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8章 刻一刻と迫る危機

81 逃げる選択とお姫様抱っこと

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 元老院げんろういん議長という偉そうな肩書の付いたハイドに、元の世界への帰還を示唆しさされたところで、「はい分かりました」と二つ返事でうなずくほど、俺は聞き分けのいい奴じゃない。
 ここで帰るぐらいなら、美緒に帰れと言われた時点で帰っている。

「帰らないからな」

 うなるように声を絞り出すと、ハイドは灰色を残す白い眉尻を下げて「そんな顔しないで下さい」となだめる。

「元々貴方はこの世界の人間じゃないんですよ? 本来在るべき場所に戻るだけです」
「俺だけ? 元通りにしたいなら、俺以外の向こうの奴らもそうするのが普通だろ? これって、俺だけ邪魔だって言ってるように聞こえるぜ? それに、俺が帰ったら……」
「転生者が元の世界に戻れば、この世界での記憶は全て消えてしまいます。辛いと思うのも今だけですよ? 全部忘れてしまうんですからね」
「ふざけるな」

 全然説明になっていない。
 どうやらこの男は話し合う気など全くなく、俺を元の世界に戻したいだけらしい。

 メルに会ったことも、ハイレグもチャイナも、ヒルドと一緒に戦ったことも、死にかけたことも、チェリーに助けられたことも。
 クラウが瑛助えいすけだったことさえも全部――。

「全部忘れて、何もなかったようにあっちで生きろって言ってるのか?」

 俺の訴えなど耳に入っていないフリをして、ハイドは眉を上げた。

「けれどユースケ様は、美緒様の保管者であらせられる。その記憶は消えやしませんよ」
「それって、ここに来る直前に戻るってことだろ?」

 元の世界に戻った転生者が、こっちの異世界での記憶を忘れるという定義は何度も聞かされて自覚している。
 美緒の消えた日、誰もアイツを覚えていない世界で、俺は町を彷徨さまよった。ようやくここまで辿り着くことができたのに、ふり出しになんて戻りたくない。

「この世界で生きることがどんなに辛くたって、一人でなんて帰れるかよ。俺はまた美緒を失うのか? そんなの、耐えらんねぇよ。あいつと一緒じゃダメなのか?」
「異世界の女性たちは、今中央廟ちゅうおうびょうの地下にります。今すぐに出すわけにはいきません。今、この国は平穏な暮らしを確立するために必死です。その為に、聞き入れていただけませんか?」

 ハイドはがんとして理由を話そうとはしない。

「何で俺だけなんだ?」
「美緒様が苦しむ姿を見たくはないでしょう?」
「はっ?」

 その名前を聞いただけで、全身に怒りがほとばしる。

「何で、そこで美緒の名前を出すんだよ」

 無理矢理地面から体を引き剥がそうとすると、土に貼りついた胸の辺りにバリバリと激痛が走った。

「うわぁああ!!」

 痛みに意識が遠のきそうになって、俺はまた這い上がろうと力を込め、焼けるような痛みを受け入れる。

「ああああ!」

 声に痛みを逃そうとするが、気休めでしかない。俺は薄れる意識にあらがって、何度もハイドに訴えた。

「メルたちの所に戻せ! 戻してくれ。うわぁあ!」

 何度目かの叫びで限界が来て、俺は床にほおを沈める。その冷たさが感覚を留めて、俺は目だけをハイドに向けた。
 さげすむように目を細めて、ハイドは「似てるな」と呟く。

「流石、同じ血が通っているだけのことはある」
「クラウのこと、言ってるのか?」
「貴方たちはどうしてそんなにも--いえ、そうですね」

 何か言いかけたハイドは、一度口をつぐんだ。そして一人で何故か納得して、「わかりました」と頷く。

「仕方ないですね。そんなに嫌だというなら、私もこれ以上、貴方を庇うのは止めにしましょう」
「は?」

 あまりにもあっさりとした承諾に拍子抜けしてしまう。
 今、ハイドの中で何が変わったというのか。
 同時に全身の拘束が解けて、急に身体が重くなる。

「差し出がましい真似をしてしまったのかもしれません」

 背を向けるハイドに、俺は重い足を引き寄せて体を起こした。さっきの痛みが胸に響き、掌を強く押し当てる。

「美緒は無事なんだろうな?」

 立ち上がると眩暈めまいがした。足元がもつれて転びそうになり、慌てて足を踏ん張らせる。
 何も言わないハイドを相手に、腰の剣を抜いてやろと思った。けれど、無謀だと諦める。
 ここで命を落とすわけにはいかない。

「何があっても知りませんよ?」
 
 その言葉が耳に遠のいて、俺の視界は再び暗転した。
 意識はある。全身の感覚もある。ふらつく身体でたたらを踏んで、俺は右腕をとられて目を覚ました。

「ユースケ!」

 耳に響いたその声は、メルでもヒルドでもなかった。

「チェリー?」

 すぐに気付いて振り向くと、甘い香りを放ったチェリーが右手に剣を握りしめて前方を睨みつけている。

「中央廟まで来たら音が聞こえたから。私一人でも役に立てればって思って」
「大丈夫なんですか?」
「基本はゼストに習ってたけど。どうにか生きてるって感じね」

 そう言って、口元に引かれた血液を拭う。
 まさに戦闘状態。ぼやけていた聴覚が戻って、爆音が響いた。

「ユースケ! 帰って来たんだ」

 安堵の声はヒルドだ。腕の負傷を感じさせないテンションで、メルと二人でセルティオと向き合う。二人ともまだ元気そうで俺は「良かった」と安堵した。
 けれど、それは二体のセルティオも同じことだ。

 ハイドの姿はない。
 チェリーは歓迎会で見たままの男バージョンだ。いつも艶のある髪がバサバサに乱れている。

 触手のような舌を絡ませながらメルを狙う二匹のうち、一匹のセルティオが俺たちのほうに顔を向けて赤い目を光らせる。
 ヤツは狙いを定めて、両ひざを同時に曲げた。浅い屈伸くっしんを三度繰り返したセルティオは、その巨体と動きからは到底想像できないほどに高く跳躍ちょうやくしたのだ。

 メルの背を軽く超え、短い風の音を鳴らして数秒で俺たちの前へ迫ってくる。
 着地の音は静かだった。トスリという足音が耳をかすめて、すぐ後に地面が大きく振動する。

「何なのよ、コイツは」

 チェリーの声。俺は無我夢中に剣を抜いた。

「気を付けてね」

 メルの声が響いて、彼女の視線が側のヒルドを一瞥いちべつする。そして「ヒルド、お願い」と続いた。

「任せてよ」

 敵が二手に分かれた隙を狙った攻撃だ。
 最初セルティオに遭遇した時は、一体を相手に三人で苦戦していたのに、今度は二人で一体を倒してしまう。
 舌を切り落とす連係プレイに俺はもはや入る隙すらなかった。

「よそ見してる暇なんてないわよ」
「ごめん」

 チェリーに注意されて、俺は勢いのままに敵へ突っ込んだ。戦法を考える余裕も知識もない。
 チェリーはヒルドよりも経験が浅い。ど素人二人で突っ込んだって勝ち目のないことは明確だ。けれど、恐怖に抗ってそうすることを無意識に選んでしまう。
 そして、俺より一歩分速くセルティオの間合いに入ったチェリー。何度もメルたちの戦闘に目を向けていた彼が、見様見真似でセルティオを切りつけたのだ。

 ブンとしなった舌の根元。

「うぉおおお!」

 男声で力を込めるチェリーに、赤い目をギラギラと光らせて抵抗するセルティオ。
 しかし剣のせいか、力不足のせいか、肉を切る途中で刃が動きを失った。

「チェリー!」
「このくらい平気よ」

 「はぁぁあ」と力ずくで剣を払い、そこから一気にカタがついた。バシュリと鈍い音を立てて肉が飛び散ったことに、俺は「やったぁ」と喜びを声にしてしまう。
 足元に落ちた舌。
 安堵……いや。まだ喜べる時じゃない。 

「裏門に逃げるわよ」

 メルの声に振り向くと、彼女たちの背後で先に倒れたセルティオが黒い液体を噴き出していた。

「あっ……」

 俺は忘れていた。奴らが死の間際に毒性の粘液を吐き出すことを。
 視線を返したそこには、今まさに同じことをしようと、倒したばかりのセルティオが闇を仰いで、舌を失った口をぱっかりと開いていた。

「うわぁああ」
「二人とも逃げて!」

 狼狽うろたえる俺の恐怖に重ねて、ヒルドが叫ぶ。
 チェリーにはその状況がわからないらしい。俺はハッとして彼の腕をつかんだ。

 けど、もう遅かった。
 俺たちが走り出すと同時に勢いをつけて噴き出した黒い液体が、闇に紛れて俺たちの頭上で重力をはらむ。

 もうだめだ--。
 あと一歩速く走れていたら、その危機をまぬがれていたはずだ。
 それなのに。

「ああああ!」

 俺の手を振り解いたチェリーの真上に、黒い塊が降り注いだのだ。

「チェリー!」

 地面に転倒して、うめき声をあげるチェリー。半身を黒い粘液で濡らし、ジュウと白い煙を湧きあがらせる様は、クラウが絶命したカーボを目の前から異世界へ送りつけた時の光景と似ている。

「ダメだ、死んじゃだめだ」

 駆け寄ろうとした俺たちの耳が、こっちに向かってくる複数の足音を捉える。
 城の外。俺たちの居るエリアだ。姿ははっきりと見えないが、確実に何かが近付いてくる。

「中央廟へ……逃げて」

 チェリーの声がかすれた。

「みんなおとりになって。私は大丈夫だから、城の中へヤツらを連れ込めば魔法師がきっと……」

 その大丈夫に根拠なんてないんだろう?

「ダメだ、チェリー」
「行きなさい」

 メルもまた迷っていた。
 けれど三つの白い影が視界に現れて、この場所に留まって戦うことの無謀さを俺たちの誰もが感じてしまう。

「私が……」
「変なこと考えちゃだめだよ。隊長は僕のこともっと頼っていいんだからね?」

 メルの決断を遮って、ヒルドが素早く剣を腰に収めた。
 チェリーに駆け寄ってベタベタの粘液に眉をしかめつつも、「行くよ」と呼び掛けてチェリーの身体を抱き上げる。

「ちょっと。貴方、何……」
「僕にだってその液でダメージが来るんだから、黙ってつかまっててくれる?」

 戸惑うチェリーにそう言って、「ぐおぉ」と声を上げながら、ヒルドはチェリーの身体をお姫様抱っこで持ち上げたのだ。
 二人の体つきなんて大差ない。ゼストならともかく、ヒルド、お前はそんなキャラじゃないだろう? 
 「筆より重いものは」とか言ってたほうがよっぽどそれらしい。

 声も出せずに驚いているメルに向いて、ヒルドは「行こう」と促した。

「行きましょう」

 メルは焦燥を浮かべつつ、こくりと顎を引いた。
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