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12章 ゆりかごに眠る意思
120 花の匂いと木の実の臭い
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長い夢を見ていたような気がする。
内容なんて覚えていなかったけれど、もう少し夢に浸っていたかった。
花のような華やかな匂いが鼻をかすめて、俺はぼんやりと覚醒した。
白んだ視界に彼を見つける。
「チェリー」
何故彼が居るのだろうか。頭痛を感じて頭を押さえると、チェリーは「もう少し寝ていなさい」と俺の肩を指で突いて横の椅子に腰かけた。
「俺……何でここに?」
俺はこの部屋を知っている。城ではなく、町にあるチェリーの部屋だ。
俺が目覚めて、傍らに彼が居るというシチュエーションは何度目だろうか。けれどもう女だと間違えて興奮することもなければ、間違って揉んでしまう胸もない。
「覚えてないの? ティオナに歯向かって気絶させられたらしいわよ」
「あぁ……そうだった」
クラウの部屋での記憶は、すぐに思い出すことができた。
俺が激高して剣を抜いたところまでは覚えているのに、そこから先はぷっつりと切れている。
あれは夕方だった気がするが、窓の外には青空が見えた。
部屋の隅に、俺の剣が立てかけられている。
この部屋に目覚めて思い知らされたのは、俺なんかこの世界じゃ到底無力だという事だ。
「ゼストがトード車で運んでくれたの。祭の準備で忙しいからって、すぐ戻っていったけどね。私も手伝いたいって言ったんだけど、ティオナが貴方と居てくれって。それにしても、魔法であんなに若返るなんてびっくりしたわ。私が前に会った時は、お婆さんだったのにね」
俺は元の姿を知らないが、チェリーはティオナを羨むように自分の頬をヒタヒタと撫でた。
「ハーレムの女の子たちは?」
「みんな城に居るわ。ティオナが守るって約束してくれたから」
「そうか……美緒は……」
「今はあの人の言葉を信じて、当日を待ちましょう」
俺だってそう思いたい。けれど不安ばかりが次々と沸いてくる。
枕に顔を半分埋めて重いため息を吐き出すと、チェリーは「そうね」と膝の上に両手を組んだ。
「貴方の気持ちも分かるけど、戦争の準備をしているわけじゃないんだから。お祭りでしょう?」
建国祭でクラウが聖剣を抜けますように――と俺は心の中で何度も祈った。
階段を上ってくる音がして「入るよ」と掛けられた声はヒルドのものだ。
ドアが開くと同時に、異臭が流れ込んでくる。
ほんのり漂うチェリーの香水を一瞬で打ち消す、鼻にバズーカでも撃ち込まれたような強烈な臭い。
俺の身体が、口が、その記憶を鮮烈に呼び覚ました。
「あっユースケ。起きたんだ、ちょうど良かった。まだちょっと熱いけど、これ飲んで元気になって」
トレーに乗ったカップは三つ。その一つを俺に差し出してくる。起き上がって受け取ると、俺は必死になって息を止めた。
「わ、私も飲まなきゃならないの?」
困惑したチェリーが、鼻の前で手をバタバタと扇ぐ。
「チェリーも飲んだことあるんですか?」
「この間怪我した時、大量にね」
「これって、何て名前でしたっけ?」
俺はチェリーに聞いたつもりだったが、ヒルドが満面の笑みで口を挟んでくる。
「キアリの実だよ。これ飲んどけば元気出るから。僕のお手製だからね」
ヒルドはチェリーにもカップを渡すと、残りの一つを手に取って、紅茶でも淹れたかのように優雅に湯気を吸いこんだ。
彼が言う薬効は体感済みだが、今これを飲んでまでの滋養強壮を求めていないのも事実だ。
「ちょっと臭いけど、不味くはないよ。僕の生まれた地方じゃマーコルの花を一緒に混ぜるんだ。作る人によっても色々アレンジがあるんだよ」
傾けるとゆったりと動く黒い液体に、彼の言う白い花びらが浮いている。
この舌にまとわりつくトロみが曲者だ。熱いままだと味が薄れるが、一気には飲めない。冷めると一気には飲めるが、不味さがダイレクトに染み渡ってくる。究極の選択だ。
今ばかりは、美緒が居なくなった悲しみに浸っている余裕などなかった。全身全霊をかけてキアリ万能薬に向き合わねばならない。
ゆったりと少量ずつ口に含んでいくヒルドの前で、俺とチェリーは結託するように目で合図を送りあって、同時に鼻をつまんだ。ふうふうと何度も息を吹き付けて、耐えられる温度ギリギリで一気に流し込む。
何回飲んでも、この味には慣れそうになかった。
煮込む人によって味も少しずつ違い、メル製、ゼスト製、ヒルド製ときて、これが一番トロみが多く、甘さも強く感じられた。
マーコルの花とやらの働きがプラスに向いているのかマイナスに向いているのかは、微妙な感じだ。キアリ独特の異臭と味を打ち消すほどのものならばともかく、互いが混ざり合って余計に複雑な匂いを醸し出している気がしてならない。
「ぐえええ」
空のカップをトレーに乗せ、俺は全身で不味さを表現した。チェリーは顔を片手で覆ったまま無言で身悶えている。
「面白いね、二人とも」
ヒルドは笑う。
キアリの効果が凄いと俺が改めて実感したのは、それから数分後のことだった。
内容なんて覚えていなかったけれど、もう少し夢に浸っていたかった。
花のような華やかな匂いが鼻をかすめて、俺はぼんやりと覚醒した。
白んだ視界に彼を見つける。
「チェリー」
何故彼が居るのだろうか。頭痛を感じて頭を押さえると、チェリーは「もう少し寝ていなさい」と俺の肩を指で突いて横の椅子に腰かけた。
「俺……何でここに?」
俺はこの部屋を知っている。城ではなく、町にあるチェリーの部屋だ。
俺が目覚めて、傍らに彼が居るというシチュエーションは何度目だろうか。けれどもう女だと間違えて興奮することもなければ、間違って揉んでしまう胸もない。
「覚えてないの? ティオナに歯向かって気絶させられたらしいわよ」
「あぁ……そうだった」
クラウの部屋での記憶は、すぐに思い出すことができた。
俺が激高して剣を抜いたところまでは覚えているのに、そこから先はぷっつりと切れている。
あれは夕方だった気がするが、窓の外には青空が見えた。
部屋の隅に、俺の剣が立てかけられている。
この部屋に目覚めて思い知らされたのは、俺なんかこの世界じゃ到底無力だという事だ。
「ゼストがトード車で運んでくれたの。祭の準備で忙しいからって、すぐ戻っていったけどね。私も手伝いたいって言ったんだけど、ティオナが貴方と居てくれって。それにしても、魔法であんなに若返るなんてびっくりしたわ。私が前に会った時は、お婆さんだったのにね」
俺は元の姿を知らないが、チェリーはティオナを羨むように自分の頬をヒタヒタと撫でた。
「ハーレムの女の子たちは?」
「みんな城に居るわ。ティオナが守るって約束してくれたから」
「そうか……美緒は……」
「今はあの人の言葉を信じて、当日を待ちましょう」
俺だってそう思いたい。けれど不安ばかりが次々と沸いてくる。
枕に顔を半分埋めて重いため息を吐き出すと、チェリーは「そうね」と膝の上に両手を組んだ。
「貴方の気持ちも分かるけど、戦争の準備をしているわけじゃないんだから。お祭りでしょう?」
建国祭でクラウが聖剣を抜けますように――と俺は心の中で何度も祈った。
階段を上ってくる音がして「入るよ」と掛けられた声はヒルドのものだ。
ドアが開くと同時に、異臭が流れ込んでくる。
ほんのり漂うチェリーの香水を一瞬で打ち消す、鼻にバズーカでも撃ち込まれたような強烈な臭い。
俺の身体が、口が、その記憶を鮮烈に呼び覚ました。
「あっユースケ。起きたんだ、ちょうど良かった。まだちょっと熱いけど、これ飲んで元気になって」
トレーに乗ったカップは三つ。その一つを俺に差し出してくる。起き上がって受け取ると、俺は必死になって息を止めた。
「わ、私も飲まなきゃならないの?」
困惑したチェリーが、鼻の前で手をバタバタと扇ぐ。
「チェリーも飲んだことあるんですか?」
「この間怪我した時、大量にね」
「これって、何て名前でしたっけ?」
俺はチェリーに聞いたつもりだったが、ヒルドが満面の笑みで口を挟んでくる。
「キアリの実だよ。これ飲んどけば元気出るから。僕のお手製だからね」
ヒルドはチェリーにもカップを渡すと、残りの一つを手に取って、紅茶でも淹れたかのように優雅に湯気を吸いこんだ。
彼が言う薬効は体感済みだが、今これを飲んでまでの滋養強壮を求めていないのも事実だ。
「ちょっと臭いけど、不味くはないよ。僕の生まれた地方じゃマーコルの花を一緒に混ぜるんだ。作る人によっても色々アレンジがあるんだよ」
傾けるとゆったりと動く黒い液体に、彼の言う白い花びらが浮いている。
この舌にまとわりつくトロみが曲者だ。熱いままだと味が薄れるが、一気には飲めない。冷めると一気には飲めるが、不味さがダイレクトに染み渡ってくる。究極の選択だ。
今ばかりは、美緒が居なくなった悲しみに浸っている余裕などなかった。全身全霊をかけてキアリ万能薬に向き合わねばならない。
ゆったりと少量ずつ口に含んでいくヒルドの前で、俺とチェリーは結託するように目で合図を送りあって、同時に鼻をつまんだ。ふうふうと何度も息を吹き付けて、耐えられる温度ギリギリで一気に流し込む。
何回飲んでも、この味には慣れそうになかった。
煮込む人によって味も少しずつ違い、メル製、ゼスト製、ヒルド製ときて、これが一番トロみが多く、甘さも強く感じられた。
マーコルの花とやらの働きがプラスに向いているのかマイナスに向いているのかは、微妙な感じだ。キアリ独特の異臭と味を打ち消すほどのものならばともかく、互いが混ざり合って余計に複雑な匂いを醸し出している気がしてならない。
「ぐえええ」
空のカップをトレーに乗せ、俺は全身で不味さを表現した。チェリーは顔を片手で覆ったまま無言で身悶えている。
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