130 / 171
12章 ゆりかごに眠る意思
130 異変
しおりを挟む
聖剣を手にした魔王の姿を心待ちにする民衆の興奮が、天井からザワリザワリと伝わってくる。
中央廟の底である『聖のゆりかご』は、階で表すと地下三階。
黒いマントを翻して改めて聖剣に向き合ったクラウは、何やら言葉を唱え始めた。
何か変化が起きているわけではないが、呪文だとか詠唱魔法だとか、その類のものだと思う。
俺はこの世界に来て文字さえ読むことができなかったが、耳に入ってくる言葉も話す言葉も全てが日本語に自動変換されていて会話に困るようなことはなかった。
けれど今、クラウが口にしている言葉は全く理解することができない。
まさかこのまま言葉が通じなくなるのではという心配をしたのも束の間、ティオナが「もう少し離れましょう」と前列の元老院メンバーに小声で支持する声が聞こえた。
どうやら詠唱だけの特別なものらしく、ホッと息を吐きだす。
皆が真剣な表情でクラウを見守っている。
俺だってクラウの成功を祈る気持ちは誰にも負けない自信はあるのに、程よい暗さと生温い温度、それに意味の分からない単調な言葉のトリプル攻撃に、ふわりと睡魔が降下してきた。漏れそうになる欠伸を慌てて飲み込む。
すぐそこにいる美緒の無事を確認して、俺は自分の家族のことをぼんやりと考えていた。
俺の父親は、昔から真面目で正義感の強い人だった。植えられた記憶とはいえ、瑛助が死んだ時も気丈に振舞って、泣き通しだった母親や俺たちを励ましてくれた。
怒ると怖い人だけれど、俺はそんな父が好きだ。
だから俺や弟の宗助は、そんな寡黙な父親とは似ていないと思っている。その時その時の感情や損得に振り回される母親似だ。
速水瑛助という男は、中身も父親似なのかもしれない。
クラウが、魔王の証だという聖剣に拒絶されたらどうなるだろうか。メルの為に、この国の為にと魔王を継いだ筈なのに、その意思が報われないことを知ったら。
もし父親なら--自分の行動によって誰かが傷つくようなことがあれば、自分自身を恨むだろう。相手の為なら苦しみなどいとわない……そんな人だから。
詠唱が止んで、緊張が走る。
クラウは垂直に地面に突き刺さった聖剣に向かって、両腕を胸の前にクロスさせた。この世界での祈りのポーズだ。
数秒間続けた祈りを解くと、クラウは真っすぐに腕を伸ばし、聖剣の柄を両手で握りしめた。
接触した掌が、フワリと青白い光を灯らせる。
「おっ」と俺にはそれが希望の灯のように見えたのに、部屋の空気が一変する。
「おかしい」と誰かが呟いた。皆が一斉に騒めきだすが、誰一人とその場を離れる人はいなかった。固唾を飲んで主を見守る。
「先生?」
俺は横に立つゼストを見上げて、その詳細を知りたいと思ったが、「待て」と言い置いたまま彼は答えをくれずに鋭い瞳でクラウを見つめている。
ほとばしる青い光の出現が皆にとって望ましくないものだという事は、表情で読み取ることができた。
「うわぁぁああ!」
いきなり発されたクラウの声は、悲鳴とも叫びともつかぬものだ。
地下空間に響いた音がわんわんと鼓膜を刺激する。
チラと覗いたクラウの横顔が何かに苦しむように歪んで、俺は先日の気絶したクラウを思い出した。
「ヤメロよ!」
俺は声を投げかける。それはクラウにではなく、無意識にハイドへ向けていた。
地上の民衆は、この祭りを楽しんでいるのに。
「これは、祭なんだろう?」
それなのにどうして、クラウ一人が苦しまねばならないのか。
「やはり、抜けませんでしたな」
深く溜息を吐いたハイドが、俺たち全員を振り返る。
もし聖剣が抜けなかったら--『抜いて見せるから』と、クラウは言っていた。
それはどういう意味だろうか。
『国民に未来を問いましょう』と言ったハイドの言葉に不安がよぎって、俺は美緒に駆け寄ろうとしたが、繰り出そうとした足が強い力でその場に押さえつけられてしまう。
「な……」
向こうを向いたままの美緒の横で、ティオナが俺を蔑むような瞳で見つめているのが分かった。
「またお前かよ!」
またしてもティオナの力が働いている。手足を動かそうとすればするほど、拘束は増した。
「ユースケ、お前は動くな」
ゼストが俺の前に踏み出て、腰の剣に手を掛ける。
「さて、どうしましょうか」
のんびりと言い放ったハイドの目線が、美緒に向いていた。
--『美緒様が苦しむ姿を見たくはないでしょう?』
その言葉を思い出して、俺は絶句する。
カチャリと側で鳴ったのは、ゼストが剣を抜く音だ。
「ハイド様!」
「やめてくれ!」
叫んだゼストの声に、クラウの声が重なった。
クラウの手が地面に刺さったままの聖剣を離れて、肩越しに俺たちを振り返った。
その顔に俺はぞっと背筋を震わせる。
ついさっきまで何とも感じなかったのに、魔王は生気を奪われたような憔悴しきった顔をしていたのだ。
クラウの手にぼんやりと残っていた青い光が、シュンと細く縮んで闇に溶ける。
「聖剣を抜けばいいんだろう?」
そう呟いたクラウの手に再び灯ったのは、青みの抜けた真白な光だった。
中央廟の底である『聖のゆりかご』は、階で表すと地下三階。
黒いマントを翻して改めて聖剣に向き合ったクラウは、何やら言葉を唱え始めた。
何か変化が起きているわけではないが、呪文だとか詠唱魔法だとか、その類のものだと思う。
俺はこの世界に来て文字さえ読むことができなかったが、耳に入ってくる言葉も話す言葉も全てが日本語に自動変換されていて会話に困るようなことはなかった。
けれど今、クラウが口にしている言葉は全く理解することができない。
まさかこのまま言葉が通じなくなるのではという心配をしたのも束の間、ティオナが「もう少し離れましょう」と前列の元老院メンバーに小声で支持する声が聞こえた。
どうやら詠唱だけの特別なものらしく、ホッと息を吐きだす。
皆が真剣な表情でクラウを見守っている。
俺だってクラウの成功を祈る気持ちは誰にも負けない自信はあるのに、程よい暗さと生温い温度、それに意味の分からない単調な言葉のトリプル攻撃に、ふわりと睡魔が降下してきた。漏れそうになる欠伸を慌てて飲み込む。
すぐそこにいる美緒の無事を確認して、俺は自分の家族のことをぼんやりと考えていた。
俺の父親は、昔から真面目で正義感の強い人だった。植えられた記憶とはいえ、瑛助が死んだ時も気丈に振舞って、泣き通しだった母親や俺たちを励ましてくれた。
怒ると怖い人だけれど、俺はそんな父が好きだ。
だから俺や弟の宗助は、そんな寡黙な父親とは似ていないと思っている。その時その時の感情や損得に振り回される母親似だ。
速水瑛助という男は、中身も父親似なのかもしれない。
クラウが、魔王の証だという聖剣に拒絶されたらどうなるだろうか。メルの為に、この国の為にと魔王を継いだ筈なのに、その意思が報われないことを知ったら。
もし父親なら--自分の行動によって誰かが傷つくようなことがあれば、自分自身を恨むだろう。相手の為なら苦しみなどいとわない……そんな人だから。
詠唱が止んで、緊張が走る。
クラウは垂直に地面に突き刺さった聖剣に向かって、両腕を胸の前にクロスさせた。この世界での祈りのポーズだ。
数秒間続けた祈りを解くと、クラウは真っすぐに腕を伸ばし、聖剣の柄を両手で握りしめた。
接触した掌が、フワリと青白い光を灯らせる。
「おっ」と俺にはそれが希望の灯のように見えたのに、部屋の空気が一変する。
「おかしい」と誰かが呟いた。皆が一斉に騒めきだすが、誰一人とその場を離れる人はいなかった。固唾を飲んで主を見守る。
「先生?」
俺は横に立つゼストを見上げて、その詳細を知りたいと思ったが、「待て」と言い置いたまま彼は答えをくれずに鋭い瞳でクラウを見つめている。
ほとばしる青い光の出現が皆にとって望ましくないものだという事は、表情で読み取ることができた。
「うわぁぁああ!」
いきなり発されたクラウの声は、悲鳴とも叫びともつかぬものだ。
地下空間に響いた音がわんわんと鼓膜を刺激する。
チラと覗いたクラウの横顔が何かに苦しむように歪んで、俺は先日の気絶したクラウを思い出した。
「ヤメロよ!」
俺は声を投げかける。それはクラウにではなく、無意識にハイドへ向けていた。
地上の民衆は、この祭りを楽しんでいるのに。
「これは、祭なんだろう?」
それなのにどうして、クラウ一人が苦しまねばならないのか。
「やはり、抜けませんでしたな」
深く溜息を吐いたハイドが、俺たち全員を振り返る。
もし聖剣が抜けなかったら--『抜いて見せるから』と、クラウは言っていた。
それはどういう意味だろうか。
『国民に未来を問いましょう』と言ったハイドの言葉に不安がよぎって、俺は美緒に駆け寄ろうとしたが、繰り出そうとした足が強い力でその場に押さえつけられてしまう。
「な……」
向こうを向いたままの美緒の横で、ティオナが俺を蔑むような瞳で見つめているのが分かった。
「またお前かよ!」
またしてもティオナの力が働いている。手足を動かそうとすればするほど、拘束は増した。
「ユースケ、お前は動くな」
ゼストが俺の前に踏み出て、腰の剣に手を掛ける。
「さて、どうしましょうか」
のんびりと言い放ったハイドの目線が、美緒に向いていた。
--『美緒様が苦しむ姿を見たくはないでしょう?』
その言葉を思い出して、俺は絶句する。
カチャリと側で鳴ったのは、ゼストが剣を抜く音だ。
「ハイド様!」
「やめてくれ!」
叫んだゼストの声に、クラウの声が重なった。
クラウの手が地面に刺さったままの聖剣を離れて、肩越しに俺たちを振り返った。
その顔に俺はぞっと背筋を震わせる。
ついさっきまで何とも感じなかったのに、魔王は生気を奪われたような憔悴しきった顔をしていたのだ。
クラウの手にぼんやりと残っていた青い光が、シュンと細く縮んで闇に溶ける。
「聖剣を抜けばいいんだろう?」
そう呟いたクラウの手に再び灯ったのは、青みの抜けた真白な光だった。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?
悠
ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。
それは——男子は女子より立場が弱い
学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。
拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。
「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」
協力者の鹿波だけは知っている。
大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。
勝利200%ラブコメ!?
既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
貞操逆転世界に無職20歳男で転生したので自由に生きます!
やまいし
ファンタジー
自分が書きたいことを詰めこみました。掲示板あり
目覚めると20歳無職だった主人公。
転生したのは男女の貞操観念が逆転&男女比が1:100の可笑しな世界だった。
”好きなことをしよう”と思ったは良いものの無一文。
これではまともな生活ができない。
――そうだ!えちえち自撮りでお金を稼ごう!
こうして彼の転生生活が幕を開けた。
男女比世界は大変らしい。(ただしイケメンに限る)
@aozora
ファンタジー
ひろし君は狂喜した。「俺ってこの世界の主役じゃね?」
このお話は、男女比が狂った世界で女性に優しくハーレムを目指して邁進する男の物語…ではなく、そんな彼を端から見ながら「頑張れ~」と気のない声援を送る男の物語である。
「第一章 男女比世界へようこそ」完結しました。
男女比世界での脇役少年の日常が描かれています。
「第二章 中二病には罹りませんー中学校編ー」完結しました。
青年になって行く佐々木君、いろんな人との交流が彼を成長させていきます。
ここから何故かあやかし現代ファンタジーに・・・。どうしてこうなった。
「カクヨム」さんが先行投稿になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる