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1章 彼女が異世界に行ったのは、どうやらその胸に理由があるらしい。
1 お前が俺の前から突然居なくなった朝
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ちょっと最近、みんな異世界に転生しすぎだ。
ラノベの主人公とは無縁そうな隣のクラスの山田が突然居なくなったのは、期末テストが終わってすぐの事。
失踪とか誘拐とか騒ぐ奴も居るけど、俺は奴が異世界に飛んだと踏んでいる。別に友達ではなかったけれど、小学校の頃から知ってるアイツの家はそんなに金持ちには見えないし、夏休み前にわざわざ失踪するとも思えないからだ。
ニュースにもなっていない所を見ると、ヤツが車にはねられたり変な光を浴びたりして、知らない世界に飛んで行ったと考えるのが筋じゃないだろうか。
加えて、二年の先輩も絶賛異世界に転生中だ。先輩と同じテニス部で、うちのクラスの木田が、「おっぱい、おっぱい」と悲痛な声を上げている。
何でも、痩せてて巨乳で美人という三大条件が揃った人だったらしい。
是非、旅立つ前に俺にも拝ませてほしかった。
転生というのは、あくまで俺の妄想だ。結局のところは二人ともただの登校拒否かもしれない。
けど、異世界に行ったと考えておいた方が、俺の平凡な毎日が少しだけ潤う。
俺もどこかへ飛んでいけたらいいのにな、と思う。本当にそんな世界を信じているのかと言われれば、フィフティフィフティ。けど、あって欲しいと思う気持ちは100%だ。
「楽しいだろうな」――その気持ちに込めるのは、自分が強い無敵の戦士だか勇者になって、可愛い女の子にちやほやされることだ。
男の夢なんて、基本はみんなこんなものだろう?
俺だって、そんな夢を見るんだよ。
☆
「暑っッ……」
夏休みへのカウントダウンも大詰めとなった、一学期最後の日曜日。
テレビで見た環境対策だか何だかを親が言い出して、我が家のエアコンは28度設定を義務付けられた。他の部屋ではさほど気にならないのに、西窓に面する俺の部屋は、午後になるとうだるような暑さになって、寝転がって本を読むどころではない。
今日は昨日買ったばかりのラノベを読もうと決めたのに、集中力が続かない。
この処、こんな暑さの日ばかりで、美緒に借りたままの本も積読のタワーに乗せたままだ。
エアコンが最大能力を発揮するテラス付のリビングは、直射日光が入らないお陰で28度設定でも十分に冷え切っている。
あそこなら快適に読書ができるのだろうが、両親どころか弟までそこで涼んでいるのが問題だ。布の少ない衣装を纏った巨乳のお姉さんが表紙に描かれたラノベを、そこへ持ち込むわけにはいかなかった。
それでなくとも弟は俺のエロ事情に敏感だ。別にエロい本を読んでる自覚はないが、中1の弟は目に見えたままを直感で指摘してくる。無駄に俺の好みも熟知していて、この間も俺のスマホを勝手にいじって、「すげぇ」と親にチクっていた。
☆
「異世界に行きたいの? 佑くんが?」
突然の誘いメールに飛びついて、俺は美緒と本屋に来た。彼女とは家も二軒隣のご近所で、小さい時から仲がいい。彼女からプロポーズされたことだってあるが、あれはまだ幼稚園の頃の話だ。
近所の同じ高校に入って、朝も帰りも何となく一緒。恋人同士と囃されることはあっても、「好きだ」なんて言葉は残念ながら交わしたことはない。近すぎて実感がないというのが現実。昔から一緒に居る――それだけだ。
「ほら、一組の山田が居なくなっただろ? あれって異世界転生だと思わねぇ?」
「まさか。佑くんの好きなラノベみたいに?」
「あはは」と控えめに笑って、美緒はテーブルに買ったばかりの本を広げた。
本屋と併設するカフェは涼を求めた客で混雑している。キンキンに冷やされた空間は、一番安いコーヒーでは申し訳ないくらい快適だ。
美緒は高1にもなって、王子様に見初められるような、俗に言うシンデレラストーリーが好きだ。彼女が熱心に読み始めた本も、表紙に王子様らしき格好の男とセーラー服姿の女の子が描かれている。
どうやら女子の界隈でも異世界転生が流行っているようだ。
対して俺は、昨日買った本を持参していた。
『異世界で出会った巨乳の美女が、俺の姉ちゃんかもしれない』
表紙のムッチリお姉さんに惑わされて、ジャケ買いしてしまったものだ。この本を家のリビングで広げるわけにはいかなかった。
それを美緒の隣で読むことに躊躇はないが、周りの視線は気になるところだ。
視線と言えば、美緒と居ると見知らぬ男たちの目が気になることがある。
異世界に飛んで行ったテニス部の先輩の事は知らないが、美緒も十分すぎるくらい大きいのだ。
きっと他人から見れば俺たちは恋人同士に見えるのかもしれない。実際は幼馴染止まりなのだが、俺がガードの役目になって、彼女に言い寄ってくる奴もあまりいなかった。
そして今日も例外ではなく、彼女をチラ見する輩が居たりする。そんな視線に俺の本の表紙が入り込んでしまったら美緒に申し訳ない。
けど俺の心配をよそに、彼女は今本の中の王子様に夢中だ。
美緒のお母さんが小学校の司書をしていることもあって、彼女の家にはいつもたくさんの本があった。外で遊ぶこともあったけど、その半分くらいはどちらかの家で会話もせず本を読み耽っていた日常が、今もずっと続いている。
オシャレだ、恋愛だ、なんて騒いでる奴から見れば、俺はヲタクに見えるのかもしれないけど、美緒と一緒に居るだけで『リア充』なのでは? と思っている。
いやらしいエロ本紛いのラノベを見せても美緒は笑い飛ばしてくれるし、俺も王子様好きの趣味をからかう時こそあるが、嫌だとはこれっぼっちも思っていない。
こんな関係がずっと続けばいいなと思いながらコーヒーを飲んで、俺もまた巨乳のお姉さんの本を開いた。
別れ際、美緒は彼女の家の玄関まで歩いたところで、突然踵を返して俺の所へ駆け戻って来た。
「佑くん!」
「どうした?」
「あの、ゆ、佑くんは別の世界になんか行かないでね?」
唐突にそんなことを言ってきた。
どこか必死で、どこか不安で。少しだけ潤んだ目が俺を見上げている。
「何かあったのか?」
閉められたままの低い門に手を掛けて彼女の方に行こうとすると、「大丈夫」と美緒は首を振った。
「違うの。佑くんが異世界の話とかするから。ちょっと不安になっただけ」
「ばぁか。行ける訳ねぇだろ」
隣のクラスの山田は異世界に行ったと思っているが、それは俺の妄想でしかない。だから、俺が行ける要素なんてこれっぼっちもない事は自覚している。
「佑くんが異世界に行ったら、モンスターにやられちゃうんだからね? 死んじゃうんだよ? 死んじゃったら戻って来れなくなるんだからね?」
さすが、本好きなだけあって想像力は逞しい。心配されていると思うと嬉しいが、これって俺がひ弱で弱いからとダメだしされているのではないだろうか。
「大丈夫だよ、心配すんな」
異世界に行きたいとは思うが、俺は美緒とまったりしているこっちの世界も好きだから。
「うん」と頷く美緒の髪が、まだ暑い夕方の風にたなびいて、肩の上でサラサラと揺れた。
「また明日な」
そう言って手を振った俺を、美緒は何度も振り返りながら家へと入って行ったのだ。
☆
翌日も朝から雲一つない青空が広がっていた。この間梅雨が明けてから、ずっと晴れの日が続いている。
家を出た瞬間に吹き出す汗。そういえば、今日の一時間目は体育だった。女子がプールで男子がサッカーという矛盾に、どっと暑さが増してくる。
美緒の家を横目に通り過ぎ、通り沿いの公園まで歩く。遊具が幾つかあるだけだが、小学校の頃はずいぶんとここで遊んだ。
この公園で8時まで待って、時間になったら相手が来なくても学校へ行くというルールは彼女が決めたものだ。中学の頃からそうしているが、美緒は病欠以外で遅れることはないし、俺が少し遅くなっても待っていてくれる。だから、ほぼ毎日一緒に通学していた。
けれど、今日は8時を過ぎても美緒はそこに来なかったのだ。
ラノベの主人公とは無縁そうな隣のクラスの山田が突然居なくなったのは、期末テストが終わってすぐの事。
失踪とか誘拐とか騒ぐ奴も居るけど、俺は奴が異世界に飛んだと踏んでいる。別に友達ではなかったけれど、小学校の頃から知ってるアイツの家はそんなに金持ちには見えないし、夏休み前にわざわざ失踪するとも思えないからだ。
ニュースにもなっていない所を見ると、ヤツが車にはねられたり変な光を浴びたりして、知らない世界に飛んで行ったと考えるのが筋じゃないだろうか。
加えて、二年の先輩も絶賛異世界に転生中だ。先輩と同じテニス部で、うちのクラスの木田が、「おっぱい、おっぱい」と悲痛な声を上げている。
何でも、痩せてて巨乳で美人という三大条件が揃った人だったらしい。
是非、旅立つ前に俺にも拝ませてほしかった。
転生というのは、あくまで俺の妄想だ。結局のところは二人ともただの登校拒否かもしれない。
けど、異世界に行ったと考えておいた方が、俺の平凡な毎日が少しだけ潤う。
俺もどこかへ飛んでいけたらいいのにな、と思う。本当にそんな世界を信じているのかと言われれば、フィフティフィフティ。けど、あって欲しいと思う気持ちは100%だ。
「楽しいだろうな」――その気持ちに込めるのは、自分が強い無敵の戦士だか勇者になって、可愛い女の子にちやほやされることだ。
男の夢なんて、基本はみんなこんなものだろう?
俺だって、そんな夢を見るんだよ。
☆
「暑っッ……」
夏休みへのカウントダウンも大詰めとなった、一学期最後の日曜日。
テレビで見た環境対策だか何だかを親が言い出して、我が家のエアコンは28度設定を義務付けられた。他の部屋ではさほど気にならないのに、西窓に面する俺の部屋は、午後になるとうだるような暑さになって、寝転がって本を読むどころではない。
今日は昨日買ったばかりのラノベを読もうと決めたのに、集中力が続かない。
この処、こんな暑さの日ばかりで、美緒に借りたままの本も積読のタワーに乗せたままだ。
エアコンが最大能力を発揮するテラス付のリビングは、直射日光が入らないお陰で28度設定でも十分に冷え切っている。
あそこなら快適に読書ができるのだろうが、両親どころか弟までそこで涼んでいるのが問題だ。布の少ない衣装を纏った巨乳のお姉さんが表紙に描かれたラノベを、そこへ持ち込むわけにはいかなかった。
それでなくとも弟は俺のエロ事情に敏感だ。別にエロい本を読んでる自覚はないが、中1の弟は目に見えたままを直感で指摘してくる。無駄に俺の好みも熟知していて、この間も俺のスマホを勝手にいじって、「すげぇ」と親にチクっていた。
☆
「異世界に行きたいの? 佑くんが?」
突然の誘いメールに飛びついて、俺は美緒と本屋に来た。彼女とは家も二軒隣のご近所で、小さい時から仲がいい。彼女からプロポーズされたことだってあるが、あれはまだ幼稚園の頃の話だ。
近所の同じ高校に入って、朝も帰りも何となく一緒。恋人同士と囃されることはあっても、「好きだ」なんて言葉は残念ながら交わしたことはない。近すぎて実感がないというのが現実。昔から一緒に居る――それだけだ。
「ほら、一組の山田が居なくなっただろ? あれって異世界転生だと思わねぇ?」
「まさか。佑くんの好きなラノベみたいに?」
「あはは」と控えめに笑って、美緒はテーブルに買ったばかりの本を広げた。
本屋と併設するカフェは涼を求めた客で混雑している。キンキンに冷やされた空間は、一番安いコーヒーでは申し訳ないくらい快適だ。
美緒は高1にもなって、王子様に見初められるような、俗に言うシンデレラストーリーが好きだ。彼女が熱心に読み始めた本も、表紙に王子様らしき格好の男とセーラー服姿の女の子が描かれている。
どうやら女子の界隈でも異世界転生が流行っているようだ。
対して俺は、昨日買った本を持参していた。
『異世界で出会った巨乳の美女が、俺の姉ちゃんかもしれない』
表紙のムッチリお姉さんに惑わされて、ジャケ買いしてしまったものだ。この本を家のリビングで広げるわけにはいかなかった。
それを美緒の隣で読むことに躊躇はないが、周りの視線は気になるところだ。
視線と言えば、美緒と居ると見知らぬ男たちの目が気になることがある。
異世界に飛んで行ったテニス部の先輩の事は知らないが、美緒も十分すぎるくらい大きいのだ。
きっと他人から見れば俺たちは恋人同士に見えるのかもしれない。実際は幼馴染止まりなのだが、俺がガードの役目になって、彼女に言い寄ってくる奴もあまりいなかった。
そして今日も例外ではなく、彼女をチラ見する輩が居たりする。そんな視線に俺の本の表紙が入り込んでしまったら美緒に申し訳ない。
けど俺の心配をよそに、彼女は今本の中の王子様に夢中だ。
美緒のお母さんが小学校の司書をしていることもあって、彼女の家にはいつもたくさんの本があった。外で遊ぶこともあったけど、その半分くらいはどちらかの家で会話もせず本を読み耽っていた日常が、今もずっと続いている。
オシャレだ、恋愛だ、なんて騒いでる奴から見れば、俺はヲタクに見えるのかもしれないけど、美緒と一緒に居るだけで『リア充』なのでは? と思っている。
いやらしいエロ本紛いのラノベを見せても美緒は笑い飛ばしてくれるし、俺も王子様好きの趣味をからかう時こそあるが、嫌だとはこれっぼっちも思っていない。
こんな関係がずっと続けばいいなと思いながらコーヒーを飲んで、俺もまた巨乳のお姉さんの本を開いた。
別れ際、美緒は彼女の家の玄関まで歩いたところで、突然踵を返して俺の所へ駆け戻って来た。
「佑くん!」
「どうした?」
「あの、ゆ、佑くんは別の世界になんか行かないでね?」
唐突にそんなことを言ってきた。
どこか必死で、どこか不安で。少しだけ潤んだ目が俺を見上げている。
「何かあったのか?」
閉められたままの低い門に手を掛けて彼女の方に行こうとすると、「大丈夫」と美緒は首を振った。
「違うの。佑くんが異世界の話とかするから。ちょっと不安になっただけ」
「ばぁか。行ける訳ねぇだろ」
隣のクラスの山田は異世界に行ったと思っているが、それは俺の妄想でしかない。だから、俺が行ける要素なんてこれっぼっちもない事は自覚している。
「佑くんが異世界に行ったら、モンスターにやられちゃうんだからね? 死んじゃうんだよ? 死んじゃったら戻って来れなくなるんだからね?」
さすが、本好きなだけあって想像力は逞しい。心配されていると思うと嬉しいが、これって俺がひ弱で弱いからとダメだしされているのではないだろうか。
「大丈夫だよ、心配すんな」
異世界に行きたいとは思うが、俺は美緒とまったりしているこっちの世界も好きだから。
「うん」と頷く美緒の髪が、まだ暑い夕方の風にたなびいて、肩の上でサラサラと揺れた。
「また明日な」
そう言って手を振った俺を、美緒は何度も振り返りながら家へと入って行ったのだ。
☆
翌日も朝から雲一つない青空が広がっていた。この間梅雨が明けてから、ずっと晴れの日が続いている。
家を出た瞬間に吹き出す汗。そういえば、今日の一時間目は体育だった。女子がプールで男子がサッカーという矛盾に、どっと暑さが増してくる。
美緒の家を横目に通り過ぎ、通り沿いの公園まで歩く。遊具が幾つかあるだけだが、小学校の頃はずいぶんとここで遊んだ。
この公園で8時まで待って、時間になったら相手が来なくても学校へ行くというルールは彼女が決めたものだ。中学の頃からそうしているが、美緒は病欠以外で遅れることはないし、俺が少し遅くなっても待っていてくれる。だから、ほぼ毎日一緒に通学していた。
けれど、今日は8時を過ぎても美緒はそこに来なかったのだ。
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