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Episode1 京子
3 あの日見た雪の色は
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十分ほど歩いた所で人の気配がして、すぐに視界が開けた。
不自然に切り取られた、直径数十メートルの黒く丸い空間が広がる。そこにあっただろう木や草の煤が、風に吹かれて舞い上がった。
揃いのジャンパーを着た男たちが、現場調査の手を止めて京子たちに敬礼する。
端に居た髭面の男が、その間を縫うように寄ってきて頭を下げた。
「お疲れ様です。やはりただの山火事ではないですね」
「だいぶ大きいけど、隕石じゃないよね。負傷者はいるの?」
「人的な被害はないと思われます。近隣にも聞きまわりましたが、不明者も居ないようです」
大舎卿は男からファイルを受け取り、その内容に怪訝な表情を浮かべる。
「分かった」と京子は静かに腰を落とし、左手の袖を捲り上げた。手首に結ばれた銀色の輪は、時計とは違い装飾が全くないものだ。
黒ずんだ地面に手を当てると、ひんやりとした感触に予測通りの気配を感じる。
「やっぱりバスクだね。だいぶ薄くなっちゃってるけど」
大舎卿は「そうじゃな」と指先で焦げた砂をつまみ上げ、じゃりじゃりと擦り合わせながら再び地面に撒いた。
「こっちは人手不足だっていうのにね」
京子は腕を組んで、周囲をぐるりと見渡した。
山火事のように燃え広がった跡ではなく、円形に地面がすっぽりと抜けている。きっとそこだけ一瞬で焼かれてしまったのだろう。
今朝通報を受けた警察からの連絡で、京子たちが現地へ入ることになった。関東の管轄でも西の端に位置する場所で、まだベッドの中にいたところをマサからの電話で叩き起こされた次第だ。
先に入った調査員が事後処理をしていたが、現状の判断は京子と大舎卿に委ねられる。それは二人が生まれながらにして持っている能力故のことだ。
国の特務機関であるアルガスに身を置く彼等は、『キーダー』と呼ばれた。
「山奥で被害は少なかったけど、最近なんかこういうの多いね。調べる身にもなって欲しいよ」
大舎卿は再び「そうじゃな」と短く呟き、眉間の皺を深くして押し黙るように地面を睨む。
「爺どうしたの? 寒い? やっぱり私だけでも良かったのに」
「いや、大丈夫じゃ」
「無理しないでね。新人君も来たんだから、隠居してもいいんだよ?」
「年寄扱いするな。あんな若僧にワシの代わりができるか」
大舎卿はカッと目を開いて、ハッキリと否定する。
「そんなに興奮したら、血圧上がって倒れちゃうよ? 爺が元気だってのは、ちゃんと分かってるから」
両手を広げて京子が「抑えて」と宥めると、大舎卿はフンと鼻を鳴らした。
「まぁお前にも後輩ができたんじゃ。嫌な仕事は率先してやるんじゃぞ? 普段威張っても構わんから、肝心な時は自分が行け。いいな?」
「分かったよ。爺には私がいつも助けてもらってるもんね。そろそろ私が爺の分も頑張らなきゃ」
「それが年寄り扱いだというんじゃ」
「偉そうに」と大舎卿は笑う。
「ワシにはまだやり残してることがありすぎて、引くわけにはいかないんじゃよ」
そう言って彼が撫でるのもまた、京子と同じ左手首に巻かれた銀環だ。
「ねぇ爺、これって相手に辿り着けると思う?」
「こんな所で自己陶酔するような無粋な奴は、すぐにボロが出るじゃろうよ」
自信あり気に口角を上げた大舎卿に、京子は「そうだね」と頷いた。
☆
一通りの調査を済ませ車道まで戻ると、マサの車が帰路に向いて待機していた。
乗り込んですぐに降り出した雪を見上げ、京子は「良かった」と安堵する。
普段なら「どうだった?」と聞いてくるマサがラジオも付けずに黙り込んでいるのは、もう一人の乗員のせいだ。
形式ばかりの挨拶を交わすと、京子は静まり返った車内で雪に包まれていく風景を眺めていた。
大粒の綿雪があっという間に視界を白く食い尽くす様があの日の記憶と重なって、京子は逃げるように目を閉じる。
そんな京子に気付いて、大舎卿が隣で腕組みをしたまま口を開いた。
「明日は早いんじゃろ? 報告はしといてやるから今日はこのまま帰れ」
それだけ言って再び黙った。
ぼうっとした思考回路がその意味をすぐに理解しなかったが、京子は「あぁ」と眉を上げる。
「ありがとう」
大舎卿の返事はなかったが、少しだけ口元が笑んだように見えた。
明日は十二月三十一日。
『大晦日の白雪』から六年目を迎えようとしていた。
☆
その記憶を色に例えるなら、薄墨を溢した様な灰色だ。
記録的な積雪に見舞われた真っ白な銀世界が、どうしても薄く色が付いたフィルターに遮られて黒ずんでしまう。
寒ささえ感じることが出来ず、夜の闇さえも覆い尽くす雪の中にただ呆然と立ち尽くした京子は、遅れて来た大舎卿が呟いた一言を素直に受け止めることが出来なかった。
『ワシ等が今日何もできんかったことを、後悔してはならんぞ』
それを理解して受け入れるにはあまりにも若く、未だにその後悔は募るばかりだ。
不自然に切り取られた、直径数十メートルの黒く丸い空間が広がる。そこにあっただろう木や草の煤が、風に吹かれて舞い上がった。
揃いのジャンパーを着た男たちが、現場調査の手を止めて京子たちに敬礼する。
端に居た髭面の男が、その間を縫うように寄ってきて頭を下げた。
「お疲れ様です。やはりただの山火事ではないですね」
「だいぶ大きいけど、隕石じゃないよね。負傷者はいるの?」
「人的な被害はないと思われます。近隣にも聞きまわりましたが、不明者も居ないようです」
大舎卿は男からファイルを受け取り、その内容に怪訝な表情を浮かべる。
「分かった」と京子は静かに腰を落とし、左手の袖を捲り上げた。手首に結ばれた銀色の輪は、時計とは違い装飾が全くないものだ。
黒ずんだ地面に手を当てると、ひんやりとした感触に予測通りの気配を感じる。
「やっぱりバスクだね。だいぶ薄くなっちゃってるけど」
大舎卿は「そうじゃな」と指先で焦げた砂をつまみ上げ、じゃりじゃりと擦り合わせながら再び地面に撒いた。
「こっちは人手不足だっていうのにね」
京子は腕を組んで、周囲をぐるりと見渡した。
山火事のように燃え広がった跡ではなく、円形に地面がすっぽりと抜けている。きっとそこだけ一瞬で焼かれてしまったのだろう。
今朝通報を受けた警察からの連絡で、京子たちが現地へ入ることになった。関東の管轄でも西の端に位置する場所で、まだベッドの中にいたところをマサからの電話で叩き起こされた次第だ。
先に入った調査員が事後処理をしていたが、現状の判断は京子と大舎卿に委ねられる。それは二人が生まれながらにして持っている能力故のことだ。
国の特務機関であるアルガスに身を置く彼等は、『キーダー』と呼ばれた。
「山奥で被害は少なかったけど、最近なんかこういうの多いね。調べる身にもなって欲しいよ」
大舎卿は再び「そうじゃな」と短く呟き、眉間の皺を深くして押し黙るように地面を睨む。
「爺どうしたの? 寒い? やっぱり私だけでも良かったのに」
「いや、大丈夫じゃ」
「無理しないでね。新人君も来たんだから、隠居してもいいんだよ?」
「年寄扱いするな。あんな若僧にワシの代わりができるか」
大舎卿はカッと目を開いて、ハッキリと否定する。
「そんなに興奮したら、血圧上がって倒れちゃうよ? 爺が元気だってのは、ちゃんと分かってるから」
両手を広げて京子が「抑えて」と宥めると、大舎卿はフンと鼻を鳴らした。
「まぁお前にも後輩ができたんじゃ。嫌な仕事は率先してやるんじゃぞ? 普段威張っても構わんから、肝心な時は自分が行け。いいな?」
「分かったよ。爺には私がいつも助けてもらってるもんね。そろそろ私が爺の分も頑張らなきゃ」
「それが年寄り扱いだというんじゃ」
「偉そうに」と大舎卿は笑う。
「ワシにはまだやり残してることがありすぎて、引くわけにはいかないんじゃよ」
そう言って彼が撫でるのもまた、京子と同じ左手首に巻かれた銀環だ。
「ねぇ爺、これって相手に辿り着けると思う?」
「こんな所で自己陶酔するような無粋な奴は、すぐにボロが出るじゃろうよ」
自信あり気に口角を上げた大舎卿に、京子は「そうだね」と頷いた。
☆
一通りの調査を済ませ車道まで戻ると、マサの車が帰路に向いて待機していた。
乗り込んですぐに降り出した雪を見上げ、京子は「良かった」と安堵する。
普段なら「どうだった?」と聞いてくるマサがラジオも付けずに黙り込んでいるのは、もう一人の乗員のせいだ。
形式ばかりの挨拶を交わすと、京子は静まり返った車内で雪に包まれていく風景を眺めていた。
大粒の綿雪があっという間に視界を白く食い尽くす様があの日の記憶と重なって、京子は逃げるように目を閉じる。
そんな京子に気付いて、大舎卿が隣で腕組みをしたまま口を開いた。
「明日は早いんじゃろ? 報告はしといてやるから今日はこのまま帰れ」
それだけ言って再び黙った。
ぼうっとした思考回路がその意味をすぐに理解しなかったが、京子は「あぁ」と眉を上げる。
「ありがとう」
大舎卿の返事はなかったが、少しだけ口元が笑んだように見えた。
明日は十二月三十一日。
『大晦日の白雪』から六年目を迎えようとしていた。
☆
その記憶を色に例えるなら、薄墨を溢した様な灰色だ。
記録的な積雪に見舞われた真っ白な銀世界が、どうしても薄く色が付いたフィルターに遮られて黒ずんでしまう。
寒ささえ感じることが出来ず、夜の闇さえも覆い尽くす雪の中にただ呆然と立ち尽くした京子は、遅れて来た大舎卿が呟いた一言を素直に受け止めることが出来なかった。
『ワシ等が今日何もできんかったことを、後悔してはならんぞ』
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