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12章 禁忌の代償

155 寂しいと思った

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 走り去る背中を捕らえたハロンの視線から逃げられたのは、ともの投げた炎のお陰だ。
 そこからさきの居る位置まで、先導する中條なかじょうを追って全速力で坂を駆け上がる。
 この間、あや次元隔離じげんかくりの魔法陣を描きに行った場所だ。あの時魔法陣に不備はないように見えたし、地面に沈めた時点で問題はなかったはずだ。

 むせる様な土の匂いがして、なぎ倒された木々が頂上への道を塞ぐ。ここでの戦闘は、想像以上に激しかったらしい。
 ひょいと木を飛び越える中條に続いて隔離壁かくりへきの手前まで走り、みさぎは目に飛び込んできた状況に悲痛な声を上げた。

「咲ちゃん!」

 仰向あおむけに横たわる咲。先に来ていた耕造こうぞうが、彼女に寄り添っている。
 辺りに散らばった血の色に言葉を失って、みさぎは両手で口を押さえた。

 絢は隔離壁の上部へ向けていたロッドを下ろして、「塞がったわ」とみさぎ達に身体を向けた。彼女の仰ぎ見た先に、うっすらと光が走る。

「ヒルスのことまだ動かしちゃ駄目よ。骨が折れていると思うから」

 絢の注意にうなずいて、みさぎは咲の横にそっと両ひざをついた。
 口元に血を吐いたあとがある。ぐったりと目を閉じたままの咲は、みさぎの呼びかけにわずかの反応も示さなかった。
 弱々しい気配に焦って、みさぎは助けを求めるように大人たちを見上げる。

「貴女なら助けられる。やり方は頭に入ってる?」

 みさぎはうなずいて、コートの上から咲の胸に両手をかざした。

「……こんなひどい怪我してるなんて」

 本に書いてあった手順を頭に描きながら、少しずつ光を浴びせる。咲の胸を灯す魔法陣が、液状に揺れていた。

 絢が咲の頭の近くに座り、らしたハンカチで口元とほおに付いた血をぬぐい落とす。服に着いた部分は、「仕方ないわね」とあきらめた。

「申し訳ない事をしたと思っているわ。こんな失敗をするなんて駄目ね。ヒルスをここまで追い詰めたのは、私の責任だわ」
「誰だって失敗はあるよ」
なぐさめてくれるの? ありがとう。ハロンは外に出たいのね。ヤツにとっては世界を破壊しようなんてつもりはないのかもしれないけど、共存できるものではないしね」
「そうだよルーシャ。どこか知らない世界から来たハロンが、不遇ふぐうを呪ってこの世界で暴れたり、我が物顔でいていい理由なんて絶対にないんだから。人を傷つけることに躊躇ちゅうちょしないヤツとは共存なんてもってのほかだよ。ターメイヤでも、ハロンに殺された人は何人もいる。咲ちゃんまでこんな目に遭わせて、絶対に許さない」

 遠くで智とハロンの戦う音が聞こえる。

「頼もしいわね、リーナ。ヒルスはここを守ったんだから、目覚めたらめてあげるのよ」
「もちろんだよ」

 みさぎが光に力を込めると、咲のまぶたわずかに震えた。

「咲ちゃん!」

 良かったと安堵あんどしたところで、右手を耕造につかまれる。

「もう十分だ。あとは学校に運ぶから」
「けど、まだ治ってないよ?」

 止血はできているが、まだ処置しなければならない箇所が色々と残っている。
 しかし思いもむなしく手中の光がフッと力を失った。治癒魔法を発動したダメージに視界がかすんで、みさぎはひたいをぎゅっと手で押さえる。

「お前の力はまだ必要だ。この力は、他の二人にも使う時が来るかもしれない。だからヒルスはもういい。これだけで十分死なずに済む」
「お爺ちゃん……。ごめんね咲ちゃん、この戦いが終わったら絶対に治してあげるから」

 初めて智に治癒魔法を掛けた時は呆気あっけなく気を失ったが、今はまだ少し余裕があった。
 ただ空腹が増して吐き気を覚える。そういえばハロンに丸薬を取られたまま、ずっと補給していないことを忘れていた。

 「食べなさい」と横から中條に丸薬を差し出されて、みさぎはそれを受け取った。
 もう『マズいから嫌だ』なんて言える状況じゃない。心を決めて口の中へ放り込むと、味が少しだけマイルドに感じた。
 腹はすぐに落ち着いたけれど眩暈めまいは残って、耕造がフラついたみさぎの背を支える。

「咲ちゃん……」

 そっと握りしめた手は温かい。一度震えた目はそのまま閉じているが、青ざめていた顔に少しだけ赤みがさしたように見える。
 じっと見守るみさぎに答えるように、咲は「うん……」と顔をゆがめ、唇を開いた。

「……れん……」

 うわ言で咲が口にしたのは、れんの名前だ。

「私じゃなくて、お兄ちゃんの名前なんだね」
「寂しい?」
「寂しいって思っちゃった。けど、これでいいんだよね」
「ヒルスが貴女を思う気持ちに変わりなんてないわ。貴女の前では常に兄で居ようとしてるじゃない。弱音を吐ける相手は別だって事よ」

 優しく笑んだ絢に、みさぎは苦笑した。

「ねぇルーシャ、お願いがあるの」
「なぁに?」
「お兄ちゃんを咲ちゃんの所に呼んでもいい?」

 無謀むぼうかもしれないと思ったが、会わせてあげたいと思った。蓮は用意万端よういばんたんで待ち構えているような気がする。
 絢は中條と顔を見合わせて、「いいわよ」とすぐに返事をくれた。

「ヒルスはメラーレの所に行かせるつもりよ。あの地下部屋はどっちの次元にも通じているの。メラーレを外に待たせるわ」
「ありがとう、ルーシャ」

 みさぎは早速スマホを取り出す。隔離壁の中でも、電波はちゃんと入っている。
 蓮と話す気力はなく、みさぎは手早くメールを打った。

 『学校に来て』

 それだけで蓮はきっと、咲の為に飛んでくるだろう。
 送信ボタンを押した途端に気が抜けてしまい、みさぎは耕造の腕の中へ崩れた。

「少し休みなさい」

 真っ暗になった視界の中で、耕造の声が響く。
 それはみさぎにとって、懐かしく心地の良いものだった。




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