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最終章 別れ
162 認めたくない気持ち
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クラウの登場に、俺は緊張を走らせる。
彼とワイズマンの対面は、水と油のようなものだと感じていたからだ。
戦闘を予感して腰を浮かすと、クラウは「やぁ」とドラゴンへ笑顔を向けた。ワイズマンは返事をしなかったが、俺は二人を伺いながら再び岩へ腰を下ろした。
「クラウ、血が出ているよ」
髪が乱れ、煤や泥でうっすらと汚れた顔。ヒルドが自分の左頬を指差して、その位置を示した。
真横に刃を滑らせたような細い傷から、ダラリと血が流れている。まだ新しいようで、クラウが「あぁ」と触れた指に血の痕が広がった。
「このくらい自分で治せるよ」
ぎゅうと頬を押し付ける指に、うっすらと光が生じる。ほんの一瞬だ。
わずかな光の照射で、傷は乾いてしまう。
「お見事ですね。流石魔王の力だ」
皮肉めいた称賛を送るワイズマンに、俺は思わず苦笑した。この人はどこまでクラウを魔王にしたくないのだろうか。
「その聖剣の使い心地はいかがでしたか?」
ワイズマンはクラウの手に聖剣があるのを快くは思っていないだろうが、今ここで奪い返そうという気はないようだ。
「そうだね、大分癖のある剣だよ。ローエンの群れに囲まれて、少し手こずったからね。照明弾には気付いてたけど、すぐに来れなかった」
新しく聞くモンスターの名前だ。剣のせいとはいえ、クラウを足止めするような奴に俺は会わなくて良かったと安堵する。ヒルドも「ローエン?」と表情を険しくしながら、そいつが魔法の効かない大物だという事を教えてくれた。
「ごめんね」と頭を下げるクラウに、俺は「いや」と手を振った。
「そんなの謝ることじゃねぇよ。ちゃんと来てくれたんだし」
俺が「な?」と頷いて見せると、クラウは「ありがとう」と目を細めた。
「二人とも無事だったんだね。ミオとチェリーは?」
辺りを見回すクラウに、俺はミーシャに助けてもらったことと、二人が下山したことを告げた。
「それなら安心だ。チェリーは大分強くなったからね。ミーシャが来たのは意外だけど、彼女は優しい子だよね」
クラウの言葉に反して、俺の頭には蔑むような冷たい目をした彼女が浮かんだが、命の恩人への悪態は心の奥へそっと押し込んだ。
「どうやらその剣と相性が良くないようですね」
モンスターとの苦戦ぶりをワイズマンはフフンと嬉しそうに笑うが、クラウも強気に「どうだろうね」と返した。
「けど、ローエンの群れに一人で挑んで戻って来れたのは称賛ものです。それと貴方がさっき言った、私と似た者同士という言葉の意味を教えてもらえますか?」
ワイズマンがドラゴンになったという300年前の話をしていた時だ。クラウはそんな言葉を口にして俺たちの前に現れた。
「そのままだよ」とクラウは答える。
10年前クーデターに遭って暴走したメルーシュ王は、国民に手を掛けてしまう。
暴走なんてそう長い時間起きているものじゃない。元の姿に戻った彼女は自分の罪を嘆いた。
彼女が本当に悪くはないという事は誰もが理解していた。それなのに王を非難する少数派が現れて、彼女は孤立してしまう。
意味のない争いが起きて、メルーシュは何度も暴走を繰り返したという。その姿を見た兵たちが「緋色の魔女」と揶揄するようになったのだ。
「彼女の為なら僕は何でもできると思った。暴走した彼女を国民全員が敵に回しても、僕は彼女の味方でいたいと思って。そんなことを考えたら、自分のすべきことが何なのか分かったよ」
魔王には戻れないと言った彼女から、魔力を引き継いだクラウ。
彼の話したその過去は、俺の記憶と差異はなかった。けれど、一つ引っ掛かることがある。
「ちょっと待て。それじゃあ、100匹のジーマの話は? メルーシュの仕向けた100匹のジーマを、お前は倒したんだろ? その時は魔法を使えなかったんじゃないのか?」
クラウの魔力がメルーシュから引き継がれたものなら、その時の彼は魔法師ではなかったはずだ。
しかし、そんな訳ないだろうと怪しむ俺に、クラウは「そうだよ」とあっさり答えた。
俺はヒルドと「えええっ!」と声を合わせる。
「ジーマは雷や炎が苦手だからね。戦場を焼いて一匹ずつ倒したんだよ。剣はちゃんと習っていたからね」
ゴンドラを下りた位置から慰霊碑まで、見晴らしの良い広い丘が広がっている。そこに木がない理由がそれだと説明が付け加えられた。あの坂一帯が炎に包まれた様子を想像して、俺は無茶苦茶だなと思ってしまう。
「異世界人の僕が魔王になるなんてありえない話だとは思ったけど、あのときはそれ以外に考え付かなかった。メルーシュを助けたいという思いが強かったけど、異世界の僕を受け入れてくれたこの国の混乱を鎮めたかったのも事実だ。境遇は違うけれど、貴方と似ていると思いませんか?」
問いかけたクラウを睨みつけたまま、ワイズマンは黙り込んだ。
長い沈黙を破ったのは、再び鳴った爆発音だ。音に振り返る俺とヒルドを引き戻すように、ワイズマンが口を開いた。
「認める、と言ってしまうのは簡単だ。けど、認めたくない気持ちも分かってもらえますか?」
彼とワイズマンの対面は、水と油のようなものだと感じていたからだ。
戦闘を予感して腰を浮かすと、クラウは「やぁ」とドラゴンへ笑顔を向けた。ワイズマンは返事をしなかったが、俺は二人を伺いながら再び岩へ腰を下ろした。
「クラウ、血が出ているよ」
髪が乱れ、煤や泥でうっすらと汚れた顔。ヒルドが自分の左頬を指差して、その位置を示した。
真横に刃を滑らせたような細い傷から、ダラリと血が流れている。まだ新しいようで、クラウが「あぁ」と触れた指に血の痕が広がった。
「このくらい自分で治せるよ」
ぎゅうと頬を押し付ける指に、うっすらと光が生じる。ほんの一瞬だ。
わずかな光の照射で、傷は乾いてしまう。
「お見事ですね。流石魔王の力だ」
皮肉めいた称賛を送るワイズマンに、俺は思わず苦笑した。この人はどこまでクラウを魔王にしたくないのだろうか。
「その聖剣の使い心地はいかがでしたか?」
ワイズマンはクラウの手に聖剣があるのを快くは思っていないだろうが、今ここで奪い返そうという気はないようだ。
「そうだね、大分癖のある剣だよ。ローエンの群れに囲まれて、少し手こずったからね。照明弾には気付いてたけど、すぐに来れなかった」
新しく聞くモンスターの名前だ。剣のせいとはいえ、クラウを足止めするような奴に俺は会わなくて良かったと安堵する。ヒルドも「ローエン?」と表情を険しくしながら、そいつが魔法の効かない大物だという事を教えてくれた。
「ごめんね」と頭を下げるクラウに、俺は「いや」と手を振った。
「そんなの謝ることじゃねぇよ。ちゃんと来てくれたんだし」
俺が「な?」と頷いて見せると、クラウは「ありがとう」と目を細めた。
「二人とも無事だったんだね。ミオとチェリーは?」
辺りを見回すクラウに、俺はミーシャに助けてもらったことと、二人が下山したことを告げた。
「それなら安心だ。チェリーは大分強くなったからね。ミーシャが来たのは意外だけど、彼女は優しい子だよね」
クラウの言葉に反して、俺の頭には蔑むような冷たい目をした彼女が浮かんだが、命の恩人への悪態は心の奥へそっと押し込んだ。
「どうやらその剣と相性が良くないようですね」
モンスターとの苦戦ぶりをワイズマンはフフンと嬉しそうに笑うが、クラウも強気に「どうだろうね」と返した。
「けど、ローエンの群れに一人で挑んで戻って来れたのは称賛ものです。それと貴方がさっき言った、私と似た者同士という言葉の意味を教えてもらえますか?」
ワイズマンがドラゴンになったという300年前の話をしていた時だ。クラウはそんな言葉を口にして俺たちの前に現れた。
「そのままだよ」とクラウは答える。
10年前クーデターに遭って暴走したメルーシュ王は、国民に手を掛けてしまう。
暴走なんてそう長い時間起きているものじゃない。元の姿に戻った彼女は自分の罪を嘆いた。
彼女が本当に悪くはないという事は誰もが理解していた。それなのに王を非難する少数派が現れて、彼女は孤立してしまう。
意味のない争いが起きて、メルーシュは何度も暴走を繰り返したという。その姿を見た兵たちが「緋色の魔女」と揶揄するようになったのだ。
「彼女の為なら僕は何でもできると思った。暴走した彼女を国民全員が敵に回しても、僕は彼女の味方でいたいと思って。そんなことを考えたら、自分のすべきことが何なのか分かったよ」
魔王には戻れないと言った彼女から、魔力を引き継いだクラウ。
彼の話したその過去は、俺の記憶と差異はなかった。けれど、一つ引っ掛かることがある。
「ちょっと待て。それじゃあ、100匹のジーマの話は? メルーシュの仕向けた100匹のジーマを、お前は倒したんだろ? その時は魔法を使えなかったんじゃないのか?」
クラウの魔力がメルーシュから引き継がれたものなら、その時の彼は魔法師ではなかったはずだ。
しかし、そんな訳ないだろうと怪しむ俺に、クラウは「そうだよ」とあっさり答えた。
俺はヒルドと「えええっ!」と声を合わせる。
「ジーマは雷や炎が苦手だからね。戦場を焼いて一匹ずつ倒したんだよ。剣はちゃんと習っていたからね」
ゴンドラを下りた位置から慰霊碑まで、見晴らしの良い広い丘が広がっている。そこに木がない理由がそれだと説明が付け加えられた。あの坂一帯が炎に包まれた様子を想像して、俺は無茶苦茶だなと思ってしまう。
「異世界人の僕が魔王になるなんてありえない話だとは思ったけど、あのときはそれ以外に考え付かなかった。メルーシュを助けたいという思いが強かったけど、異世界の僕を受け入れてくれたこの国の混乱を鎮めたかったのも事実だ。境遇は違うけれど、貴方と似ていると思いませんか?」
問いかけたクラウを睨みつけたまま、ワイズマンは黙り込んだ。
長い沈黙を破ったのは、再び鳴った爆発音だ。音に振り返る俺とヒルドを引き戻すように、ワイズマンが口を開いた。
「認める、と言ってしまうのは簡単だ。けど、認めたくない気持ちも分かってもらえますか?」
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