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8章 刻一刻と迫る危機
74 放たれた刺客
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夕方に出し切っただろう涙が、再び流れ落ちる。
崩れそうになる美緒の身体を必死に受け止めて、俺は薄暗い部屋で何度も何度もその身体を抱き締めた。
彼女の部屋は一人部屋で、俺の部屋より二回りほど狭かったが、奥の壁は全面がバルコニーに面した窓になっていて、格子に切り取られた藍色の空から白いぼんやりとした月明かりが差し込んでくる。
暫くそのまま彼女を抱いていた俺は、泣き声が弱まった所を見計らってその真実を確かめた。
「本当なのか?」
美緒は俺の胸に顔を埋めたまま、小さくこくりと頷いた。
「…………」
込み上げた衝動をきつく飲み込んで、俺は「ごめんな」と彼女を抱えた手に力を込めた。
「俺、気付いてやれなかったな」
転生者が異世界に残る決断をした時、保管者は自分が保管者だった事実を忘れる。
どうして彼女がそれを覚えているのかは分からないけれど、クラウが俺を思い出したように、俺もこの世界に来て記憶の断片を触発されている気分だった。
弟を抱えて泣いていた母親の記憶が偽りだと理解した途端、自分でも驚く程に美緒の事を思い出した。
――『どうして、おぼえていないの?』
小さな美緒が俺に言ったその言葉が、何度も何度も頭の中でリピートする。けど、兄の記憶を失ったガキの俺は、その時美緒の望む返事を返すことはできなかっただろう。
美緒は、瑛助が消えた事実を10年以上たった一人で抱えてきた。
「佑くんが謝る事じゃないよ。私が保管者に選ばれてしまっただけの事なんだから」
「クラウはこのこと……」
「……言ってないよ」
「そうか」
――『えいくんがいないの』
一人泣いていた美緒の言葉が、あの時の俺にはさっぱり理解できなかった。
小学校高学年の時に心を閉ざした美緒は、その事実を受け入れざるを得ない現実に戸惑ったんだと思う。
11歳。小学5年生の美緒に突然降りかかった『瑛助の死』とみんなに戻された『瑛助の存在記憶』。
「お前はずっと瑛助のこと忘れなかったんだな」
「それでも忘れてたんだよ。三歳だもの、忘れちゃうでしょ? それなのに小学生の時、佑くんの家に行ったら、おじいちゃんの仏壇に瑛助さんが居て――」
こんな言葉が適当かどうかは分からないが、俺は「惨い」と思ってしまった。
「だから、マーテルさんが私の所に来てクラウ様の絵を見せてくれた時、瑛助さんなんじゃないかって思ったの。だから、こっちに来たんだよ」
それって偶然なんだろうか。
この世界に繋がる穴が俺の町に開いたとティオナが言ってたから、確率的には高いのかもしれないけれど。
「畜生……」
そう唸った俺の声を掻き消すように、ピーと高い音が城中に鳴り響いた。
驚いた俺は咄嗟に美緒を抱き寄せて、窓と入口を交互に警戒する。
「何?」
「何か、あった……のか?」
恐怖を押し殺して、俺は冷静さを振舞った。
急に騒がしくなる廊下に恐怖を予感してしまう。こういう状況は9割方悪い知らせだ。
「ちさの部屋の前に集まって下さい!」と触れ回っているのはリトの声。
トントン、と音がして、すぐに扉は開かれる。
焦燥を滲ませた険しい顔で飛び込んできたのは、マーテルだった。彼女は美緒を抱いたままの俺の顔を見るなりスゥと眉をひそめたが、
「襲撃よ。避難するからすぐに集まって」
とだけ言い置いて、そのまま行ってしまった。
「襲撃、って。佑くん?」
「お前は行け」
不安に駆られる美緒に俺はそう告げた。
「お前は、って。佑くんは? 佑くんも一緒に行こうよ」
「美緒はみんなと逃げろ。俺はただ逃げるなんてできねぇよ。けど、絶対に死なないから」
絶対なんてあるわけない。俺の弱さなんて、美緒にはお見通しだ。
俺が死んだら美緒が元の世界に戻れなくなる――そんなことは重々承知なのに、いくら弱くて何もできないからとはいえ、腰に剣を提げている俺がハーレムの女子たちと逃げるわけにはいかなかった。
「絶対死なないだなんて、死亡フラグみたいなこと言わないでよ」
「危ないと思ったら、そん時は逃げるから。できる限りのことをさせてくれ」
そんなセリフをカッコよく言いながら、あぁそういうことか、と俺は一人納得していた。
剣を持ったチェリーも、おそらくそんなことを考えていたんだと思った。
だから、俺はカッコいいままでいたいと思った。
心臓が破裂しそうなくらいに鼓動を強めていく。
メルに殺られた傷が、やめろと疼いた。
握り締めた剣の柄を少しだけ引き上げると、重いなと感じる。そう言えば最初剣を選んだ時に、メルに『剣が少し重いんじゃないか』と指摘されたことを思い出した。
「佑くん」
「心配しなくていいから。だから、お前も無事で居ろよ?」
美緒の身体を再び強く抱いて、俺はその顔を覗き込むように屈み、そっと唇にキスをした。
彼女の身体が一瞬震えて、泣き腫らした顔をぐしゃぐしゃにする。
「行ってくるから」
それはほんの一瞬の出来事だった。
抵抗するように後退る美緒を無理矢理廊下へと連れだして、俺は側に居たリトに彼女を託した。
「リトさん、美緒をお願いします」
「ユースケは?」
今回は間違わずに名前を呼びつつも、リトは俺がその部屋に居たことに目を丸くしていた。
「俺は、メルたちと合流します。一応、メル隊だから」
「分かりました。無理はしちゃだめですよ?」
「はい」と頷いて、俺は二人に背を向けた。
「行かないで」
悲痛な思いを吐き出す美緒を、俺は振り返ることが出来なかった。
「またな」と呟いた声は、彼女に届いただろうか。
崩れそうになる美緒の身体を必死に受け止めて、俺は薄暗い部屋で何度も何度もその身体を抱き締めた。
彼女の部屋は一人部屋で、俺の部屋より二回りほど狭かったが、奥の壁は全面がバルコニーに面した窓になっていて、格子に切り取られた藍色の空から白いぼんやりとした月明かりが差し込んでくる。
暫くそのまま彼女を抱いていた俺は、泣き声が弱まった所を見計らってその真実を確かめた。
「本当なのか?」
美緒は俺の胸に顔を埋めたまま、小さくこくりと頷いた。
「…………」
込み上げた衝動をきつく飲み込んで、俺は「ごめんな」と彼女を抱えた手に力を込めた。
「俺、気付いてやれなかったな」
転生者が異世界に残る決断をした時、保管者は自分が保管者だった事実を忘れる。
どうして彼女がそれを覚えているのかは分からないけれど、クラウが俺を思い出したように、俺もこの世界に来て記憶の断片を触発されている気分だった。
弟を抱えて泣いていた母親の記憶が偽りだと理解した途端、自分でも驚く程に美緒の事を思い出した。
――『どうして、おぼえていないの?』
小さな美緒が俺に言ったその言葉が、何度も何度も頭の中でリピートする。けど、兄の記憶を失ったガキの俺は、その時美緒の望む返事を返すことはできなかっただろう。
美緒は、瑛助が消えた事実を10年以上たった一人で抱えてきた。
「佑くんが謝る事じゃないよ。私が保管者に選ばれてしまっただけの事なんだから」
「クラウはこのこと……」
「……言ってないよ」
「そうか」
――『えいくんがいないの』
一人泣いていた美緒の言葉が、あの時の俺にはさっぱり理解できなかった。
小学校高学年の時に心を閉ざした美緒は、その事実を受け入れざるを得ない現実に戸惑ったんだと思う。
11歳。小学5年生の美緒に突然降りかかった『瑛助の死』とみんなに戻された『瑛助の存在記憶』。
「お前はずっと瑛助のこと忘れなかったんだな」
「それでも忘れてたんだよ。三歳だもの、忘れちゃうでしょ? それなのに小学生の時、佑くんの家に行ったら、おじいちゃんの仏壇に瑛助さんが居て――」
こんな言葉が適当かどうかは分からないが、俺は「惨い」と思ってしまった。
「だから、マーテルさんが私の所に来てクラウ様の絵を見せてくれた時、瑛助さんなんじゃないかって思ったの。だから、こっちに来たんだよ」
それって偶然なんだろうか。
この世界に繋がる穴が俺の町に開いたとティオナが言ってたから、確率的には高いのかもしれないけれど。
「畜生……」
そう唸った俺の声を掻き消すように、ピーと高い音が城中に鳴り響いた。
驚いた俺は咄嗟に美緒を抱き寄せて、窓と入口を交互に警戒する。
「何?」
「何か、あった……のか?」
恐怖を押し殺して、俺は冷静さを振舞った。
急に騒がしくなる廊下に恐怖を予感してしまう。こういう状況は9割方悪い知らせだ。
「ちさの部屋の前に集まって下さい!」と触れ回っているのはリトの声。
トントン、と音がして、すぐに扉は開かれる。
焦燥を滲ませた険しい顔で飛び込んできたのは、マーテルだった。彼女は美緒を抱いたままの俺の顔を見るなりスゥと眉をひそめたが、
「襲撃よ。避難するからすぐに集まって」
とだけ言い置いて、そのまま行ってしまった。
「襲撃、って。佑くん?」
「お前は行け」
不安に駆られる美緒に俺はそう告げた。
「お前は、って。佑くんは? 佑くんも一緒に行こうよ」
「美緒はみんなと逃げろ。俺はただ逃げるなんてできねぇよ。けど、絶対に死なないから」
絶対なんてあるわけない。俺の弱さなんて、美緒にはお見通しだ。
俺が死んだら美緒が元の世界に戻れなくなる――そんなことは重々承知なのに、いくら弱くて何もできないからとはいえ、腰に剣を提げている俺がハーレムの女子たちと逃げるわけにはいかなかった。
「絶対死なないだなんて、死亡フラグみたいなこと言わないでよ」
「危ないと思ったら、そん時は逃げるから。できる限りのことをさせてくれ」
そんなセリフをカッコよく言いながら、あぁそういうことか、と俺は一人納得していた。
剣を持ったチェリーも、おそらくそんなことを考えていたんだと思った。
だから、俺はカッコいいままでいたいと思った。
心臓が破裂しそうなくらいに鼓動を強めていく。
メルに殺られた傷が、やめろと疼いた。
握り締めた剣の柄を少しだけ引き上げると、重いなと感じる。そう言えば最初剣を選んだ時に、メルに『剣が少し重いんじゃないか』と指摘されたことを思い出した。
「佑くん」
「心配しなくていいから。だから、お前も無事で居ろよ?」
美緒の身体を再び強く抱いて、俺はその顔を覗き込むように屈み、そっと唇にキスをした。
彼女の身体が一瞬震えて、泣き腫らした顔をぐしゃぐしゃにする。
「行ってくるから」
それはほんの一瞬の出来事だった。
抵抗するように後退る美緒を無理矢理廊下へと連れだして、俺は側に居たリトに彼女を託した。
「リトさん、美緒をお願いします」
「ユースケは?」
今回は間違わずに名前を呼びつつも、リトは俺がその部屋に居たことに目を丸くしていた。
「俺は、メルたちと合流します。一応、メル隊だから」
「分かりました。無理はしちゃだめですよ?」
「はい」と頷いて、俺は二人に背を向けた。
「行かないで」
悲痛な思いを吐き出す美緒を、俺は振り返ることが出来なかった。
「またな」と呟いた声は、彼女に届いただろうか。
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