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Episode1 京子

32 捨て駒の覚悟

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 山形と宮城の県境にひっそりと建てられた小さな白い小屋は、アルガスが所有するこの土地の管理室だ。
 訓練施設の建設計画が上がり、アルガスが日本各地に土地を確保したのは二十年ほど前の事らしい。けれどキーダー不足で実行に移されないまま、荒れ果てた広大な空き地だけが散らばっている。

 ここは無条件でキーダーに開放されていて、京子や大舎卿だいしゃきょうも年に数度訪れ、普段はできない『撃つ』訓練をしていた。

 支部の車を借り、京子の運転でここへ来る予定だったが、晴れの予報とは裏腹に圧雪とアイスバーンの報告を受け、急遽きゅうきょヘリを飛ばしてもらった。ペーパードライバーの京子に、綾斗あやとと平野が声を揃えて猛反対したからだ。

「たいそうな所だな」

 目の前に広がる広大な白い風景に、京子は「広いだけですよ」と笑う。

「雪があるから綺麗に見えるけど、何もないんです。けど、ここなら誰も文句言わないので」

 敷地の端へ移動したヘリがブレードの回転を止めると、辺りが急に静寂に包まれた。
 京子と綾斗そして平野の三人以外に人気はなく、膝下ひざしたまで積もった新雪には管理室から伸びる三人の足跡があるのみだ。

 平らにならされた荒野は一面を白で被い、手袋をしていても指先がかじかんでくる。

 深夜営業のディスカウントストアで揃えた防寒グッズを色々と仕込んできたが、機内との温度差に京子は身体を震わせた。
 青空で太陽も眩しいのに、暖かさを微塵みじんも感じない。
 常備していた風邪薬と、コンビニで一番高額だった栄養ドリンクの甲斐あって熱は下がっていたが、倦怠感けんたいかんがどうしても抜けてくれなかった。

 気合を込めて、いつも下ろしている髪を高い位置で一つに結わえる。首元が涼しくなるが、頭はスッキリとしてきた。
 京子はポケットから小さな箱を取り出して、平野の前で蓋を外す。

「これはもう、いらないですね」

 京子や綾斗のそれと同じ銀環ぎんかんがクッション代わりの黄色い布に乗っている。
 力の暴走を防ぐ為、本来なら最初に付けるべき物だった。京子の独断で時期を延ばしていたが、それももうトールを選んだ彼には必要無い。

「手錠みてぇだな。いいのか? 俺が裏切って、ここでお前等を殺っちまうかもしれないぜ」
「平野さんは女の子を助けて、私まで助けてくれた人ですよ? 信じます。それに、何かしても私が絶対に止めますから」
「はっ。姉ちゃん大した自信だな。俺の力を見くびるんじゃねぇよ。この間の山梨は半分の力も出してねぇぜ。これが最後なら全力でやらせてもらう」

 にやりと笑う平野。

「喜べよ、すぐ男の所に帰してやるからな」

 思わず「えっ」と声を出したのは綾斗だ。

「何の話してるんですか、京子さん!」

 京子は「へへ」と誤魔化ごまかして銀環の入った箱をポケットにしまい、周囲をぐるりと見渡した。
 ひゅうと吹いた風が雪の表面に白い波を立てる。

 京子が「山側へ」と撃つ方向を指で示すと、平野は返事の変わりにゆっくりとまたたいた。
 京子は手招きする綾斗の位置まで下がる。流石さすがの綾斗も今日はマフラーをしていて、息に曇る眼鏡に顔をしかめながら構えをとる平野を見張った。

 京子は名残惜なごりおしく外した手袋を空のポケットへしまい、左の袖口そでぐちを少しだけまくる。
 二十一年間一度も外すことのない銀環に触れた。
 触れるだけだ。何もしない。彼はきっと大丈夫。

 しかし「いくぞ」と言った平野が、次の瞬間くるりときびすを返した。伸ばした手が真っ直ぐに京子の顔を捉えている。

「平野さん!」

 綾斗が趙馬刀ちょうばとうを腰から抜き、おもむろに刃を付けるが、京子が手を伸ばしてそれを制す。

「駄目だよ、綾斗」

 京子は平野を睥睨へいげいする。平野の気配が高まるのが分かった。撃つ前の状態だ。
 自信有り気に笑う彼が、ふんと鼻を鳴らす。

「冗談だよ」

 悪戯いたずらに吐いて平野は再び示された山の方角へ向くと、伸ばした右腕に力を込めた。

 予想を超える威力に憤りすら覚える。
 彼の手から現れたのは、黒いまだら模様を刻んだオレンジ色の炎の球だ。
 球が手を離れる勢いに、踏ん張った平野の足がズズズズっと後ろへ滑る。
 彼の動きの何倍もの速さで炎はぐるぐると回りながら空中を走り、数百メートル離れた地面に轟音を立てて沈んだ。

 ゴォと足元が揺れ、熱い爆風が正面から吹き付けてくる。
 炎はすぐに消えたが、目視できる範囲で半径百メートル程が一瞬の炎に焼け、土の色をあらわにした。

 京子が初めて見る大きさだった。障害物の有無を考慮しても『大晦日の白雪』と同レベルの威力に値するかもしれない。

 京子と綾斗は構えを解いて、彼の背を見守った。
 平野はしばらく土色に広がった地面を見つめていたが、やがて自分の両手に視線を落とし、静かにそれを握り締める。

「やっぱり捨てられねぇな、これは」

 背中を向けたまま、二人に聞こえる音で平野はその意思を口にする。

「キーダーが人類の盾だって言うなら、若いアンタらより俺みたいな年寄りの方が捨てごまにはちょうどいいんじゃないか?」

 彼は青く澄み渡る空を仰ぎ、肩越しに二人を振り返った。

「体力にはまだまだ自信があるんでね、姉ちゃんには悪いが俺はキーダーを選ばせて貰うぜ」


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