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Episode2 修司

5 キーダーの彼女とバスクの俺は

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「なぁんだ。暗そうな町だと思ってたけど、お店も色々あるじゃない」

 工場の多い町だが駅には商業施設も入っていて、アルガスまでの道筋にも商店やお洒落な飲食店が幾つもあった。
 次々と興味を示す彼女の視線を追い掛けて、修司は「ほんとだ」と相槌あいづちを繰り返す。けれど一歩ごとに緊張が高まって、状況を楽しむ余裕など殆どなかった。

「バレたから言うけどさ、俺、アルガスにキーダーの知り合いが居るんだぜ」
「へぇ、そうなの?」

 彼女は、くりっと丸い大きな瞳をぱちぱちとまばたかせた。

「その人も元はバスクで、俺はずっと一緒にいるつもりだった。けど、少し前にキーダーに連れて行かれたんだ。後からキーダーになったらしいって聞いたから」
「それでここに来たの? バスクのくせ無防備むぼうびって言うか、大胆だいたんって言うか、馬鹿? アンタはその時バレなかったの?」
「馬鹿とか言うなよ。俺が知らないうちに、その人だけ連れて行かれたんだ」

 今年に入って間もなくのことだ。
 受験対策で受けた進学塾の冬季講習がハードで、冬休みはほとんど店に行けなかった。その時を狙ったように平野は連れていかれたのだ。

「お気楽な奴ね。でもアンタが今ここに居るってことは、そのキーダーはアンタの事を秘密にしてくれてるってことでしょ? そうじゃなかったら、とっくに見つかってる筈だもの」

 それは何となく理解しているつもりだ。
 昔から平野は『自分の道なんて、自分で選べ』と言っていた。

「私で良かったら、その人にこっそりアンタの話してあげてもいいわよ?」
「いや、それはやめとく。そんなことしたら、お前だって罰されちまうんじゃないのか?」
「手引きしようとしてるわけじゃないわ。思うことがあるなら話をすることって大事だと思うの」

 平野の顔が脳裏によぎって、彼女に頼むことも一つの方法かなとは思った。
 彼を連れて行った女キーダーのようにアルガスの外でじっと待つよりも、よほど効果的だ。
 偶然ならきっと問題ない。けれど、彼女を介してまで会いたいかと言われれば、そうじゃない。

「でもやっぱ、ちゃんと頭ん中整理してからにするわ」

 商店街が途切れ、機械工場を壁伝いに歩いたところで背の高い門が姿を現した。
 直線でおよそ百メートル。道の正面をふさぐ壁が左右に広がり、中央の建物を取り囲んでいる。門の前に立つ二人の門番の背と比べると、壁の高さは四メートル程あるだろうか。
 「すごいな」と修司はその存在感に圧倒されて足を止めた。

 年明けのニュースはまだ記憶にも新しい。
 アルガスが何者かの襲撃しゅうげきを受け、大きな被害を受けたという。平野がテレビに映り込んだ騒動だ。
 恐らくどこかのバスクが犯人だと、修司は確信している。

 アルガスに関するニュースは、その殆どに国の圧力が掛けられている。だから詳細が一般市民に伝えられることはなく、せいぜい現場周辺への注意喚起を促すテロップが流れる程度だった。
 けれどその夜の事件は深夜帯だったせいもあってか、いつもと様子が違っていた。
 敷地の外から隠し撮りされたスクープ映像が、五分ほど映し出されたのだ。
 ぼんやりとかすんだものだったが、闇の奥を時折強い光が飛び交い、瞬間的に照らし出される光景に目が釘付けられた。

『やめとけよ。アルガスの報道なんて、真実と嘘を混同こんどうさせて視聴率取ってるだけなんだからよ』

 そんなことを颯太そうたに言われても、テレビから目を離すことができなかった。微動びどうだにせず見入っていると、颯太はそれ以上何も言わずに後ろのソファで一人晩酌を続けた。

 しかしそんな凄烈せいれつな騒動を彷彿ほうふつとさせる様子もなく、崩壊したらしい壁も二つに折れた鉄塔も、今は何事もなかったように綺麗な姿でそこにある。

 彼女は修司より数歩前で立ち止まり、くるりときびすを返した。

「これ以上行くと見つかっちゃうわよ?」

 息を呑みこもうとして喉がつかえる。駅にはなかった物々しさを壁の向こうから感じる。
 平野に会いたいと思うのに出て来ないで欲しいと祈る自分に気付いて、修司は見下ろした空の手をぎゅっと握りしめた。

「戻るよ」
「そう――わかったわ。ねぇ、アンタはもう覚醒してるの? バスクは銀環の抑制がない分、力の兆候ちょうこうが早く表れるって聞いたけど」
「そういうもんなのか? 力は少しずつ使えるようになってはきてるけど」

 「やっぱり!」と興奮気味に見上げてきた彼女に、修司は「威力なんて全然だけどな」と正直に話す。

「私も力を読み取る能力は少しずつ強くなってるけど、その他は悲しいくらいよ」

 彼女は不満げな表情を浮かべるが、すぐに強がって「でも、これからアルガスで訓練して、絶対に強くなるんだから」と意気込んだ。

 平野と居た時、修司はバスクであることを隠す訓練をしていたが、キーダーになれば彼女のように戦う力を優先に強めていかねばならないのか。

「じゃあ、ここでね。私は楓美弦かえでみつる。また会うはずだから覚えといて」
「お、おぅ。わかったよ」

 突然の自己紹介に戸惑って修司が頷くと、美弦は「もおっ」と苛立って腕を組んだ。

「相手が名乗ったら自分も名乗るのが礼儀ってもんでしょ? アンタの名前、覚えといてあげてもいいわよ」
「別に忘れてくれても構わねぇけどさ。俺は、保科修司ほしなしゅうじ。俺達また会えるのかな?」
「修司、ね。当たり前でしょ? バスクがバスクのままでいられるわけないもの。今のままで居たいなら、せいぜい大人しくしてる事ね。けど私が絶対に捕まえてやるんだから!」

 びしりと人差し指を突き上げて美弦はにやりと笑みを浮かべると、再び修司に背を向けて小走りに走って行ってしまった。

 門番と幾つか言葉を交わすと、鉄の扉がゆっくりと開かれる。塀と塀に阻まれて切り取られたような四角の風景には、緑の芝生と見覚えのある茶色の建物が見えた。

 奥でふと足を止めた美弦が、背を向けたまま高く右手をかかげて別れを告げる。
 修司もそれを返そうとするが、伸ばし掛けた手を引いて、その場を後にした。
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