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Episode1 京子
【番外編】7 足りない
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ついこの間まで七時起床が当たり前だったのに、四月に入ってからというもの久志の部屋の目覚まし時計は毎朝六時にけたたましいベルを鳴らす。
「僕は朝が苦手なんだよ」
そのせいで最近は家に帰らず、支部の自室で寝泊まりすることが多かった。
髪だけはきちんとセットして、タイを緩く結びながら訓練場へ向かう。
窓の奥に見えるヘリポートには、コージの五番機が見えた。
午後からの会議に向けて、長官が昨日の夜に北陸入りしている。苦手な相手という訳ではないが、なるべくなら会わないでおきたい。
ふと腕時計に目をやると、針が止まっていることに気付いた。
今どき古い手巻き時計は一日一回巻いているつもりだが、それでもたまに止まることがあった。
「そろそろ修理しないとな」
ツマミをグリグリ回していると、前からやってきたマサに「久志」と声を掛けられる。くたびれた黒のジャージ姿は、彼の鉄板だ。
「まだここに居たのかよ。遅いから呼んで来いってやよいに言われてさ。けど、まだ眠そうだな」
「眠そうじゃなくて、本当に眠いんだよ。高校生の部活じゃないんだからさ、朝にトレーニングする理由なんて僕にはさっぱり分からないね」
「確かに、高校時代のやよいは朝早かったもんな」
キーダーになってすぐの十五歳から、久志は新人訓練と称して二年間を本部で過ごした。
先に訓練を受けていた一つ年上のマサ達と一緒で、『同期四人組』と括られることが多い。
三人とは高校が別で、やよいは陸上部に入っていた。だから、彼女と朝に会う事は殆どなかった気がする。
「じゃあ」と戻っていくマサをのんびり追い掛けると、基礎トレーニング中の面々が久志を見つけて挨拶をしてきた。
訓練用のホールに居たのは、この春から期限付きで北陸支部に配属された男三人とマサ、それにメイントレーナーに任命されたやよいだ。こんなにキーダーが集まっているというのに、綾斗が居ないことを残念に思う。
「あぁ、おはよ。みんな元気だね」
腕立て伏せに腹筋──と、やよいの作ったメニューをこなしていく三人は、その鬼のような数をものともせず淡々とこなしていく。数字を見ると嫌気がさすが、確かに自分も十五歳からずっとしてきたことばかりだ。
ただ、こんな朝からしなくてもいいだろうとは思う。
「綾斗もやってたよな」
本部に配属される数ヶ月前まで、綾斗もここで同じようにここでトレーニングしていた。
久志は喪失感を滲ませながら、込み上げた欠伸を掌で押さえる。
「何でいないんだよ」
仕方ないと諦めて、男三人の横に座り込む。
まずは腹筋でも、と頭の後ろに手を組んだところで、腕立て伏せを終えたやよいがギロリと鋭い視線を正面から飛ばしてきた。
「緊張感なさすぎ。アンタは毎日毎日重役出勤でもしてるつもり?」
「やよい、ここは軍隊じゃないんだよ」
「はあっ?」
イケメン揃いの中の紅一点だというのに、やよいは華やかさがまるでない。
ぼやきながら基礎を済ませ、久志はそのままこっそりと訓練場を抜け出した。
「あぁ疲れた」と疲労感を背負いながら技術部へ向かうと、直属の部下であるキイとメイが「おはようございます」と久志を笑顔で迎える。
二人の声がハモってまるで歌のように聞こえるのは、彼女たちが一卵性の双子だからだろう。
暫く久志一人だった技術部にノーマルの二人が配属されて、そろそろ一年が経とうとしていた。最初は彼女たちとの関りを面倒に感じたものの、最近はいないと困るほどの存在になっている。
「おはよう、いつも早いね」
キイがツインテールで、メイがポニーテールを結んでいるのは、全く見分けがつかなかった久志が二人にそうするようお願いをしたからだ。
当初は渋い顔をされたものの、なんだかんだ言って毎日その髪型で来てくれる。それが一年経って、最近ではようやく髪型を見なくても区別がつくようになった。
「久志さん、何か飲みますか?」
壁際の小さなキッチンでシュンシュンと沸くやかんがピーと音を鳴らし、キイが立ち上がった。
「ありがと。じゃあ、コーヒー淹れて貰える? ちょっと甘いのがいいな」
「分かりました」と棚へ手を伸ばすメイに、久志はすかさず「青いカップで」と指定した。
途端に二人が「えぇ?」と顔を見合わせて軽蔑するような目を向けてくる。
「またですか? これは綾斗くんのですよ」
「今は使ってないんだからいいだろ? それに綾斗のってわけじゃないんだし」
元々フリーカップとして置いてあった青のマグカップは、ここに居た時綾斗が使っていたものだ。綾斗に所有権はないものの、ここにいる誰が見ても『綾斗の』だと連想できる。
「別に構いませんけど」
メイはそれ以上何も言わず、諦め顔で青いカップにドリッパーをセットした。
お湯を注ぐと、たちまち部屋中にコーヒーの匂いが広がる。
「ところで久志さん、トレーニングの帰りですよね。彰人さんいましたか?」
「いたけど何? キイもああいうのがいいの?」
「そりゃまぁ、女ですから」
キイに続いてメイまでもが「ねぇ」と普段見せないような笑顔を浮かべて、二人で同じ顔を見合わせた。
「ふぅん。けどアイツは美形を装った悪魔だからね? 下手に近付くと食われちゃうよ?」
「彰人さんになら、食べられてもいいかも」
「わけわかんないんだけど?」
夢心地に両手を組むキイ。
扱いの差に不満を感じて、久志は眉を強く寄せて見せた。
綾斗だけがいるときは平和だったのに、本部襲撃事件の後に四人がやってきてからというもの、イライラすることが多くなった気がする。
ここが訓練施設だからと言えば聞こえはいいが、問題児を押し付けられている気がしてならない。
「大体さ、新人訓練だとか言ってアイツら全然新人じゃないからね?」
『大晦日の白雪』を起こした桃也に、本部襲撃の張本人である彰人、それに熟練でバスク上がりの平野だ。桃也はともかく、他の二人は即戦力になる実力者だ。
ここで教える事なんて殆どない。
「桃也さんはまだ新人じゃないんですか?」
「アイツは特殊なんだよ。素質があるなんて認めたくないけど、あの中では断トツ……ったく」
桃也は15歳であの事件を起こした後、上からトップシークレットだと言われて何度か北陸で預かっている。
戦闘に関してはまだ初心者並みだけれど、銀環に備わった力の制御装置で一番圧を掛けているのは事実だ。
「へぇ、そうなんですか。彰人さんの方が強いのかと思った」
「いちいちアイツの名前出さなくていいから。ま、強さなんて運次第で結果は変わって来るけどね」
おまけに敵だった事実を棚に上げて、女子たちが彰人の見た目に舞い上がっているのが気に食わない。
敵なら敵らしく怖い顔でも貼りつけておけばいいと思うのに、やたら愛想良く溶け込んでいる態度に、不満どころか憎悪さえ湧いてくる。
こんな卑屈な気持ちになってしまうのは、今の状況を綾斗が居た時と比べてしまうからかもしれない。
「久志さんだって、すごく強いって聞いてますよ?」
「何それ。そういうのをもっと言ってよ」
「いや、それは……」
「それは、って? ったく」
久志は受け取ったコーヒーを一口飲んで、「うまいよ」と寂しげな笑顔を広げた。
「綾斗に会ってこようかな」
微睡んだ目でカップを見つめると、キイがハッとして声を上げる。
「今日は駄目ですよ? 午後に会議があるんですからね?」
「大丈夫だよ。間に合わなかったらリモートで入り込むからさ」
数日前に得た情報によると、綾斗が戦闘で壊れた眼鏡を買い換えているらしい。
コーヒーを熱いまま喉に流し込んで、久志は「ごちそうさま」とカップをすすいだ。
「ちょっと行ってくるよ」
「本部はちょっとじゃないですよ?」
「眼鏡見て来るだけだからさ」
ヘリポートには本部のヘリが待機している。
長官はここに来ると食事と観光を楽しみにしていて、温泉や何やらで三泊はするだろう。
キャプテンのコージは、頼めば簡単にヘリを飛ばしてくれる。
「お土産、買ってくるから」
「駄目ですよ」と引き留める二人を振り切って、久志は部屋を飛び出した。
「僕は朝が苦手なんだよ」
そのせいで最近は家に帰らず、支部の自室で寝泊まりすることが多かった。
髪だけはきちんとセットして、タイを緩く結びながら訓練場へ向かう。
窓の奥に見えるヘリポートには、コージの五番機が見えた。
午後からの会議に向けて、長官が昨日の夜に北陸入りしている。苦手な相手という訳ではないが、なるべくなら会わないでおきたい。
ふと腕時計に目をやると、針が止まっていることに気付いた。
今どき古い手巻き時計は一日一回巻いているつもりだが、それでもたまに止まることがあった。
「そろそろ修理しないとな」
ツマミをグリグリ回していると、前からやってきたマサに「久志」と声を掛けられる。くたびれた黒のジャージ姿は、彼の鉄板だ。
「まだここに居たのかよ。遅いから呼んで来いってやよいに言われてさ。けど、まだ眠そうだな」
「眠そうじゃなくて、本当に眠いんだよ。高校生の部活じゃないんだからさ、朝にトレーニングする理由なんて僕にはさっぱり分からないね」
「確かに、高校時代のやよいは朝早かったもんな」
キーダーになってすぐの十五歳から、久志は新人訓練と称して二年間を本部で過ごした。
先に訓練を受けていた一つ年上のマサ達と一緒で、『同期四人組』と括られることが多い。
三人とは高校が別で、やよいは陸上部に入っていた。だから、彼女と朝に会う事は殆どなかった気がする。
「じゃあ」と戻っていくマサをのんびり追い掛けると、基礎トレーニング中の面々が久志を見つけて挨拶をしてきた。
訓練用のホールに居たのは、この春から期限付きで北陸支部に配属された男三人とマサ、それにメイントレーナーに任命されたやよいだ。こんなにキーダーが集まっているというのに、綾斗が居ないことを残念に思う。
「あぁ、おはよ。みんな元気だね」
腕立て伏せに腹筋──と、やよいの作ったメニューをこなしていく三人は、その鬼のような数をものともせず淡々とこなしていく。数字を見ると嫌気がさすが、確かに自分も十五歳からずっとしてきたことばかりだ。
ただ、こんな朝からしなくてもいいだろうとは思う。
「綾斗もやってたよな」
本部に配属される数ヶ月前まで、綾斗もここで同じようにここでトレーニングしていた。
久志は喪失感を滲ませながら、込み上げた欠伸を掌で押さえる。
「何でいないんだよ」
仕方ないと諦めて、男三人の横に座り込む。
まずは腹筋でも、と頭の後ろに手を組んだところで、腕立て伏せを終えたやよいがギロリと鋭い視線を正面から飛ばしてきた。
「緊張感なさすぎ。アンタは毎日毎日重役出勤でもしてるつもり?」
「やよい、ここは軍隊じゃないんだよ」
「はあっ?」
イケメン揃いの中の紅一点だというのに、やよいは華やかさがまるでない。
ぼやきながら基礎を済ませ、久志はそのままこっそりと訓練場を抜け出した。
「あぁ疲れた」と疲労感を背負いながら技術部へ向かうと、直属の部下であるキイとメイが「おはようございます」と久志を笑顔で迎える。
二人の声がハモってまるで歌のように聞こえるのは、彼女たちが一卵性の双子だからだろう。
暫く久志一人だった技術部にノーマルの二人が配属されて、そろそろ一年が経とうとしていた。最初は彼女たちとの関りを面倒に感じたものの、最近はいないと困るほどの存在になっている。
「おはよう、いつも早いね」
キイがツインテールで、メイがポニーテールを結んでいるのは、全く見分けがつかなかった久志が二人にそうするようお願いをしたからだ。
当初は渋い顔をされたものの、なんだかんだ言って毎日その髪型で来てくれる。それが一年経って、最近ではようやく髪型を見なくても区別がつくようになった。
「久志さん、何か飲みますか?」
壁際の小さなキッチンでシュンシュンと沸くやかんがピーと音を鳴らし、キイが立ち上がった。
「ありがと。じゃあ、コーヒー淹れて貰える? ちょっと甘いのがいいな」
「分かりました」と棚へ手を伸ばすメイに、久志はすかさず「青いカップで」と指定した。
途端に二人が「えぇ?」と顔を見合わせて軽蔑するような目を向けてくる。
「またですか? これは綾斗くんのですよ」
「今は使ってないんだからいいだろ? それに綾斗のってわけじゃないんだし」
元々フリーカップとして置いてあった青のマグカップは、ここに居た時綾斗が使っていたものだ。綾斗に所有権はないものの、ここにいる誰が見ても『綾斗の』だと連想できる。
「別に構いませんけど」
メイはそれ以上何も言わず、諦め顔で青いカップにドリッパーをセットした。
お湯を注ぐと、たちまち部屋中にコーヒーの匂いが広がる。
「ところで久志さん、トレーニングの帰りですよね。彰人さんいましたか?」
「いたけど何? キイもああいうのがいいの?」
「そりゃまぁ、女ですから」
キイに続いてメイまでもが「ねぇ」と普段見せないような笑顔を浮かべて、二人で同じ顔を見合わせた。
「ふぅん。けどアイツは美形を装った悪魔だからね? 下手に近付くと食われちゃうよ?」
「彰人さんになら、食べられてもいいかも」
「わけわかんないんだけど?」
夢心地に両手を組むキイ。
扱いの差に不満を感じて、久志は眉を強く寄せて見せた。
綾斗だけがいるときは平和だったのに、本部襲撃事件の後に四人がやってきてからというもの、イライラすることが多くなった気がする。
ここが訓練施設だからと言えば聞こえはいいが、問題児を押し付けられている気がしてならない。
「大体さ、新人訓練だとか言ってアイツら全然新人じゃないからね?」
『大晦日の白雪』を起こした桃也に、本部襲撃の張本人である彰人、それに熟練でバスク上がりの平野だ。桃也はともかく、他の二人は即戦力になる実力者だ。
ここで教える事なんて殆どない。
「桃也さんはまだ新人じゃないんですか?」
「アイツは特殊なんだよ。素質があるなんて認めたくないけど、あの中では断トツ……ったく」
桃也は15歳であの事件を起こした後、上からトップシークレットだと言われて何度か北陸で預かっている。
戦闘に関してはまだ初心者並みだけれど、銀環に備わった力の制御装置で一番圧を掛けているのは事実だ。
「へぇ、そうなんですか。彰人さんの方が強いのかと思った」
「いちいちアイツの名前出さなくていいから。ま、強さなんて運次第で結果は変わって来るけどね」
おまけに敵だった事実を棚に上げて、女子たちが彰人の見た目に舞い上がっているのが気に食わない。
敵なら敵らしく怖い顔でも貼りつけておけばいいと思うのに、やたら愛想良く溶け込んでいる態度に、不満どころか憎悪さえ湧いてくる。
こんな卑屈な気持ちになってしまうのは、今の状況を綾斗が居た時と比べてしまうからかもしれない。
「久志さんだって、すごく強いって聞いてますよ?」
「何それ。そういうのをもっと言ってよ」
「いや、それは……」
「それは、って? ったく」
久志は受け取ったコーヒーを一口飲んで、「うまいよ」と寂しげな笑顔を広げた。
「綾斗に会ってこようかな」
微睡んだ目でカップを見つめると、キイがハッとして声を上げる。
「今日は駄目ですよ? 午後に会議があるんですからね?」
「大丈夫だよ。間に合わなかったらリモートで入り込むからさ」
数日前に得た情報によると、綾斗が戦闘で壊れた眼鏡を買い換えているらしい。
コーヒーを熱いまま喉に流し込んで、久志は「ごちそうさま」とカップをすすいだ。
「ちょっと行ってくるよ」
「本部はちょっとじゃないですよ?」
「眼鏡見て来るだけだからさ」
ヘリポートには本部のヘリが待機している。
長官はここに来ると食事と観光を楽しみにしていて、温泉や何やらで三泊はするだろう。
キャプテンのコージは、頼めば簡単にヘリを飛ばしてくれる。
「お土産、買ってくるから」
「駄目ですよ」と引き留める二人を振り切って、久志は部屋を飛び出した。
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