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Episode1 京子

45 ハンバーグとカキフライ

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 待ち合わせの店に行くと、既に綾斗あやとの姿があった。
 昼時のファミレスは客で溢れていたが、彼が通う高校の最寄り駅の側という立地で、トイレに更衣室が付いているという理由から、この店を選んだ次第だ。

 昔京子も同じ高校に通っていて、ここを良く利用していた。
 馴染みの店員は居なくなってしまったが、窓の向こうに小さく見える東京タワーの風景が好きだった。勿論その横には『大晦日の白雪しらゆき』の慰霊塔いれいとうも並んでいる。

「遅いですよ、京子さん」

 窓際の席で空になったグラスを前に、綾斗は読んでいた本を閉じて鞄にしまった。

「出る時バタバタしちゃって。ごめんね、早退までしてもらってるのに」

 彼の制服が入った紙袋を渡して、京子は外套を脱ぐ。
 訓練後の汗が気になってシャワーを浴びてきたが、急いで髪を乾かした努力も虚しく予定より十五分も遅れてしまった。

「別に仕事ですから、俺のことは気にしないで下さい。それよりさっき電車乗るってメール貰ったんで先に注文しときましたよ、日替わりランチ」
「ええっ、ちょっと! 私はカキフライが食べたかったんだよ!」
「もう来ますよ、諦めて下さい」

 待ち合わせをここに決めてから、京子は店の定番メニューであるカキフライ定食を食べる気満々だった。それなのに遅刻が予定をひっくり返してしまう。
 「もぅ」としょげると、タイミングを合わせたように日替わりランチのハンバーグが鉄板の上でジュウジュウと音を鳴らしながら運ばれてきた。

「あぁ、けどこれも美味しそう。いただきます!」

 空腹状態の胃にデミグラスソースの匂いがこれでもかと主張してきて、京子の頭はあっという間にハンバーグモードへ切り替わった。半分に割った目玉焼きから黄身が流れて、思わず顔がほころぶ。

「京子さんて、お酒飲んでる時と食べてる時が本当に幸せそうですよね」
「本当に幸せだもん。ハンバーグ美味しいよ」

 「なら良かった」と綾斗は箸でハンバーグをつつく。普段余り見ない学生服姿の彼は新鮮だ。
 『東黄とうおうグリーン』と呼ばれる深緑のジャケットにえんじ色のネクタイは、京子の通って居た頃のままのデザインだ。

「ところで綾斗は気配読むの得意でしょ? 私がここに来たのはどこで分かったの?」
「京子さんですか? 店に入るくらいですかね」

 やはりマサの言っていた交差点の例えは合っているようだ。

「今日の仕事、俺初めてで良く分からないんですけど。どうすればいいんですか?」
「最初は横で見てればいいよ。私も前の時はそうだったから。赤ちゃんに銀環ぎんかん結ぶのなんて滅多にないから、私もやるのは初めてなんだ」

 京子は鞄からクリップ留めの書類を二冊取り出し、セナから預かった厚い方を綾斗に渡す。

「昨日の明け方生まれた女の子だよ。父親は会社員、母親は産休中の看護士で第一子だって」

 一旦箸をおいて、綾斗は紙をハラハラめくる。
 京子はドリンクバーから汲んできたメロンソーダを飲みながら、もう一つの書類を食い入るように見つめた。

「そっちは何が書いてあるんですか?」
「マニュアルだよ。覚醒前の赤ちゃんはちょっと特殊なの。ちゃんと読んでおかなきゃと思って」

 銀環の結び方と、家族への応対マニュアルだ。用紙三枚にびっしりと埋め込まれた文字に、頭がくらくらする。
 蛍光ペンでマーキングされた箇所をテスト勉強よろしく何度も確認して、「はぁぁ」という溜息と共に紙をテーブルへ放した。

 思った以上に緊張しているのが自分でも分かる。
 せめて大舎卿が居てくれれば良かったのに。彼の引退をしてはいるが、まだまだ側で指導して欲しいと言うのも本音だ。

「どうしたの?」

 ふと視線を感じて顔を起こすと、綾斗がハッとして目を逸らした。

「いえ、ちょっと見とれてただけです」
「えぇ?」

 迷うようなを挟んで、彼はそんなことを言う。
 少し怒ったような口調は、冗談にしか聞こえなかった。

「もう。そんなにいい女に見える?」

 ならと思ってこっちも冗談で返したつもりなのに、綾斗は更に向こうを向いて黙り込んでしまった。
 最近、綾斗がボーッと考え事をしている時がある。この間の桃也とうやの事や大舎卿の言葉を聞いた後では、無理もないだろうが。

「ねぇ綾斗、機嫌直してよ」
「別に機嫌を損ねてるわけじゃ……」
「だったらデザートも食べていかない? まだ間に合うと思うし」

 彼の笑顔の秘訣は甘いものだとはかって、京子はそう提案する。
 断られるかもと思ったが、綾斗は腕時計を確認すると「じゃあ、ちょっとだけ」とはにかんでメニューを広げた。
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