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3章 死を予感した時、人は本能を剥き出しにするものだ。
24 俺たちがここまで来た理由は、お前を倒す為だったのか。
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そして何故か俺だけ風邪を引いた。
一枚ずつの毛布に包まれて、俺はメルに自分の膝を枕として提供しながら、半分目を瞑ったまま一晩中焚火の番をしていた。
モンスターも現れることなく、平和に朝を迎えるというミッションをクリアしたのに、メルに「おはよう」と掛けた声に喉が激しく痛んだのだ。
「すっごい声。熱はない?」
メルは目の前に座り込んで、俺の前髪をかき上げた手で体温を測る。
「うん。熱はないわね。喉がやられてるなら……そうだ、ちょっと待ってて」
自分の毛布を俺に巻き付けて、メルはコテージの向こうへと走って行ってしまった。
ぽつりと一人残された俺は、静かになった高原の風景にぐるりと目を向けた。ようやく上った太陽の熱が、ゆっくりと気温を上昇させていく。
こんな所で風邪をひくなんて、失態だ。
はぁと大きく溜息を吐き出して、メルがかき集めておいてくれた枝を火に放り込む。
コテージには色々と焚火の用具が準備されていて、火をまたぐ鉄のハシゴの上には、ポットが湯気を立ち上らせていた。
程なくしてメルが小走りに戻って来る。両手には真っ赤なマグカップ。お茶でも飲むのかと予測した俺に、メルの笑顔が飛んでくる。
「これ飲めば、すぐに治るわよ!」
メルは俺の横に座り、厚い布でポットを取り上げた。
マグカップへポットを傾けると、シュンシュンと吹く煙の奥で――ボコボコと何やら黒い泡が暗黒色の液体に沸き立った。
「えっ……」
何故、俺は異世界で風邪をひいてしまったんだろう。
ポットの中は、ただのお湯だった筈なのに。
白い湯気からおどろおどろしい臭いが立ち込めて、俺は慌てて息を止めた。
この世界に来て食べたものは、不味そうに見えても意外と美味しく食べることが出来たせいで、すっかり油断していた。
これはヤバイやつだ。
しかもドロリとトロミまでついているのが分かる。
これを俺に飲めと言うのか?
「さぁ、どうぞ」
甲斐甲斐しく両手でカップを差し出してくるメル。絵面だけなら『可愛い少女に看病される、幸せな俺』の筈なのに、誰かが変わりたいというなら即効交代したいと思える。
「メル、ごれは何だ? 薬が?」
ガラガラの声で尋ねてみる。
「えぇ。キオリっていう実をすり潰したものよ。万能薬で、色んな所に生えてるから、この世界では一般的な薬ね。子供でも飲めるわよ」
「へ、へぇ。どんな味なんだ?」
「苦いけど甘いかしら。トロッとしてて、飲みやすいと思うの」
いや、トロッとして熱々なのは一気に飲み干せない奴だろう?
俺の脳みそが、これは危険だと警鐘を鳴らしている。
「飲ばなきゃ駄目か?」
「そんな声で何言ってるの? ちゃんと飲んで治さなきゃダメ。メル隊長の命令です!」
びしいっと人差し指を突き付けられた俺は、サファイアの瞳から逃れることはできなかった。
「は、はい……」
俺はカップに口を近付け、何度も何度も息を吹きかけた。温ければ味わうことなく一気に流し込める筈だ。欲を言うなら、濃くても良いからお湯はもっと少ない方が良かった。
何故カップの縁まで注がれているのか。黒いその表面に膜が出来ている気がするけれど、それは気のせいだと思う事にする。
俺はメルに見守られながら、鼻をぎっちりとつまんで、黒い液体を一気に喉へと流し込んだのだ。
「ぐはっ!」
「やった! 全部飲めたじゃない!」
パチンと手を叩いて歓声を上げるメルの前で、俺はがっくりと頭を垂れて地面にのっそりと崩れた。
「ちょっと、ユースケ!」
カップを取り上げ、メルは慌てて俺の身体をさすってくれたが、返事をする余裕はなかった。
飲んでいる時はまだ良かったのに、飲み干した瞬間、口の中に猛烈な苦みと甘みが広がった。追い打ちをかけるように、胃から這い上がってくる臭いが鼻を抜けていき、頭がグラグラする。
「慣れないと飲みにくいのかしら。でも、次は大丈夫ね」
いや、俺はもう二度とこの世界で風邪なんかひかないと心に誓った。
☆
けれど、ドロドロの黒い風邪薬に悶絶する俺の苦悩とは裏腹に、薬の効果は絶大だったようで、メルが朝食の準備を終える頃には普通に会話できる程に回復していた。
朝食は何かの肉の燻製と、果物と木の実。洗われたカップに注がれたものは、今度こそお茶の味がした。俺は一安心して「いただきます」と手を合わせる。
「食べ終わったら出発するわよ。少し歩かなきゃいけないけど、剣以外の荷物は置いて行っていいから」
「それは嬉しいな」
「昨日はずっと担いでもらったから。ありがとう」
いよいよ戦うのか、と俺は腰の剣を握りしめる。もうすっかりその位置に落ち着いた感じだ。美緒の本はお守り代わりにジャケットのポケットに入っている。ちょっと重いが置いていく気にはなれない。
「ところで、どんなモンスターが相手なんだ? 討伐に行く、って言うんだから凄い奴なんだろ?」
「私一人で倒せるって言ったじゃない。クラウ様や親衛隊が魔法を使えば一撃のはずよ。けど、これは私の仕事だから」
嬉しそうに微笑むメル。こんな小さいのに偉いなと感心していると、
「今日の夕飯はご馳走よ。楽しみにしてて」
「あぁ……って。え? あ、あぁ、分かった」
あれこれ想像して、その意味を推測することが出来た俺はどうしても素直に喜ぶことが出来なかった。
それって――。
「しっ」
メルが突然、俺の前に片手を伸ばし、沈黙を促した。反対の右手が背中の剣をゆっくりと引き抜く。
何が起きたか俺にはさっぱり感じ取ることが出来なかったが、メルの緊張が伝わってきて、どんな状況かは理解することが出来た。
けど。現場までは少し歩く予定だったんだろ?
「まさか、もう出たのか?」
「私が行ってって合図したら、できるだけ遠くに逃げて」
ボリュームを絞って尋ねると、メルは肩越しにそう指示した。彼女の瞳と剣先は、コテージの裏手にまっすぐ向けられている。
「本当に一人で大丈夫なのか?」
「えぇ」と答えて、メルはそっと立ち上がる。俺も膝に乗った毛布を剥いで、それに習う。
相手は見えないが、彼女の見つめる方向からガサリと葉の音がした。
何かが近付いてくる――急に全身が震え出したが、落ち着けようとした俺の調子に相手が合わせるわけなどなく。
急に吹いた風が、木々を騒めかせる。その余韻を引き継いで、ザザッと地面を蹴りつける音が勢いを増した。
「行って!」
すぐさま叫ばれたメルの声に重ねて、「ガオォオン」という獣の声が鳴った。
俺は必死に駆け出すが、勢いに足がもつれてたたらを踏む。転びそうになるのを必死に立て直して、俺は少し離れた位置にある木陰に飛び込んだ。
慰霊碑まで走れば無事なんだろうけど、逃げるのは嫌だと思ったからだ。
しゃがみこんだ身体をメルの方へ向け、必死にその姿を目で追い掛ける。
黒い影が焚火の横で剣を構えるメルに飛び込んだ。
ガラガラーンと高い金属音が鳴ったのは、火にかけてあったポットがひっくり返ったからだ。
メルを敵だと認識して、火に向かって飛び込んだというのだろうか。
メルはその大きな図体の突進を交わして腹に切り込んだが、大したダメージを与えた様子は伺えない。
焚火の側で動き回るメルとモンスター。
敵は、火に怯む様子なんてまるでなかった。
剣を向けるメルに覆い被さるように前脚を上げたその姿は、俺の知ってる『奴』ではなかった。
お前は、こんなにデカくなかった筈だ。
なぁカーボよ。
お前はどうしてこう何度も俺に関わって来るんだよ。
一枚ずつの毛布に包まれて、俺はメルに自分の膝を枕として提供しながら、半分目を瞑ったまま一晩中焚火の番をしていた。
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「すっごい声。熱はない?」
メルは目の前に座り込んで、俺の前髪をかき上げた手で体温を測る。
「うん。熱はないわね。喉がやられてるなら……そうだ、ちょっと待ってて」
自分の毛布を俺に巻き付けて、メルはコテージの向こうへと走って行ってしまった。
ぽつりと一人残された俺は、静かになった高原の風景にぐるりと目を向けた。ようやく上った太陽の熱が、ゆっくりと気温を上昇させていく。
こんな所で風邪をひくなんて、失態だ。
はぁと大きく溜息を吐き出して、メルがかき集めておいてくれた枝を火に放り込む。
コテージには色々と焚火の用具が準備されていて、火をまたぐ鉄のハシゴの上には、ポットが湯気を立ち上らせていた。
程なくしてメルが小走りに戻って来る。両手には真っ赤なマグカップ。お茶でも飲むのかと予測した俺に、メルの笑顔が飛んでくる。
「これ飲めば、すぐに治るわよ!」
メルは俺の横に座り、厚い布でポットを取り上げた。
マグカップへポットを傾けると、シュンシュンと吹く煙の奥で――ボコボコと何やら黒い泡が暗黒色の液体に沸き立った。
「えっ……」
何故、俺は異世界で風邪をひいてしまったんだろう。
ポットの中は、ただのお湯だった筈なのに。
白い湯気からおどろおどろしい臭いが立ち込めて、俺は慌てて息を止めた。
この世界に来て食べたものは、不味そうに見えても意外と美味しく食べることが出来たせいで、すっかり油断していた。
これはヤバイやつだ。
しかもドロリとトロミまでついているのが分かる。
これを俺に飲めと言うのか?
「さぁ、どうぞ」
甲斐甲斐しく両手でカップを差し出してくるメル。絵面だけなら『可愛い少女に看病される、幸せな俺』の筈なのに、誰かが変わりたいというなら即効交代したいと思える。
「メル、ごれは何だ? 薬が?」
ガラガラの声で尋ねてみる。
「えぇ。キオリっていう実をすり潰したものよ。万能薬で、色んな所に生えてるから、この世界では一般的な薬ね。子供でも飲めるわよ」
「へ、へぇ。どんな味なんだ?」
「苦いけど甘いかしら。トロッとしてて、飲みやすいと思うの」
いや、トロッとして熱々なのは一気に飲み干せない奴だろう?
俺の脳みそが、これは危険だと警鐘を鳴らしている。
「飲ばなきゃ駄目か?」
「そんな声で何言ってるの? ちゃんと飲んで治さなきゃダメ。メル隊長の命令です!」
びしいっと人差し指を突き付けられた俺は、サファイアの瞳から逃れることはできなかった。
「は、はい……」
俺はカップに口を近付け、何度も何度も息を吹きかけた。温ければ味わうことなく一気に流し込める筈だ。欲を言うなら、濃くても良いからお湯はもっと少ない方が良かった。
何故カップの縁まで注がれているのか。黒いその表面に膜が出来ている気がするけれど、それは気のせいだと思う事にする。
俺はメルに見守られながら、鼻をぎっちりとつまんで、黒い液体を一気に喉へと流し込んだのだ。
「ぐはっ!」
「やった! 全部飲めたじゃない!」
パチンと手を叩いて歓声を上げるメルの前で、俺はがっくりと頭を垂れて地面にのっそりと崩れた。
「ちょっと、ユースケ!」
カップを取り上げ、メルは慌てて俺の身体をさすってくれたが、返事をする余裕はなかった。
飲んでいる時はまだ良かったのに、飲み干した瞬間、口の中に猛烈な苦みと甘みが広がった。追い打ちをかけるように、胃から這い上がってくる臭いが鼻を抜けていき、頭がグラグラする。
「慣れないと飲みにくいのかしら。でも、次は大丈夫ね」
いや、俺はもう二度とこの世界で風邪なんかひかないと心に誓った。
☆
けれど、ドロドロの黒い風邪薬に悶絶する俺の苦悩とは裏腹に、薬の効果は絶大だったようで、メルが朝食の準備を終える頃には普通に会話できる程に回復していた。
朝食は何かの肉の燻製と、果物と木の実。洗われたカップに注がれたものは、今度こそお茶の味がした。俺は一安心して「いただきます」と手を合わせる。
「食べ終わったら出発するわよ。少し歩かなきゃいけないけど、剣以外の荷物は置いて行っていいから」
「それは嬉しいな」
「昨日はずっと担いでもらったから。ありがとう」
いよいよ戦うのか、と俺は腰の剣を握りしめる。もうすっかりその位置に落ち着いた感じだ。美緒の本はお守り代わりにジャケットのポケットに入っている。ちょっと重いが置いていく気にはなれない。
「ところで、どんなモンスターが相手なんだ? 討伐に行く、って言うんだから凄い奴なんだろ?」
「私一人で倒せるって言ったじゃない。クラウ様や親衛隊が魔法を使えば一撃のはずよ。けど、これは私の仕事だから」
嬉しそうに微笑むメル。こんな小さいのに偉いなと感心していると、
「今日の夕飯はご馳走よ。楽しみにしてて」
「あぁ……って。え? あ、あぁ、分かった」
あれこれ想像して、その意味を推測することが出来た俺はどうしても素直に喜ぶことが出来なかった。
それって――。
「しっ」
メルが突然、俺の前に片手を伸ばし、沈黙を促した。反対の右手が背中の剣をゆっくりと引き抜く。
何が起きたか俺にはさっぱり感じ取ることが出来なかったが、メルの緊張が伝わってきて、どんな状況かは理解することが出来た。
けど。現場までは少し歩く予定だったんだろ?
「まさか、もう出たのか?」
「私が行ってって合図したら、できるだけ遠くに逃げて」
ボリュームを絞って尋ねると、メルは肩越しにそう指示した。彼女の瞳と剣先は、コテージの裏手にまっすぐ向けられている。
「本当に一人で大丈夫なのか?」
「えぇ」と答えて、メルはそっと立ち上がる。俺も膝に乗った毛布を剥いで、それに習う。
相手は見えないが、彼女の見つめる方向からガサリと葉の音がした。
何かが近付いてくる――急に全身が震え出したが、落ち着けようとした俺の調子に相手が合わせるわけなどなく。
急に吹いた風が、木々を騒めかせる。その余韻を引き継いで、ザザッと地面を蹴りつける音が勢いを増した。
「行って!」
すぐさま叫ばれたメルの声に重ねて、「ガオォオン」という獣の声が鳴った。
俺は必死に駆け出すが、勢いに足がもつれてたたらを踏む。転びそうになるのを必死に立て直して、俺は少し離れた位置にある木陰に飛び込んだ。
慰霊碑まで走れば無事なんだろうけど、逃げるのは嫌だと思ったからだ。
しゃがみこんだ身体をメルの方へ向け、必死にその姿を目で追い掛ける。
黒い影が焚火の横で剣を構えるメルに飛び込んだ。
ガラガラーンと高い金属音が鳴ったのは、火にかけてあったポットがひっくり返ったからだ。
メルを敵だと認識して、火に向かって飛び込んだというのだろうか。
メルはその大きな図体の突進を交わして腹に切り込んだが、大したダメージを与えた様子は伺えない。
焚火の側で動き回るメルとモンスター。
敵は、火に怯む様子なんてまるでなかった。
剣を向けるメルに覆い被さるように前脚を上げたその姿は、俺の知ってる『奴』ではなかった。
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