないの」と答えをくれた。
「昔、桃也に貰ったものなんだ。最初は嬉しくて毎日付けてたんだけど、もうずっと会えなくなったら見てるのが辛くなっちゃって。それで外してたの。けど、今日はお守りにと思って。本人もいるしね」
「そうなんですか」
「気にしないで。それより制服似合ってるじゃん」
「まだ着慣れなくて落ち着きませんけど」
窓に映り込む自分を見るたびに、アスコットタイを締めた姿に照れ臭くなった。
「すぐ慣れるよ。修司はキーダーになって良かったって思ってる?」
「……はい」
実際に目の当たりにした桃也の戦闘が恐怖心を煽って来るが、逃げ出したい衝動とは別の気持ちが修司をこの場所に留めている。
「俺、桃也さんから昔の事聞いたんです。大晦日の、白雪の話……」
口にするのを躊躇うと、京子は「そうか」と頷く。そしてモニターに返した視線をうつろに漂わせながら、その話をしてくれた。
「あの日は私が非番だったの。あの頃はウチにキーダーが私と爺しかいなくて……あ、爺ってのは大舎卿のことね。その日アルガスに待機してた爺は忙しかったらしくて、その隙を狙ったような事件だった。私がもっと早く駆け付けられたら何かできたのかもしれない――そんな風に自分を責めて暫く悩んでたんだけど、結局私が数時間早く着いたところで、どうすることもできなかったんだよね」
「あれ。でもあの日、桃也さんの所へ最初に駆け付けたのは、マサさんって人だって聞きました」
ふと沸いた疑問に、修司は手中の趙馬刀へ視線を落とした。星印の刻まれた柄は、マサが過去に使っていたものだと聞いている。
超馬刀はキーダーの武器だ。力がなければ、この柄へ刃を付けることはできない。そういえば、マサは颯太の見せてくれたキーダーの資料にも載ってはいなかった。
「マサさんって、別支部の人だったんですか?」
そう考えれば納得いくが、京子は「そうじゃないの」と首を振った。
「マサさんの所属はずっと本部のままだよ。けど、彼は私がアルガスに入るより少し前にトールになってしまったから……」
トールとは、力を放棄したキーダーやバスクのことを指す。
マサは今北陸の研究施設に居ると聞いている。その経緯は分からないが、キーダーを辞めてアルガスに残る選択もあるようだ。
「そうなんですか。俺はアルガスに来て、色んなことを知りました。そして、もっと知りたいって思ったんです。自分の意思が中途半端だと、与えられるのも中途半端なんだなって分かったから」
「今回の事は謝るよ。でも、安藤律と縁のある貴方に、今日の事を伝えるわけにはいかなかったの」
アルガスが取った行動を非難しようとは思わない。
「俺は、キーダーになって世の中に起きてる色んな事を知りたいです。いつ辞めてもいいなら、全部理解した上で納得してから力を手放す決断をしたいと思いました」
京子に向いて、修司は訴えた。
けれど、京子は困惑気味に顔を傾ける。
「キーダーだからって何でも情報が与えられるわけじゃないよ。私は『大晦日の白雪』の後、何年も桃也と一緒に居たけど、彼が能力者だって知ったのは彼がキーダーになる決意をしてからだし。これから貴方にも色々な状況が出てくると思う」
キーダーもまた、アルガスの駒だということは重々承知だ。それでも天秤に吊るされたままのような現状よりは良いと思えてしまう。
決意を込めて頷いて、修司は「キーダーにして下さい」と懇願する。
「自分の命を大切にして。私からはそれだけだよ。あとは息を抜いても平気だから。修司が本当に私たちの仲間になりたいと思ってくれたなら、私は貴方を大歓迎するよ」
そう言って微笑んだ京子に、修司は「はい」と緊張の混じる声で返事する。
モニターからの映像では、ジャスティのライブがフィナーレを迎えようとしていた。
警戒しながら三階まで下りて円形のホールに沿った左カーブの通路を進んでいくと、ようやく軽快な音が耳に届いた。
天井近くに設置された大きなモニターに、固定カメラで撮られたホールの様子が映し出されている。
聞き覚えのあるジャスティの曲に合わせた観客の低い合いの手が、会場の一体感を作り出していた。
この危機的状況を、ステージで歌う少女たちは恐らく知っているのだろう。その恐怖を微塵も零すことなく毅然としてファンの前に立つ姿は、自分よりもずっと強いと感じた。
屋上で起きている現実と、今この壁の向こうの現実が頭の中でぶつかり合って、修司は恐怖を逃がすように星印の描かれた趙馬刀を握りしめる。
壁に貼られた見取り図でロビーの位置を確認すると、廊下の奥から声がした。
「修司! 大丈夫?」
足音が大きくなってパッと姿を現した京子に、修司は「良かったぁ!」と安堵する。修司の姿を確認すると、彼女もホッと安堵を滲ませて駆け寄ってきた。
「俺は大丈夫です。でも、桃也さんがまだ上に……」
「この気配だもんね。屋上に何か居るとは思ってたけど、心配しないで。桃也は強いから」
不安気に天井を仰ぎながら、京子は人気のないロビーへ移動する。そこにも同じモニターがあって、中の様子を確認することが出来た。
「アンコール終わるまでここで待機ね。もう少しかかるから、ちょっとだけでも休んでて」
「はい」と頷いてみたものの落ち着いて座っている気にはなれず、修司は趙馬刀を握ったままモニターに目を凝らす。
特に変わった様子もなく、テンポの速い曲に観客の興奮は上がりっぱなしだ。この中のどこに譲は居るのだろうかと、そればかり考えてしまう。
「修司が来るんじゃないかって思ってたよ」
「俺だけ先に来ちゃってすみません」
「ううん。桃也に言われたんでしょ? それでいい」
横のベンチに腰を下ろした京子の手に、小さな石の付いた指輪があった。初めて目にしたそれが左手の薬指な意味を考えて、思わず「あっ」と声が出る。
久しぶりの再会で二人に何か進展があったのかと思ったが、視線に気付いた京子が先に「そういうのじゃないの」と答えをくれた。
「昔、桃也に貰ったものなんだ。最初は嬉しくて毎日付けてたんだけど、もうずっと会えなくなったら見てるのが辛くなっちゃって。それで外してたの。けど、今日はお守りにと思って。本人もいるしね」
「そうなんですか」
「気にしないで。それより制服似合ってるじゃん」
「まだ着慣れなくて落ち着きませんけど」
窓に映り込む自分を見るたびに、アスコットタイを締めた姿に照れ臭くなった。
「すぐ慣れるよ。修司はキーダーになって良かったって思ってる?」
「……はい」
実際に目の当たりにした桃也の戦闘が恐怖心を煽って来るが、逃げ出したい衝動とは別の気持ちが修司をこの場所に留めている。
「俺、桃也さんから昔の事聞いたんです。大晦日の、白雪の話……」
口にするのを躊躇うと、京子は「そうか」と頷く。そしてモニターに返した視線をうつろに漂わせながら、その話をしてくれた。
「あの日は私が非番だったの。あの頃はウチにキーダーが私と爺しかいなくて……あ、爺ってのは大舎卿のことね。その日アルガスに待機してた爺は忙しかったらしくて、その隙を狙ったような事件だった。私がもっと早く駆け付けられたら何かできたのかもしれない――そんな風に自分を責めて暫く悩んでたんだけど、結局私が数時間早く着いたところで、どうすることもできなかったんだよね」
「あれ。でもあの日、桃也さんの所へ最初に駆け付けたのは、マサさんって人だって聞きました」
ふと沸いた疑問に、修司は手中の趙馬刀へ視線を落とした。星印の刻まれた柄は、マサが過去に使っていたものだと聞いている。
超馬刀はキーダーの武器だ。力がなければ、この柄へ刃を付けることはできない。そういえば、マサは颯太の見せてくれたキーダーの資料にも載ってはいなかった。
「マサさんって、別支部の人だったんですか?」
そう考えれば納得いくが、京子は「そうじゃないの」と首を振った。
「マサさんの所属はずっと本部のままだよ。けど、彼は私がアルガスに入るより少し前にトールになってしまったから……」
トールとは、力を放棄したキーダーやバスクのことを指す。
マサは今北陸の研究施設に居ると聞いている。その経緯は分からないが、キーダーを辞めてアルガスに残る選択もあるようだ。
「そうなんですか。俺はアルガスに来て、色んなことを知りました。そして、もっと知りたいって思ったんです。自分の意思が中途半端だと、与えられるのも中途半端なんだなって分かったから」
「今回の事は謝るよ。でも、安藤律と縁のある貴方に、今日の事を伝えるわけにはいかなかったの」
アルガスが取った行動を非難しようとは思わない。
「俺は、キーダーになって世の中に起きてる色んな事を知りたいです。いつ辞めてもいいなら、全部理解した上で納得してから力を手放す決断をしたいと思いました」
京子に向いて、修司は訴えた。
けれど、京子は困惑気味に顔を傾ける。
「キーダーだからって何でも情報が与えられるわけじゃないよ。私は『大晦日の白雪』の後、何年も桃也と一緒に居たけど、彼が能力者だって知ったのは彼がキーダーになる決意をしてからだし。これから貴方にも色々な状況が出てくると思う」
キーダーもまた、アルガスの駒だということは重々承知だ。それでも天秤に吊るされたままのような現状よりは良いと思えてしまう。
決意を込めて頷いて、修司は「キーダーにして下さい」と懇願する。
「自分の命を大切にして。私からはそれだけだよ。あとは息を抜いても平気だから。修司が本当に私たちの仲間になりたいと思ってくれたなら、私は貴方を大歓迎するよ」
そう言って微笑んだ京子に、修司は「はい」と緊張の混じる声で返事する。
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