スラッシュ/キーダー(能力者)田母神京子の選択

栗栖蛍

文字の大きさ
上 下
61 / 647
Episode1 京子

52 屋上で

しおりを挟む
 アルガスの混乱は朱羽あげはの耳にも届いたらしい。
 『行くわよ』と電話してきた彼女を、京子は「いらないよ」と突っぱねた。

「マサさんがアンタを巻き込みたくないんだって。だから私が勝てるように祈ってて」
『彼がそう言ったの?』
「ドキドキするでしょ。けどホントだよ、嘘はついてない」
『そうなの……』

 朱羽の声が上擦うわずって、京子は思わず笑みを零す。訓練不足というマサなりの建前は伝えないでおく。
 戦いに出れば、彼女はきっとアルガスに戻されるだろう。また昔のように一緒に訓練ができればとは思うけれど、今はまだその時ではないような気がした。

『気遣って貰えるのは嬉しいけど、あの人にいらないって言われてるみたいで少し寂しいわね』
「贅沢言わないの。朱羽が強いことは、私もマサさんも知ってるから。今回は応援だけしてて」
『分かった。死んじゃダメよ?』
「物騒なこと言わないで。じゃあね」

 通話ボタンを切る寸前で、朱羽の『頑張って』という激励が届く。
 京子は通信の途切れたスマホに「うん」と答えて、ソファに乗せておいた外套がいとうを羽織った。


   ☆
 屋上に行くと、鉄柵の手前で綾斗あやとが一人暗い夜をじっと見張っていた。
 アルガスの立方体の建物は屋根が全面屋上でヘリポートを兼ねている。いつもはコージの五番機がそこに待機しているが、今日はがらんどうとしていた。
 地上から建物を照らす光も屋上までは届かず、振り向いた綾斗の表情は側に来てようやく分かる程だ。

 京子は紙コップに入った牛乳を綾斗に渡す。
 給湯室で温めてきたものだ。
 綾斗は両手で握り締めた紙コップの熱に「あったかい」と白い息を広げる。

「ここだって聞いたから。コーヒーのほうが良かったかな?」
「いえ、ありがとうございます。部屋に居ると緊張が途切れちゃうんで」

 もう時間は十時を回っている。浩一郎こういちろうの動きはなく、ただじっと待つことに皆が疲労を感じ始めていた。

「一人でやらせてごめん。私も居るね」

 夜の空気は思ったよりも冷たく、京子は両手にはあっと息を吹きかける。

「俺なら平気ですよ。まだ何も感じ取れなくて、ぼーっとしてたトコです。それより、さっきはすみませんでした」
「え? あ……気にしないで。さっきも謝ってたでしょ? もういいよ」
「はい、忘れて下さい」

 彰人あきひとと別れた駅で吐き出した綾斗の思いは、彼自信に相当なダメージを与えてしまったらしい。
 あれは多分、彰人に挑発されて衝動的に出てしまったものだと思う。
 気まずそうな綾斗の表情を隠すように、メガネが湯気で白く曇った。

「それに謝るのは私の方だもん。戦う相手が初恋の人だなんて聞いたら、綾斗も不安になっちゃうよね」

 綾斗は黙ったまま首を横に振り、残った牛乳を飲み干した。

「小五の時に彰人くんが能力者だって気付いて、私すごく嬉しかったの。けど「彰人くんもキーダーなの?」って聞いたら、彼凄い顔になって。隠してたことなんだもん当然だよね」
迂闊うかつだったって事ですね」
「うん。彼に銀環がないことなんて、私にはどうしてかなって思うくらいだったのに。内緒にしてって言われて、それからすぐに全部消されちゃったんだ」

 アルガスから同じ歳のキーダーがいると聞いていて、彼がそうだと思ったのを覚えている。
 彼が能力者だと知った時と、彼に恋をしたのはほぼ同時だった。
 
「その時の記憶を抜かれたのに、彼の事が気になって仕方なかった。今も嫌いだなんては思えないけど、揺れてはいないよ。私はちゃんとこっちに居るから」
「京子さん……もういいですよ」

 綾斗は照れ臭そうにその話をさえぎって、メガネの曇りを指でぬぐった。深呼吸するように正面から柵に身体を預ける。

「私こそごめんね。それよりご飯は食べた?」

 綾斗との会話は心地良かった。つい何でも話してしまう。

「平次さんが握ってくれたおにぎりをいただきました」
「私も食べたよ。平次さんの作った昆布の佃煮大好きなんだ」

 部屋で物思いにふけっていた京子の所に、食堂長である平次本人が届けてくれた。添えてあった串カツは、『戦に勝つ』にかけたものらしい。
 普段ならとっくに食堂が閉まる時間だが、今日は夜中までフル稼働だと意気込んでいた。

「爺が部屋に戻ってたよ」

 京子は綾斗の横で、柵の上に顔を乗せ溜息をついた。

 町が闇に包まれている。灯火管制を敷いたように真っ暗な工場地帯は、建物の輪郭りんかくすら分からない程だ。しかし、一定の距離を置いて海側が白く帯状に光っている。

「あの光の位置に被害は出せないよ?」

 海岸に沿った隣町は、避難地区の外だ。
 本当にもうすぐ戦闘になるのだろうか。規模も何も予想できず、未だに彰人の言った言葉が信じられない。
 彼と戦えば、どちらかが命を落とす可能性もある。

 ――「分別くらい付くじゃろう?」

 そんな大舎卿だいしゃきょうの言葉が重かった。

「私、彼と戦えるのかな」
「彼、って。京子さんはこっち側じゃないんですか?」
「こっちだよ。向こうに寝返る気はないから。ただ……」

 明らかに、綾斗が不機嫌な顔を見せる。

「私情を挟むな、なんて俺の口から言えないですけど。躊躇ちゅうちょして殺られるトコなんて見たくないですからね?」
「うん。気を付ける。私はまだ生きていたいし、死ぬまでキーダーでいるつもりだから」

 「そうですか」と苦笑する綾斗を、京子は「だって」と見上げる。

「私にできる事なんて他にないよ。辛いこともあるけど、キーダーの仕事は好きだから」
「俺もですよ。この戦いには全力で挑むつもりです。失うくらいなら、俺が最後まで盾になりますから」
「それは駄目。綾斗も死んじゃ駄目だよ?」

 綾斗の言葉を突き返すように京子が声を張り上げた。
 それがアルガス的に間違った考えだということは分かっている。
 彼の感覚は人一倍鋭いが、戦闘力に若干欠ける。それでも敵を目の前にしたら突っ込んでいくタイプだ。

 必死になる京子に、綾斗は「わかりました」と目を細めた。
 彼は何か言いたそうな表情を見せるが、京子が首を傾げると、うなずくように軽く目を伏せる。

「けどどうして、京子さんは俺に優しくしてくれるんですか? いえ、京子さんだけじゃなくて、みんなです。北陸の人たちもそうだったけど、居心地良すぎて、ちょっと困惑してます。アルガスは厳しくて、キーダーの扱いも酷いって聞いてたから」
「アルガスをどう思うかなんて、人それぞれだよ。少なくとも私は好きだよ? 綾斗が来るって知った時も嬉しいって思った。ちょっと時期は遅くなっちゃったけど、みんなも同じ気持ちなんじゃないかな」

 朱羽が外に出てから、本部のキーダーは京子と大舎卿の二人だけだった。
 だから綾斗が北陸の訓練施設に入った二年間は、待ち遠しくて仕方がなかったのだ。

「そうなんですか」
「でも、アルガスの根底にあるものは変わらないよ? いつだってキーダーは前線に出て、盾にならなきゃいけない。これは余談だけど、爺が止めた隕石は、本当はすごく小さなものだったんだって。だからあれだけ騒がれたけど、専門家や海外のメディアからは当時、大したことないって評価をされたりもしたらしいの。でも、キーダーにとっては現況を抜け出す為の大きなきっかけだった。爺がいるから今こうしていられるんだもん、私たちも頑張らなきゃ」

 「はい」と答えた綾斗の声に重ねて、屋上の扉が音を立てて開いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

離縁の雨が降りやめば

月ヶ瀬 杏
キャラ文芸
龍の眷属と言われる竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六で龍神と離縁する。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止むのが常だが……。 葵との離縁の雨は降りやまず……。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
【10月中旬】5巻発売です!どうぞよろしくー! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

天満堂へようこそ 7 Final

浅井 ことは
キャラ文芸
♪¨̮⑅*⋆。˚✩.*・゚ 寂れた商店街の薬屋から始まり、今は全国チェーンにまで発展した天満堂だが、人でないものの薬はやはりバーの奥にある専用の薬屋へ。 全ての界がやっと落ち着き日常に戻った奏太達。 次に待ち構えるのは魔物か!それとも薬局にやってくるおば様軍団か! ほのぼのコメディファンタジー第7弾。 ※薬の材料高価買取 ※症状に合わせて薬を作ります ※支払いは日本円現金のみ ※ご予約受付中 0120-×××-○○○ ♪¨̮⑅*⋆。˚✩.*・゚

【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。

たろ
恋愛
幼馴染のロード。 学校を卒業してロードは村から街へ。 街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。 ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。 なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。 ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。 それも女避けのための(仮)の恋人に。 そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。 ダリアは、静かに身を引く決意をして……… ★ 短編から長編に変更させていただきます。 すみません。いつものように話が長くなってしまいました。

お見合い相手が改心しない!

豆狸
キャラ文芸
ほかの人には見えない黒い影を見てしまう特異体質の女子大生、兎々村璃々は休学中。 突然降って沸いたお見合い話で出会ったのは、黒い影の狐(元・神さま?)を頭に乗せた笑顔の青年で──

処理中です...