133 / 618
Episode2 修司
39 覗き見
しおりを挟む
扉の外で見張りをしている護兵に水を買いたいと尋ねると、袖の上からでも分かる筋肉隆々の腕を伸ばして「突き当りの食堂で」と教えてくれた。
廊下はひっそりとしていて、硬い床が足音を響かせる。
修司たちの居る二階にはキーダーの個人部屋がずらりと並んでいた。
部屋主を示したプレートの中に『田母神京子』の名前を見つけて、修司はあっと目を見開く。
彼女に会うことを密かに楽しみにしていた。かつてバーの前で倒れ、あの堅物な平野をあっさりとキーダーにしてしまった女性は、恐らく彼女だろう。
明日には会えると聞いて興奮するこの気持ちは、握手会前日の譲と似ているのかもしれない。
中央の大階段を挟んだ反対側は共用スペースになっていて、一番奥に食堂があった。
廊下の突き当りが見えた所で、修司はふと足を止める。
何かが聞こえた気がして耳を澄ますと、確かに雑音のようなものが遠くで鳴っていた。
距離が邪魔してハッキリと聞き取ることができないが、足音を忍ばせて近付くと、食堂の手前でそれが人の声だと理解できた。
綾斗だ。しかし彼の声とは別に獣のような唸り声が響いてくる。
「辛くなるの分かってて、最後まで付き合う事なんてないですよ。少し自己管理して下さい」
疲れの混じったような呆れ声。食堂への壁が切れた所で、制服を着た彼の背中が見えた。
修司は背の高い観葉樹の陰に隠れ、そっと様子を伺う。
オープンスペースの食堂はすっかり照明が落ちていたが、木のパーテーションで区切られた廊下側にはソファと自動販売機が並んでいる。こんばんはと挨拶して用を済ませればいいのだが、プライベートであろう状況に足を踏み入れることを躊躇ってしまう。
姿の見えない相手から「うぅ」と悲痛な声が漏れる。
獣の唸り声だと思ったものは女性の声だった。言葉にならない音を絞り出した後、息も絶え絶えに「もうダメ」と零す。
衝動的にもう一歩二人に近付くと、もう隠れる場所はなくなっていた。同時に女性の姿が視界に飛び込んできて、修司は思わず「あ」と出た声を両手で塞いだ。
仁王立ちになった綾斗の前で、ソファに全身を預けた女性が、真っ赤に火照った顔を仰向けに晒している。
白いシャツに紺のタイトスカート。黒いハイヒールが床に転がり、パンストで覆われた足が内股で床に投げ出されていた。
具合が悪いのかと思ったが、その予感をすぐに否定する。もっと当てはまる状況を知っている。
酔っ払いだ。
きっと綾斗は修司に気付いているだろうが、二人ともこちらを気にする素振りを見せない。そして、彼女が誰であるかはすぐに理解することができた。
「次は俺が行きますからね?」
「綾斗あんまり飲めないでしょ? 私だってちゃんと加減して飲んでる……つもりだったんだけど。あぁ、気持ち悪っ……」
ようやく彼女の言葉を聞き取ることができた。意識はあるようだが、時折背を丸めて目をきつく閉じている。綾斗はそんな彼女の横に浅く掛けて背中をさすった。
「加減って。俺は酒飲んで理性無くしたくないだけです。吐きますか?」
「ううん、大丈夫。ごめんね」
「いいですよ。けど、俺は京子さんの身体を心配してるんです。注がれた酒なんて全部飲まなくていいんですからね?」
「飲んでる時は平気な気がするんだけどな……」
「お酒が飲みたいなら、俺が付き合います」
「うん。けど、それはいつものことで……」
「足りない?」
「足りてる。ただ、今日はこっち戻ったら綾斗いるなと思ったら、つい……」
「それは……構いませんけど」
手慣れた様子で介抱しながら、綾斗は「京子さん」と彼女を呼んだ。予想通り、田母神京子だ。けれど、大舎卿のイメージをあてて作り上げてきた聡明な彼女像とは大分掛け離れている。
「まぁ意識があるだけ上出来です」
うっすらと漂うアルコールの匂い。
綾斗に渡されたペットボトルの水を一口飲むと、京子は酒気を逃がすように大きく息を吐き出して、仰向けのまま身体を捻った。目を閉じて暫く会話が途切れる。
寝てしまったのだろうかと表情を伺うと、修司の視線を感じ取ったかのように「あぁ」と大きな瞳がパチリと開いた。
京子は片腕を軸にして体を起こそうとするが、「どうしたんですか」と綾斗に押し戻される。
「昨日言ってたでしょ、近藤武雄の話。詳しく教えて」
「詳しく言った所で覚えられるんですか。明日話しますよ。それより、京子さんがここで潰れてるとアルガスの風紀を乱します。移動してもらいますよ」
立ち上がり掛けた綾斗の腕を掴んで、京子は「駄目」と青ざめた顔をソファに伏せた。
「まだ動けない」
綾斗は「はいはい」とあしらい、掴まれた手を彼女の顔の横へ移動させる。
京子が口にした男の名前には聞き覚えがあった。けれど記憶には繋がらず、修司はそのまま聞き流してしまう。尋ねる程の興味も湧かなかった。
「ねぇ綾斗、明日、桃也が帰って来るんだよね?」
目を閉じたまま京子は顔を少しだけ綾斗に向ける。
「今日、長官を送った足でコージさんが向こうに入ってるんで、明日の夕方には帰還予定です」
何処か不満そうに答える綾斗。
「そっか」と目尻を下げる京子は、どこか寂しげな色を見せる。
「嬉しくないんですか?」
「桃也に会えるのは嬉しいよ。けど……」
言葉を濁した京子の返事に、修司は妙な緊張を覚えてゴクリと息を飲み込んだ。
廊下はひっそりとしていて、硬い床が足音を響かせる。
修司たちの居る二階にはキーダーの個人部屋がずらりと並んでいた。
部屋主を示したプレートの中に『田母神京子』の名前を見つけて、修司はあっと目を見開く。
彼女に会うことを密かに楽しみにしていた。かつてバーの前で倒れ、あの堅物な平野をあっさりとキーダーにしてしまった女性は、恐らく彼女だろう。
明日には会えると聞いて興奮するこの気持ちは、握手会前日の譲と似ているのかもしれない。
中央の大階段を挟んだ反対側は共用スペースになっていて、一番奥に食堂があった。
廊下の突き当りが見えた所で、修司はふと足を止める。
何かが聞こえた気がして耳を澄ますと、確かに雑音のようなものが遠くで鳴っていた。
距離が邪魔してハッキリと聞き取ることができないが、足音を忍ばせて近付くと、食堂の手前でそれが人の声だと理解できた。
綾斗だ。しかし彼の声とは別に獣のような唸り声が響いてくる。
「辛くなるの分かってて、最後まで付き合う事なんてないですよ。少し自己管理して下さい」
疲れの混じったような呆れ声。食堂への壁が切れた所で、制服を着た彼の背中が見えた。
修司は背の高い観葉樹の陰に隠れ、そっと様子を伺う。
オープンスペースの食堂はすっかり照明が落ちていたが、木のパーテーションで区切られた廊下側にはソファと自動販売機が並んでいる。こんばんはと挨拶して用を済ませればいいのだが、プライベートであろう状況に足を踏み入れることを躊躇ってしまう。
姿の見えない相手から「うぅ」と悲痛な声が漏れる。
獣の唸り声だと思ったものは女性の声だった。言葉にならない音を絞り出した後、息も絶え絶えに「もうダメ」と零す。
衝動的にもう一歩二人に近付くと、もう隠れる場所はなくなっていた。同時に女性の姿が視界に飛び込んできて、修司は思わず「あ」と出た声を両手で塞いだ。
仁王立ちになった綾斗の前で、ソファに全身を預けた女性が、真っ赤に火照った顔を仰向けに晒している。
白いシャツに紺のタイトスカート。黒いハイヒールが床に転がり、パンストで覆われた足が内股で床に投げ出されていた。
具合が悪いのかと思ったが、その予感をすぐに否定する。もっと当てはまる状況を知っている。
酔っ払いだ。
きっと綾斗は修司に気付いているだろうが、二人ともこちらを気にする素振りを見せない。そして、彼女が誰であるかはすぐに理解することができた。
「次は俺が行きますからね?」
「綾斗あんまり飲めないでしょ? 私だってちゃんと加減して飲んでる……つもりだったんだけど。あぁ、気持ち悪っ……」
ようやく彼女の言葉を聞き取ることができた。意識はあるようだが、時折背を丸めて目をきつく閉じている。綾斗はそんな彼女の横に浅く掛けて背中をさすった。
「加減って。俺は酒飲んで理性無くしたくないだけです。吐きますか?」
「ううん、大丈夫。ごめんね」
「いいですよ。けど、俺は京子さんの身体を心配してるんです。注がれた酒なんて全部飲まなくていいんですからね?」
「飲んでる時は平気な気がするんだけどな……」
「お酒が飲みたいなら、俺が付き合います」
「うん。けど、それはいつものことで……」
「足りない?」
「足りてる。ただ、今日はこっち戻ったら綾斗いるなと思ったら、つい……」
「それは……構いませんけど」
手慣れた様子で介抱しながら、綾斗は「京子さん」と彼女を呼んだ。予想通り、田母神京子だ。けれど、大舎卿のイメージをあてて作り上げてきた聡明な彼女像とは大分掛け離れている。
「まぁ意識があるだけ上出来です」
うっすらと漂うアルコールの匂い。
綾斗に渡されたペットボトルの水を一口飲むと、京子は酒気を逃がすように大きく息を吐き出して、仰向けのまま身体を捻った。目を閉じて暫く会話が途切れる。
寝てしまったのだろうかと表情を伺うと、修司の視線を感じ取ったかのように「あぁ」と大きな瞳がパチリと開いた。
京子は片腕を軸にして体を起こそうとするが、「どうしたんですか」と綾斗に押し戻される。
「昨日言ってたでしょ、近藤武雄の話。詳しく教えて」
「詳しく言った所で覚えられるんですか。明日話しますよ。それより、京子さんがここで潰れてるとアルガスの風紀を乱します。移動してもらいますよ」
立ち上がり掛けた綾斗の腕を掴んで、京子は「駄目」と青ざめた顔をソファに伏せた。
「まだ動けない」
綾斗は「はいはい」とあしらい、掴まれた手を彼女の顔の横へ移動させる。
京子が口にした男の名前には聞き覚えがあった。けれど記憶には繋がらず、修司はそのまま聞き流してしまう。尋ねる程の興味も湧かなかった。
「ねぇ綾斗、明日、桃也が帰って来るんだよね?」
目を閉じたまま京子は顔を少しだけ綾斗に向ける。
「今日、長官を送った足でコージさんが向こうに入ってるんで、明日の夕方には帰還予定です」
何処か不満そうに答える綾斗。
「そっか」と目尻を下げる京子は、どこか寂しげな色を見せる。
「嬉しくないんですか?」
「桃也に会えるのは嬉しいよ。けど……」
言葉を濁した京子の返事に、修司は妙な緊張を覚えてゴクリと息を飲み込んだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる