150 / 622
Episode2 修司
56 会いたい人
しおりを挟む
マグカップに入ったコーヒーをクルクルと波打たせながら、律は彼女自身の過去をゆっくりと話した。
「これでもトールになろうと思ったこともあるのよ? けど、あの門をどうしても潜れなくて」
「俺も東京に出てきた時、アルガスに行きました。大分手前で引き返しましたけど」
二年前、美弦に会ったあの日のターニングポイントを、修司は曲がることが出来なかった。
「敵の侵入を防ぐ為なんだろうけど、入口があんなんじゃ近付こうにも近付けないわよね」
目を細めて微笑む律がホルスだと言われても、まだ信じられなかった。
『先入観を持たないこと』と言った桃也の言葉を必死に頭で繰り返していると、律がカップを両手で握りながら遠い目を漂わせた。
「特殊な能力なんて不気味だと思った頃もあったけど、高橋に会って前向きになれた。自分の力には価値があるんだって納得できたの」
力を怖がる律に近付き、凄いと褒め称えた高橋が彼女に求めたのは『感じる力』だったという。
律によってホルスになったバスクが何人もいると聞いて、修司は身構えた。
「けどそれって国の指示に従うキーダーと変わりないんじゃないですか?」
「全然違うわ。ホルスは、バスクもノーマルも各々が最前線で仕事するの。アルガスのように傍から見てるだけの人間なんていないわ」
けれど、能力者が組織に与することに変わりはない。バスクは国に使われること、銀環をすることを不自由だと言って、それを理由に身を潜めているわけではないのだろうか。
結局、どちらも同じなのかもしれない。ホルスもアルガスも、互いを相容れないだけなのではないか。これではどこかの宗教戦争のようだ。
「高橋もノーマルだけど前線に居たのよ。バスクとの戦闘で死んでしまったけれど」
律はもの悲しさを含んだ目を修司に向けて、「私はね」とその話をした。
「彼が死んで、暴走しそうになったの」
「暴走って、力の暴走ですか? 律さんが?」
銀環をしない能力者が起こすという力の暴走を、止めることなんてできるのだろうか。
ふと沸いた不安に、修司は声を震わせる。
「もしかして大晦日の白雪は、律さんが……?」
「私じゃないわ!」
七年前の大晦日に起きた悲劇も、バスクの暴走が起こしたものだと平野や颯太は言っている。
「あれはホルスとは関係のない話。私は目の前で高橋が殺されて、我を忘れてしまったの。気付いたら高橋を殺した男に助けられてた」
律は背を丸め、両手で自分の顔を覆った。
何度も顔を左右に振って、今度は両膝を抱える。
「敵なのよ? 逃げる選択肢だってあったはずなのに、私を庇って暴走を止めたせいで、その男も死んでしまった。私だけ助かっても仕方ないのに」
「だったら余計に、律さんは銀環を付けた方がいいと思います」
高橋を失った衝動で暴走しかけたという律。計り知れないこの能力において、「大丈夫」の根拠はゼロに近い。
だからノーマルは銀環を作り出した――律の話を聞くと、ノーマルが感じた能力者への恐怖に納得してしまう。
「暴走が絡んだ事件って、結構あるんですか?」
『大晦日の白雪』は有名だけれど、他に思い当たるものはなかった。例えあったとしても、災害レベルの被害でない限り、一般人にまで情報は流れてこないのかもしれない。
「被害の規模は様々なんだろうけど、私が日本に来るより前に何かあった気がする──人づてに聞いた話だから、詳しくは分からないけど。他で耳にした事もないから、大したことはないんじゃないかしら」
「それなりの規模じゃないと広まらないって事ですかね。けど律さん……」
「何?」
「今の俺には、暴走を止められる力なんてないですからね」
前に律から正気を失ったら止めてくれるかと聞かれたことがある。
「あれは私を庇って死ねって意味じゃないのよ。もし暴走しそうになったら、修司くん私を殺してくれる?」
「殺して、って。そんなのできませんよ! 律さんはそんな覚悟でホルスで居ようとするんですか?」
「私は高橋が好きだから。忘れることができないの。私がホルスに協力するって言ったら、あの人も「愛してる」って言ってくれたのよ? 「自由になれたら一緒になろう」ってのが、あの人の口癖だった。私は単純だから、アルガスの機能を停止させたら結婚できるんだって思ってたのよ。いまだに一緒になろうの意味は分からないけど」
「言葉のままなんだと思いますよ」
「修司くん、今からでもこっちに来ない?」
甘く聞こえる律の誘いに、修司は反射的に左手首を庇った。
「――ごめんなさい。俺には無理です」
修司は深く頭を下げる。
自分が貴女の敵になるという宣告だ。その意味を改めて理解すると、急に胸が苦しくなる。
この選択が最善かどうかは分からないけれど、後悔はしない筈だ。
「俺、帰ります」
そうすべきだと判断して立ち上がると、壁の写真が目についた。
若い頃の律と高橋だ。二人の笑顔からは、国を相手に戦おうなんて志は微塵も感じ取ることはできない。
「彰人に会いたいな」
そんな事を呟いて、律は戸口で修司を見送った。
また彰人に会うことはできるのだろうか。彼だったら律をホルスから脱却させることができるかもしれないと思うのに、連絡先すら知らず修司にはどうすることもできなかった。
「もう、来ちゃ駄目よ」
彼女の忠告に「はい」と答えると、「じゃあ」と余韻を残して律が戸を閉める。摺りガラスの奥はすぐに暗転した。
「これでもトールになろうと思ったこともあるのよ? けど、あの門をどうしても潜れなくて」
「俺も東京に出てきた時、アルガスに行きました。大分手前で引き返しましたけど」
二年前、美弦に会ったあの日のターニングポイントを、修司は曲がることが出来なかった。
「敵の侵入を防ぐ為なんだろうけど、入口があんなんじゃ近付こうにも近付けないわよね」
目を細めて微笑む律がホルスだと言われても、まだ信じられなかった。
『先入観を持たないこと』と言った桃也の言葉を必死に頭で繰り返していると、律がカップを両手で握りながら遠い目を漂わせた。
「特殊な能力なんて不気味だと思った頃もあったけど、高橋に会って前向きになれた。自分の力には価値があるんだって納得できたの」
力を怖がる律に近付き、凄いと褒め称えた高橋が彼女に求めたのは『感じる力』だったという。
律によってホルスになったバスクが何人もいると聞いて、修司は身構えた。
「けどそれって国の指示に従うキーダーと変わりないんじゃないですか?」
「全然違うわ。ホルスは、バスクもノーマルも各々が最前線で仕事するの。アルガスのように傍から見てるだけの人間なんていないわ」
けれど、能力者が組織に与することに変わりはない。バスクは国に使われること、銀環をすることを不自由だと言って、それを理由に身を潜めているわけではないのだろうか。
結局、どちらも同じなのかもしれない。ホルスもアルガスも、互いを相容れないだけなのではないか。これではどこかの宗教戦争のようだ。
「高橋もノーマルだけど前線に居たのよ。バスクとの戦闘で死んでしまったけれど」
律はもの悲しさを含んだ目を修司に向けて、「私はね」とその話をした。
「彼が死んで、暴走しそうになったの」
「暴走って、力の暴走ですか? 律さんが?」
銀環をしない能力者が起こすという力の暴走を、止めることなんてできるのだろうか。
ふと沸いた不安に、修司は声を震わせる。
「もしかして大晦日の白雪は、律さんが……?」
「私じゃないわ!」
七年前の大晦日に起きた悲劇も、バスクの暴走が起こしたものだと平野や颯太は言っている。
「あれはホルスとは関係のない話。私は目の前で高橋が殺されて、我を忘れてしまったの。気付いたら高橋を殺した男に助けられてた」
律は背を丸め、両手で自分の顔を覆った。
何度も顔を左右に振って、今度は両膝を抱える。
「敵なのよ? 逃げる選択肢だってあったはずなのに、私を庇って暴走を止めたせいで、その男も死んでしまった。私だけ助かっても仕方ないのに」
「だったら余計に、律さんは銀環を付けた方がいいと思います」
高橋を失った衝動で暴走しかけたという律。計り知れないこの能力において、「大丈夫」の根拠はゼロに近い。
だからノーマルは銀環を作り出した――律の話を聞くと、ノーマルが感じた能力者への恐怖に納得してしまう。
「暴走が絡んだ事件って、結構あるんですか?」
『大晦日の白雪』は有名だけれど、他に思い当たるものはなかった。例えあったとしても、災害レベルの被害でない限り、一般人にまで情報は流れてこないのかもしれない。
「被害の規模は様々なんだろうけど、私が日本に来るより前に何かあった気がする──人づてに聞いた話だから、詳しくは分からないけど。他で耳にした事もないから、大したことはないんじゃないかしら」
「それなりの規模じゃないと広まらないって事ですかね。けど律さん……」
「何?」
「今の俺には、暴走を止められる力なんてないですからね」
前に律から正気を失ったら止めてくれるかと聞かれたことがある。
「あれは私を庇って死ねって意味じゃないのよ。もし暴走しそうになったら、修司くん私を殺してくれる?」
「殺して、って。そんなのできませんよ! 律さんはそんな覚悟でホルスで居ようとするんですか?」
「私は高橋が好きだから。忘れることができないの。私がホルスに協力するって言ったら、あの人も「愛してる」って言ってくれたのよ? 「自由になれたら一緒になろう」ってのが、あの人の口癖だった。私は単純だから、アルガスの機能を停止させたら結婚できるんだって思ってたのよ。いまだに一緒になろうの意味は分からないけど」
「言葉のままなんだと思いますよ」
「修司くん、今からでもこっちに来ない?」
甘く聞こえる律の誘いに、修司は反射的に左手首を庇った。
「――ごめんなさい。俺には無理です」
修司は深く頭を下げる。
自分が貴女の敵になるという宣告だ。その意味を改めて理解すると、急に胸が苦しくなる。
この選択が最善かどうかは分からないけれど、後悔はしない筈だ。
「俺、帰ります」
そうすべきだと判断して立ち上がると、壁の写真が目についた。
若い頃の律と高橋だ。二人の笑顔からは、国を相手に戦おうなんて志は微塵も感じ取ることはできない。
「彰人に会いたいな」
そんな事を呟いて、律は戸口で修司を見送った。
また彰人に会うことはできるのだろうか。彼だったら律をホルスから脱却させることができるかもしれないと思うのに、連絡先すら知らず修司にはどうすることもできなかった。
「もう、来ちゃ駄目よ」
彼女の忠告に「はい」と答えると、「じゃあ」と余韻を残して律が戸を閉める。摺りガラスの奥はすぐに暗転した。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
AV研は今日もハレンチ
楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo?
AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて――
薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる