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11章 俺はその時、彼女にもう一度さよならを言いたくなった

107 俺はお前を知っている

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 彼女を抱きしめたい気持ちをぐっとこらえて、俺は美緒の差し伸べた手を両手で強く握りしめた。けれどぬるく汗ばんだその感触に衝動が込み上げて、結局その手を引いて胸に抱きしめた。

「良かった。本当に……」
「私はずっと中央廟ちゅうおうびょうの下に居たから。ゆうくんが向こうに戻ったって聞いて」

 素早く彼女を堪能たんのうして、俺はゆっくりと身体を引いた。こんなに人の行き交う中で、自分でも大胆なことをしてしまったと照れ臭くなるが、たった数秒の抱擁ほうようで気持ちが落ち着くのは不思議だ。

「心配した?」
「うん」

 必死な顔で頷く顔が嬉しくてたまらない。俺はニヤニヤとしてしまう口元を引き締めて、「ごめんな」と謝った。
 美緒はぶんぶんと首を横に振るが、急にシュンとうつむいて「けど……」と零す。

「向こうで待っててくれても良かったんだよ? 私がまだこっちに居るから戻ってきてくれたんでしょ?」
「お前までそんなこと言うのかよ。違うぜ? 俺がもう少し、こっちで知り合ったみんなと居たかっただけだよ」

 横でヒルドが嬉しそうに自分を指差してるのを見ると、妙に笑いが込み上げてきた。
 浅くあごを引いただけで、気持ちを全身でアピールしてくるヒルドとは、やっぱりこれっきりにはしたくないと思ってしまう。

「美緒、お前は俺が死ぬかもとか考えてるんだろうけど、俺は死なないからな?」
「うん……」

 絶対死なない保証はない。ただの口約束にしか過ぎないことは、俺も美緒も分かっていた。

「あと、さ。今すぐってわけじゃないけど。この騒ぎが終わったら、俺たちは向こうに帰ることも考えないか?」

 この世界で会った人たちと別れるのは寂しいけれど、美緒と過ごす場所はやっぱりこっちじゃなくて向こうなのかなと思ったから、その気持ちを聞いて欲しかった。

 ついこの間、美緒から「もう少しここに居たい」と言われたばかりだ。
 またそんな答えが返ってくるのかもしれないと構えるが、美緒は「そうだね」と頷いてくれた。

「本当に……?」

 「全部終わったらね」と美緒が笑うと、ヒルドが「ええっ」と悲痛な声を上げた。

「ユースケ帰っちゃうの? 寂しいよ」
「俺とはいつでも会えるからいいんじゃねぇか」
「えぇ? ずるいよゼスト。僕とユースケは戦友だよ? ずっと友達でいたいんだ」

 確かにヒルドとは会えなくなっても、高校の担任のゼストとは会える。

「ヒルドとだって、ずっと友達だろ?」
「当たり前だよ」

 ぷぅと頬を膨らませるヒルド。
 何故俺はこいつに愛されているんだろうか。

 兵士が数人走り寄ってきて、親衛隊の二人に敬礼する。早口に会話を交わした後、ゼストは「分かったよ」と腕を組んだ。

「じゃあ、俺たちは仕事に戻らなきゃいけねぇから、ここでな」
「もう少ししたら再生の儀が始まるから、みんな集まってくると思うわ」

 兵士たちに連れられて、二人はそのまま中央廟の方へと行ってしまった。
 そうしている間にも、儀式の準備は着々と進められている。城に近い位置は立ち入りが制限されて、等間隔に兵士がずらりと並んでいた。
 俺たちはその最前列を陣取って、改めて城を見上げる。

 どの部屋もバルコニーは跡形もなく消えていたが、下に落ちただろう瓦礫はほぼ撤去されていた。廃墟写真に出てきそうな壊れっぷりだが、建物の中は切り分けられたように奇麗なまま残されていて、ちぐはぐな感じさえする。
 俺の居た部屋も南側の壁がなくなっていたが、背伸びしても身体を振っても、ここからでは中がよく見えなかった。

 「ユースケー!」と俺を呼ぶ声に振り返ると、見慣れた笑顔が駆け寄ってくる。

「メル! それにちさ!」

 仲良さげに手を繋いでやってくるのは、小さな二人組の少女たちだ。
 赤いチャイナドレスを着た、まだ小学生のハーレムメンバーちさと、トレードマークの剣を背負い宗助の買ってきた黄色い熊のワンピースを着たメル。
 昨日メルと一緒に城へ来た、メルーシュ親衛隊のヒオルスの姿はない。

「マーテルに、ユースケが来てるって聞いたから」

 嬉しそうに声を弾ませるメルに、俺は「そっか」と彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
 いつものメルだ。
 クラウを思って大人びた表情をする彼女は、そこにはいなかった。

 「ユースケさん、これ」と、ちさが脇に抱えていた金色で四角くて大きな平たいものを俺に差し出した。
 「わぁお」と両手を組んで歓喜したヒルドの横で、俺は「うっ」と声を詰まらせる。

 まさかこれに再会するとは思ってもみなかった。
 ヒルドの自画像だ。
 俺の部屋に飾っておいたそれは、崩れた壁と一緒に吹き飛ばなかったらしい。

「ちさが運び出してくれたのよ」
「ほんと? ありがとう、ちさ! これは僕がユースケにプレゼントした、大事なものだったんだ」
「この絵のモデルがヒルドさんだって分かって、きっと大切なものなんだろうなって思ったから。壊れた壁のギリギリの場所に飾ってあったんです」

 自室の被害を見に行った彼女が、偶然発見したらしい。
 あんな状況で傷一つもないなんて、何て悪運の強い……。

「あ、ありがとう」

 小さくて可愛い彼女の親切をけるわけにもいかず、俺は感謝の言葉とともにそれを両手に受け取ったのだ。
 金縁の額に入ったその自画像は、キメ顔のヒルドを包み込むように赤い花が散りばめられている。壁もろとも消えてしまっても全く問題はなかったのだけれど。

「やっぱり僕たちは離れられない運命なんだね」
「あ、あぁ」
 
 俺は顔を背けるように自画像のヒルドをくるりと外側に向け、遺影のように両手で抱えた。
 「良かったです」と微笑むちさを悲しませることなんて、俺にはできない。

「それよりユースケ、あのね」

 急に思い出したようにメルが声を上げた。「そうだ!」とちさも何やら興奮しだして、俺たちは「えっ?」と顔を見合わせた。

「大変なの!」
「大変なんです!」

 二人が俺を見上げて主張するが、興奮しすぎて内容が飛んでしまっている。

「おいおい、二人ともどうしたんだよ」

 けれど、その答えを聞く前に俺はヤツの存在に気付いてしまった。
 メルとちさの背後。ハーレムメンバーの制服である赤いチャイナ服を着たML姉妹に挟まれた、色男を。

 俺は、お前を知っている。
 それはクラウではなく――。

「チェリーが、チェリーがあっ!! かっこよくなっちゃったの!」

 メルたちの声がぴったりと重なる。

 俺は最初、一瞬だけヤツを知らない顔だと思った。それは、髪型が変わっていたからだ。
 男にしか見えなかったのは、押さえつけた胸の厚みさえ消失していたから。

 あの豊満な胸も、化粧した顔も、艶のある長い髪も、何もかもが俺の記憶とは違っていた。
 けれど。
 どこから見ても男にしか見えないのに、ヤツはチェリー以外の何者でもなかった。

「無事……だったんですか?」

 俺は気が動転してしまって、思わず疑問符を投げかけてしまう。
 セルティオの猛攻による怪我からの回復で元気そうには見えるが、その状態が彼にとって無事かどうかは分からなかったからだ。

「はぁい、ユースケ」

 いつも通りのチェリーの挨拶に、俺はヒルドの笑顔を抱えたまま声を大にして訴えてしまった。

「な、な、ななっなっ……何があったんですか!」
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