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1章 彼女が異世界に行ったのは、どうやらその胸に理由があるらしい。
2 全員いる
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「あれ――?」
こんなことは今までなかった。道路へ乗り出して彼女の家の方向を覗くが、5分待っても10分待っても玄関からは誰も出てこなかった。
スマホも静かなままで、俺は「どうした?」と一言だけラインを送るが反応はない。
既読にならない画面をじっと睨みつけていると、知らぬ間に時間は8時20分になっていた。
遅刻しないギリギリの時間。
俺は、投げやりに「行くぞ」と呟いて、校門目掛けてダッシユした。
そこまでは、俺も「なんだろう」と思っただけだ。身内に不幸があったのかもしれないし、学校に着けば担任が教えてくれるだろうと悠長に構えていた。
☆
学校に着いて、俺は驚いた。
昇降口に入った所で、隣のクラスの山田が俺の前を横切って行ったのだ。どうやら無事に異世界から帰還したらしく、ヤツのクラスメイトも「どうした?」と声を掛け合っている。
異世界生活を送ったアイツは、どこか精悍な顔をしているように見えたが、実際あまり変わらないどころか少々やつれた様にもうかがえる。
苦労したんだな――と俺は妄想のままに山田の背中にエールを送って、美緒の下駄箱を覗いた。
すると、靴があったのだ。
名前は書かれていないが、場所は把握している。クラスの女子の半数が履いている、学校指定の小豆色のローファーだ。
「先に来てたのかよ」
何か用事があったのだろうかと思いながら、俺は四階の教室へ向かった。俺は偶然にも美緒と同じクラスだ。
「あっれ。美緒、来てねぇの?」
しかし、そこに彼女の姿はなかった。思わず呟いた声に、側に居たテニス部の木田が振り向く。
「おはよ、佑助。どうした? 朝から暗い顔して」
「あぁ、おはよ。いや、美緒が居ないなと思って」
教室にはもう殆どの生徒が来ていた。登校時間ギリギリで、男子の半分は一時間目の体育に備えて、既にジャージに着替えている。
木田は片手で素早くシャツのボタンを外しながら、「はぁ?」と不審気に眉を寄せた。
「みお? って、カノジョ? お前の?」
「いや、そんなんじゃねぇけど。朝会わなかったからさ。下には靴あったから、どっか行ってんのかな?」
俺と美緒が恋人同士でないことは、中学も一緒の木田は良く分かっているはずだ。
まるで初めて聞いたような顔をするのは、俺のことをからかっているつもりなのだろうか。
そして木田は更に眉間の皺を深く刻んで、信じがたいセリフを口にした。
「お前、女いるなんて言ってなかっただろ? いつも学校は一人で来てるじゃんよ。何? 美緒ちゃんってコと一緒に登校する妄想して、ついに本当は一人だって事忘れちゃったのか?」
「はぁあ? 何言ってんだよ。美緒だよ。及川美緒。クラスに居るだろ? 中学から一緒じゃねぇか」
真面目な顔で、木田は何を言い出すのか。
美緒が居ない訳ないだろう?
けれど「いや」と否定した木田は、脱いだシャツを机に放ると今度は憐れむような表情で俺を覗き込んできた。
「大丈夫か?」
何だ、コイツは。俺の事を、頭がおかしくなったとでも思ってるんじゃないだろうな?
込み上げた怒りを切り裂くようにガラリと前の扉が開いて、担任の平野が入って来た。
保健体育の教師で、まだ25という若さと明るい性格から生徒から慕われている。
俺は木田をキッと睨みつけてから、気持ちを抑え込んで窓際の自分の席に渋々と座った。
「――えっ?」
教室の違和感を感じたのは、平野が教壇に立ってすぐの事だ。
席が全部埋まっていたのだ。
廊下側の右端最前列が美緒の席だったはずなのに、そこには別の女子が座っている。
俺が知らないところで席替えしたのかと何度も教室を見渡すが、サラサラボブの後頭部は見当たらない。
どうして美緒は居ないんだ――?
出欠が始まり、俺はその予感に背筋をゾクリと震わせる。
『及川美緒』の出席番号は、男女混合で三番目。遠藤愛の次だ。しかし、遠藤の次に呼ばれたのは、
「加藤康太」
美緒の次の番号だった。
「やめてくれ……」
囁くように吐き出した恐怖を、耳に留めたやつはいなかった。平野の出欠は、それからすぐに俺を呼ぶ。
「速水佑助」
「は、はいぃ……」
唇までガクガクしだして、俺の声はか細く上擦ってしまう。エアコンが利き始めた教室で、掌が汗ばんだ。
「ん? どうした速水。具合でも悪いのか?」
出席簿から顔を上げて心配する平野に、木田がさっと手を上げた。
「先生、コイツ朝から妄想の世界に行っちまってるんですよ」
斜め前の席から、木田は「腹でも痛いのか?」と振り返ってくる。
「あのっ」
確認しなければならないと思って、俺は立ち上がった。震え出す手を机に押し付けて、意を決してその名前を口にする。
「及川美緒は、居ないんですか?」
「及川美緒?」
困惑の混じる平野の声に、教室中が騒めき出す。
「このクラスに、居たと思うんですが」
「いや、うちのクラスにそんな名前の女子はいないぞ?」
即答で突き付けられた現実。俺の頭は『そんなわけないだろう』と平野の言葉を全否定するが、それを声に出すことはできなかった。
クラスの誰もが、木田や平野の言葉に同意している。この状況で美緒の存在を肯定するのは俺しかいないことを悟って、
「すみません」
それしか言えずに椅子へ沈んだ。
こんなことは今までなかった。道路へ乗り出して彼女の家の方向を覗くが、5分待っても10分待っても玄関からは誰も出てこなかった。
スマホも静かなままで、俺は「どうした?」と一言だけラインを送るが反応はない。
既読にならない画面をじっと睨みつけていると、知らぬ間に時間は8時20分になっていた。
遅刻しないギリギリの時間。
俺は、投げやりに「行くぞ」と呟いて、校門目掛けてダッシユした。
そこまでは、俺も「なんだろう」と思っただけだ。身内に不幸があったのかもしれないし、学校に着けば担任が教えてくれるだろうと悠長に構えていた。
☆
学校に着いて、俺は驚いた。
昇降口に入った所で、隣のクラスの山田が俺の前を横切って行ったのだ。どうやら無事に異世界から帰還したらしく、ヤツのクラスメイトも「どうした?」と声を掛け合っている。
異世界生活を送ったアイツは、どこか精悍な顔をしているように見えたが、実際あまり変わらないどころか少々やつれた様にもうかがえる。
苦労したんだな――と俺は妄想のままに山田の背中にエールを送って、美緒の下駄箱を覗いた。
すると、靴があったのだ。
名前は書かれていないが、場所は把握している。クラスの女子の半数が履いている、学校指定の小豆色のローファーだ。
「先に来てたのかよ」
何か用事があったのだろうかと思いながら、俺は四階の教室へ向かった。俺は偶然にも美緒と同じクラスだ。
「あっれ。美緒、来てねぇの?」
しかし、そこに彼女の姿はなかった。思わず呟いた声に、側に居たテニス部の木田が振り向く。
「おはよ、佑助。どうした? 朝から暗い顔して」
「あぁ、おはよ。いや、美緒が居ないなと思って」
教室にはもう殆どの生徒が来ていた。登校時間ギリギリで、男子の半分は一時間目の体育に備えて、既にジャージに着替えている。
木田は片手で素早くシャツのボタンを外しながら、「はぁ?」と不審気に眉を寄せた。
「みお? って、カノジョ? お前の?」
「いや、そんなんじゃねぇけど。朝会わなかったからさ。下には靴あったから、どっか行ってんのかな?」
俺と美緒が恋人同士でないことは、中学も一緒の木田は良く分かっているはずだ。
まるで初めて聞いたような顔をするのは、俺のことをからかっているつもりなのだろうか。
そして木田は更に眉間の皺を深く刻んで、信じがたいセリフを口にした。
「お前、女いるなんて言ってなかっただろ? いつも学校は一人で来てるじゃんよ。何? 美緒ちゃんってコと一緒に登校する妄想して、ついに本当は一人だって事忘れちゃったのか?」
「はぁあ? 何言ってんだよ。美緒だよ。及川美緒。クラスに居るだろ? 中学から一緒じゃねぇか」
真面目な顔で、木田は何を言い出すのか。
美緒が居ない訳ないだろう?
けれど「いや」と否定した木田は、脱いだシャツを机に放ると今度は憐れむような表情で俺を覗き込んできた。
「大丈夫か?」
何だ、コイツは。俺の事を、頭がおかしくなったとでも思ってるんじゃないだろうな?
込み上げた怒りを切り裂くようにガラリと前の扉が開いて、担任の平野が入って来た。
保健体育の教師で、まだ25という若さと明るい性格から生徒から慕われている。
俺は木田をキッと睨みつけてから、気持ちを抑え込んで窓際の自分の席に渋々と座った。
「――えっ?」
教室の違和感を感じたのは、平野が教壇に立ってすぐの事だ。
席が全部埋まっていたのだ。
廊下側の右端最前列が美緒の席だったはずなのに、そこには別の女子が座っている。
俺が知らないところで席替えしたのかと何度も教室を見渡すが、サラサラボブの後頭部は見当たらない。
どうして美緒は居ないんだ――?
出欠が始まり、俺はその予感に背筋をゾクリと震わせる。
『及川美緒』の出席番号は、男女混合で三番目。遠藤愛の次だ。しかし、遠藤の次に呼ばれたのは、
「加藤康太」
美緒の次の番号だった。
「やめてくれ……」
囁くように吐き出した恐怖を、耳に留めたやつはいなかった。平野の出欠は、それからすぐに俺を呼ぶ。
「速水佑助」
「は、はいぃ……」
唇までガクガクしだして、俺の声はか細く上擦ってしまう。エアコンが利き始めた教室で、掌が汗ばんだ。
「ん? どうした速水。具合でも悪いのか?」
出席簿から顔を上げて心配する平野に、木田がさっと手を上げた。
「先生、コイツ朝から妄想の世界に行っちまってるんですよ」
斜め前の席から、木田は「腹でも痛いのか?」と振り返ってくる。
「あのっ」
確認しなければならないと思って、俺は立ち上がった。震え出す手を机に押し付けて、意を決してその名前を口にする。
「及川美緒は、居ないんですか?」
「及川美緒?」
困惑の混じる平野の声に、教室中が騒めき出す。
「このクラスに、居たと思うんですが」
「いや、うちのクラスにそんな名前の女子はいないぞ?」
即答で突き付けられた現実。俺の頭は『そんなわけないだろう』と平野の言葉を全否定するが、それを声に出すことはできなかった。
クラスの誰もが、木田や平野の言葉に同意している。この状況で美緒の存在を肯定するのは俺しかいないことを悟って、
「すみません」
それしか言えずに椅子へ沈んだ。
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