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9章 俺の居ないこの町で

95 切り出された過去

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 奏多を無事に送り届けた宗助を見送って、俺たちはカウンターの奥にある階段からカフェの二階へと移動した。

 8畳の部屋に三組の布団がひかれている。二階にはもう一つ部屋があったが、そっちは荷物置きになっているということだ。
 二階にはシャワーやトイレもあり、小さなキッチンもついている。
 日常的に使われている雰囲気はなかったが、押し入れにはもう二組布団が入っていた。宗助も泊まりに来たことがあると言っていたし、大人数で雑魚寝なんてこともあるのかもしれない。

 メル、クラウの順にシャワーを浴びて、最後に俺が浴室を出た頃にはすっかり夜も更けていた。店も閉店時間の九時を過ぎていて、階段の下は暗く静まり返っている。

 京也きょうやと奏多の家も近くにあるらしい。
 二人ともすでに帰宅したものだと思って階段の上を通り過ぎると、ガタリと下で何か物音がして、俺はビクリと足を止めた。
 京也か奏多が居る--そう考えれば何ら不自然なことではないのに、俺は恐怖を募らせる。

 異世界に長く居てしまったからだろうか。物音の正体がモンスターにさえ思えて、俺は警戒しながら闇に目をらした。
 けれどここからはキッチンのほんの一部を見ることしかできない。
 俺はバスタオルを首にぶら下げたまま、その闇に引き寄せられるように一歩一歩足音を潜めて階段を下りていく。

 そして、一階の床を踏む直前で足を止めた。
 物音の正体はモンスターでも不審者でもなかったが、俺は彼に声を掛けることができなかった。
 体が鉛のように重く感じて、そこで呆然と彼を見つめる。

 (京也さん……)

 真っ暗な店内の窓際の席で、彼は愕然がくぜん項垂うなだれた頭を抱えていた。
 昼間明るく振舞ってくれた彼の孤独感を俺たちは引きずり出してしまったのだと思うと、罪悪感でいっぱいになる。
 俺だって『保管者』だ。その悲しみを共有できるはずなのに、チェリーの行方や異世界の存在を知っている俺は、彼に「同じ境遇だ」と言い掛けることもできない。

 窓から入り込む街灯の明かりに照らされる京也。凹凸のある影が憔悴しょうすいした彼の表情を強く映し出す。
 俺はいたたまれない気持ちになって、振り切るように階段をそっと駆け上った。

 締め付けられるような思いを抑えて部屋に飛び込むと、中は豆電球の明かりだけになっていた。
 クラウが開け放った窓辺に座って、「今寝たばかりだから」と足元を指差す。
 窓際の布団で、メルはすでに寝息を立てていた。窓の外側についた低い柵がストライプ模様の影を落としている。
 京也の所から逃げ出してきた俺は、メルの寝顔にほっと息を吐き出した。

「ちゃんと寝れたんだ」

 最初この部屋に来た時、床に直接ひかれた布団を見て、メルは大分抵抗感を示していた。

「布団に入るまでは色々言ってたけど、全然平気だったよ。討伐に行った時みたいだってね」
「そりゃ良かった」
「それより何かあった?」
「あぁいや、京也さんが寂しそうにしてるの見ちゃって」

 俺は階下を一瞥いちべつするように足元を見てため息を漏らした。

「そうか」
「チェリー、無事に元気になってるかな。結果的にああなったけど、チェリーは一人でセルティオを倒したんだぜ」
「こっちの世界での彼は良く知らないけど、向こうではゼストに習ってたからね。それでも剣を持ち歩こうとしなくてさ。やっと剣をつけて生活しようとしたらこれだ。けど、リトがついてるから心配いらないよ」

 ――「今日は男で剣師の気分に浸りたかっただけよ。これからのことは、まだ考えてないわ」

 あの戦闘からほんの数時間前、夕げの席でチェリーはそんなことを言っていた。
 彼がセルティオの舌を力ずくでぶった切った時のことは、今思い出しただけでも興奮してくる。そして毒液を被ったシーンが蘇って、俺は頭を強く横に振った。

「あんな状態からでも助けられるなんて、魔王親衛隊ってのは魔法使いみたいだな――あぁいや、魔法使いなんだよな」
「面白いこと言うね」

 俺は一昔前のアニメに出てきたような三角帽子を被った魔女を想像したが、親衛隊の三人もクラウもみんなそうだったことを思い出して、「だったら平気かな」と納得してしまった。

「月の模様は向こうと少し違う気がする」

 雲が晴れた空を見上げて、クラウがのんびりとそんなことを言う。

「僕はこっちの世界に生まれたのにね。向こうと同じように月が出てるんだなと思うと落ち着くんだ」

 クラウはメルの頭をそっとでて、「眠くない?」と俺に聞いてきた。

「メルーシュのこと、どこまで話したっけ」

 本当は少し眠い。けれど俺は「あぁ」と答えて、「まだ全然聞いてねぇよ」と欠伸あくびで出た涙を拭った。
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