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13章 魔王

145 本当の気持ち

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 徐々に上がっていく気温のせいで、濡れた服の不快感が増していく。温泉と濡れた地面のせいで湿度も高めだ。
 大きく吸い込んでしまったキアリ臭を吐き出しながら、俺は更に不快さを増幅させようとするワイズマンに、強めの睨みで反抗した。

「じゃあ何だ、クラウが聖剣を抜いたのはお前の仕業だっていうのかよ」
「彼が諦めてくれないからですよ。私が直接言ってやらねばと思いましてね。けど、それでも彼は現実を受け入れようとはしてくれなかった。だから大人しくさせたんです」
「大人しくさせるために、その身体に入り込んだって言うの?」

 チェリーが「悪趣味ね」と嫌悪感をにじませて、細い指を眉間に押し当てた。

「ワイズマン、アンタは気の短い男なんだな。いいか、俺たちの世界にはな、三度目の正直って言葉があるんだよ。三顧の礼だってそうだ。諦めなきゃどうにかなることだってあるんだからな」
「三顧の礼は、ちょっと意味が違う気がするけど。三度目の正直ってのは、誰かさんも昔言ってたわね」

 チェリーがゼストを振り返る。体育教師の彼が夜の蝶を追い掛けていたころの話だろうか。
 ワイズマンは俺たちの言葉を「へぇ」と軽く流した。

「だったら、もう三回目。これで終わりですよ」
「おい、ちょっと待てよ」

 あっさりと返された言葉に対抗するすべもなく、俺は弱犬みたいに吠えてしまう。

「ユースケ、いきがってもしょうがないよ。冷静さを欠いたら負けだよ」

 ヒルドにまでそんなことを言われて衝動を押さえつけると、ワイズマンは俺を挑発するように「ハハッ」と乾いた声で笑った。

「貴方は一度、魔王の力を借りていますね。この山で貴方はその力を使ったでしょう?」

 クラウが俺をこの世界に飛ばす時に、一度だけ俺を守るからと言ってくれた力だ。
 緋色の魔女に襲われた時にそれは解放されて、俺は一命をとりとめることができた。

 不安気にこっちを見たメルに、俺は「心配しないで」と手を振る。
 あの時のことを覚えていてくれたことを素直に嬉しいと思ってしまう。
 そして、あそこには俺たち二人しかいなかったはずだ。

「どこで見てたんだよ」
「私は世の中を感じ取ることができるんですよ。元老院も、魔王の力には少し理解がないと見ました。混乱を鎮めたから魔王になれるわけじゃない。君が暴走できたように、魔王の力を使えただけでは魔王とは認められないんですよ」
「つまり、アンタが認めなきゃ駄目ってことかよ」
「その通り。ですから、グラニカの魔王は、今もメルーシュ様のままなんですよ」
「馬鹿馬鹿しい。私はもうとっくに魔王じゃないし、戻る気もないわ」

 メルが声を荒げると、ワイズマンはヒオルスを横目に「けど」と目を伏せた。

「そうは言っても、貴女はまだ力を持っている。親衛隊だって健在だ。私がまだ人間だった頃から、魔王には親衛隊が居たんです。彼らはおかしいくらいの忠誠心で魔王に仕えていましたよ。ヒオルス、貴方だってメルーシュが今も魔王だったらと思っているはずだ」

 再び開いた瞳は、ヒオルスを試すようにニヤリと笑みを見せつける。

「私は……」
「ほうら、はっきりと否定できないでしょう? 親衛隊の役割は、魔王の暴走を止めること。そこに倒れている二人は、自分たちが魔王だと思っている男が暴走しても、止めようとすらしなかった。役目を果たせない無能な人間に、親衛隊などという肩書は不用です」

 つらつらと言い放つワイズマンに、「ちょっと待ってよ」とヒルドが言葉を挟む。

「アンタが二人をこんな目に遭わせたんでしょ? けど、この人たちは三人だったんじゃない? アンタの力だったら、三人とも一瞬で殺せたはずだよ。それなのに二人は瀕死だし、ここにはリトさんがいない。それってわざとだよね?」

 ヒルドの問いかけに、ワイズマンが一瞬だけ表情を曇らせる。

「この国の為とか言って、アンタはいったい何がしたいんだよ」
「私はこの国の為に、メルーシュ様が本当の王だと知らしめてやりたいんですよ」

 ワイズマンは「クッ」と一つ笑って、「でしょう?」とヒオルスを促した。




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